Dr. YIKAI の言いたい放題「日本の世相と中国関係」

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2004年6月14日 判りにくい表現や誤字脱字を全面改定

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2003年1月3日 日中語学力格差
2003年2月2日 金石文と羊皮紙
2003年2月28日 構造改革特区の医療
2003年4月3日 桃源郷と近代化
2003年4月11日 ゴミの山
2003年4月25日 情報と威信
2003年5月4日 人口減少とつくばエクスプレス
2003年7月5日 盧溝橋事件と咋今の防衛論争
2003年9月18日 個人の危機感
2003年10月24日 礼を尽す
2003年11月13日 何を輸出するか
2003年12月1日 「流転の王妃」劇中の中国語

2003年1月3日 日中語学力格差

 以前わが社でcomputer技術の研修をしていた中国人が日本で年を越すというので,大晦日から昨日まで自宅に招いて久しぶりにいろいろな話しをした。 来日当時は何も話せなかった日本語をじつに流暢に操り,中国哲学を学んでいる娘などは全部日本語で話しをしていた。私も話しをしているとつい日本語になってしまって,自分自身の中国語の水準の不足を感じさせられた。
 この中国人は中国の合弁会社から日本に派遣されてきていて,日本の顧客の仕様や変更要求を中国本土に伝えたり,納品後の後始末をしている。 労働visaでは来ていない短期派遣であるが,帰国していろいろな処理をするとすぐ来日という具合で,事実上常時日本にいるようなものである。 したがって出張手当も日本での生活が出来る程度には支払われているようだ。
 ではなぜこの分野に日本人ではなく中国人が進出しているのであろうか。企業側から見ればcost的には日本人と中国人で変らない。原因は簡単である。中国語ができる日本人技術者が圧倒的に不足しているからである。
 日本人技術者は,「中国人相手に英語で話せば十分。」という主張をする人がいる。技術用語は基本的に英語だからという理由だ。 私も中国では英語単語混じりの中国語で技術の話しをする。しかし,中国人が理解できる発音で英語が満足に話せる日本人がどのくらいいるかということである。
 日本人の英語は英語教育の手抜きで,日本人と英語nativeの人にしか通じない。英語nativeでない人の英語を聞き取れない。日本人同士なら当然日本人的発音の英語は通じる。一方英語nativeが相手なら,われわれが相手の下手な日本語が分かるのと同様に通じる。でもお互いに完全でない英語を日本人と中国人が話すと,綴りで書かない限りなかなか通じない。これは私自身の恥ずかしい体験からも明らかである。
 さらに,仕事の上では技術だけではない他の話しもしなければならない。それをお互いに外国語である英語でするよりは,中国人が日本語を話す方が手っ取り早い,というのが上述の年越し中国人が出現する理由である。
 ところで,日本の大学の文科系では,第二外国語として中国語は独・仏・西語と肩を並べるかそれを越えるに至っているが,理科系では中国語はあまり選択できる状況にない。また選択できるようになっていても,その単位を英会話などに振り替えてしまう学生が多い。
 私が非常勤で手伝っている大学では,工学部だけに中国語の講義がない。さらに高専に至っては,必修の第二外国語は英語への振り替えすら出来ず,独・西語のどちらかを選ばなければならない。技術者には中国語は不要というのが学校側の姿勢である。
 倅が行っている理科系の国立大学などは,あの評判が悪い放送大学の中国語の単位をもって第二外国語として認めるというのである。そんなものは学ぶだけ損だから,自分で初歩から子供に中国語を教えることにし,倅は英語を第二外国語の単位に振り替えている。
 日本では「中国にしてやられる。」という議論だけが盛んであるが,中国を相手にする第一歩である大学の中国語に関しても英語教育と同じくいい加減である。語学の学習は発音が第一である。 しかしこの分野でも日本の大学の先生方は,「授業時間が足りないから発音矯正は不可能。」として,匙を投げてしまっている。学生も正確な発音を学ぼうという気がある学生は僅かで,大多数は「漢字を見て意味が分かれば十分。」という考え方である。 電子mailやchat,BBSならそれでもよいが,これでは面と向かって仕事上の話しができない。明治の初期のように漢学の素養があるわけではないから,電子mailなどの筆談もうまく行くかどうか不明である
 ところで,このまま中国経済が発展すれば,日本の過去の状況から見てあと10年くらいで人民幣(元)の価値は3倍くらいに上がると思われる。事実中国の物価はこの20年間で約10倍に上がった。 日本の高度成長期のオイルショック時と同じである。1985年訪中したときの記録によれば,1元札で日本での500円位に相当する品物が買えた。今は1元では100円程度の品物しか買えない。
 文化大革命以前では一元は150円程度の交換率だった。それ以来円は対US$で3倍に値上がりしたが,中国元は文化大革命などの影響で1/3程度に切り下げられた。 堺屋太一氏の「平成三十年」の予言のように,あと10年程度で円がUS$に対しての実際の実力である200円位に値下がりすると,中国元の値打ちは円からは現在の5倍程度になる。
 この正月に我が家を訪問した中国人技術者が,現在中国で貰っている月4,000元程度の給料は,この計算では約30万円になり,現在の日本の給料と大差なくなる。その時に彼らと対等に競いあう力が日本人技術者にあるだろうか。
 10年後に人民元の価値が上がってからでは,中国留学の費用は国内の大学以上になってしまう。就職先が見つからない技術系の人は今のうちに中国に語学留学するのも悪くない。 中国語は発音さえ身につけてしまえば,漢字と中国古典文化の素養がある日本人にとっては英語よりずっと簡単な外国語である。中国語を教育する先生方や学ぶ学生諸君は,この点に留意して徹底的にカタカナ言葉でない中国語を身につけられるように すべきである。


