★ 羽田空港から北京首都機場へ |
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出発当日は,朝7時半に羽田国際線出発ロビーに集合し,添乗員の手塚さんと引率者でもある校友会旅行委員の猪飼(以下,報告者と記す)が簡単な挨拶をし,出国手続きに向かった。 |
当日朝6時半過ぎにJR御徒町駅で自販機が燃える騒ぎがあり,京浜東北線と山の手線が一時全面停止し,報告者も急遽別経路で東京駅に出,東海道線で品川へ行き,京浜急行で羽田入りしたので,集合時間に10分ほど遅れた。
飛行機は9:25発の全日空NH961便で,機材はB777であった。 |
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現地時間(以下同じ)の12時半に北京首都機場に降りたが,同時に多くの飛行機が着いたためか,長蛇の列の入国手続き等が終わって荷物を入手したのは13時半前であった。 |
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★ 北京首都機場から運城関公機場へ |
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運城行きの国内便(CA1139)は,到着した第3ターミナルからの出発なので,出迎えた旅行社の担当者が早めの国内便搭乗手続きを交渉してくれ,荷物はすぐに預けることができた。 |
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14時に「泰辣椒」という辣そうな名前の店に入り,ここでお茶を飲みながら夕方の出発を待つことにし,16時の夕食までは自由時間にした。北京市内に行くには時間不足だったので,参加者は空港内を散策したようである。夕食は店の名前のとおりかなり唐辛子が効いた料理が出た。 |
17時前に手荷物検査に入り,飛行機(B737)の出発を待った。当初,旅行を立案していた際には,北京との間には3往復の便があり,もっと早い時間に運城へ行くことができたが,計画を煮詰めている内に運城への高速鉄道の開通があり,朝夕の2便になってしまった。 |
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19時前には19:25発のCA1139便に乗り込んだが,40分遅れで飛び立ったので,750km飛んで運城関公機場には21時半にようやく着いた。北京で早めに荷物を預けたので,われわれの荷物が出てくるのに20分近くかかり,2人ほどまだトイレに行っている間に,空港内の照明がどんどんと消されてしまった。
ここで,今回の旅行のガイドをしてくれる,洛陽王朝国際旅行公司の徐晟(Shèng)さんとバスの運転手の劉さんの出迎えを受けた。照明が消されて暗くなった空港から22時ごろに出発した。
徐さんは昨年の河南旅行のときもガイドをしてくれた。報告者はもちろん昨年からの参加者も知り合いに出会って安心したようであった。 |
バスは洛陽から運んで来たもので,運城では観光バスとよい運転手の調達が困難なのだそうだ。ここから帰国の日の空港まですべてこのバスでの移動である。なお,劉さんは以前は大型トラックを運転していたそうで,たいへん慎重かつ巧みに車を操っていた。
バスは36人乗りの中型バス(中国語で「中巴」という)であった。途中の山道は大型バスが通れない個所が多く,募集定員も20名を上限としていた。幸か不幸か14人しか集まらず,報告者,添乗員,現地ガイドの徐さんを入れても17人だったので,一人で二人分の座席を占拠することができ,高速道路での移動が主であったことと加えて,移動では意外と疲れなかった。 |
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★ 運城建国飯店に到着 |
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空港からは30分ほどでホテルに着いた。ホテルに着いたのは,羽田の集合時間からすでに16時間経った22時半で,かなりお疲れ気味の参加者が多かった。昨年の洛陽と言い,ここの所,参加者にはかなりの無理を強いたと反省している。
このホテルはかなり古い建築であったが,2013年の早春に改築オープンし,五つ星のランクになっている。ただ,一部の部屋で便器の配置が悪く,普通に前向きに座ると足が洗面台にぶつかってしまい,楽に用を足すことができなかった。 |
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ガイドの徐さんの話では,運城は空港や高速鉄道が出来る以前は,北京とは20時間近くかけて夜行列車で行き来するのが普通だったそうである。今でも北京との間で1往復ある在来線の快速寝台列車は17時間かかる。
昨年11月に作成した本旅行の解説には,運城への高速鉄道はまだ開通していないと書いたが,その後開通して1日2便の動車組(電車列車の意味)が北京との間を6時間で結んでいる。しかし往復とも東京-北京間の飛行機の時刻とは合わないので,どのみち利用できない情況ではあった。
これは帰路に洛陽からの飛行機を利用する場合も同じである。帰路は洛陽や三門峡から高速鉄道に乗るという方法もあり得たが,首都空港とは故宮を挟んで反対側にある北京西駅への到着が,一番早い時刻でも13:02なので,15:35発の飛行機に間に合わせるのは,ほぼ不可能であった。 |