日中学院校友会第20回中国旅行報告 II(3月26日,27日)
早春に浙江省の水辺と美食を訪ねる旅



2016年3月24日 成田発杭州着後杭州市拱墅区へ,拱宸橋・橋西歴史街区・大運河博物館
     嘉興市海寧市へ
3月25日 海寧市塩官鎮へ,金庸書院宰相府第風情街海嘯,紹興市越城区へ,黄酒博物館
     柯橋区へ,古縴道,越城区へ,倉橋直街
3月26日 蘭亭沈園八字橋,杭州市淳安県へ,
3月27日 千島湖遊覧船,杭州市西湖区へ,西湖蘇堤
3月28日 西渓湿地河坊街自由行動
3月29日 西湖自由行動,杭州発成田に帰国

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3月26日 柯橋区の蘭亭へ,蘭亭,越城区の沈園へ,沈園と八字橋,杭州市淳安県へ(千島湖泊)
★ 紹興南郊外の蘭亭へ,曲水流觴
 ホテルのすぐ南側にある府山は,越王勾践が宮殿を置いたと伝えられる場所で,山の麓は公園になっていて朝から太極拳などをする人々が集まっているそうである。 李白が城跡に立ち寄った時に詠んだとされる,古を偲ぶ『越中覧古』という詩が伝わっている。
 参加者の中には食事前に散歩に出かけた人もいた。 朝食は知遇楼という場所で摂ったが,ホテル内の通路は迷路のようになっていて,食堂に行きつくのに苦労した人もいたようである。
 朝8時半にバスに乗り込み,三日目の観光に出た。
 バスは市街地を抜けるのに多少渋滞したが,ホテルから国道を12,3km走り,30分弱で紹興市西南郊外にある蘭亭への入口に着いた。 9時15分に左の写真の門から中に入った。
 門を入ると紫色の細めの竹が植わっていて,とても風情があった。 鵞鳥池の横を通って,蘭亭の碑の前に来た。
 蘭亭という碑文は清の康煕帝の真筆である。 文革時に二つ折りの被害に遭ったために,すこし読みにくい。
 蘭亭は,奈良・平安の王朝貴族が遊んだ流水の宴のお手本となった曲水流觴[shāng]が,六朝時代(東晋)353年3月3日(旧暦)に催された場所として有名である。
 実際の曲水は想像していたよりも小さかった。この場所に41人も集まったというのだから,そうとう賑やかだったろう。
 曲水流觴がいつ日本に伝わったかは明らかではないが,優雅な六朝文化の代表的な一つとして,漢籍や仏教図書などと共に伝来したと思われる。
 曲水流觴を主催し,書聖と謳われた王羲[Xī]之が,詠まれた詩を本にまとめて序文を書いた。 序文は『蘭亭序』として有名である。
 『蘭亭序』は,唐の大宗が自分の墓に持っていったので,王羲之の真筆は失われた。 ただ,唐代の書家が真似て書写したものが残っている。
 清初の皇帝はこの序文をとても好み,蘭亭内に右の写真のような自筆の
書碑を作らせた。 康煕帝が碑の表側に本文を,孫の乾隆帝は裏側に自作の詩『蘭亭即事』を彫らせた。
 碑のすぐ横には平らに磨いた石の机があり,上海外国語大学附属中学(多分「高級中学」)の生徒たちが水で文字を書いていた。
★ 市内へ戻り,沈園と八字橋観光の後,波影大酒店で昼食
 蘭亭を裏門から出て,水が透き通っている河を石橋で渡り,10時20分にバスに戻った。
 バスの中でガイドの金さんが,南宋の陸游が離婚させられた相手の唐琬[Wăn]と分かれて10年後に,沈園で再会したとき詠んだ詞『釵頭鳳』を解説してくれた。 なお,宋代に流行った詞には必ず曲があり,釵頭鳳は当時流行っていた曲名で,それに合わせて陸游が悲恋の詞を付けたのである。
 11時5分ごろ沈園前の路上でバスを下りた。 目の前に「臭豆腐」の店があり,入園券が用意されるまで風向きによっては臭いを嗅ぐことになった。
 沈園の入り口前の水路には,観光客を乗せた烏篷[péng]船が何杯も通っていた。
 入場券を入手して11時20分ごろにようやく沈園に入った。 すぐに「宋池塘」と名付けられた大きな池があった。
