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釣り師たち
© 2005 Dr.YIKAI


五 おみやげ

 翔が修造に,焦って三通のメールを送った次の日,突然,孝平がやってきた。
 「ばかやろう。お前,ネットでおちょくられているぞ。ひとりも写真を見にこないじゃないか。全員におなじ名前でおなじメールを送るやつがどこにいる。」
 翔は,せっかく考えた文章なので,相手からの返信内容には関係なく,修造宛に作ったメールを送っていた。じつは,渚のお礼メールも同じようにしていた。
 「金返せよ。百万と言いたいとこだけど,お前にやった八万に色付けて二十万でいいから。それでここの家賃はちゃらだ。金は明日夕方までに取りにくる。そのときまでに部屋の荷物は片付けておけ。」バタンという音とともに,突然現れた孝平は,突然消えた。
 翔は目が回った。貰った八万は,いつも渚を外で待っているキャバクラに,客として乗り込むのに使った。渚は,翔が自分で稼いだ金で遊ぶことを,ひどく喜んだ。連日渚を指名して,三日で使い切ってしまった。
 金を作る当てはない。母親は二十万と聴いただけで卒倒するだろうし,あとは渚か美穂子に頼むしかない。
 まず美穂子の携帯にメールした。
 「困ったことになった。返事くれ。」返事はすぐきた。
 「今日はだめ。店長の先生がみんなを集めて講習するの。」
 渚はふだんからあまり電話に出ない。寝ていると特に機嫌が悪い。翔は歩いてすぐの渚のマンションへ出かけて行った。ドアを引くと鍵がかかっていなかったので,そうっと開けると,男の声がした。
 「もう,そろそろいいだろう。」
 じつは渚は,正式には離婚していなかったのだ。元というか今の夫がきて,何か揉めているようだ。これでは金の無心どころではない。
 どうしようもなくなった翔は,日限を延ばしてもらおうとして,道々,孝平に連絡を取った。孝平は事務所にいるような雰囲気だった。
 「美穂子とか言ったな。お前に気があるようだから,オレがバンスを貰える店を紹介するから,水に入るように言え。」
 「そんなぁ,オレの女じゃないっすから,言うこと聞かないっすよ。」
 「じゃあ,いま引っかかっているカモを脅せ。」
 翔が,電話に気を取られながら歩いていると,向こうからきたリーマン風の二人連れの一人にぶつかった。二人連れは遅い昼食を摂ったあと,話しながら歩いていたので,ふらふらとしていた翔に気付くのが遅かった。
 いらいらしていた翔が,何か言いかけようとしたとき,ぶつからなかった方が,ぶつかった方のリーマンに言った,
 「修造,だいじょぶか。」
 翔は,カモにしょうとしていた名前を突然聞かされ,修造の顔と正面から向き合った。あれ,こいつ,こないだもぶつかったじゃんか。
 「そっちから,ぶつかってきたのだ。」修造に声をかけたリーマンが,翔に言った。翔はとっさに,
 「どうも。」と言って,二人をやり過ごした。
 翔は,今回もこのリーマンの顔を以前にも見たような気がした。あっ,そうだ,ホームページで見たあの男だ。修造,間違いない。このチャンスを逃したら,美穂子をだまして水商売に漬け込むしかない。翔は,ひそかに二人を尾行した。修造はもう一人と別れて,池袋駅から私鉄に乗り,準急が最初に止まる都県境の駅で降りた。翔はあわてて切符を買って後を追った。修造は駅を出ると,西側を平行して走っている国道を越え,国道沿いのマンションに入って行こうとした。
 翔は意を決して声をかけた。
 「あの〜。」
 「なんだ。」修造は,声をかけたのがさっきぶつかった若者であることを見て取ると,驚いたような顔をして返事をした。
 「二十万貸してください。」翔は,いろいろと考えていた脅しの文句を,全部忘れてしまったかのように修造に言った。
 「おいおい,なんで君にお金を貸さなければならないんだ。」昼間で酒が入っていない修造は,理性的に答えた。
 「あんた,修造さんだろ。オレの最初の客になるはずだったんだ。」ますます訳がわからないことを,翔は言い出した。
 「池袋からついてきたのか。」修造が訊いた。翔は黙って頷いた。
 「やぶから棒だけど,話を聞こうじゃない。」修造は,翔を自分のマンションへ連れていった。こうなったら永年鍛えた貫禄の差である。
 修造は,自分が淹れたコーヒーを翔にも勧め,ゆっくりと飲みながら,翔の話の一部始終を黙って聞いていた。
 「すると,美穂子という名でオレにメールを寄越したのは,君だと言うんだね。」修造はノートパソコンを手元に引き寄せて,蓋を開けた。
 美穂子とのメールが入ったフォルダを開けて,内容を確認すると,翔はいちいちそうだと答えた。
 「最初の返信で,インターネット詐欺に気を付けろ,と書いておいたはずだが。」
 「難しいことが書いてあったので,最後まで読まずに,予定しておいたメールを送ったんです。」翔はうなだれる。
 「エロ写真を見ていないオレに,金を無心するとは思い切ったもんだ。」皮肉を言うと,
 「このままじゃ,オレぶくろから逃げ出さなきゃなんないんです。」翔は涙さえ浮かべた。
 「どこかへ消えればいいだろうが。」修造はますます苛めた。
 「女のことが忘れられないのだろう。名前を使った美穂子はそんなにいい子か。」
 「あんな女,高校んとき親切にしてやったんで,ついてくるだけです。」翔はけしからぬことを言う。
 「それなら,その美穂子,オレに譲れ。そうすれば二十万くらい,おみやげに出してもいい。」修造は,相手を追い込んだ。
 「そんなこと言ったって,美穂子がウンと言うかどうか。」翔は逃げ腰だった。
 修造はさらに追い詰めた。
 「オレも見くびられたもんだ。これでも独身だし,家もある。年金だってお前が稼ぐよりは多い。それに,そんなに身体を求めたりしない。なにせ,年だからな。」
 釣り師を釣り損ねた恨みからか,修造は特殊株主を相手に磨いた腕を発揮し始めた。
 「分かりました。あす美穂子を修造さんのとこへ連れてきますから,お願いします。」翔は突然折れた。
 修造はション便くさい女にはあまり興味がなかった。むしろキャバクラの女のほうがよかったが,事の成り行きで,明日昼前に翔がマンションに美穂子を連れてくることで合意した。
 契約の証拠として,修造は二十万円の内一万円だけを先払いした。翔がこなくても,今日面白い思いをさせてもらった代償である。


