釣り師たち
© 2005 Dr.YIKAI
三 夜の池袋
修造は帰宅した後,昼前に送られてきた美穂子からのメールに返信を送ってから,メールボックスを開くと,すでに新しいメールが届いていた。修造のメールへの返信にしては早すぎる。タイムスタンプを見ると,修造が帰宅する一時間以上前に発信されている。
ありゃ,魚信が弱いので釣り師はこませを撒いたかな。修造は,先にメールを見てから返信するんだったと,多少後悔を交えながら美穂子のからのメールを読んだ。
「もし宜しければ、お話し相手になっていただければうれしいです」
という部分までメールを読んで,修造は苦笑した。
水商売の女だってもっとましなことを書く。これを書いているやつは,中年の経験量と心理を知らない若者だな。夜の街で遊んだ経験もないようだ。
修道は,せっかくのおもちゃを隣の悪がきに壊されたような,虚脱感を味わった。多分これを書いているガキは,中年の男なんかこれで軽く引っかかると甘く見ている。
とにかく,話相手になって,引っかかりつつあるように装わなければ,せっかく始めた釣行が,興醒めになってしまう。美穂子という人物の後ろにいる連中が出てくる心配はあったが,特殊株主対策で鍛えたカンと知識で,乗り切ることにした。
だいたい,メールアドレスが初回の分と違っていても,気がつかないだろうと,修造を舐め切っているのが気に食わなかった。素人の女が複数のメールアドレスを使い分けるかよ,修造は腹の中で舌打ちをした。
送信先:美穂子 <mihoko@yapoo.co.jp> 件名:美穂子です。度々のメールですみません 美穂子様,修造です。 > 何度もメールしてしまってごめんなさい!! メールが来ているのを知らずに,返信を送ってしまいました。 > 宜しければメールの交換でもしてみませんか? 分かりました。小生のことは公開されていますので,とりあえずそれをご覧ください。 |
いい加減に止せばよいのだが,修造はもう一度魚信を出した。どんなエサを付けた釣り針を下ろしてくるかに,興味があったからである。
美穂子との浮気がばれないかどうも心配だったので,翔は,夕べ女のところへ泊った。女は池袋のキャバクラで働いていて,そこでは渚と名乗っていた。翔より二つ年上であり,離婚経験があるが,子供はいない。顔もそこそこだし,身体の線もきれいなので,翔は気に入っている。
普段は渚の店が跳ねてから,食事をしたりして付き合っている。翔は小遣いは貰っていなかったが,食事をご馳走になる代償として,渚が頼むこまごまとした用件を処理していた。多くは,店の客に再来店を促すメールを送ることだった。また,客からきた返信のメールを要領よくまとめたり,必要なら渚の携帯に転送するなど,いろいろと器用にこなしていた。
渚はそんな翔を便利に使うだけではなく,独り身の寂しさを忘れさせる道具にも使っていた。下手に客と寝たりすると,またもや亭主面されて,不幸だった結婚生活の再来になるだけだった。その点,翔は小遣いが不要で,食事の相手と欲しいときに抱かれるだけの関係の重宝な男だった。
実際,渚は翔が誰と寝ても気にはしなかったが,同業の女に手を出すことだけは嫌った。やはり,負けるのがいやだったのかもしれない。
美穂子が出ていった後,翔はキャバクラの外で渚が出てくるのを待った。これが翔の日課である。渚が客と食事に行けば,そのままワンルームに帰る。渚が仲間とだけ食事に行くときはついていくし,一人で帰るときもついていく。
この日は,いつになく渚は荒れていた。客とのトラブルというよりは,他の女との揉め事のようだった。かなり酔っていたので,歩いて十分ほどの渚のマンションに連れて帰り,翔はコンビニへとって返して,普段渚が好んでいるおつまみとビール,自分の分の弁当を買ってきた。
部屋に戻ると,渚はソファーでいびきをかいていたが,翔が渚が着ている薄手の上着を,皺になるのがいやで脱がせようとすると,目を覚ました。
「恵理ったらさ,今日帰りがけに,自分に指名がないもんだから,あたしの目の前で,『あたしも年よりも若作りしようかしら,そうしたらお客さんがたくさんくるかも。』って言ったんだ。」
「あたしは,今日は四つも指名が入って,忙しい上に飲み過ぎちゃって,気分が悪いったらないときにだよ。」
「喧嘩にはならなっかったんだ。」翔は合の手を入れた。
「恵理の顔を引っ掻いたってしょうがないし。下手すりゃ,店に罰金を取られちゃうもん。」渚は意外と理性があるところを示した。
