Dr. YIKAI の言いたい放題「技術教育」

2007年版 Copy Right 2007 Dr.YIKAI Kunio

「言いたい放題」の目次へもどる
 2001/2年版「技術教育」へ
2003年版「技術教育」へ
2004年版「技術教育」へ
2005年版「技術教育」へ
2006年版「技術教育」へ

2007年1月7日 ガキのまま
2007年3月29日 墓誌銘
2007年5月5日 いらぬおせっかい
2007年9月13日 科挙の復辟
2007/12月9日 塾営学校

2007年1月7日 ガキのまま

 今日はとても不愉快なことがあった。もちろん私にも至らないところがあるのが原因だが,相手の言い分のバカさ加減に怒りを押さえて帰ってきた。ガキを相手に怒りを爆発させても,energyの無駄だからである。

 ことは,私が参加している中国語の学習会がやる餃子を作って食べる集まりの中で,余興をやることから始まった。私がいる班は最上級の研究班である。今年 の出し物はなぞなぞということに決まった。中国語のなぞなぞは,日本で普通にやっているtypeの外に,「百減一」という問題を出して,「白」という字を 当てさせる“文字当て”があるのが,漢字の国の特徴である。

 内心は余計な仕事をvolunteerでやりたくはなかったが,頼まれたのでしかたなくinternetから16題ほど探して,班員に提示した。時間の都合で実際にできるのはせいぜい5問程度である。去年の最後の授業で各自に面白い解き方を考えてくるように頼んだ。その中で面白いものを使おうという考えである。もちろん私は中国に住んでいる人にinternetで連絡を取って,どの程度解けるかを試しておいた。
 日本式と同じく長い文章からなるものは,小学校の教科書にも載っていて,彼らは聴いただけで簡単に解けた。しかし,日本人の初心者にとっては,4行もあるなぞなぞの問題を聴き取るのが容易ではない。しかも日本のなぞなぞを中国語に訳したものと大差ない。
 そこで,文字当てを7割くらいにした問題を用意した。ところが文字当てについては,中国人もこれが意外とできない。大人はすでにものごとに対する発想が固定化しているのであろう,無邪気に解けたのは20歳前後の若い女性が多かった。

 そこで,余興をうまく進めるために大幅にhintを作ることにして,そのような科白を台本の例として作成した。私は実際の作業には丸一日を潰した。もちろんたたき台であるから,どう切り刻もうが構わないのであった。
 今日,年明けの授業になったときに,hintを考えて来てもらった人は,一人しかいなかった。多くの人はなぞなぞの意味が分からない,と言うのである。
 そして,私になぞなぞの出題を頼んだ張本人は,いろいろと時間を使った私への感謝はおろかねぎらいの言葉もなく,“これじゃ会場が白けて使い物にならないから,自分はこの企画に参加しない。”と言い出した。

 まるで,欲しいオモチャを買ってもらえなかった,5,6歳のガキのような言い分である。私はそれなりに斟酌して,余興として成り立つ方向に考えたのであるが,テンから上司が部下のできの悪い提案を切捨てるような発言であった。
 私は別に自分の案に固執する気はないので,まずどうしてこういう風に考えたのか,ということを説明し,たたき台なのだからどう改良すればよいかを訊いたが,“自分は関係ない。”の一点張りであった。
 そうしたら,もう一人のオヤジが悪のりして,私が避けた長い文章のなぞなぞを小学校の教科書から抜き書きして来て,これ見よがしにみんなに示したものだ。そんなにやる気があるなら,私は何もする必要がないと思ったので,“それで行きましょう。”と言ったら,自分もこれには参加しない,と言い張り,その代わりに習い始めたばかりの「二胡」の演奏を披露する,と言い出した。
 単に自慢したいだけである。カラオケで中国語の歌を歌うのと大差ない水準だ。私も胡笛が吹けるが。そんなことを言う気にもならなかった。

 本当に,小学校や中学校で文化祭や学芸会の出しものを決めているような情景であった。私は以前にもこのような経験をしたことがあるような記憶が甦ってきた。その時は私も,“それなら自分も知らない。”と宣言し,その年の中学での出し物は女子だけで決め,内容は散々だった。
 このオヤジ達の行動は,人に仕事を押しつけておいてハシゴを引くという非常に卑怯な行為であるが,本人達は気付いていない,一種のイジメである。