 この池は,1985年の考古学調査の結果,清代に埋められて高くなっていた池の下に,宋代の池があることが発見されたので,1988年に,陸游が唐琬に出会ったときの状態に復旧したものだそうである。
 陸游が沈園の壁に詞を書き付けたという故事を再現して,壁に『釵頭鳳』の詞が嵌め込まれていた。
 11時40分ごろには沈園を大体見終ったので,外に出て道路の反対側からバスに乗った。 12時前に全員揃ったので,北にある八字橋を目指した。
 魯迅故里の前の交差点に出たが,土曜日のせいか魯迅故里の周りは人と車でごった返していた。 今回は寄らないことにして正解であった。
 10分足らずで八字橋のそばに着いたが,道がとても細くバスを駐車場に入れることが困難であったので,路駐してバスから下りた。 場所がなくて,集合写真も諦めた。
 八字橋は運河に架かる橋であるが,運河の両側は老街で,昔の紹興の生活風景が色濃く残っている。
 以前はゴミや糞尿などすべてを運河に流していたのだが,今は糞溜めや共通のトイレも用意されている。 20分ほど八字橋の周りを散策し,12時半にはバスに戻って,波影大酒店へ昼食に向かった。
 店は沈園の西側にあったが15分ほどで着き,12時50分には2階の随意庁(209号室)で昼食を摂った。
 ビールは哈尓濱(ハルピン)ビールなる遠方のブランドのものが出た。
 料理は炸臭豆腐,黴乾菜燜肉など多数出た。 豚肉をお茶の葉と炒めた料理はよい香りが付いていた。
★ 杭州市淳安県へ移動,夕食後ホテルへ
 13時30分に食事を終えた。 13時35分にバスに乗り千島湖まで約200km,予定所要3時間の長距離移動を開始した。
 20分ほど進んだところで,2台の乗用車が側面接触事故を起し,乗員の一族が車から外に出て揉めているのが見えた。 そのすぐ先の信号には,「建議速度 38km/h」という皮肉な表示が出ていた。
 紹興からしばらくは,杭衢[qú]高速紹興連接線という連絡道路を西北に杭州に向かって進み,30kmほど行ったところでG2501(杭州繞城高速:環状高速)に入ったが,4車線道路がなぜか渋滞していてさっぱり動かない。
 ガイドの金さんの話によると,環状高速の向こう側の高架橋が落ちたので,たくさんの車が逆回りで迂回しているとのことであった。
 結局,千島湖方面に向かうG25がG2501から別れるまで25kmほど,時速20km以下のノロノロ運転となった。 環状高速が銭塘江を渡った後,ようやく西湖服務区(サービスエリア)が見えてきた。 2時間近く渋滞に捕まって,15時20分にやっとトイレ休憩が取れた。
 ここでは,有名な嘉興粽子を売っていたので,大肉粽子(7元)というのを買って食べてみた。 下のほうに肉がたくさん入っていた。
 G25に入ってからは杭州の市街地を離れ,車の流れは順調になった。 16時50分ごろG25から分かれて,千島湖へ向かうS32に移り,予定よりも30分ほど遅れて,17時6分に千島湖で高速を出た。 小雨がパラつき始めていた。
 湖畔には建築中の高層リゾートマンションがたくさんあった。
 なお,千島湖に来る道と時々交叉して高速鉄道の工事が行われていた。 杭州と黄山を結ぶ観光客向けの路線である。
 湖畔の道をそのまましばらく走り,17時50分に緑之島という店に着き夕食を摂った。
 出されたビールは,千島湖ビールの「新超爽」(Super Refreshing)という銘柄で,湖の水を使ったものだという。
 ちなみに,ペットボトルの水では「娃哈哈」とトップを争っている「農夫山泉」はこの湖の水を利用して作り始めたそうである。
 なお,後ほど行くホテルに用意されていた無料のペットボトルは,「西子三千」というご当地ブランドの水であった。
 魚料理は,清蒸魚や魚スープ,小蝦および川魚のから揚げなどが出た。 川魚のから揚げは,香辛料が効きすぎていたためか,手を伸ばした人は意外と少なかった。 山のものとして,筍料理が美味しかった。 主食には,こげ茶色の「窩頭」が出た。 裏面の窪みに料理を詰めて食べる。 窩頭の形は,正に半裁された「饅頭」である。
