日中学院校友会第18回中国旅行報告 III(4月14日,15日)
河南省古都に歴史を訪ねる旅


2014年4月10日 羽田発北京経由洛陽へ
11日 周王城天子駕六博物館,龍門石窟,關林
12日 白馬寺,牡丹園,漢魏故城,洛陽から鄭州へ,河南博物院
13日 安陽日帰り,殷墟,陸路黄河を渡る
14日 開封(かいほう)日帰り,鉄塔,包公祠,宋都御街,清明河上園
15日 北京経由帰国


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4月14日 開封(かいほう)日帰り,鉄塔,包公祠,宋都御街,清明上河園,打上げ宴会(鄭州連泊)
 開封は鄭州から約70kmと比較的近いので,ホテルを8時半に出発した。心配していた霧も出なかったので,出がけに多少の渋滞に捕まった以外は,開封まで鄭開大道という片側4車線の省道を快適に走って行った。
 道の南側に並行して工事中の高速鉄道の高架線路が見えた。今年中に開通するのだそうだが,日本とは異なり,工事完了即開通という感じの工事の進捗状況であった。開通すると,今の在来線路経由の動車組(新幹線型電車)で35分かかっている鄭州-開封間が,鄭州東駅から開封まで半分の時間で行けるようになり,鄭開大道と共に鄭開一体化という政策実現に役立つそうである。
 河南省のこの辺りの木々は植林されたもので,ポプラ,桐,柳が多かった。北京ほどではなかったが,あちこちに柳絮(りゅうじょ:綿毛を持つ柳の種子)が舞っていた。洛陽,鄭州など市内の街路樹はプラタナスが多く,夏の陽光を遮る役に立っていそうである。常緑広葉樹や針葉樹は植林の対象になっていないせいか,寺院や公園以外ではあまり見かけなかった。
 道の途中には棗がたくさん植わっていて,棗の特産地だそうである。「新鄭棗片」というのし梅に似ているが,さらに乾燥させてあるお菓子をお土産に買って帰った。
★ 鉄塔(開元寺)
 10時を少し回ったころに,左の写真の赤線で示された開封城の北側の門をくぐった。
 開封は,右の写真のような,清代に作られたしっかりした新しい城壁が,山西省の平遥と
同じようにほぼ完全に残っている,中国で数少なくなった街の一つである。
 北宋代の汴京(べんけい)城は,この清代の城壁内の10倍近い面積で,内城の外側にある新城壁でも囲まれていた。
 開封の多くの観光地はこの旧城内にある。平遥よりは広いが,時間が許せば徒歩でも観光地巡りが可能である。
 天下第一塔と言われている鉄塔は,城門を入ってすぐのところにあり,鉄塔が属していた開元寺の場所は公園になっている。創建は1049年で,塔の高さは約56mである。
 鉄塔の名称の由来は,塔の周りの
壁が仏像などが浮き彫りになっている瑠璃煉瓦で覆ってあり,それが鉄錆色に見えるからである。本来あった蓮の花の台座は黄河の洪水で地面の下に埋まってしまっている。
 11時15分ごろに鉄塔を出て南へ向い,大相国寺は時間がないので寄らずに,車内から門だけを見た。
★ 包公祠
 大相国寺からすぐのところに,北宋代の開封の役所である開封府のテーマパークの建物があるが,そこへも寄らずに,城内の南西にある包丞(包青天)を祭った包公祠へ向かった。
 包公祠には,中華社会では知らない人がいない,TVドラマで有名な包公に関する歴史的な事柄が展示してあった。室内には包丞の像,京劇や包青天のTVドラマでおなじみの,中国では薄情男の代名詞となっている附馬の陳世美を処刑する場面の人形と鍘(zhá)刀,開封府の模型などがあった。
 日本人は“公明正大”という言い方を好むが,包公は「正大光明」でしかも「鐵面無私」である。現在のお役人に一人でも包公がいれば,中国のみならず日本も住みやすいかもしれない。
 包公祠と前述の開封府の間にある大きな池は包公湖と言い,以前に開封府があった場所だそうである。包青天がいた
開封府は水面下11mに埋まっていて,黄河からの地下水が湧き出すため,発掘作業は諦めたそうである。
 包公祠を12時20分ごろに出て,南の城門の目の前の華梅大酒店の207号室で,12時半から昼食を摂った。ビールは嶗山啤酒という青島産の少しうまいブランドのものが出た。
 小籠包子は「灌湯包」とも呼ばれ,中にスープが入っている。北宋の皇宮で供されていたものが,街中での販売も勅許され,以来連綿と続く開封の伝統食だそうである。「茄子魚」というナス料理もサクサクして美味しかった。
★ 宋都御街
 昼食を13時15分ごろに切上げ,城内に戻って宋代の街並みを模した宋都御街に13時半に着いた。
 女真(満州)族の金に開封を占領されて,宋が臨安(杭州)に遷都後,開封の繁栄を思い出して書かれた『東京夢華録』という書物がある。宋都御街は,この本の巻二に記載されている坊巷御街の記述から再現した街である。御街は皇宮の南正門である宣徳楼から真っ直ぐに南に向かっていて,幅200余歩,旧城の朱雀門を抜けて,新城の南薫門まで伸びる大道で
あった。なお,中央は皇帝のみが通行した。