翔はグラスにビールを注いで渚に渡して,自分もビールを飲みながら夜食の弁当を平らげた。今日は持ち出しだな。翔は心の中でつぶやいた。渚を慰める言葉を言わなくちゃ,翔は口を開こうとした。
すると,渚は残っていたビールを一気に飲み干し,翔の口を自分の口で塞いだ。あとはお定まりのコースである。渚は激しく燃えるとそのまま寝てしまった。
こういうときに翔が帰ってしまうと,渚はあとでひどく嫉妬する。渚一人を渚のベッドに横たえ,ほっぺたとはだけた胸から見える尖んがりに軽くキスをすると,翔は食べ残しを片付けてソファーで眠った。
翌朝は,いつもより早く目が覚めた。まだ十時である。渚はまだ寝ていたが,トイレに行く翔の物音で目を覚まし,
「あら,翔,まだいたの。」と意外そうに言った。
帰りゃ帰ったでうるさいくせに,と思いつつ,
「片付けやってたら眠くなっちゃたんで,ソファーで寝てたんだ。」と明るく答えた。
「新規のお客さんいたら,名刺預かっていきますよ。」翔は,普段の仕事の体制に戻った。
夕べは美穂子と合わせて変則ダブルヘッダーだったから,多少くたばったな,という思いは毛ほどにも出さずに,営業スマイルをした。
「常連さんだけ。大名電気の山村,西日建設の大木,工業産業省の藤原,警察OBの山田。」
「じゃ,みんなお礼メールを送っておくよ。」
「山村はいいよ。しつこいのよ。誘って。」
「わかった。」翔は女のマンションを後にして,ワンルームに戻ってきた。
ちくしょう。この〜,オヤジぶって偉そうに。翔は修造のレスを見て,いらいらしていた。取り澄ましたクソ面白くないホームページなど見て,好きになる女なんかこの世にいるかよ。翔は自分のことを棚にあげて,どうしてもこのオヤジから大金を巻き上げたくなった。
一気に行くか。孝平が出していた指示の水準を越えて,高価なこませを撒いてみた。つぎはきっとエサに喰い付くようにできる。翔は昨夜の疲れも忘れて,一人興奮していた。
件名: こんにちは 差出人:美穂子 <mihoko@yapoo.co.jp> そういえば私の事何も知りませんよね。。 私がお願いしてるわけだし一応自己紹介しておきますね 今年で30歳になる既婚者で、今は夫と二人で暮らしてるんですよ。 実は…夫が浮気していることもあって、毎日一人で過してるのと変わらない感じです。 それに、この時間に一人でいると寂しくて...夫もどこでいるか分からないし(><)。。。 だから最近は主婦という感覚から抜け出したい気持ちでいっぱいなんですよ・・・ まだ知り合って間もないのにこんなこと言うのは少し気が引けたのですがほかにお話できる相手もいなくて...。ごめんね>_< でも今後こうやってメールするのがなんだか楽しみと思いいつつ、この辺にしておきます ☆また時間みつけてメールしますね。 |
修造は,まとめて二通のメールを美穂子に送った翌日も,知り合いがいる会社へ雑用の手伝いに行ったので,帰りは夜の十一時を回ってしまった。
「おかえり。」倅はめずらしく先に帰ってきていて,一人でビールを飲んでいた。
「おう,早かったな。」
「うん,また出張があるから,支度しなくちゃなんないんだ。」
修造はアルコールがかなり回っていたにもかかわらず,ビールをもう一本開けて,倅の前に坐った。
「もう一杯いけよ。」
「うん。」修造はビールを注いでやりながら言った。
「やはりスパムだったよ。」
「最近は,女子高生までが小遣い稼ぎに,ピンクメールの相手をしているんだ。オヤジのとこのは,その後どうなった。」
ノートパソコンを食卓に拡げて,最初のメール以来のやりとりとブログに上がってた情報を倅に見せた。
「これは素人だな。出だしの着想はいいが,後が続かない。」倅はプロのような顔をして,結末を予想した。
おいおい,人間を相手にするのは,お前なんかよりずっと……。修造は頭の中の考えを声にするのは止めた。さらに倅は続けた。
「どこかでエロサイトへ誘導しようとするから,そのとき,向こうから送って来たIDやパスを打ち込んだらだめだよ。」
恭子の件で仕事を上がってからというもの,釣りに出かけるか,仲間と逢うくらいしか出かけなくなった修造は,新しく始めた仕事は,手伝いとはいえ,連日出かけると昼間の疲れが溜ってきて,無性に眠くなった。
寝る前にメールを調べると,やはり美穂子なる人物から何か言ってきていた。
そうか,いよいよエサの付いた釣り糸を垂れるというのだな,修造は変な期待で,旅行に出かける前の小学生のように胸をわくわくさせて,美穂子からのメールの意味が分かっていない雰囲気のそっけない返信を出して,床に着いた。