日中学院校友会第19回中国旅行報告 I(4月10日,11日)
黄河中流域の自然を訪ねる旅


2015年4月10日 羽田発北京経由運城へ
4月11日 吉県へ,壺口瀑布
4月12日 河津へ,龍門村禹王廟龍門口,運城へ
4月13日 池神廟解池,永済へ,鸛鵲楼,華陰へ
4月14日 西岳華山西峰,霊宝へ,函谷関と函谷古道,三門峡へ
4月15日 三門峡ダム,澠池へ,黄河丹峡,運城へ
4月16日 運城発北京経由羽田に帰国

旅行報告の頭へ戻る


写真は,画像のみ表示させると,一辺が2倍に拡大されます。

4月10日 羽田発北京経由運城へ(運城泊り)
★ 羽田空港から北京首都機場へ
 出発当日は,朝7時半に羽田国際線出発ロビーに集合し,添乗員の手塚さんと引率者でもある校友会旅行委員の猪飼(以下,報告者と記す)が簡単な挨拶をし,出国手続きに向かった。
 当日朝6時半過ぎにJR御徒町駅で自販機が燃える騒ぎがあり,京浜東北線と山の手線が一時全面停止し,報告者も急遽別経路で東京駅に出,東海道線で品川へ行き,京浜急行で羽田入りしたので,集合時間に10分ほど遅れた。
 飛行機は9:25発の全日空NH961便で,機材はB777であった。
 現地時間(以下同じ)の12時半に北京首都機場に降りたが,同時に多くの飛行機が着いたためか,長蛇の列の入国手続き等が終わって荷物を入手したのは13時半前であった。
★ 北京首都機場から運城関公機場へ
 運城行きの国内便(CA1139)は,到着した第3ターミナルからの出発なので,出迎えた旅行社の担当者が早めの国内便搭乗手続きを交渉してくれ,荷物はすぐに預けることができた。
 14時に「泰辣椒」という辣そうな名前の店に入り,ここでお茶を飲みながら夕方の出発を待つことにし,16時の夕食までは自由時間にした。北京市内に行くには時間不足だったので,参加者は空港内を散策したようである。夕食は店の名前のとおりかなり唐辛子が効いた料理が出た。
 17時前に手荷物検査に入り,飛行機(B737)の出発を待った。当初,旅行を立案していた際には,北京との間には3往復の便があり,もっと早い時間に運城へ行くことができたが,計画を煮詰めている内に運城への高速鉄道の開通があり,朝夕の2便になってしまった。
 19時前には19:25発のCA1139便に乗り込んだが,40分遅れで飛び立ったので,750km飛んで運城関公機場には21時半にようやく着いた。北京で早めに荷物を預けたので,われわれの荷物が出てくるのに20分近くかかり,2人ほどまだトイレに行っている間に,空港内の照明がどんどんと消されてしまった。
 ここで,今回の旅行のガイドをしてくれる,洛陽王朝国際旅行公司の徐晟(Shèng)さんとバスの運転手の劉さんの出迎えを受けた。照明が消されて暗くなった空港から22時ごろに出発した。
 徐さんは昨年の河南旅行のときもガイドをしてくれた。報告者はもちろん昨年からの参加者も知り合いに出会って安心したようであった。
 バスは洛陽から運んで来たもので,運城では観光バスとよい運転手の調達が困難なのだそうだ。ここから帰国の日の空港まですべてこのバスでの移動である。なお,劉さんは以前は大型トラックを運転していたそうで,たいへん慎重かつ巧みに車を操っていた。
 バスは36人乗りの中型バス(中国語で「中巴」という)であった。途中の山道は大型バスが通れない個所が多く,募集定員も20名を上限としていた。幸か不幸か14人しか集まらず,報告者,添乗員,現地ガイドの徐さんを入れても17人だったので,一人で二人分の座席を占拠することができ,高速道路での移動が主であったことと加えて,移動では意外と疲れなかった。
★ 運城建国飯店に到着