 18時50分過ぎに食事が終わって外へ出ると,雨が降っていた。 食事前は小雨だったのが,雨傘が欲しい程度の降りになっていた。
 相合い傘や小走りに歩いてバスに乗ると,千島湖の地元ガイドの呉さんが出迎えてくれた。 かの女は背が高かった海寧の地元ガイドと比べると,小柄でクルクルとした笑顔の若い未婚女性であった。
 最初中国語で説明し始めたが,早口で聴き取れない人もいたので,金さんが通訳してくれた。
 バスは10分ちょっと走って「海外海假日酒店」に,19時10分に着いた。 このホテルの周りでも,たくさんのリゾートマンションが建築中であった。
 早めに食事を終えてホテルに着いたため,飲み足りない人もいたかもしれないが,外は雨でしかもホテルはリゾート地の中に立地していたので,外に買物に出ても何もないようであった。 しかし,ホテル内に売店があり,千島湖ビールやオツマミはここで調達できた。
3月27日 遊覧船で島へ,ロープウェーで頂上から展望,湖から上がり昼食,
杭州市西湖区へ,西湖の蘇堤散策後夕食,ホテルへ(杭州に連泊)
★ 千島湖で遊覧船に乗り,着いた島のロープウェーで頂上に登り,島々を眺める
 夜来の雨は,ホテルの窓から見ると6時半の時点ではまだ降り続いた。 これは預報に反して昼間も雨かな,と思っていたら朝食後には止んでいた。
 この日は,自転車競技の大会があって,8時までにホテルを出て船の乗り場に向かわないと,ホテル前の道路が封鎖されるというので,急いで朝食を摂り,8時にはバスに乗って出発した。
 呉さんに,次々と建つリゾートマンションについて,買手がいるのかという質問がでた。 環境(空気,水)と景色がよい上,価格は8千元強(/㎡)で中国としてはまだ安いから,国内外の金持ちにどんどんと売れていると言う。
 ちなみに現地ガイドの呉さんが10年前に買ったときは,2千元(/㎡)だったそうである。
 8時12分に乗り場に着きバスを下りた。 船は貸し切りで,外国人向けの切符は国内向けとは違っていた上,貸し切り船も「秀水舫7号」と指定されていた。 料金も異なっていたのかもしれない。 そのためか,大勢並んでいた乗船ゲートとは違うゲートからすぐに桟橋に出ることができた。
 8時35分には,T字型の浮桟橋の先から船に乗り込み,湖上12km,50分の船旅が始まった。 目的地はいちばん高い山がある梅峰島(じつは半島の突端)である。
 船内は向かい合わせの4人掛けで,定員28名(先頭の席は2人掛け)であった。 旅行団が添乗員を入れて26人に,スルーガイドの金さんと現地ガイドの呉さんで,ちょうど満席であった。
 艫(とも)には服務員の女性がいて,茶菓を売っていたが暇そうであった。 風もなく,時々すれ違った船の出す波
で,多少揺れたが,概ね静かに航行した。
 ちょうど50分経った9時25分に,船は頭から島に突っ込む形で接岸し,舟板を渡って上陸した。 冬が終わったばかりなので,湖の水位はかなり下がっていて,滑り易い斜面を数m登り,島の周りの道に出た。
 千島湖の最高峰である梅峰の展望台(海抜204m)には,ロープウェーで上がった。 日曜日だったので人が多く,10分ほど行列して9時55分ごろにゴンドラに乗り,2,3分で展望台に着いた。 なおロープウェーは,Carvatechというブランドのオーストリア製であったので,安心した。
 展望台は2階建てになっていて,上の階は人で一杯だったので,下の階に降りて見た人も多かった。 ここからは,天気が良いと300余の島が見渡せるそうであるが,陸の松島は春霞で遠方はぼやけていた。
 10時半にはロープウェーで下に降りて,集合写真を撮った。
 この梅峰は2万本の梅の樹が植えてあるそうで,臘梅から始まり,白梅,紅梅などが花盛りのときに遠くから見ると,山の頂が桃色に見えるそうである。
★ 遊覧船で街へ帰り,湖辺魚庄で昼食後,杭州市西湖区へ
 10時40分に,来たときと同じ秀水舫7号に乗った。 帰路もやはり50分かけて,11時半に桟橋に着いた。