 今回もオヤジ二人が勝手なことを言ったので,多分私が怒りだすだろうと,女性陣は心配したようであるが,彼らのあまりにも子供染みた行動に,私も呆れて反論することはしなかった。
 なぜなら,そこで私が争って自分のprideを守っても,しょせんキャンキャン吠える野良犬の前でふん反り返っているのと同じく,滑稽であるからだ。
 先生が仲裁に出てくれて,今回は何とかまとまる方向で企画は整った。しかし私としては,内容の善し悪しを議論する以前のガキじみた態度に,この学習会への情熱を完全に無くした

 私は,これらオヤジの態度をどう分析すればよいのか悩んだが,以下の二つの心の中の意識が,本人が気が付かない内に外部にそのまま出てきたのであろうと考えた。
 一つは私に対する嫉妬である。かれらの反論はなぞなぞの内容が難しいという皮をかぶっているが,それは16題から半分以下に選ぶ過程で何とでもなるし,またhintの付け方でもいろいろな方策が考えられる。
 とすると,私のことが気に食わないから反対している,ということが本人が気がついていない本音である。実際にオヤジ達と私とでは中国語の実力差がある程度ある。
 それは,過去の蓄積の問題であるから表面上はどうしようもないが,同じ班で学ぶとどうしても気に入らなくなるのは,人間として当然である。これが深層心理の中の嫉妬心である。
 男の嫉妬は,一見正義や道理の皮を被っていても,非常に陰湿であるのが特徴である。女性には理解できない,子供のイジメの延長線上でもある。

 もう一つは,無意識のpower harassmentである。これらオヤジたちは現実の世界では,当然ながら人の上に立っている。そのため,部下の努力を単に評価するだけの悪習慣に染まっているのである。
 部下の場合は,その評価がたとえ怒鳴り声であろうとも,お金と引き換えのパワハラであるから黙っているに違いない。しかし私は部下でもないし,借金している訳でもない。そこのところに気が付かないまま,一対一で相手に直接真意を確かめないで,公開の席で内容でなく私の努力そのものを否定したのである。
 自分の発言が相手にどのような影響を与えるかを,上の地位に長い間いる人はなかなか実感できない悲しさである。

 今回私の問題点としては,物事だけを熱心に考え過ぎて,相手の自尊心を傷つけたことである。私が考えた演目のやり方を,前もって私より古株の長老の方々に説明して,内諾を得てから投票にかければよかったのである。いわゆる日本式の根回しである。私はこれをサボったのが災いの元である。
 でも,オヤジの一人は電子mailは見ないと宣言しているし,もう一人はパソコンすら相手にしていない。とすると私が案を持って,ご意見拝聴のためにお時間を頂戴しに行くしかない。何で私がそこまで走り回る必要がある,ということで根回しは省略したのである。

 じつは私のやり方には,前もって内容を知らせておいた古くからいる班では一番よく中国語ができる女性も反対していた。でも出題を頼んだ張本人が風邪で欠席していたので,多数決で決まったのである。学校での決め方と同じである。
 自分の意見が通らなかったオヤジ共は,内容変更を検討しようという姿勢を捨て去り,“自分は降りる。”という小中学校以来の古びた下劣な手段で,心の中にある私個人を葬り去ろうという意識を露呈させたのであろう。

 実際に,私としては中国語学習のより一層の発展のために動くのは構わない。しかし,自分自身のことも考えると,遠方への引っ越しも視野に入れて,そろそろこのような子供が跋扈している中国語学習会は潮時のような気がしてきた。実際この会に属していなくてもinternetの普及で,私は中国語の学習をかなり高い水準で続けられるし,学友も見つかる。
 私は,今はこの会の HP の管理人をしつつ,中級班の発音練習の手助けをしているが,この両者に代替を見付けられるのが先か,私が情熱を失って消えるのが先か,自分でも不明である。
 ただ一つ言えることは,volunteerで動いている人には形だけでも感謝する気持ちを持たないと,意外と簡単にその情熱が失われてしまう,ということだ。