 その夜,翔は自分の荷物を,ワンルームマンションから大塚の自宅まで運んだ。母親は帰ってきた翔を見て,ホッとした顔をした。翔は美穂子の携帯に何回もメールを入れて,ようやく夜の十時ごろに逢う約束を取りつけた。
 翔は美穂子名義の最後のメールをカモ達に送った。いままで誰も写真を見にきていない。売上はゼロである。 

件名:やっぱりダメですか?
差出人:美穂子 <mihoko@yapoo.co.jp>

ごめんね面倒な事お願いして。。。(>_<)
ただ貴方にわたしの事解ってもらいたくて...それだけだったんです。
色々お話聞いていただいたのに、こんなこと言っていやな思いするのはいやだったんですけど、ただ不安だったんですよ...
一応明日の12時くらいまでは掲示板に写真アップしておくから、
大丈夫だったら一度確認してみてください。

 こないと思っていた翔が,美穂子を連れて修造のマンションのドアをノックしたのは,昼のぴったり十二時だった。
 「いらっしゃい。」と,顔を出した修造の顔を見た美穂子は,びっくりしたような大声を上げた。
 「うそ〜。やっぱ,修造おじさんじゃない。わたし,み,ほ,こ。」美穂子は一字ずつ区切って言った。
 「東長崎にいたとき,隣に住んでいた美穂子よ。翔のパソコンで写真見たとき,変な気したんだ。」
 修造は,美穂子の顔を凝視した。なるほど見覚えがある。今のマンションに引っ越してから十二年,小学校四年生だった美穂子は,すっかり大人の女になっていた。ちょっと見た目では,気がつかないくらいの変わりようだった。さらに,美容室で働いているくらいだから,造りには念が入っていた。一方,十分中年だった修造は,端から見てもたいした変化はなく,白髪が増えた分,老けて見えるようになったくらいだ。
 二人を中に招き入れ,みなソファーに坐った。
 「おばさんやお兄ちゃんは。」美穂子はすっかり子供に戻ったように,はしゃいで尋ねた。
 「恭子は病気で亡くなった。」修造はぽつりと言った。
 「倅は,出張でいない。まだ独り身。」
 「でも,よかった。おじさんで。翔ったら,一生でたった一度の頼みだなんて,生きるの死ぬのって大騒ぎするんだもん。」美穂子は一息入れた。
 「昨日先生の講習があったから,今日は簡単に休みがとれたんで,きたんだけど。どきどきものだったのよ。」
 「どうして。」修造の問に答えずに,美穂子は続けた。
 「おじさんなら一度くらい抱かれてもいいわよ。だって,むかしは毎日抱いてもらってたんだもん。私のおしりの感触を覚えている?」美穂子は修造をからかうように言った。
 「翔ちゃん,お金もらって先に帰ったら。孝平がくるわよ。」美穂子は,自分を売った翔に素気ない態度をした。
 修造は,間が悪くなった翔に残りの十九万円を入れた封筒を渡し,さらに一万円足して言った。
 「かわいい彼女がいるんだから,ちゃんと仕事をしろよ。」
 結局,翔は高校時代からの付き合いの美穂子に甘えていた。作文の代筆をした分は,きっちりとおいしい思いで返してもらっていたし,それからいろいろあっても,美穂子を都合がよいときに抱くだけで,プレゼントしたり映画や食事にさそったこともほとんどなかった。
 たまに食事すると,
 「いいよ,翔ちゃん。あんたお金稼いでないんでしょ。私が払っておくから。」これが美穂子の口癖となってしまっていた。
 いま,修造に言われ,翔は,美穂子が本当の恋人であったことに気付いた。孝平はそのへんを見抜いて,美穂子をバンスで働かせようとしたのだ。翔はマンションを出て駅に行く途中,猛烈に後悔した。引き返そうか。美穂子はあの修造のオヤジに抱かれてしまうのだ。それも嬉々として。でも,早く金を孝平のところに持って行かないと,孝平は翔の母親のところまでくるだろうし,ぶくろから逃げ出せば,渚や美穂子に会えなくなるし。翔は目をつぶって,駅まで駆け出して行った。