2003年2月2日 金石文と羊皮紙

 またまたMicrosoft盲信者の心胆を寒からしむ事件が起こった。MS社製のSQLServerにwormが取りつくのである。このwormはSQLServerが管理しているdata baseにはあまり悪さをしないそうだが,取りついた先のMS社のOSなど他の製品と同じく,感染用の要らないpacketを大量にバラ撒く。 その結果internetへのaccessの輻輳を招き,韓国などでは一時internetへの接続がままならなくなった。
 例によってMS社はこのbugについては修正を発表してあるので,それを適用していないserverの管理者が悪いというXBoxでは通用しなかった言い訳をしている。 「韓国では最近隆盛を極めているnetwork game用の多くのserverが,SQLServerの違法copyを使っている可能性が高く,それらにはnetwork経由の正規のpatchが当てられない,ということが事態をここまで悪化させた。」という論調がマスコミの主張だ。
 Network経由でなければpatchが当てられないようにして,最初から不良品を出荷するいう手法で違法copyに対処する商法自体は,合法非合法すれすれのbusinessと言えるが,そのようなcopyが出まわること自体が,MS社が自社の商品を自国の政府を使ってまで不良品を世界に押売りしてきたことの付けである。 すなわち,契約などいろいろなことで相手の会社をがんじがらめにして,出来の悪いOSとさらにそれよりも出来が悪いapplicationをset販売する商法は,その尻を拭かなくてはならない技術者の怨嗟の的である。
 ところで話しは変るが,この事件で学ばなくてはならないことは,著作権や違法copy氾濫とMS社の卑劣商法の関係ではない。電子的に管理された情報というものに信を置く社会を見直すという観点である。
 かつて人類は情報の記録媒体として文字を手に入れた。それ以前には絵を描くことで情報を記録した。文字情報は粘土版や金石文・羊皮紙のような環境からの影響に対して比較的安定な媒体に保持されていた。 もちろん記録できた情報量は非常に少ないが,千年以上の情報保持能力を発揮している。
 一方電子化された情報は,保管に場所が要らない,検索が容易ということで,ここ二三十年で急速に普及した。しかし,人間は数千年来の文字に情報を記録するという方式から急速には脱却できない。 行政は,順次電子記録を正規の文書として認める方向に移行しているが,ここには多くの問題点を含んでいる。個人情報保護法が逆の意図を持って立法化されようとしている事実から見ても,電子記録の氾濫に悪乗りしているのはMS社だけではない。
 住民基本台帳の電子化と相互接続ですでに起こっている事件からも明らかなように,電子記録に全面的に依存することは,他人によるのぞき見や故意・過失による情報の変更・毀損など多くの危険を伴っている。 さらに,電子記録の脆弱性は単に媒体の破損やvirus,wormによる被害のみならず,人為的な媒体の破棄や媒体自体の劣化,再生装置の損傷・商品寿命の終焉など,多くの問題を含んでいる。
 情報交換用鑽孔紙tape,8 inchのfloppy diskなど媒体とその中に情報があっても,再生するには再生用の機器が入手困難か非常に高価などの状況を考えて欲しい。 3.5 inch型のfloppy diskも,2DD(1995年ごろまで盛んに使われた日本語ワープロのformat)や2HD(NECの旧PC9801のformat)が再生できる機器も少なくなっている。
 Analog情報ではすでにSP版のrecord以来多くの情報媒体が変化を遂げていて,その多くはdigital媒体になっている。 Film型のcameraも同じ運命を辿るであろう。LP/EPのrecord,Open reelの音楽tape,VHD型の映像diskやβ方式のvideo tape,analog方式の8mm videoなどすでに特別に機器を用意しなければ再生不可能となりつつある。 LDなどは昨年パイオニアが再生機の発売を中止するという発表をした後,大騒ぎになり,しぶしぶLDとDVD/VCD兼用再生機を生産しているだけである。ソニー・松下戦争で有名なVHS方式のvideo tapeの命運も占わなければならない。
 このように電子式の媒体に情報を貯える方式は甚だ危険である。如何にback upを作成しても,全体を含めて使えなくなることも考えなければならない。 一つの方法は大量に蓄積した情報を常に最新の媒体に移し変えて保存するという方法である。紙tapeからfloppy disk,さらにmemory cardやCD-RWなどという作戦である。 もう一つは不要な情報や保存に適さない情報はどんどん破棄して,真に必要な情報のみを紙などの保存確度が高い媒体に出力して保存することである。この場合画像や音響情報は劣化する怖れがあるが,それこそdigital情報にして細かい点などで記録しておくという作戦も可能であろう。
 情報が盗まれたり改竄されることに対処することに汲々となるよりより,情報そのものを減らして生活するのはどうであろうか。 Slowな生活という観点が最近取り沙汰されている。小泉内閣の住民税脱税閣僚が唱えるような,USのbusiness社会流の効率一辺倒な生き方を,情報の管理という観点から見直すには,今回のMS社のできの悪さの騒ぎはよい機会ではなかろうか。


2003年2月28日 構造改革特区の医療

 今の内閣の目玉の一つであった,構造改革特区による規制緩和が発表された。例によって既得権で何もしなくても儲かって仕方がない医者や,国家教育を強制したい文部科学省の官僚と政権党の右翼代議士共は,規制緩和に大反対であった。本来は国家主義者の小泉総理自身も反対なのかもしれない。 しかし,ここで国民の人気を下げるわけには行かないので,ほんの申し訳程度に従来の参入規制を緩めることにしたようだ。佐久総合病院を始めとする予防医療の先端県長野の田中知事は,今回の医療分野の規制緩和は話にならないと批判した。
 病院経営への株式会社の参入は,美容整形や癌の高度先進医療などに限るとしているが,美容整形は原理的にも健康保険の対象にならないのは明らかである。 一方,癌の高度先進医療は本来その成果が認められてcostが下がれば,保険治療の対象になるべきものである。
 そこでC型肝炎からの癌発生が多く,長年の医療の現場と政策の怠慢から,AIDS以上の医療事故として議論されるべき肝細胞癌の治療について,internetで公開されている高度先進医療の情報を調べてみた。
 規模や適用例で一概には言えないが,「Ethanol注入法(PEIT)」に替わるとされる,保険治療が使えない高度先進医療の「ラジオ波焼灼療法(RFA)」のほうが,患部の切除手術より総費用は安く上がるようである。埼玉医科大学附属病院のsiteの当該pageを見ると,入院検査費など保険が使える部分以外の,全額自己負担のRFAの治療費は119,000円となっている。
 同程度の癌の肝臓切除の手術料は健康保険の対象ではあるが,手術の総治療費は多分RFAの数倍になる。もしかすると,この4月からの自己負担30%の時代では,全額自己負担のRFAより保険適用の肝切除手術のほうが患者負担額が多い,という不可思議な情況になるであろう。
 ではなぜRFAが保険治療にならないのだろうか,穿った言い方をすれば,今回の規制緩和のための目玉として取っておいたのかもしれない。実際に多くの大学附属病院の消化器・肝臓内科では,肝細胞癌に対してはRFAは第一選択肢である,とさえ説明している。 しかし,肝切除手術が減ると病院の収入に影響が出るし,肝細胞癌の95%を占めるとされるB,C型肝炎由来の癌を早期発見・RFAで処置されてしまっては,肝臓外科医が困るかもしれない。
 とにかくRFAは自費治療であるにも拘らず,全国の大学附属病院だけでなく地域の基幹病院でもどんどん採用されている。その症例もどんどん増えており,肝臓だけでなく肺や腎臓に適用することすら試みられている。広がる原因は,

  1. 患者の金銭的な負担は手術と変わらない
  2. 治療効果は手術に匹敵する
  3. 患者の身体的負担が少なく回復が早い(註1)
  4. 手術に比べて同じ要員と設備でたくさんの人に治療を施すことができる

など三方一両得的な治療法だからである。
 とすると,この分野に限って株式会社が参入すると多分商売になるであろう。手術がいやで,抗癌剤治療や怪しげな免疫増強食品に月10万近く払っている人はたくさんいると思われる。これらの人に,「手術ではなく治療する。」という営業は可能である。 さらに他の臓器の手術後,肝転移が発見された場合は,肝臓自体は健全なのでRFAによる治療効果は絶大である。このような症例に肝切除手術や抗癌剤治療を行うより,RFAが最優先の治療方法であるというのが,先進的な医療関係者の間では常識になりつつある。
 問題はこのような株式会社経営で商売になる分野を,いつまでも高度先進医療として一般患者から隠し続けることができるかということである。 多分,厚生労働省や医師会は,どの高度先進医療を株式会社に開放するか,という実際の許認可の段階で,RFAを株式会社にさらわれるのを防止するであろう。 それが難しくなったら,保険治療に移すことで株式会社に利益と天下り利権を盗られないように防衛すると思われる。このときの内科と外科や製薬会社との間での争いが見物である。
 どのみち患者のためではなく,製薬会社と官僚,政権党の政治家およびそれを支持する開業医の利権と利益の保護のために,構造改革特区が使われることは間違いない。

註:
 ある大学病院のsiteには,「RFAの治療後3日で退院の例もある。」と書かれている。抗癌剤では瞬時に癌を消すことは不可能な上,5FUやCPT-11などの汎用抗癌剤は肝細胞癌にはあまり効かず,副作用が激しいなど患者の身体的負担が大きい。