 今年の年初の格言は,“人の努力には感謝をすべし。”である。


2007年3月29日 墓誌銘

 今日の早朝4時過ぎに私の母親が湯島の自宅近くの病院で逝った。大正2年4月26日生れの93歳であるが,もう1年早ければ明治という時代に生れている。
 もう歳だったのと,だんだん衰弱していったので,感傷としては取り立てて言うことはないが,一気に大正が遠くなった感じはする。私の子供たちが逝くときには,その子孫は昭和が遠くなった気がするのかどうか分からないが,ここに簡単ながら母親の墓誌銘を書いておく。

 母親は京都の郊外(今は長岡京市という)の自作農の兄一人と三人姉妹の末っ子として生れた。父親(私の祖父)は明治のころに都市近郊型農業を営み,果実を京都の市場に供給して生計を立てていた。そのため比較的裕福だったので,姉妹はすべて教員となるべく教育を受けた
 当時の女性が自立できる数少ない職業が教師だったのである。府立桃山高等女学校から奈良女子高等師範学校を受験したが,失敗して京都府立女子専門学校(現京都府立大)の国文科を卒業した。

 洛北の銘木北山杉の産地での分校の訓導を振り出しに,大阪の高等女学校の国文の教師を最後に私の父親と結婚した。そのためか,孫娘が死の二日前に食べさせた苺milkを,「何と言う感動でしょう。」という教科書的な日本語で褒めたのが,最後の言葉であった。
 この母親は教師であったためか,私の教育だけでなく孫の教育にまで何かと煩かった。孫が二人とも筑波大学の附属校に合格するまでは,いろいろと私の嫁さんの教育方針に口を挟んだ。

 しかし私が高校生のときには古文の授業の予習をするのは楽であった。古語辞典を引く手間がいらなかったのである。「生き字引」と称して利用していた。まだ家に置いてある落合直文編の「ことばの泉」という変体仮名で書かれた分厚い辞書を引くのが面倒であったが,おかげで古文は大好きな課目になった。
 私は安易な手段を使ったにもかかわらず,古文・漢文の成績は毎期5を もらった。当時私は毎年の東大合格者数が100名近い都立の進学校にいたので,文II(今の文III)なら東大に現役で合格できる程度の成績であった。し かしすでに父親を失っていたので,母親の強い反対に遭い理系に進むことになった。浪人も家計の事情でできなかったため,オタクの大学と言われた当時の国立 二期校へ進学し,ご覧のようなしがない技術屋になってしまった。
 私が漢文から中国語に興味を持ったのは,やはり母親に対する反発からであったろうと思う。しかし,私に人より優れた日本語の言語能力を付けてくれたのもやはり母親である。このことに関しては感謝しても,し切れない。

 戦後の混乱期はご多分に漏れずに苦労をしたが,その後の復興期に私の父親が亡くなったので,女手一つで私を育てることになった。再婚の道もあったのであろうが,それを断って,針仕事,下宿屋,家政婦など10年ほどさらなる苦労をかけた。元教師というprideからはとうてい甘受できないような仕事をやりこなして来た。
 大学生になると私もアルバイトで稼ぎ,奨学金(要返済)と授業料免除で家計も楽になり,母親はいくつかの社会活動にも参加していたが,最後は出版社の住み込み宿直の仕事を見付けて70歳まで働いていた。少しでも文化的な匂いがするところに居たかったのであろう。

 私の子供のお受験後は宿直も辞め,まったく自由に時間を使っていた。私の家族との同居は,窮屈だと言って,一人で気ままなマンション暮らしをしていた。終末が近くなったので孫娘が同居したが,なかなか意見が折り合わずいつでも騒いでいた。
 これも却って生きる刺激にはなったようである。今年2月初旬の検診のときまで,一人で支度をして化粧水や口紅までつけておしゃれをしていそいそと出かけて行った。

 大正デモクラシーを生きた知識層の女性として,一定のけじめを常時保っていたことは,孫娘にとっては何よりの教育効果があったかもしれない。
 2月末になり急に容体が悪化したが,頑として入院や介護保険の世話になることを拒んだ註1)が,如何ともなくなって介護bedやヘルパーさんに頼ったのも束の間,すぐ入院となり,その後4日目に旅立ってしまった。
 私もこのように終わりたいが,まだ再婚相手さえ見つからず,晩年はジタバタしそうである。

註1:ちなみに84歳の義母は自転車で飛び回るほど元気であるが,すでに要支援の認定を誤魔化して受けて,週に2回来るヘルパーを家政婦代りに使っている。得になれば何でもやるという,平成年間の厭な日本人の姿そのものを真近に見ると,胸くそが悪くなる。