 「おじさん,ほんとはね,わたし初めてのときは,お兄ちゃんに抱かれたかったの。」美穂子は,着ているものをほとんど脱ぎ捨て,下着一枚になり,同じように下着姿になった修造に抱きついて言った。
 「でも,お兄ちゃんは,はじめての私でないとだめだし,わたし,かわいがってくれた恭子おばさんの代りに,おじさん慰めてあげる。おばさん,嫉かないでね。」美穂子は言い訳をするように饒舌になり,修造の上に倒れ込んだ。
 修造は,もともと女子高生のような若い子には興味が湧かないたちだった。色気がないとその気になれない,というぜいたくな性分だった。まして,赤ん坊のころから知っている美穂子では,なかかな気分が乗らなかった。
 ところが,倒れかかってきた美穂子の化粧の匂いが鼻にかかると,急に欲情してしまった。現金なものである。結局,美穂子を彼女が赤ちゃんだった頃に見た姿にしてしまい。若くて張りがある,よい匂いの身体を貪った。
 シャワーを使った後,修造は美穂子に,
 「お腹空かない。なにか食べに行く?」と訊いた。
 「うん。だけど,翔が心配だから帰る。」修造と寝たことはすっかり忘れたように美穂子は素っ気ない返事をした。
 「じゃあ。」と入り口で美穂子は,修造の口に自分の口をきつく押し付けた後,
 「お兄ちゃんには,今日のこと内緒にしてね。私の初恋の人なんだから。おじさんはその代用品。だって声も顔もとってもよく似ているんだもん。あのとき,わたし,抱いてくれているのは,お兄ちゃんだと勘違いしちゃった。」


 翔が孝平に二十万円渡すと,びっくりして翔を見つめて,孝平は言った。
 「どうやって作ったんだ。」
 「美穂子に頼んだら,貸してくれた。」翔はウソを付いた。
 孝平は疑わしそうな顔をしたが,現金は現金だ,すっと納めて,
 「部屋は片づいているな。」と事務的に訊いた。
 「はい,昨日には引き払いました。」翔が答えると,孝平は受け取ったマンションの鍵をくるくると回しながら行ってしまった。
 翔は,修造が手伝っている会社で,事務の手伝いをすることになった。パソコンに慣れている社員が不足していたからである。最初は時給八百円のアルバイトからだったが,翔は今度は辞めなかった。身体がきつくなかったのと,便利に使われているうちに,けっこうその環境が気に入ってしまったからである。
 渚は,翔が働き始めたころに池袋から消えた。
 三年後に,美穂子は翔の子を生んだ。男の子だった。お祝いを渡した修造に,美穂子は耳元で囁いた。
 「あれからも,もっとやっとけばよかったね。そうすれば,今日抱いている赤ちゃんだって,お兄ちゃんそっくりだったかもしれないのに。残念だわ。」
 釣り針を垂れていたのは誰だったのか,エサは何だったのか,修造はふと分からなくなった。


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