2003年4月3日 桃源郷と近代化

 Iraqで歩兵師団による戦闘が行われ,中国南部では物騒な肺炎が蔓延しているこの時期に,何を好んだか中国へ旅に出た。成田から上海を経由して安徽省南部の祁門紅茶の故郷へ飛んだ。 と言っても,一人ではなく私が卒業した学校(日中学院)の同窓会が主催する旅行に参加したのである。この地は現在は黄山市と言っており,長江の南側に広がる江南丘陵の中にあり,春秋戦国の昔,楚と呉の国の境界があった辺りである。
 清明節前の菜種梅雨の時期であったにも拘らず,帰路の上海で雷雨に遇った以外は晴天で,黄山にも雲海がなく,有名な黄山の水墨画の風景にはお目にかかれなかった。だが,明清代は徽州と言って塩商人の出身地として栄えた古い街の方は,天気が良かったお蔭でゆっくりと堪能することができた。
 上海から飛行機で45分ほどの距離であるにもかかわらず,中国の200年間の近代の時代の流れをtime slipして感じることができた。徽州は明清代には文化の中心地として,当時の上海などよりもはるかに都会であった。 文房四宝の産地としても有名で,黄山などに生える松葉から作った青墨や端渓産よりも肌理が細かいという硯石を始めとして,清流に晒して作った紙や筆なども当時だけでなく現在でも第一級品である。
 徽州特に[黒多](イ)県は「陶淵明」の「桃花源記」の里のようで,青緑色の低い山並みと菜種の黄色い花,色鮮やかな桃の花の組合せは,見る人の心を和ませる。 この田舎の街には有名な詩にあるように「水村山郭酒旗風」という風景が望ましいが,なぜか家々は掘立小屋ではなく,伝統様式にせよ近代様式にせよ新築のきれいな一戸建の三階建築である。中国風に言えば昔は役人しか建ててはいけなかった三層楼である。
 塩商人が活躍した明清代ならともかく,今の主産物の紅茶と文房四宝と観光位では,とうてい全部の家々が新築できるほど儲かるはずがない。日本人観光客に紅茶を高く売りつけても(私が買った最高級の紅茶でも100gで700円位だった),無理である。第一そんなにお茶の木が生えていない。
 謎は上海で解けた。上海の浦東地区の建設現場や海外からの進出企業の工場での労働者として,出稼ぎに来ているのだ。日本でもつい最近まで大都会に東北から出稼ぎにきており,農家がみんな家を新築した時代があった。まさにこのことが中国では今現実に進行している。桃源郷の人は,三国晋代の戦乱を嫌ってここに移り住んだとされている。現に旧家の鮑という家は,初代の覇王である斉の桓公を担ぎ上げたことで有名な鮑叔の流れを汲むと称しており,山東の青州に乱があった時にここへ逃れてきたという家系図を掲げていた。
 今は,その地から最先端化のルツボである上海へ出稼ぎに行くのだから皮肉である。明清代でも彼らは塩商人として各地を回って財をなした訳であるから,彼らにとっては出稼ぎは当たり前のことかもしれない。
 ところで,徽州の人は上海へ出稼ぎに行き,上海の人は日本へ出稼ぎに来る。日本人はどこへ稼ぎに行けばよいのであろうか。 こう日本の給与baseが高くては,どの国へ行っても給料が下がることだけは保証できる。それでも,日本でせこせこ就職口を探すより,外国へ出ていったらどうであろうか。英語と普通話の中国語,現地語は必須ではあるが。


2003年4月11日 ゴミの山

 中国から帰ってくると日本の街角がきれいに見える。あのゴミの山がないのである。一つには日本は雨が多く,細かいゴミや泥は流されてしまうといった自然的な立地の差があるとは思う。 しかし,それにしても違いが大きい。上海でも浦東地区などに新しく作られた公園や観光地の街路上でには,箒と塵取りを持った人達たくさんいて,誰かがゴミを捨てるとすぐ拾っていた
 中国では自分の家でないところには何を捨てても気にしないのが普通であった。であるから,至る所に「ゴミ捨てるべからず」の看板や立て札のたぐいがある。その字が読めないくらいゴミが山積されているという風景の中を一週間も旅をしていると,ゴミの存在に慣れてしまうから恐ろしい。 以前は中国人は食べ物のカスは,そこら辺の地べたに投げておくのが普通であった。それを犬が拾い,鶏が突いてきれいにし,最後に人が掃き集めて家の外に放り出した。
 中国系の人間が多いSingapoleではゴミを捨てると体罰が待っているのは,このような中国人の習慣を教育だけでは改めさせることができない証拠であろう。 大陸の中国共産党政府も当然ながらこういった事態を改善しようとして,「文明」なるスローガンの下で,いろいろな運動を展開した。しかし人々の長い間の習慣は変えがたく,観光客が来ない街角には結構ゴミが溜まっていた。 結局,常時掃除をすることが街路を清潔を保つ手段であることに気がついたのか,最近は清掃員が目立つようになった。
 でも清掃が行き届かない川などでは,増水時に河原の木の枝に引っかかった色とりどりのポリ袋などが風にそよいで,遠くから見ると枯れ木に花が咲いたような眺めを呈するのは,日本ではあまり見かけない風景である。
 これに反して日本人は,江戸の町などゴミ一つ落ちていなかったほどきれい好きであった。ところが最近の三寒四温の大風の時期になると,我が社の駐車場の前から中まで,ゴミの山になってしまう。 会社の前にある公園で子供たちだけでなくその連れの母親までが,立ち食いしたスナック菓子やタバコの吸い殻を平気で投げ捨てて行く。それが風で吹き溜るのである。まるで中国に行ったかのようだ。
 会社が始まる前に必ずかれらが投げて行ったゴミを集めておかないと,子供たちとその母親がいない午前中でも,通行人が平気で人の会社の前の道にゴミを捨てて行くのが目撃される。 文句を言うと逆切れするのは,学校をサボってタバコを吸っている中学生だけでなく,人が払った保険料でのうのうと暮らしているジジイやババアまでが同じようなことを抜かす。 あまりけんかをすると火でも付けられると困るので,早朝の掃除を欠かすことができない。掃除がしてあるとゴミを捨てないところを見ると,中国人とは違うようである。
 いまわが社がある付近は不法入国者が多く,日本語が不自由な者もいるが,悪い連中はいずれも達者な日本語をしゃべる。日本人でないとしても永住権を持っているには違いない。 では子供たちやその母親,午前中の通行人はどうして平気でゴミを捨てるのであろうか。一番簡単な解釈は,日本人の本質が,悪いところだけ中国人に似てしまった,ということである。
 中国人が外と内を際だって分ける民族であることは疑いはない。かれらが戸口で人に見せびらかせながら食事をしているからと言っても,決して外と内との区別がないわけではない。かれらの考え方の第一原理は外と内を分けるということなのである。 だから外に対しての忠誠より内での孝行が上位になる。儒教もこれをひっくり返すことはできなかった。中国共産党が故毛沢東主席を中国人民の父親として,国民に敬うように仕向けた意味がここにある。 これに対して日本人は,同じく内外を分けているが,それは中の恥を外に知らせない,という原理に基づく。そのために本来外ではゴミを捨てることを憚るのである。
 日本人にゴミを捨てることを注意・教育するときは,本来「恥ずかしいからやめなさい。」である。中国人は,「損をする,あるいは痛い目に遭うからやめなさい。」というふうになる。どちらが良いかは,議論になる事柄ではない。 それこそ各民族の文化の相違である。ただ自分の民族の文化を捨ててしまうと,逆切れ中学生のように,「うるせ〜,なにやろうが勝手じゃんか。」となる。 すると,日本には損をさせたり痛い目に合わせる文化がないから,信賞必罰の中国文化以下の行動を平気でするようになってしまうのである。
 日本人がますます中国のカスの部分と同じ文化を共有するとなると,不法入国・滞在者にとってはどんどんと暮し易い場所になる。中国人に単純労働の仕事を取られるといって騒ぐなら,日本人としての文化を保つようにしないと国土も取られてしまう。
 まあ,政権党の政治家や官僚,それらに負ぶさって利権で生きている中小企業や農家および銀行など一部の古典的大企業の幹部は,頭の中は完全に中国に長い間巣食っている汚職官吏や政商のたぐいと同じである。わが社の前にゴミを捨てても平気な感覚を持つ人達は,かれらを模倣しているに過ぎないのかもしれない。