 空港からは30分ほどでホテルに着いた。ホテルに着いたのは,羽田の集合時間からすでに16時間経った22時半で,かなりお疲れ気味の参加者が多かった。昨年の洛陽と言い,ここの所,参加者にはかなりの無理を強いたと反省している。
 このホテルはかなり古い建築であったが,2013年の早春に改築オープンし,五つ星のランクになっている。ただ,一部の部屋で便器の配置が悪く,普通に前向きに座ると足が洗面台にぶつかってしまい,楽に用を足すことができなかった。
 ガイドの徐さんの話では,運城は空港や高速鉄道が出来る以前は,北京とは20時間近くかけて夜行列車で行き来するのが普通だったそうである。今でも北京との間で1往復ある在来線の快速寝台列車は17時間かかる。
 昨年11月に作成した本旅行の解説には,運城への高速鉄道はまだ開通していないと書いたが,その後開通して1日2便の動車組(電車列車の意味)が北京との間を6時間で結んでいる。しかし往復とも東京-北京間の飛行機の時刻とは合わないので,どのみち利用できない情況ではあった。
 これは帰路に洛陽からの飛行機を利用する場合も同じである。帰路は洛陽や三門峡から高速鉄道に乗るという方法もあり得たが,首都空港とは故宮を挟んで反対側にある北京西駅への到着が,一番早い時刻でも13:02なので,15:35発の飛行機に間に合わせるのは,ほぼ不可能であった。
4月11日 壺口へ移動,山西省・陝西省の両方から瀑布見学(壺口泊)
★ 壺口へ移動,山の中をトンネル続きの高速道路で行く
 空は曇りがちであったが,河原に出るので強い日差しがないのは却ってありがたかった。朝9時にホテルを出発し,約250kmの道のりを侯平高速(S75)を臨汾(fén)市の方に向かって北上した。途中開通したばかりの大同-(運城)-西安高速鉄道の線路と並行して黄土盆地を走った。
 S75が終って京昆高速(G5)と合流する所で,バスのナビが近道としてまだ完成していない高速道路経由で行くように指示を出し,運転手の劉さんがなにげなくそれに従ってG5の西向きに乗ってしまい,慌てて次の出口の新絳(jiàng)で出て北向きのG5に戻ったため,20分近く時間ロスをした。
 11時半前に臨汾市の中心から約10km南にあるインターチェンジで,G5から青蘭高速(G22)に移って西向きに呂梁山(火焔山)の上部をトンネルに次ぐトンネルで抜けた。運城の盆地は一面の緑であったが,山の上はまだ枯葉のままの早春の気候であった。ガイドの徐さんのiPhoneで調べたら,最高で標高1,300mを記録した。
 数年前にこのG22が出来るまでは,山西省側から壺口瀑(pù)布を見に行くには,ここから南方5,60kmにある河津市から,山の中の九十九折の国道209号を数時間かけて吉県に抜けて来るルートしかなかったので,観光客は西安から国道309号で行くのが普通だったそうである。
★ 昼食,山西省側からの瀑布見学,龍洞に降りると命の保証はない
 13時ちょっと過ぎに宿泊予定の壺口飯店に着いた。標高は500m程度であるが,冬は氷点下10℃を下まわるということで,冬期は営業を中止していて,3月中旬からようやく泊れるそうである。
 昼食は壺口飯店の「孟門庁」,「観瀑庁」という向かい合わせの小さな部屋二つに別れて摂った。
 主食には饅頭と刀削麺が出たが,麺が出るのが遅かったので,満腹になっていて食べ切れず惜しいことをした。 
 昼食を終え,14時過ぎに19人乗りの専用バスに乗って瀑布の駐車場まで行った。壺口瀑布は“黄河のヘソ”と呼ばれているが,入場ゲートから2億年前の海底でできたという頁岩を主体とした岩からなる河原に降りただけでは,“ヘソ”がどこにあるかさえわからない。ただ,この300m幅はある広い河原は増水期には水没する。