 宋代は,途中内城の汴河の州橋を渡ったあたりから,両側には商店,酒楼,妓楼が立ち並び,州橋夜市も開かれ,12世紀にすでに24時間眠らない都市が出現していた。
 「馨樓」と書かれた建物は宋代の妓楼を再現したもので,皇家の人間までもが遊びに行ったそうだ。
 宋都御街を北に抜けると龍亭公園になっていて,湖にかかる橋を渡った先には,再建された龍亭が建っていて,中には宋代の玉座が再現されている。湖面下5mのところには明代の周王府があり,さらに10数mの深いところには北宋の皇宮が埋まっている。龍亭公園へは時間がないので立ち寄らず,14時10分には次の目的地へ向かった。
★ 清明上河園
 2012年に上野の東京博物館でも展示された清明上河圖の街を再現したテーマパーク清明上河園は,龍亭公園のすぐ横にある。将来はさらに拡大するそうである。
 入場する際に身分証が必要ということで,パスポートを預けてしばらく待たされたため,入園したのは14時半を回っていた。本来は最低3時間はいたかったのであるが,夕方の鄭州
市内の渋滞を考え,虹橋のところで集合写真を撮った後,16時半までの2時間弱を自由時間として園内を勝手に回り,全世界のGDPの過半を占めた宋代の雰囲気に浸った。
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 宋代の玉座の復元には48万元かかったと書かれている。
 座って3枚写真を撮ると30元,貸衣装を着て撮ると35元と書かれていた。酒造店などもあった。
 実際の宋代の皇宮内の衣裳は,きっちりとは時代考証がされてない韓流ドラマの衣裳のような派手さはない。
 中国の古装ドラマもこの写真よりは派手に誇張されている。妓女以外は意外と大人しい感じがした。ただ,模様は伝統の汴繍で刺してあった。
妓女 女官 官員 皇后妃の普段着
★ 打上げの宴会
 16時半過ぎに清明上河園を出た。開封で一泊できれば,北宋代に起源を持つという夜市を楽しめたが,急いで鄭州のホテルに戻った。鄭開大道から市内へ入ると,月曜日の夕方だったので大渋滞していた。ナンバープレートの奇数偶数で旧市内に入れる車を制限しているそうである。
 鄭州では,鄭州商代遺跡もバスから見学したかったが,地下鉄工事も渋滞に拍車をかけていて,見学のためにバスを迂回させる時間が取れなかったので,割愛した。参加者にはこのHP上でお詫びする。
 18時を回ってホテルに帰った。一息入れて,19時からホテルの171号室で打上げの宴会をした。20時には料理が全部出揃い,添乗員の手塚さんやガイドの徐さんも含めて,全員が自己紹介と旅行の感想などを述べ,20時半に散会した。
 宴会料理は全部で17品出た。魚料理は清蒸魚で,香菜がたっぷりかかっていることはなかった。主食は鍋貼儿(焼餃子)であった。
 ガイドの徐さんが日本人の口に合う料理と考えてくれた以外に,今回の旅の食事で感じた
ことは,以前に比べて,総じて皿やスープの器が凝っているということである。
 さらに,参加者の中で気付いた方がいるかどうか分からないが,報告者が20年以上前に仕事で鄭州を訪れた際に,日本の箸文化の源流はここだと感じた。それは,太さが一定の丸箸ではなく,四角で先が尖った箸が出たからである。
4月15日 北京経由帰国
★ 新鄭機場から北京へ
 帰国日は雨になった。ホテルのポーターもまだ仕事を始めていない6時過ぎに,各自で荷物を降ろし,朝食を済ませて7時前にはホテルを出発した。
 新鄭機場までは1時間弱かかったが,7時半前には到着した。将来世界と国内をつなぐハブ空港にするそうで,既設の空港ビルの横で大規模な新築工事が始まっていた。
 飛行機は中国国際航空のCA1332便で,ほぼ定刻の9時半過ぎに飛び立った。遅れることもなく11時過ぎに首都機場に着いた。鄭州便は,国内ローカル便扱いなのであろう,バスで第3ターミナルに向かった。北京は雨でなくて助かった。
北京首都機場から羽田へ
 12時前には荷物を受取り,搭乗と出国の手続きをした。昼食は各自で摂ることになっていたので,出国前に済ませた人もいる。
 帰国便は15時45分発のANAのNH1256便で,15時過ぎにようやく搭乗なので,免税店を冷やかしながら機材の到着を待った。機材は14時半前には来た。これは中国に来るときに乗ってきた便である。
 搭乗開始前に集まって解散式をした。2本しか滑走路が無い首都機場は,この時刻はとて
も混んでいて,離陸は予定時刻よりも30分近く遅れた。しかし,偏西風の追い風が強かったので,2時間半ほど飛んで,羽田にはほぼ定刻通りの20時過ぎに到着した。日本の天候は晴れであった。入国手続きをし,荷物を受取り流れ解散した。
 旅行が無事終了したことを,中国側のスタッフや添乗員,参加者に感謝し,報告を終える。
© 2014/5/10
日中学院校友会旅行委員 猪飼 國夫 記
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