2003年4月25日 情報と威信

 またまた中国から帰国した。今度は「非典」(非典型的肺炎の略でSARSの中国での呼び名)の患者が突然に8倍の320人になった北京からである。患者は別に突然大量に発病したのではなく,今まで隠していたのがばれただけである。
 中国は共産党政権になる以前から,大国であることを笠に着て,いろいろなことを為政者の都合がよいように隠してきた。これは為政者なら誰でも考えることらしく,わが国でも,戦前は「知らしむべからず,因らしむべし。」というのが政治の基本原則であった。 したがって日露戦争では多くの国民は事実上の停戦状態を勝利と勘違いしたりした。その結果が1945年の敗戦である。
 実際いまでも,「国民に知らせないほうがよい。」などと外務省や防衛庁だけでなく県庁の役人や政権を持つ党が勝手に判断していろいろなことを隠す。 これを以ってIraqのように,「民主主義が未発達だ。」と判断され,米国あたりから攻撃を受けることになると,いつも痛い目に遇って損をするのは国民の側である。太平洋戦争後の占領下でそのような目に逢ったにもかかわらず相変わらずである。
 Iraqの国民は為政者の実態以外のことに関しては,世界の事情も意外とよく知っていた。過去の大日本帝国や文化大革命時の中国,現在の半島北部の国などでは,国民に国外の本当のことを如何に知らせないで置くかということが重要な政策になっていたし,実行している。 このような「井蛙」というか「夜郎自大」政策は,internet時代にはほとんど無意味なのであるが,国境や自分の権限が及ぶ会社や役所の範囲内でinternetに流れるmailやwebのpageを監視したいと考えている国や会社はどこにでもある。 強権主義政権の国家だけでなく,一見なんでも自由に見えている国,たとえば日本でも経営者や為政者は常にその願望を持って,実際に実行に移している組織がたくさんある。
 すなわち,既得権を持った者が楽をして生きていくには,情報の流出が一番の問題となるのである。情報を隠匿することで,不必要なことをして利権を保持していても誰からも指弾されないでいられる。 もし,あらゆる情報が漏れてしまうと,既得権を持つ者は常にそれが犯されないように努力しなくてはならない。それでは既得権の意味がなくなってしまう。
 このようにして平和な状況下でも情報の流通を制限したり,今現在,日本で導入しようとしている「個人情報保護法」などで,既得権者に不利な情報の流出を止めようと考えている。 そうしないと既成の権威や威信の実態がばれてしまうからである。
 中国の今度の「非典」騒ぎも同じ観点から発生した。すなわち,情報を押さえることで「広州交易会」などを成功させようという既得権的な発想である。 しかし,これは却って広州へ向かう外国人を大幅に減少させ,交易会での成約高は昨年度の約1/4と惨澹たることになってしまい,威信は大きく低下することになった。
 じつは,自分に不利な情報は早めに公開して対策を練ったほうが被害が少ないのである。権威や威信が傷つくことも少なくなり,却って対策が早くできることで利益が出ることすらある。
 自らの威信や既得権のために情報を隠しても,先進国家に追いつくための経済の発展段階ではどうにかなる。しかし,目標となる先進国家がなくなってしまった成熟した社会になればなるほど,情報を隠していると新しい考え方が出にくくなり,発展が止まってしまうのである。 「非典」騒ぎを対岸の火事と考えずに,わが国での情報公開に役立てて欲しいものである。
 異国へ移住するなら情報を隠さない国,就職するなら情報を公開している会社が将来も明るいと考える。


