★ 白馬寺 |
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朝には雨は止んでいたが,曇天であった。鄭州への移動があるため,7時には荷物を出し,8時に荷物と一緒にバスに乗り込んで白馬寺に向かい,9時前に到着した。
白馬寺は,東漢(後漢)時代のAD68年に建立された中国初の仏教寺院である。当時の造りが残っているのは,写真に写っている門だけだそうである。 |
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境内は線香の煙が絶えない。寺院の庭園には,牡丹と桐の花が咲いていた。インド風の建物は,インドから贈られた廟である。
10時前に白馬寺を後にし |
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て牡丹園に向かった。牡丹は,白馬寺とは国道310号線の反対側にある,歩いても行ける神州牡丹園で見ることにした。 |
★ 牡丹園 |
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洛陽は4月10日から牡丹節が始まっていて,河南省のみならず全国から大勢の観光客が市内のあちこちの牡丹園に集まって来ている。
幅広い国道は多重駐車の車で一杯で,「第32届中国洛陽牡丹文化節賞花会場」と書かれた正門前は,「人山人海」で,参加者たちがはぐれないように気を使った。
ガイドの徐さんが手際よく入場券を手に入れ,脇の団体入り口から入り,遮光ネットがかかっている一角で牡丹を観賞した。
雨でしなだれている花も多かったが,全園を回ることはせずに,ここだけを観て,入園待ちを入れて半時間ほどいて,10時40分ころにはバスで次の目的地へ向かった。
参加者には物足りなかった人もいたとは思うが,牡丹園観 |
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光はあくまでも“出来れば”という予定であったので,この混みようから見て,洛陽で牡丹を見たという事実だけで納得いただいた。 |
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★ 漢魏(洛陽)故城 |
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白馬寺が今の洛陽市内から東に10kmほど離れたところにあるのは,西漢から北魏までの洛陽城が,今の洛陽から15kmほど東にある漢魏(洛陽)故城の場所にあったからである。東漢末に董卓によって火をかけられ略奪・廃棄された洛陽城は,曹丕によって再建された。
漢魏(洛陽)故城は国道310号と洛河とに挟まれた場所にあり,バスは脇道に入り一面の麦畑の中にある発掘場所をバスの窓から10分ほど見学した。麦畑の向うに再現した往時の城壁の一部が見えた。将来は公園になる予定だそうである。 |
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★ 洛陽から鄭州へ |
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11時前には連霍(huò)高速(G30)に乗り,半時間ほどで伊河と洛河が合流した伊洛河を渡り,鄭州へ向かった。途中の偃師には杜甫の墓があるそうである。バスの窓からは崖に作られた窑洞や,無数の桐の花が見られた。
G30は,カザフスタン国境の新疆の霍尔果斯(ホルゴス)から黄海に面した港町連運港まで,4,400kmに亘って中国の中 |
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央部を東西に貫く一大動脈で,始皇帝が作らせた「馳道」の現代版である。
13時過ぎに鄭州に着き,仲記酒楼で遅い昼食を摂り,14時前に次の見学先へ向かった。
報告者が過去に鄭州に仕事で来た経験から言うと,ここの料理は辣くて油っこいという印象であったが,今回の旅行では,現地ガイドの徐さんが,前もって日本の高齢者に合う料理を選び,味付けにも配慮させたためか,野菜料理中心でとても美味しかった。 |
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★ 河南博物院 |
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河南博物院には14時半前に到着し,閉館まで残された2時間半で大急ぎで見学した。 台北の故宮博物院もそうであるが,1日かけてゆっくりと見ると,細かいところが楽しめてとてもよいとは思うが,盛り沢山な団体旅行で,これだけの時間を取れただけでもよかったと思う。
ここでは参加者の一人のお友達の王女史が出迎えてくれた。王先生は河南博物院の元館長で陶磁器研究の専門家である。中国語が分かる参加者は,王先生の説明で見学した。さらに参加者全員に,博物院の展示物を紹介しているカラー写真の小冊子をくれた。王先生 |
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に感謝する次第である。
夏の後期から商の前期と言われる二里頭遺跡の宮殿跡から再現した宮殿の模型は,殷墟の遺跡から再現した宮殿と比べると,決して豪奢とは言えない建物である。 |
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お墓から出た空中回廊付きの高層住宅は,秦漢代の住まいの模型である。天辺に夜明けを告げる鶏がいるのは,桃都樹あるいは扶桑樹と考えられている。枝の長さは三千里あるという。 |
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失蝋法で作られた複雑な形状の青銅器を多数見た。玉は遺体を腐敗から防ぐと信じられていて,貴人は玉衣で埋葬された。前回の旅行でも,広州で玉衣の展示を見た。 |
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★ 夕食後鄭州中洲假日酒店へ |
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博物院が閉館し,17時過ぎにバスに乗って夕食に向かった。夕刻の鄭州市内の道路は非常に混雑していた。
18時に豫滿樓に着いた。110号室で夕食を摂った。金星ビールという聞き慣れない銘柄のビールと冷や奴が出たが,箸で刺しても持ち上げられるような中国式の丈夫な豆腐だったので,喉越しを味わうことはできなかった。 |
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19時半に食事を終えて3連泊予定の鄭州中洲假日酒店に投宿した。このホテルは以前は中州賓館と呼んでおり,鄭州では最高級の要人が泊るホテルで,武装した兵士が出入りを管理していたそうである。
今は順番に内部を改装しており,われわれは改装待ちの向かって左側の建物に泊った。各部屋のカードキーの読み取り感度が鈍く,何回も試してようやく鍵が開く被害にあった参加者もいて,ご迷惑をかけたが,1980年代までの要人の気分が味わえたかもしれない。 |
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