Dr. YIKAI の言いたい放題「技術教育」

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2003年1月3日 全入大学
2003年2月11日 二つめの東海大
2003年4月5日 職人とtechnologist
2003年5月2日 小姑
2003年6月30日 追付けずに遅れる
2003年9月10日 またまた二つめの東海大
2003年9月28日 EMS企業と就職用の言語
2003年10月6日 出勤簿事件続編(給料が出ない)
2003年11月6日 三分之一
2003年12月11日 法科大学院

2003年1月3日 全入大学

 今日の朝日新聞によると大学の約1/4は単年度赤字になっているという。原因は少子化と進学率の延びの鈍化だと言う。また進学率の上昇により教育困難状態が有名大学でも起きていると伝えている。2009年には行き先を選ばなければ希望者は100%入学可能な全入状態となる。
 河合塾が偏差値設定不能と判断したF rank学部・学科は全体の17.7%というのが,2000年の入試後の状況である。F rankの学部・学科は実質倍率がほぼ1.5倍以下で,入学辞退者を見込んで1.5倍程度以上の合格者を出す現状から見れば希望者は全入と言える。これらの各大学は全入大学の汚名を晴らすために,ここ数年やたらと推薦入学者を増やして,入試による選抜を絞りこんだ。こうすれば見た目の倍率は上がり,F  rankからEやD rankへ移行できる。このように無意味な努力をしたため,これらの大学に推薦で入学してくる学生の多くは,中学の時の平均成績が3.0未満という状況になってしまった。
 全入により教育の質は大幅に低下した。私も一昨年の3月まではこのような大学で1学年の授業を持っていたが,出来の悪さには閉口した。質が悪い学生にはそれ専用の教育方法があるのだが,中高や塾での教育経験がない大学の老頭児教員たちは,十年一日の授業をしている。理事者側も当面の収入(学生数)が確保できればよいという姿勢であるので,有力大学を定年になった教授や企業が放り出した技術者を教員として迎えて,当面の需要を満たすことに終始している。理由は,これらの老人たちは将来学生数が減少したときに定年になってしまうので,経営を圧迫しないということである。若くて教育に熱意がある人は歓迎されない
 このようなことは1990年ごろの大学入学定員の大幅増加時に既に予測されたことである。しかし大学関係者は目前の収入増に気を良くして教育環境の改善には少しも意を払わなかった
 たとえば私がいま非常勤でお手伝いしている大学では,一昨年度あたりに竣工した新教室でも相変わらず黒板が主体で,粉だらけの授業を想定して設計されている。私が教えるHDLなどCADの授業では,パソコンの画面を投影して動きを見せながら行う実験授業のような形態が必要なのであるが,そのような設備がある教室はわずかで,多くの先生方の取り合いになってしまう。できれば教室に無線LANを張ってあって,学生が自分のパソコンを持ちこんでHDLの授業に関連するdataを自分で検証することができれば,授業の効率は大きく上がるのだが,現状では無理である。
 国が光fiberの敷設の代わりに道路や橋を作るのと同じ感覚で,私大でも授業用の設備や授業assistantの手配はせずに,建物の外観や高給の教員ばかりに金を使っている。官民一体となって箱物や管理職の待遇に重点を置く思考法は変らない。
 日本が次の時代に生き残るには教育しか手段がないことは明らかであるにも拘らず,20世紀型の教育にしがみ付いているとしたら,日本の将来はないであろう。


2003年2月11日 二つめの東海大

 昨日国立大学設置法の改定案(改正という言葉は実際の変更にそぐわないときにも使われている,たとえば「料金値上げ」を「料金改正」と強弁するように)が閣議決定され,多分問題なく提案通り変更されるであろう。
 そのとき不思議に思ったのであるが,「東京商船大学」と「東京水産大学」が合併してなぜ「東京海洋大学」にならなければならないのであろう。ここで疑問を呈しているのは,合併の是非ではない。「東京」という接頭辞についてである。
 図書館情報大学が筑波大学に吸収合併されるため,国立大学で地名や地域名をその名や接頭辞に持たない大学は電気通信大学1校になってしまった。
 ところで,この電気通信大学や東京と神戸の商船大学および東京水産大学はもともと旧文部省の管轄下になかった高等教育機関である。いまでも水産大学校,海上保安大学校,防衛大学校,防衛医科大学校,海技大学校,気象大学校,税務大学校,航空大学校,職業訓練大学校など国の行政に必要な人材の育成に特化した大学類似の高等教育機関や研修機関が存在する。さらに,農業者大学校のように官公庁が設置者ではない大学校も多く,実態は研修機関や各種学校であるにもかかわらず,名称だけを大学校と名乗っている場合や,とかく問題にする人が多い朝鮮大学校など外国の管理下にある学校も大学校の名の下に存在する。
 これら大学校は地名を接頭辞にするよりはその実体を明らかにした名称を付けているものが多い。たしかに東京にある大学だから「東京○○」でもよいわけだが,「東京海洋大学」を略して「東海大」と言うには先客がいるので,結局略称は「海洋大」にならざるを得ない。ここで略称が「海洋大」,「海技大」,「海保大」と並ぶと,せっかくの平成の大合併に水を注すようで悪いが,元の「水産講習所」に戻ったような印象を持つのは,私だけであろうか。接頭辞を「東京」にこだわらず「日本」として「日本海洋大学」なら「日海大」で,語呂は悪いが印象は変るかもしれない。
 それにしてもなぜ国立大学の名称に地名や地域名を付加することにこだわるのであろうか。個人の名前では私立と間違うというのは分かるが,事柄を表す名称だけではどうしていけないのであろうか。またなぜ「電気通信大(旧無線電信講習所)」が地名なしで頑張っていられるのであろうか。
 せっかく独立行政法人になるのであるから,旧来の考えを大きく変えて,次世代に相応しい名称を自由に決定する考えにはならないのであろうか。文部科学省の旧弊か,はたまた大学人の頭の固さが原因か知らないが,「東京」の二字の接頭辞は今後しばらく続くであろう。