2003年5月4日 人口減少とつくばエクスプレス

 今日新聞を眺めていたら,日本の人口は2006年から減りはじめ,私の会社の事務所がある東京都足立区の人口は,現状の62万人から2030年には最悪43万人に減少する,という予想が出ていた。 さらに今工事中の常磐新線(つくばエクスプレス)58.3kmは混雑時に一時間あたり6両編成で往復で24本だった予定を営団南北線並みの16本に減らすそうだ。
 今から20年近く前の1985年に,観客動員数が振るわず実質的に不成功に終わったつくば万博のころ,茨城県の某村役場の関係者と常磐新線のことで話をしたことがあった。 そのとき私は,「沿線開発をして住宅地を増やしても,それは多摩ニュータウンと同じことになる。」と予言した。 さらに,「わが社のような独立型の中小零細企業が,新しい街に移って来て共存する形の産業振興を考えないと,中央直結の研究学園都市と大企業やその下請け工場中心の工業団地に頼っていたのでは,安定した税収と発展は望めない。」とも言った。 村の関係者は,「鉄道さえあれば,工場を誘致できる。」と20世紀型の開発を主張した。それに対して,「既に常磐自動車道と常磐線があり,それらの下り方向の利用率は低いのだから,accessなどの工夫によって鉄道への投資より少ない投資で産業誘致はでき,中小零細企業が進出し易い環境を作ることに投資したほうがよい。 できれば大学を誘致しなさい。」と答えた。「中小零細企業や大学では固定資産税や事業税などがあまり取れないので,検討する気もない。」というのがかれらの意見だった。
 わたしも当時はまだ,中国への生産拠点の移動がこのように急速になるとは予測できなかったが,「中央直結型の工場は,高速道路があればどこにでも進出できるので,地価や工賃が高い東京周辺などに新たに立地したがらない。」とは考えていた。
 公共交通は一方向にだけ輸送のpeakが集中していると,帰りの車両は空気を運ぶことになり,恐ろしく効率が悪い。山の手線が経費の2倍以上を稼ぎ出す大黒字路線なのは,常時客がいて定期券以外で利用するからである。首都圏の民鉄では,小田急線が沿線の学校や事業所のおかげで非常にもうかっている。これに対し都心への一方的輸送路である常磐快速線やその並行路線の緩行(千代田線からの直通運転)などは,朝の下りはがらがらで一両に数人という列車もある。
 常磐新線も常磐線のbypassである以上きっと常磐線と同じ傾向になるので,1兆円を越える建設費を回収するには,税金の投入か非常に高い運賃のいずれかしかない。 ちなみに現在客が少ない状況で運行している南北線(註)21.4kmの建設費は6,000億円と言われている。
 多分現状のまま宅地開発をしても,都内の悪い住環境からつくばエクスプレスの沿線に土地を求めて家を建てて,都心に通う人が爆発的に増えるとは思われない。 事実,1996年時点で沿線で新たに23万人の人口増を見込んでいたが,現在では9万人に下方修正したとのことだ。これによる開業5年後の需要見通しは58万人から29万人に減らしている。 この需要自体が現実的ではなく,人口増によるだけではなく,常磐線や高速バスからの乗客の大幅乗り換えや,従来の住民が新たに都心へ通勤・通学する数も最大限に見込んだ数値であると推察される。 ちなみに2001年度のJR北千住駅の一日平均乗車人員は18万人(ほとんどが地下鉄との乗り換え)である。
 多分この需要予測は,関西空港および瀬戸内海に3本架かっている橋や東京湾に架かっている橋,静岡県や神戸沖に強行して建設している空港と同じように,獲らぬタヌキの皮になることは間違いない。関西空港や橋の場合,あまりの値段の高さに需要が増えない。 神戸や静岡の空港の場合は多分需要そのものが発生しない。神戸の場合は伊丹空港を廃止するという裏技も可能ではあるが,どの道ありえない需要予測を立てて,土建業界とそこから権益を得ている政治家や役人が儲かるように,国民の税金を当てにして造っているものであろう。
 ところで,建設費や需要から見て,秋葉原−ひたち野うしく間950円の常磐線の運賃より,多分つくばエキスプレスの方が高くなるのは必定である。真面目に計算すれば,ひたち野うしくからつくばセンターまでの500円のバス代を加えたよりも高くなると思われる。実際の運賃は,東京駅からつくばセンターへの直通高速バスの1,250円よりも安くしないと,数少ない東京からの出張者も利用しないことになる。多分,運賃は政治決着をはかると思うが,それでは建設費の償却はおろか税金からの利子補給をした後の利息も払えないだけでなく,通常の運営費や保守にかかる費用も税金から補給しなければならなくなるであろう。
 現在つくばへ行くときは,まず自動車で行くことを考える。夕方に現地や最寄り駅で食事をするときは,行きは高速バスで帰りは土浦など常磐線の駅までタクシーかバスで出てから帰るのが普通である。 つくばエキスプレスができれば,帰りは運賃が高くてもそれを利用するだろう。なぜなら夕刻に常磐自動車道から首都高に入ると,延々渋滞が続くからである。しかしこの程度の逆方向の需要を見込んだ位では,鉄道事業が成り立たないのは明らかである。
 じつは,私はつくばエクスプレスの計画が始まる前から,常磐線沿線に土地を買って1985年のつくば万博の前に家を建てて別荘に使っている。場所は朝の上り列車が増結(8両に7両増結)されたり,始発も多く特急も停車する土浦から徒歩で行ける霞ヶ浦の湖畔である。理由は東京へ出向く際の選択肢が多いからである。
 実際に子供が小さいうちは将来ここに住もうと思っていた。足立区の事務所まで電車に坐ってdoor to doorで90分ほどで通えるからである。急ぎなら特急に乗って土浦駅から45分で山の手線の駅に着く。車なら常磐高速が利用できる。 ただ,当時は事務所での仕事に家族の助力が必要であったことと,そのころの主要な客先が多摩や神奈川方面に集中していたため,実際にはこの別荘に住むことはせずに,とりあえず高い家賃を払って都心のマンションに住んでしまった。
 そのころ上の子供が小学校に上がり,教育環境を考えることになった。そうすると茨城県の教育界には明治時代とおなじ官尊民卑の前時代的な発想が横行していた。 自民党公認の県知事や市長は権力志向そのものの人物であったし,教育委員会や校長・教頭も旧文部省の決めた事柄の受け売りしかしていなかった。県下の私立中学の数は少なく,その結果,中学進学を考えると別荘暮らしは不可能となり,子供たちが高校を出るまで都心に15年ほど住むことになってしまった。 その間に支払った家賃は4,500万円にものぼり,下手に常磐線沿線に将来の住まいを持たなかった方が,優に都心の一等地にマンションが持てたと後悔した。
 工場の生産設備関係を商売にしてきた事務所の仕事も中国移転の影響で激減し,都心に住む理由がなくなったため,今は職住接近に変更して,事務所の所在地にある空き建物の内装を更新して住んでいる。大学生の子供たちも,週2回ほど講義に出かける私も,別荘に移り住む気はまだない
 私がそうだとは言わないが,単に会社に雇われて自宅と会社を往復するだけの人ではなく,自主的に動かなくてはならない人にとっては,自由に出かけられる機能性が必要である。今の事務所から御茶の水までなら車で30分で行ける。 雇われてだけいる人は自宅から会社へのaccessが第一であるが,そうでない人にとっては移動する時間は収入に結びつかないのである。したがってinternetが普及した現在でも,都心までの時間は非常に重要である。 これが最近の地価低下に伴う都心回帰現象となって現れていると思われる。多分,私は非常勤講師をすべて定年にならないと,土浦には住めないかもしれない。そのころには家は築25年を越えてしまい,木造住宅の寿命になってしまう。
 つくばエクスプレスは以上のような条件下で開通しようとしている。赤字経営にならずに多くの乗客を集められるように願いたいが,たぶん建設や維持costが嵩む分,1,600億円で建設される日暮里から足立区北部の舎人まで伸びる新交通システム9.7kmと比べても,将来は暗いであろう。 

註:2004年6月14日追加
 営団地下鉄はこの4月から東京メトロと名称を変更した。
 東京メトロ南北線の埼玉県内延長部の埼玉高速鉄道は,予想どおり大変な赤字で時間帯によって料金を値下げして客を呼ぼうと考えている。 まだ開通していない常磐新線(つくばエキスプレス)も,都外あるいは柏以北は同じことになるのは必定である。

2005年3月24日追加
 このほどTX(つくばエキスプレス)の開通は8月24日に決まった。料金はつくば−秋葉原間が1,150円という高速バス打倒を狙った政治料金である。また,最高速度130km,45分で秋葉原へという時間短縮で,東京−学園都市間の客をJRからすべて奪おうという両面戦略でもある。しかし,この料金では赤字必死となる。
 一方,都内は露骨に高料金を設定した。北千住−秋葉原間が280円で,日比谷線の190円と比べると,乗客排除の料金を打ち出している。昼間で5分間隔の日比谷線や,同区間が160円のJRとの競争はあきらめたのだろう。
 JR東日本は近郊型電車のE231を交直両用化したE531を常磐線に大量投入して,130km運転をする。減りつつある沿線の人口を奪い合うという,不毛な争いの決着がそのうちに見られる。


