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洛陽の天気は,到着した10日からよくなかったが,11日は一日中気温は12,3℃という冷たい雨に祟られた。数日前には気温は30℃近くまで上がったそうで,期待の牡丹はすでに咲き誇っているという話だった。 |
★ 周王城天子駕六博物館 |
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朝8時半にバスでホテルを出発し,近くの周王城天子駕六博物館に9時前に着いた。
この博物館は,王城広場の中にあり,地下に降りて見学する。2002年に発掘開始し,2004年から公開されている。「駕六」とは,『周礼』の逸文と言われる文書に,「天子駕六馬,諸侯駕四,大夫三,士二,庶人一」と記されている字句を指す。それまでの他の場所の発掘結果から「駕六」は出ていなかったので,文書の記載自体を疑う説もあったが,この発見で正しいことが実証されたという。
博物館の案内は,ガイドの徐さんの日本語の外,女性学芸員の呉さんもきれいな普通話でやってくれた。見つかったのは天子の墓に副葬した鹵簿(ろぼ:行幸の列)の馬車である。彼女の私観だと,この副葬品の墓主は春秋前期末の周王の権威がまだ高かったころの天子であるそうだが,周りに王家の墳墓がいくつもあるので,墓主は特定できないそうである。
中国の墓は,墓主が死後も基本的に生前と同じように生活できるように,いろいろな品物や人を含む生き物が副葬してあるのが普通であり,始皇帝のように土偶を埋めるようになるまでは,殉死した従者や女性,馬や御者だけでなく犬も生贄に埋めたようである。
この犬の小さな骨は,下の馬車から明るいところを求めて逃げ出し,高いところに上がったが,最後に丸い石が邪魔をして力尽きたことを示している,という説明があった。
戦国期から実物や生き物を副葬することは減り,始皇帝陵のように焼き物を使うようになった。今でも中国では,墓前で紙銭や紙の豪邸,高級車を焼いたりして,あの世の死者の生活が豊かになるようにする習慣がある。
10時少し前にバスに戻って,つぎの観光地の龍門石窟へ向かった。 |
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★ 龍門石窟 |
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世界遺産の龍門石窟は,洛陽南郊外の洛河の支流である伊河の河岸にある。洛陽は京都と同じように盆地に作られた都であり,北の邙山,南の龍門山など三方が山に囲まれている。東側は黄河に注ぐ洛河が切り開いた平地が偃師を経て,中原の大平原につながっている。 |
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バスに30分ほど乗って,10時半に龍門石窟の駐車場に着いた。雨は本格的で寒さも感じたが,ビニールのペラペラの雨合羽を売る人がいて,てんでに1枚5元で買っていた。
駐車場から入り口までは歩いて15分ほどであるが,電動の車に乗って行った。傘をさして合羽を着て見学した。
お目当ての盧舎那佛(大日如来)像は4階建てほどの階段を上がった場所にある。東大寺の模写品とは違い,こちらのは玄武岩に刻まれている。岩に穴をあけて作った屋根がなくなっているので,風雨に晒されてお気の毒である。
伊河の対岸からは無数の石窟が望めるが,あいにくの雨のためはっきりしなかった。 |
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石窟は伊河の両岸に掘られているが,案内図にある二つの橋の間に約2,100の洞窟があり,10万体以上の仏像が刻まれている,ということである。 |
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13時前にバスに乗り,洛陽市街への帰途の途中にある關林に向かった。13時には關林近くの頤(yí)君大廈に着き,瑞福廳の間で昼食を摂った。白菜の子供の娃娃菜が面白かった。14時前にバスに乗り,すぐそばの關林に向かった。 |
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★ 關林 |
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關林は,三国志演義の英雄関羽の首が曹操によって埋葬された場所と言い伝えられている。
これと関羽の生れ故郷である河東解良(山西省運城市解州鎮)の関帝廟,および残った胴が葬られた宜昌(湖北省)の関陵の三つが有名である。
願い事は木でなく紙に書いてある。赤ら顔の美髯(びぜん) |
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公が廟の奥に鎮座していた。漢壽亭侯墓は廟の裏手にあり,お賽銭入れは壁に付いていた。紙銭でなくメダルを入れるみたいである。お賽銭のメダルは隣の屋台で,10枚10元で売っていた。 |
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★ ホテルの前の商場 |
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關林には40分ほどいて,雨が降っているので,この日の牡丹園に行きは翌日に延期し,15時にはホテルに戻り,夕食まで自由行動とした。牡丹はホテル内の鉢植えで鑑賞。 |
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多くの参加者は,ホテルのすぐ斜向かいにある万達百貨の地下スーパーへ,書籍やお土産物を求めに出かけた。 |
夕食はホテル内の中央庁の間で18時から摂った。
丁度この日が誕生日の参加者がいたので,ケーキと記念品を贈呈して祝った。
湯葉の煮物と,洛陽水席料 |
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理の一品ではないであろうが,肉だんごのスープが美味しかった。19時過ぎに夕食を終え,早々と休息した。 |
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