2007年5月5日 いらぬおせっかい

 日本人の心を1945年以前の状態に戻そうとしている安倍総理は,御用会議に日本の教育再生なるものを諮問させている。
 当然ながらその会議の委員は,時の政権のお眼鏡にかなった方々がなっていて,しかも全国民の意見を代表しているかのように装っている
 今の自民党などの政権党が目論んでいる望ましい日本人像は,もちろん政権の言う通りにしか行動しない,北朝鮮や中国・韓国で反日感情だけを大声で曝け出している方々と同じような人間である。

 今日のnewsによると,この会議では政権が義務教育に干渉するだけでは飽き足らず,幼児教育や家庭内のことまで決めようという,北朝鮮並みの密告社会の樹立を目指している感が伺える。以下朝日新聞社によって要約された内容を引用する。

“子育てを思う”保護者そして皆さんへ(案)
1  保護者は子守唄を歌い,おっぱいをあげ,赤ちゃんの瞳をのぞく。母乳が十分に出なくても抱きしめるだけでもいい。
2  授乳中や食事中はTVをつけない。幼児期はTVやvideoを一人で見せない。
3  早寝・早起き・朝ごはんの習慣化をはかる。
4  Internetや携帯は世界中の悪とも直接つながってしまう。Filteringで子供たちを守る。
5  最初は“あいさつをする”,“うそをつかない”など人としての基本を教える。
6  PTAは父親も参加。

 この会議の委員には実際の教員や幼児の子育てに携わっている人間は誰もいない。むしろ,現実味があることを言わずに,国家主義への傾倒を進めるのに都合がよい人物を集めたと解釈できる。
 その結果が,この頭に何か湧いている人でないと考え付かないような条項を出したのであろう。

 1.については,そんなことは誰でも知っている子育ての基本である。釈迦に説法である。実際に母親にそれが出来ないような過酷な生活条件を押しつけている政策の下で,何をかいわんやである。
 母親が子供を産んで楽に育て上げることができる条件は,今の日本ではますます厳しくなっている。それが出生率1.26という現実を突きつけて来ている。保育園が足りない,専業主婦で子育てをすると,再就職ができないなど,一度離職するとどんな経歴や実力を持っていてもスーパーのレジ打ちのような仕事しかないことが,現実に日本国内での優秀な人材の不足に拍車をかけているのだ。
 Work sharingの仕組みを大至急確立しないと,この国の優秀な人材は再生産できなくなっている。仕事が出来る女性に子育てと介護を押しつけていれば,当然ながらその選択を好まない女性は,子育てだけでも遠慮したくなる。介護は親が必ずいる以上避けられないからだ。

 2.についても,各家庭の価値観の問題である。乳幼児に向いたTV番組やVideoを作成すればよいのである。日本のTV局はどこへ回しても同じような番組だけをやっていて特色がまったくない。まだ中国のTVのようにSportsや京劇などばかり放映するchanelがあったほうがよい。

 3.の生活習慣も,それなら日本国中Seven Eleven化するしかないのだ。三交代制で働かされる工場に勤務する人間は,どうするのだ。
 この論によれば当然ながらTVは夜11時で打ち切ればよいのだけど,果たしてそれで現在の日本が回るとでも考えているのであろうか。

 4.この考えは刃物は危ないから子供に持たせない,という思考と同じである。これでは,外出すると黴菌が付くから出かけない,という人を笑うことはできない。
 大人とくに政治家などのオヤジのほうが,よっぽどいかがわしいことに手を出して喜んでいるし,報道にもあるようにセクハラも大好きで,反省は一切しない。やつらの行為を野放しにしておいて,道徳を論じるのは,どう考えても自分たちがやっていることを知られたくないのが原因ではなかろうか。

 5.政権党の代議士に会って見るとよい。挨拶に対する返事は,選挙のとき以外は“ウムッ”。そして,嘘は吐き放題である。小泉は“選挙のときの公約などは,守る必要はない。”ということを平然と言ってのけていたくらいである。

 6.私は公立学校でない学校に子供を進学させたので,PTAにはせっせと出席した。上の子だけは公立の小学校へ行かせてしまったので,その違いは驚くべき情況である。今の公立学校のPTAは仕事の時間を割いてまで出席する値打ちがない情況になっている。
 政権の目論見どおり上意下達の手段と化した教育委員会の下請けでしかない今のPTAそのものが,存在理由を政府の手によって失わさせられてしまっているのだ。