2003年7月5日 盧溝橋事件と咋今の防衛論争

 7月7日は盧溝橋事件を発端とする日中全面戦争の開戦日である。日中戦争は当初北支事変と称しており,日中間の戦争であることを意図的に押さえてきた,宣戦布告なき戦いである。
 事件のときにどちらが先に発砲したか,などという細かいことをあげつらって,ことの本質を見ない発言は,現在の日本のみならず中国側にも根強くある。ことは簡単である。 場所は北京の南西郊外である。そこは日本ではなく独立国中国である。なぜ日本の軍隊がそこに駐留していたのかという本質を議論しなくてはならない。
 居留民や商権の保護とか他の列強も軍隊を駐留させていたなどという言い訳は成り立たない。 本音を言えば山海関の東側(関東すなわち満州)だけでは足りなくて,華北の平原(中原)も入手したかった,現場を知らない陸軍の高級将校(参謀本部の作戦部,軍令部)達の手柄を立てたい野心が原因である。
 満州国は石原完爾に手柄を取られた。こんどは自分たちが軍人のための王道楽土を作ろう,というばかげた虚栄心を抱いていたと推察される。
 この国内の手柄争いは事件を事件として解決させることを妨げた。その結果日本本土から北支派遣軍を送ることになり,列強の反発もあって第二次世界大戦へ突入していった。
 現在これに似た勇ましい議論が防衛庁長官や公開の場で中国を嫌っている知事のような国家主義者だけでなく,与野党の若手からも出ている。いつの時代にも勇ましいことを言うと,まだ自分に直接の被害が来ない人達の喝采を得ることができる。 「撃ちてし止まむ。」の玉砕戦法である。まったく米国の傘に頼ったかと思うと,自力で半島北部の国を殲滅できるようにしかねない,原理原則が見当たらないその場主義の主張である。
 半島北部の国の脅威を減らすには,中国とロシアを味方に付けるしかないのであうる。ロシアは汚い国だから,経済援助などの手法をきめ細かく使って,順次日本の考えや行動に反対しないように仕向けるしかない。それには外交的な手法も必要である。
 一方日本が本気で日中戦争に対して決着を付けるならば,中国を積極的な味方にできる可能性がある。 しかし,防衛庁長官や中国を嫌っている知事だけでなく多くの政権の国家主義者たちは,中国を仮想敵国の一種と見なしているから,靖国神社への参拝問題など小さなことで,中国が打出す原則といらない衝突を繰り返している。1937年の事件を解決できなかった反省が毛頭ない証拠である。 中国を納得させることさえできれば,日本は海外派兵ができる軍隊も,核爆弾並みの通常兵器もどんどん持って,半島北部の国に対しての抑止力を持つことができる。
 現在半島北部の国が堂々と実行している麻薬・覚醒剤・偽札の密輸や拉致,非合法送金,日本国内での破壊工作に対して,日本が現在可能である対応措置だけではいかにも手ぬるい。 しかし,日本が従来の姿勢のままで,半島北部の国への対抗措置として,軍事力を強化し海外派兵をするのは,政治的に見て盧溝橋事件を好機と捉えて華北へ軍隊を入れた陸軍の高級将校達のように,具体的な事柄が分からない連中と同じことである。
 「いそがば回れ。」である。対中国の対話を腹を割って行うことで,半島北部の国に対する問題は解決できる。半島北部の国が一番恐れているのは,中国が日本の側に立つことなのである。 日中国交回復の立役者だった田中元首相の娘を,汚職議員と外務省の省益のために手持ちのcardから失ったのは,日本としてたいへんな損失である。 中国と対話ができる政治家を早急に入手しなければ,中国は米国とだけ対話をして日本の安全や権益は無視されるときがすぐ来ると思われる。


2003年9月18日 個人の危機感

 今日TVを見ていたら,「20数年前すんでのところで,半島北部の国の工作員に拉致されていたかも知れなかった情況にいた。」という人の話をしていた。 しかし,その当時は,「変だなあ。」位で済ませていたが,「それが拉致の予備段階だった,と最近解って背筋が寒くなった。」と語っていた。
 「水と空気と安全はタダだ,というのが多くの日本人の心境である。」とよく指摘される。実際はIraqを初めとする紛争地域では,安全は自分で守らなければならないだけでなく, 水は捜し回る必要がある上,空気さえも何かが混ざっている可能性があるため,うっかり吸うことができない。世界ではこれが常識であり,日本では非常識となっている。だから茨城県の井戸水から旧日本軍が放棄した毒物が検出されたりすると, 「安全だと思ってヒ素入り水を飲んでしまったので県や国で何とかしてくれ。」と騒ぎ出す。
 公共水道は毎日毒物が存在するかどうか検査している。その代わり有料なのである。自家用の井戸は掘るときと最初に供用するときに保健所の検査を受ける費用がいるだけで,あとは毎日検査するもよし,年一回検査するもよし,まったく大地を信用するもよし,すべて自己責任である。毒が溶け出す可能性もすべて自己責任で解決するのが原則である。「旧日本軍が放置したから責任を取れ。」というのは,日本人の甘えの構造を如実に表してい る。もちろんこの件で住民が裁判に勝ったり,毒物を掘り出してそれに当たった人が出た中国では,すべての責任を戦勝国中国より豊かになった敗戦国日本(註)に押しつけて,日本から賠償金を取れることもある。しかし,印度亜大陸のある地域のように,茨城と同じ毒が地質的に井戸水に染み出す地域 では,どこに尻を持って行けばよいのであろうか。
 これは,決して危険に遭遇したら諦めろというのではない。そうなる前に危機意識を常時持つべきだと言うのである。個人はとりあえず,事故・事件,病気,仕事の三つの分野で常時危機感を持って対処していないと,いつそこから奈落の底に落とされるかわからない。いまの政権党が言うような半島北 部の国による有事などは,地震よりも確率が低いので個人で考える必要はない。
 まず,だれでもすぐ危機感をもって対処できる事故や事件から逃れる方法を考えてみる。道を歩くとき,階段を登り降りするとき,自転車に乗るとき,自動車 を運転するとき,人ごみに出るとき,交通機関を使うときなど毎日の生活の中に事故の危険は常時存在する。親父狩りや不法入国の外国人に襲われたり拉致され るなどの事件に巻き込まれることもある。
 しかし,どのような場面でも事故や事件の可能性を考えながら行動していれば,そのかなりの部分は避け得るものである。携帯電話でしゃべりながら運転する,無灯火自転車で暗い路地から飛び出す,赤信号で無理に突っ込む。人気や明かりがないところを夜間通行するなどは,事故や事件の可能性を自 ら高めている行為である。避けられる可能性がある事故や事件に遭遇するということは,自殺行為と同じである。
 阪神の18年ぶりの優勝決定で道頓堀に飛び込んだり,花火の見物客で一杯の歩道橋を歩いたり,台風や津波の波が打寄せる海岸に立ったりするのは,事故の 可能性が高まるのではなく自殺願望である。臆病な魚はでかく育つのが自然界の掟である。
 次の項の病気も同じで,自分だけは大丈夫という変な安心感が危険を招く。たとえば,多くの若年(60才以下)の癌患者は,自分の健康への過信から手遅れを招いている。もちろん,日本では技術的な側面と医師の怠慢な態度の問題で,積極的に危機感を抱いても,今問題となっている乳癌などの早期 発見が出来ない例は多い。
 しかしそれでも前もって用心していれば,問題を少なくはできる。私は今日,胃癌と大腸癌のための内視鏡検査を受けた。去年大腸のポリーブ を三つ切除したので,再検査である。また小さいのが一つ見つかった。来年は検査を休んでもよいそうである。これで万全ではないが,自己負担約3万円の検査と一日の絶食はたしかにたいへんではあるが,大便中の血の残痕を調べる通常の健康診断よりは確実である。過度の煙草や飲酒,偏った食事も避けうる危険因子である。
 三番目の明日の収入を心配するという考えは,1992年頃までの日本の給料所得者にはなかった。会社が突然倒産するということはあまりない現象だったし,倒産する会社は兆候が出ていたからである。また収入が減っても次の職はすぐに見つかった。ところが,bubble崩壊後は会社が倒産しな くても,会社の部門見直し(restructuring)にともなう解雇(lay off)という形で,どんどん職を失っている。実際には,そのような状態になってからじたばたする人が非常に多い。
 ほんとうは倒産しても企業に必要な人材は職を失わないのである。会社にぶら下がっている状態を既得権と勘違いして,一部の公務員のように 給料泥棒行為をしていたから職が見つからないのである。もっとも彼らが既得権を当然だと考える理由は,中央官庁から天下りした老人の優雅な人生や,土建業 者と地方公務員との国家規模での癒着などを見ると理解はできるが,それだからといって自分がそのような心境で働いていたら必ず所属している企業は危うくなる
 前二者の危険は明日からでも危機感を持てば対処は可能である。しかし最後の危険は50才を越えてlay off対象になってからでは遅い。社会が必要としない状態になっている50才を過ぎた人間が,一度既得権から外れてしまったら,彼は日本に潜入して来た低賃金の中国人と職を争うしか生きる道はないのである。
 少なくとも30才台で自分が社会(自分の会社ではない)にどのくらい必要であるかの見極めがついていないと,職を失う悲劇は突然襲ってくる。自分の能力 をどの分野で発揮しうるかを見つめるには,孔子が言った,「三十而立,四十不惑。」が役に立つ指標である。すなわち30才で自分がやっていく方向を仮にでもよいから決めて見て,その後の10年間試行錯誤で方向を転換したとしても,40才ではその道の実力者や権威者になって,以後は決まった方 向を見失わないことである。
 自分のことを言うが,やはり30才では方向を決められなかった。あれもこれも出来そうに思えた。10年やってどうにか方向は見えてきたが,収入を確保す るのがやっとであった。迷うつもりはなかったが,実際問題として自分に適した方向に邁進できなかった。その結果,心のゆとりを失って病気に対する危機感が薄れてしまい,我が家は最愛の家族を失う羽目になってしまった。
 実際にこの三者の危機感を,同時進行で常時保持し続けるというのはたいへんなことである。危機感ばかりに集中していては大胆な仕事もできないし,心理的 な圧迫で却って事故や事件に遭遇したり病気になったりすることもあろう。しかし,何か新しい行動に移る前や,判断を下す前に3秒だけ待って,これは危険を招く行為かどうか考えるゆとりを持つべきである。どんなに忙しくてもそのような人生を歩むこと位はできると思う。これが,危機感が不足して いた私の結論である。