 帰る途中,大型の観光船とすれ違った。 港近くの島には,建てかけの別荘がたくさんあったが,建築途中で放置されたようなのがあった。 よく見ると建物が歪んで建っている。 足元の地面も湖に向かって崩れかけていた。
 昼食は,船を下りたすぐ前にある湖辺魚庄で摂った。 ビールはもちろん千島湖ビールで,「一湖秀」という銘柄であった。 魚のスープを含めてスープが4種類も出た。 川魚のから揚げと窩頭もあった。
 主食の白いご飯にスープをかけて食べる人も多かったが,それぞれ味が違って美味しかった。
 30分ほどで食事を終え,外に出ると定食のメニューが壁に描いてあり,4品で,78,98,158元と3種あった。 向かい側では,草魚の乾物を売っていた。 大きいのは154.38元だった。
 12時20分にはバスに乗って,杭州市内を目指して,再び3時間の長距離移動を開始した。 途中,13時5分に建徳,13時50分に桐盧サービスエリアでトイレ休憩をした。
 桐盧サービスエリアで半道帰ってきた計算だが,後の渋滞がどうなるか不明であった。 たくさんの豚を積んで杭州方面に向かうトラックを追い越した。 美食の材料である。
★ 西湖の蘇堤を散策,中国杭幇菜博物館内で夕食,食後ホテルへ
 14時半過ぎにG25が環状高速と合流する杭州南から出て,一般道を西湖に向かった。 日曜日の夕方とあって猛烈に混んでいた。
 おかげで,西湖の周辺をバスからゆっくりと観光することができた。 街路樹は「香樟」(日本名:楠)で,樟脳が取れる。 白堤上には人がたくさんいた。
 西湖の周りの道は,一部が反時計回りの一方通行になっている時間帯だったので,之江路,虎跑路から西湖の周りを南山路,湖濱路,北山路とぐるっと回って,岳王廟の手前の路上でバスを下りた時は,すでに16時18分であった。
 岳王廟の前で地下道を通って蘇堤の側に出たが,人でいっぱいであった。 「交通義警」なるボランティアの人たちが人出の整理をしていた。
 16時20分から3~40分程度蘇堤を見て回ることにした。 蘇堤の西側の景色がよく,蘇堤から枝分かれしている道へ行った人が多かった。
 西湖は世界文化遺産であり,西湖の西側に拡がる昔の高官や金持ちの邸宅や庭園などを含んだものであるから,「遠山近湖」だけを見ていては価値がない。
 17時10分に蘇堤の入り口に集合し,駐車場まで歩いて行ってバスに乗り,17時20分に夕食に向かった。
 周辺に過去・現在の中国要人の別荘などが集まる西湖の西側の楊公堤を南に向い,再び南山路に入り,玉皇山路を南下した。 鳳凰山を越えて,銭塘江に近い南の山麓にある中国杭幇菜博物館に18時30分に着いた。 ちなみに,「幇」は「幇会,紅幇」などでの意味と同じで,日本語では“~流/派”という意味である。
 中国杭幇菜博物館は2012年3月にオープンしてまだ4年目の新しい博物館で,テーマ陳列館,銭塘厨房,杭州の味,東坡閣から成る。
 「浙菜」の歴史と現状(標本を展示)が解る上,料理の指導をしたり,食事も出す。 夕食は,当然銭塘厨房で摂った。
 この日の美食は,蘇軾が始めたというおなじみ本場の「東坡肉」である。
 伝統的な形式どおり,一人分づつ小振りな深鉢に入っていた。 脂分が落ちた柔らかなバラ肉の,舌をとろけさせるような感触をゆっくりと味わいたかったが,多くの人はついつい箸が進んでしまったようである。 口福,口福!
 飲み物は,ご当地ビールの西湖ビールと8年物の紹興酒「古越龍山」が出た。
 さらに,龍井茶と炒めた肉や魚,スープ2品,炸臭豆腐など,白ご飯を入れて合計13品であった。 美酒に美食,杭州の官員やお金持ちはなんと贅沢な食事をしていたのであろうか。
 19時45分に銭塘厨房からバスに乗ってホテルに向かった。 西湖から真っ直ぐ東側に伸びる平海路を1kmも行かないところに建つ,杭州維景国際大酒店に20時半に着いた。 最後の宿は2泊した。 設備は最新であった。
2016年3月28日へ続く