 言ってしまえば,自分たちや政権のことを棚に上げておいて,いらぬおせっかいをする閑があるなら,こんなことに税金を無駄遣いしないようなことを考えるべきである。


2007年9月13日 科挙の復辟

 日本の将来を台無しにする目的で,教育の戦前への逆戻りを画策してきた文部科学省と御用学者および反動的な自民党員とそれに同調してきた宗教政党は,2005年秋の選挙で当時の小泉総理が郵政改革にお墨付きを貰ったのを拡大解釈して,どんどんと日本を戦前の危ない方向へ引っ張って行く政策を多数の驕りで進展させて来た。
 教育基本法を骨抜きにして,時の為政者の意のままになる子供を育てようという悪事ばかりではなく,中国侵略を初めとする先の戦争を美化した教科書を全国に拡げるために,教科書選定の都道府県levelでの統一を画策し,東京のように反動的な首長の意のままに教科書が選べるようにした。すでに北朝鮮や中国など連中が忌み嫌う国と同じように国家検定を強化し,今の事実上の国定教科書をさらに強引に一つの価値観や思想で固めようとしている。
 小泉や安倍は,Isram国家に巣食うterroristとの戦いが正義だとして来たが,自分が思った一方的な考えを教育を通じて国民に固定化するために,これらの反動的な政策が強硬されてきた。そうして憲法も戦前指向の国による国民統制がしやすい形に変えようとしてきた。

 しかし,今年7月末の参議院議員選挙で,自民党とそれに同調する宗教政党は低投票率にも拘らず,歴史的な大敗を喫した。それでも安倍は,これらの反動的な政策を完遂するために政権にしがみ付いていたが,終に昨12日に自らの辞職を発表した。
 国民は郵政民営化には賛成したが,これらの超反動的な政策に賛意を示した訳では決してない。それを好機到来とばかりに一気に実行に移したために,何をやっても許されると国民を馬鹿にすることに慣れていた自民党の大臣が馬脚を表した結果,参議院議員選挙で大敗したのである。

 しかし,馬鹿げた教育政策は自民党の管理を経なくても勝手に進むような構造がすでに出来上がっている。中央教育審議会では,今後小学校で,47都道府県 と世界の主な国々の名称と位置を覚えさせることにした。実際に中学受験をする程度の家庭の子供たちは今でも全員が出来ると思われる。
 問題は,それを学習指導要領という形でどんなに学習が進んでいない子供たちにも強制すると,それが出来ない子供に“バカ”である,という名札を張りつけることになる,ということが分かっていないことである。まるで中国で清朝末期まで1,000年以上続いた官吏登用試験の科挙と同じ発想である。

 都道府県名の次は,必ず歴代天皇の名称となる。戦前の歴史の授業では,今では実在不明とされている神武天皇以降数代も含めて 天皇の名称を実在のものとして子供たちに暗誦させていた。旧約聖書の“誰それの子誰,その子誰”という下りと同じく,男子の長子系だけを重視した戦前型家 族主義の復活である。歴史の改竄である。
 それが中国の史書の記述と合わないと,いろいろ取り繕う学説を捏造したり,中国の史書が間違っている,という科学になっていない教育を施していた。その結果の1945年の敗戦である
 もっとも安倍(岸の孫)にしろ,その後を狙っている麻生(吉田の孫)や福田(福田の子)も,皆総理大臣経験者の子孫であるから,彼らにとって自分の価値は祖先にしかないと考えてもよいかもしれない。
 はっきり言って,歴代首相の名称とそのやってきた悪事を暗誦する方が,いつ変るか分からない地名などを暗記させるよりもましかもしれない。

 中国での教育は歴史的な科挙の影響で今だに暗誦中心の教育である。もちろんそうやって中国共産党の正しい教育を受けたはずの中国人が,汚職に走り盛んに贋物を作り,危険な食品や壊れやすい品物を作るところを見ると,共産党政権の政策はそれほど効果を上げていないように思える。