 日中の経済の差が出来たのは日本のせいではない。中国大陸の覇権を握った中国共産党主席の毛澤東が,継続して自分の権威を保持したいがために起こした,種々の馬鹿げた行動(農業の集団化,反右派闘争,とどの詰まりの文化大革命)が招いた結果,経済発展から取り残されて国家が疲弊したのであ る。
 わずか3代で全国制覇の成果を奪われた始皇帝と同じ愚を犯したのである。幸いにも毛澤東の倅は死んでしまっていて,毛澤東とは考えが違う 不倒翁と呼ばれた[トウ](登+オオザト)小平がいたので,今日の経済大発展があるのである。
 日本でも小泉総理以下改革というかけ声だけで何もしていない政府と,経済を何も知らない(自分で国際競争下の企業を経営していない)政権党の連中は,中東に自衛隊を派遣するとか,住基ネットと有事法制で国民を縛るとか,日の丸と君が代の強制で学校での締めつけを強くするとか,とかく政治思想に走っている。
 今後日本は,最短で堺屋太一氏が言うところの「平成三十年」には経済的に沈没すると思われる。経済は自由にしゃべり,行動できる環境がないと発展しないのである。現在の日本が持つ閉塞感は,じつは政治思想が突出してきたことの裏返しの希望の無さに伴う既得権の固持が原因なのである。政治思想が膨らむと経済が縮むというのは歴史的な常識である。毛澤東思想が突出していた時代の中国では経済は発展しなかった。現 在,主体思想が突出している某国の経済は見るも無残である。経済を知らない宝塚上がりの国土交通大臣がいた政権党や政治思想が大好きな知事が支配している 国では,今後経済的には希望がないと感じる人がどんどん多くなる。1930年代以降勇ましいことを言う松岡洋右や東条英樹が歓迎された。その後辿った道は ご存じのとおりである。


2003年10月24日 礼を尽す

 今日,小泉総理は日本道路公団の総裁の詰め腹を中国嫌いの知事の倅の国土交通大臣に切らせた。大方の推察のように,民主党の結党大会の日に更迭を発表して大向こうの受けを狙い,民主党の影響力を下げようとしたのだ。揉めに揉めた件の小泉総理流の決着である。このやり方は,ほとんど半島北部の国の将軍様と比肩する下卑た政治的な策謀である。
 実際に藤井ほどけしからぬ人物はいない。しかし,今の日本の法令では,国民全員が彼のことで気分が悪いからといって,彼の首を切ることはできない。 アレフ(旧オウム真理教)なる宗教集団の住民登録を拒否するのと同じことである。法治国家である今の日本では,明確に破廉恥罪を犯していないかぎり,TVに躍らされた国民感情を楯に政府の裁量だけで準公務員の彼を首にはできない。 共産国のようにそれができるなら,国民の立場から言えば学校のエロ教師など首にしたい人物は山ほどいる
 いまの小泉総理は馬鹿な人間にしか通じない単純な論理で,反動的な無茶を押し通して来た。1930年からの教訓が身に染みていない国民はこれにコロッと騙されて,いまの小泉総理が日本を救うかのような幻想を持っている。松岡洋右や東条英樹が日本を救わなかったことは,歴史が答えを出してい る。
 この機会に乗じて大勲位「臣」中曽根元総理の首も取ろうとして,こちらも反撃にあっている。この人物も第二次世界大戦の職業軍人の生き残 りで,人気取りに起用した安部晋三自民党幹事長の祖父岸信介と同じように戦犯として巣鴨刑務所に収容されなければならなかったのだ。中曽根は,岸譲りの反動的な政治を完成させようと最後の努力をしているのを,小泉総理や安部に手柄を横取りされると思っている。民主党との戦の道具にも使われたと思っている。実際にこの人物も藤井と同じように吐唾すべき人物である。しかも自民党の規則に則っての正規の詰め腹であるにも拘らず,彼は 居残りを図っている。
 ではなぜ,藤井や中曽根は自民党が不利になるにも拘らず頑張るのであろうか。それは小泉総理のやり方が,礼に適っていないからである。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」とくると南総里見八犬伝の世界であるが,中国では孝・義・礼・仁の順に重要である。 儒教思想に染まった土台の上で独自の主体思想を喧伝している半島北部の将軍がこれを重視しているかどうか分からないが,小泉にはこの考えは皆目ない。藤井や中曽根は小泉の育ての親ですらないから「孝」は必要はない。首にする大「義」はあるようだ。でも「礼」がさらさらないのである。
 情況が同じでないとしてもこの両人が詰め腹に抵抗するのは,若造の小泉総理がさらに若造の石原や安部を使って首を宣告させようとしたことである。中曽根の場合は進展がないので小泉が自分で申し渡した。 もし,小泉総理が藤井に直接会談を申し込めば,彼は粘らなかったと思う。中曽根は安部ではなく党内の長老に説得をさせてから自分が出ればよかったのだ。
 すなわち,相手が不利であればあるほど礼を尽くして対処しないと,要らない摩擦を起こすのである。中国古代の春秋戦国時代ではこのことがよく理解されていたので,王の側近はそのような振る舞いについていろいろと補佐してきた。 小泉総理は人徳がないせいか,権謀術数が好きなのか,そのような助言を受けられる側近がいないらしい。
 これは企業や組織の経営でも同じである。何事も相手に不利になることは,礼を尽くして対応しないと,無駄な時間と労力を使う羽目になる,という教訓であ る。何事も天狗になってはだめである。