 川幅は瀑布から下流は30mほどになるので,滝壷はかなりの深さだと推定されているが,実測する手段がないために,不明である。滝壷への落差は30m程度で,上流のあちこちからこのヘソを目がけて大量の水が集まってくる。対岸(陝西省側)の岩棚には人が降り立っている。
左クリックで動画
↑この動画は添乗員の手塚さんが撮影したものである。
 山西省側には龍洞と呼ばれる滝壷の水面とほぼ同じ高さに出来た洞穴がある。水量が少ない時期には,左の写真の竪穴から降りると,100m2強の天井高が2mほどの平らな岩棚に出て,滝壷に落ちる水や下流への流れを見ることができる。詳しいことは石碑の文字に書かれている。
 しかし,黄河が増水すると水没するので見ることはできない。この日も水量が多いため,ガイドの徐さんから見学は中止するとの話があった。実際はこの時点ではまだ入場できて,入場料20元を払うとくれる膝上まであるビニール袋を長靴代りにして,勇気ある観光客は降りて行ったようだ。
 龍洞は,今回のように増水しているときは足元を黄河の濁流が洗うので,一歩間違うとそのまま黄河に落ちて死んでしまう。事実,何年か前に,水が溢れていないときに写真の被写体になっていた女性が,あとちょっと,と後ろに下がったら転落して,遺体も上がらなかったという話があるそうである。
 日本ならもっと頑丈な手摺りを付けるか,入場管理を徹底すると思うが,中国では道路の横断や龍洞に降りる冒険もすべて自己責任である。
 右の参考写真(QQ上の「螞蜂窩・游記」より転載)は低水量期のものである。
陝西省側からも瀑布見学,省界を徒歩で越えてホテルに戻る
 15時40分に集合して専用バスに乗り,16時過ぎに観光バスに乗り換えて,陝西省側へ向かった。以前は中型バスまではホテルの前の国道309号の橋を渡って対岸に行けたが,G22の開通で背が低い乗用車と人や自転車等以外はゲートで押さえられて通行できなくなっている。
 バスは下流の高速の出入り口まで戻ってG22経由で黄河を渡り,壺口瀑布の陝西省側の駐車場に17時過ぎに着いた。この付近は中国標準時とくらべて,太陽の運行が40分近く遅れるので,日本標準時よりも15分早い東京付近の感覚だと16時くらいの明るさである。
 陝西省側にはたくさんの観光バスが止まっていて,客やホテル,商店も山西省側よりも多い。壺口瀑布の表玄関という雰囲気である。山西省側の瀑布の下流は切り立っているが,陝西省側は岩棚が段差になっているので,水の落ち口より下側の正面から見ることができる。事実瀑布に近づける岩棚が段違いに数多くあり,がんばって写真を撮っている人たちは,突風にでも吹かれたら,滝壷に転げ落ちるのではないかと心配になった。
左クリックで動画
          ↑この動画も,山西省側からのと同じく添乗員の手塚さんが撮影したものである。
 龍洞はこちら側から見ると,対岸の水面のすぐ上に龍の口を開けているのが見えた。山西省側にいた1時間ほど前には,頑張って降りて見学している人がいたが,この時は見当たらなかったので,水量が増えたためもう龍洞には入場できなくなったのかもしれない。
 龍洞の岩棚の境目を示す赤く塗られたポールの下1/3ほどが黄河の濁流に飲み込まれている。
 17時40分にバスに乗り,国道309号の橋まで戻った所で,一部の人を残してバスを降り,徒歩で晋陝二つの省の境を越え,300mほどをホテルまで歩いて戻った。当然ながら,バスは徒歩で黄河を渡った人よりも遅くホテルに帰って来た。
 夕食は18時半からホテルで摂り,19時半に散会した。黄河で捕れたとは思わないが,から揚げの鯉に甘酢をかけた料理が出た。臭みはなかった。ガイドの徐さんから紹興酒の差し入れがあった。
 参加者の一人がこの地で採れたリンゴを一箱買って,全員に分けてくれた。日本の青森の苗を持ってきて広めたものだそうで,美味しかった。一箱15個で90元だそうである。

2015年4月12日へ続く