 日本で科挙的な教育を復活すると,今でさえ高知識層の子弟は海外留学や国内にある外国人のための学校に進学させているくらいであるから,どんどんと日本の教育を見捨てて行くであろう。最近の中華学校(元々台湾系)の人気を見よ。
 もっともこうして残された比較的水準が低い国民を,今の中国人並みの給料で働かせるには,ただただお上が言うことを暗記させるのは,よい方法かもしれない。
 ただ技術立国の日本は,自由に物事を考えて行動する人間がいて,始めて将来が見えてくるのである。固定概念を教育したのでは,懐古趣味に浸っている老人と同じような人物しか産み出せないであろう。


2007年12月9日 塾営学校

 民間人出身の校長を持つ東京都杉並区和田中学では,2008年1月から夜と土曜日に学校で塾を開くことになった。対象は次の年度に高校を受験する中学2年生である。多くの人々はこの試みに異を唱えるかもしれないが,筆者はたいへんけっこうな試みだと思っている。週4日の3教科courseでは,数学6コマ,国語・英語各3コマ学べて,月2万4千円という格安価格である。この中学の地元で経営している怪しげな塾にとっては,優良な生徒を丸ごと取られてしまうので,たいへんな脅威であろう。
 もともと学校の施設は教育用に特化されているのであるから,塾に使うに当って何等新規の投資は不要である。しかも多少の賃貸し収入も期待できる。ついでに,この塾で学ぶ生徒には昼間の同じ授業に出る義務を外して,自習時間として塾の勉強の予習復習をさせてもらいたいものである。

 長い間日本の小中学校の義務教育は悪平等の下に置かれてきた。しかし義務教育は国家が国民に提供する最低限の教育に過ぎないことを,多くの人々は無視して来た。それをよいことに,本当に教え訓練すべきことを放り投げて,日の丸や君が代および先の戦争を正当化する教育をせっせと積み上げて来た。
 その結果が,OECD(経済協力開発機構)がこの12月4日に発表した主要国・地域の15歳男女の2006年の学力調査の結果である。2000年には世界で1位だった“科学的応用力”は2003年には2位,今回は6位と坂を転げ落ちるように下がっている。その主要原因はゆとり教育だと思われているが,筆者は逆にもっとゆとりの時間を増やして,出来る生徒には塾でどんどんと教えるのが一番だと思う。

 すでに転落している“数学的応用力”は6位から10位に,“読解力”に至っては14位から15位という体たらくである。日本がこれまで世界から外貨を稼いで,いまのような呑気な暮らしができるようになったのも,この“科学的応用力”に裏づけされた日本の技術力があってこそである。
 しかし,水準が低い“数学的応用力”をbaseにした金融・保険や流通業界が,技術力を背景にした製造業よりも高給であり,さらに三百代言以下の“読解力”しかない政治家や役人が良い目にあっているとなると,誰も真面目に気苦労な職人や技術屋になろうとは思わなくなるのは当然である。
 この国際比較での水準低下は,ゆとり教育の結果ではなくて技術屋や職人を馬鹿にした政策や教育の結果である。

 明治の始めに始められた学校教育制度は,基本的には教育水準の底上げを狙って,時の政府の役に立つ人材を育成することであった。欧州では伝統的に貴族や金持ち階級は庶民と同じ学校などに自分の子供を通わせるなどという発想はなかった。すなわち私塾や家庭教師によって,自分の後継者に足るのに必要な教育がなされたのである。これは伝統中国でも江戸時代の日本でも同様である。
 国家の手による一律教育は,共産主義国がその結果を示しているように,特定の政治体制を支持させ,それを守るために生命を賭してもかまわない,という金正日の親衛隊や戦前の天皇陛下の良き臣民のような人間を大量に供給するのが目的である。

 ここに来て大政翼賛的な画一教育では,子供の将来が危ういと将来を危惧した親たちは,義務教育が親に課している文部科学省の管理下の学校を敢えて避けAmerican schoolや中華学校に子供を通わせはじめた。
 今の度の杉並区の試みは,これらの先進的な親の姿勢からはほど遠いが,従来の教育から外れたところで,本音の部分を教えるということについては,評価してもよいかもしれない。
 ただ,塾を忌み嫌っている文部科学省の役人・教育委員会や反動教育に熱心な学者・教員からは,この塾営学校の抹殺への動きがあるかもしれない。実際彼らは,自分たちだって塾や予備校のおかげで今の地位にいることをすっかりと忘れているのだ。


2007年版完