2003年11月13日 何を輸出するか

 今回の衆議院選挙では,自民党が創価学会員の票と自民党系無所属や保守新党の合流でぎりぎり過半数を手に入れ,公明党との連立政権を保った。
 今度の選挙はmanifesto選挙と言われていて,郵政と道路公団の民営化や年金,Iraq派兵などが論点になっていた。 国家感も怪しい中,経済や国家のことについては,結局どうすれば日本が生き残れるかの戦略について提案している文言は発見されなかった。
 ところで,日本はいまどうやって喰っているのであろうか。ずばり輸出代金や貿易外収入が輸入代金や貿易外支出を上まわっているからである。 もし逆になったらkey currencyのnote(註)を無限に印刷できない日本は,石油などの原材料や食料,安価な中国製の製品を輸入する手段が先細ってしまう。 自分の国内ですべてが賄える米国や中国でも自国の過不足の分を手当てできないと経済が成り立たないのである。観光や他国の安い労働力,文化・教育なども過不足の手当てをする対象である。そのようなことを断った徳川体制やかつての台湾や半島北部の親子独裁体制はどんなに頑張っても,世界の流れから取り残されるのである。
 いままで日本は不足する分の代金を払う手段として,繊維製品などの軽工業品の輸出代金で賄う時代を経て,今は自動車や高度な素材,家電製品,電気・電子機器,機械の輸出代金および投資の配当・利息や特許収入を当てている。 ところでこのような輸出や貿易外収入はいつまで続くのであろうか。自動車や家電は今や現地生産が当たり前の時代に成りつつある。現地生産したとしてもそれに使う部品や素材は日本から供給し続けることができるが,それもいずれ現地製のものを使うことになっていくのは必定である。 産業の米と言われる半導体は,とっくに日本の手を離れている。素材としてのsilicon waferなどがかろうじて日本企業の手元に残っているようだ。 ソニーやホンダ,キャノンが今すぐ本社を米国に移したとしてもおかしくない。事実ソニーを米国の会社だと考えている米国人は多い。
 すると,何を輸出するのであろうか,現地企業へ幹部要員などを輸出しても,その給料は日本へは入金されない可能性が高いし,税金は当然現地の国に入って しまう。こうした結果,多分日本にある親会社の収入は,投資に対する配当しかなくなる虞もある。
 製造業が海外に出ていってしまったら一体日本は何を収入源にすればよいのであろうか。 過去の英国のように投資や金融収入に頼り切ってしまって,自国の産業が老朽化しても放って置くような年金政策を取っていると,斜陽国家になってしまう。
 製造業以外の収入源として,マンガやアニメが米国の映画のように日本からの輸出品になってるようであるが,この分野やservice部門だけではMS社のできそこないのOSに多額の金を支払っているわが国は,大幅な輸入超過である。日本発のOSのTRONを理想的に発展させたとしても,MS社の売り上げ程度の収入しか見込めない。製造業が稼いでいる外貨は非常に多額である。
 それを補填するには一企業で済むような商品やserviceでは無理である。今流行の環境や福祉は当面は多額の外貨を稼ぐ構造にはない。多分,教育・訓練やleisure産業/観光,医療などがこれからの日本の収入源になる可能性が高い。これらの分野に従事している人々には一部の観光業者を 除けば,国際競争とか外国人を商売相手にするという考えすら持ったことがない人が多い。
 政治は,過去に暗黙の内に「技術立国」を国是としたように,国家の行く末を考え国が何で食って行くかを国民に示すことができないと,国民自身も何を目指 せば将来があるかが分からなくなり,目の前の利権を死守しようとするのである。その結果が,物足りない民主党にはそこそこの支持しか出せないので,当面の既得権を確保するという今回の投票行動に出たと思われる。

註:
 基軸通貨,$(US doller)やEuroなどのように多くの国の間の決済に使われる通貨を言う。有史以来長い間使われてきた金に代って英国のSterling Pound £が使われていた時期もある。これらの通貨のnote(紙幣)は必要ならいくらでも印刷すれば自動的に輸入代金の支払いに充てることができる。


2003年12月1日 「流転の王妃」劇中の中国語

 先週の土曜日から二夜連続のTV Drama,「流転の王妃」を見た。この番組は,テレビ朝日の開局45周年記念番組として日中両国で撮影された。 詳しい内容は再放送かDVDでご覧いただくとして,あらすじは故愛新覚羅溥傑氏とその妻浩さん(嵯峨公爵家の長女)の回顧録にそっている。
 このdrama全般をとおしてのthemeは夫婦の愛と信頼である。溥傑氏の兄で清朝と満州国のLast Emperorの溥儀氏の家族との対比でそれを描いている。 ほとんどは史実である時代背景の中,幾人かの架空の人物を交えてdramaを興味深く仕立てた演出自体はなかなかの出来であると思う。
 ただ日本向けのdramaである以上,多くの日本語が必要なためであろうが,中国側の人物に日本人を当てたcastingがあり,いささか興醒めなところもあった。それは,中国側の人物が話す中国語がいまいちだったことである。劇中の日本側の人物の中国語がたどたどしいのは当然ながら何も問題はない。
 残念なのは中国側の人物の四声が違っていて,字幕を見て初めて意味が解る発音もあったことである。 中国側の人物を演じる日本人には中国語の訓練をしたと思われるし,吹き替えを使わなかったのは,「よくやった。」と言ってもよい。しかし,たとえ捲舌音や四声が正しくてもそれらしくは聞こえないのである。清朝の宮廷で話された中国語は北京官話である。Dramaの日本人castの中国語はそれからはかなり外れてる。強弱や間合いが中国語ではないのである。
 今では北京官話の気分を伝える人はどんどん減ってきている。私の中国語の先生でもあり亡き妻の中国料理の先生でもあり,われわれ夫婦の仲人をしていただいた李秀清老師が話される中国語はこの北京官話の風合いがある。 その音が耳にこびり付いている私からすると,dramaの中の日本人castの中国語はかなり耳ざわりであった。李老師は清朝宮廷の貴族のお嬢さんとして育ち流転の王妃とはまったく逆の経緯で日本人に嫁いだ方である。 ただ,戦時中もずっと日本におられたので,流転の苦しみは受けなかったがそれなりにご苦労なされて,早稲田大学や日中学院で教鞭を取られた後,80才を越えてまだご健在である。
 ところで,あやしい日本語ができる中国人はどんどん増えているが,一部のまともな留学生以外の日本語は,街中で口移しで覚えたおかしな日本語である。 でも,日本人はその水準の中国語すら出来る人は少ない。大学で第二外国語として中国語を学ぶ学生は増えたが,中国と交流できるだけの人材には育っていない。 そのdramaだけで関係がなくなることもある俳優の中国語が拙いのは止むを得ないが,長時間中国と関係する必要がある政治家や役人,技術者,経営者で中国語が出来る人があまりにも少ない。 日本の現状では観光業と貿易業に従事する人くらいが,まともな中国語を話す。日本の政治家では加藤紘一氏などほんの数人だけしか中国語ができない。
 戦前ですら中国本土に対中交流の人材を育てる日本の官立大学として東亜同文書院大学があった。中国人の政治家にも周恩来始め日本留学の経験があり日本語ができる人材がいた。 現在それがどんどん枯渇している。低水準の日本語や中国語を話す人は増えても,しっかりとした日中交流ができる人材が双方にいなくなっているのは問題だと思う。
 中国語ができない小泉総理と中央官庁の役人は,米国だけを見て拉致問題や核・生物兵器,麻薬・覚醒剤問題を解決しようと思っている。 しかし,半島北部の国に影響力を持つ中国とどう付き合うかを考えないと,わが国の将来は危ういと思われる。


2003年版完