2003年4月5日 職人とtechnologist

 日経ビジネスなどの4月特別号でPeter F. Drucker氏へのinterviewの記事が出ている。その中で氏は,「若年人口が減り長く働かなくてはならない情況では専門職への志向が高まり,20年後にはほとんどの職業がtechnologistで占められる。日本こそtechnologistに理解を深めなくては。」と語っている。
 一方安価な労働力を武器にしている中国は,「製造業の拠点は移ってはくるが,高学歴者が少ないという問題点を有している。」と分析している。事実,中国は伝統的な科挙教育の影響で,いまだに学校教育は座学と暗記中心の教育から脱しえないでいる。このため,欧米や日本に留学して学位を取得した人が貴重な人材となっている。
 この93才になる老学者は,1969年に逸早く「知識社会の到来」を予言したとのこと。Interviewはさらに続くが,他の内容に興味がある人は同号をご覧いただくことにして,technologistとはなにか,そのような人材を養成するにはどうするかについて考えたい。Technologistとは氏の定義によれば単なる収入や名声だけでは仕事をしないtypeの専門家だそうだ。とすると,一番よく当てはまる日本語は職人あるいは職人肌という言葉である。
 職人という人種は単に技能の分野だけでなく,技術や研究,営業の分野においても存在する。ただ日本は高度成長の過程で,職人を貶めて扱ってきた嫌いがある。たとえば,第一線の捜査員のまま退職した警察官に対して,「職人肌であったが,終生所轄にいた。」などと言う。その技量を認めたのなら,ただ単に管理する側に立っただけで自動的に優遇されている人間より,具体的な待遇の面で考慮してはどうであろうか。
 Bubble期前後の日本においては,職人への待遇があまりにも軽視されてしまったために,一時理工系の学部へ進学する人間の質が大幅に下がってしまった。また理系を目指す優秀な学生の中にも,収入が多く見込めて人々に尊敬される職業という理由で,医学部へ進学した学生が増えた。その結果,1970年代まで続いた工学部や理学部への志向は急速に薄れ,本来高度な知識と判断力を必要とする分野に,能力的に目一杯の学生が集まってしまい,一部の難関大学以外では従来型の授業が成り立たないという現象さえ発生した。
 最近は就職難というか,氏の言うようにtechnologistでない人間に対しての需要が激減している現状から,法学部以外の文系学部の人気の低下は甚だしい。では,理工系への人気が高まって,Novel賞を受賞した田中耕一名誉博士のような人材がどんどん生まれるかというと,そうはいかない。学生に自主性がほとんど見受けられなくなってしまったのである。
 その原因は,自民党の文教族と文部科学省の国家主義者たちが繰り広げた,国家主義精神への復帰運動の結果である。この教育の方向は,結局中国・北朝鮮や韓国・台湾における,特定の思想の優位性を押しつける教育や激しい反日教育と同じことでしかない。国が決めたことを信じるように仕向ける教育は,自分で物事を取り込んで考え,工夫して解決する能力を学生たちから奪ってしまう。
 自主性を育てられない原因は,多くの人は受験体制にあると主張するが,本当の原因は自主性を主張すると押さえられてしまう今の公教育体制の中にある。今の国家主義者たちが考え・実施している教育の方針では,「国を愛する心」,「老人や親を敬う心」などを押しつけている。私学にもこれらを強制させるためにも,教育基本法をこの方向へ変えようと現在企んでいるが,これは長い間教育委員会を通じて実施してきた,学校での無言の規制の現状に,明文化した法律を合わせるだけのことで,憲法を既成事実に合わせて変えようということと何ら変わりはない。
 彼らはこれらの徳目を,「人類に普遍的な事柄でどこが悪い。」と小泉総理に代表される,論理が完全に欠如した言い方で,国民に同意を迫る。われわれは,「政治家自身の不祥事に対する国民の目を瞑らせるために,徳目を教育で国民に押しつけなくては統治ができないような腐った行政や政権である。」と理解すべきなのである。たとえば上記の各国は,「そのような教育をしないで自由に考え討論させると,政権維持に問題が生じる。」と考えるからこそ釈迦力になって頑張るのである。その結果,Drucker氏が言うようなtechnologistが生まれる素地がなくなり,生まれても少ないのである。
 職人とは,「あらゆる権力や財力を以ってしても,容易にはその考えややり方を変えない頑固者で,なおかつ柔軟な思考を有して,過去の良い点と進歩の精華をうまく融合させることができる人材である。」と定義したい。私も多分に職人的な人間だが,多くの学生を教えてきて,オタクではない職人を育てることの難しさを感じている。


2003年5月2日 小姑

 またまた都立高専で新しいことがおこった。昨年暮れに突然,成績伝票の持参が義務化されたのに引き続き,非常勤講師の出勤簿が事務室のまん中に移動した。常勤の先生方の出勤簿は依然として講師控え室の並びの出席簿やmail boxが置いてある部屋に置いてあるままだ。非常勤講師の出勤簿だけが別の場所の大きな事務室内の誰からも見える位置に置かれている。正直言って,毎回出講するたびに事務室の戸を開けて大きな事務室の中央まで入っていって,事務室の大勢の見知らぬ職員に四方から見られながら押印するのは,晒し者のようで気分がいいとは言えない
 考えるに,「非常勤講師の控室に出勤簿が置かれていると,毎回授業の後に出勤情況を調べるのが手間である。」という建前だと思う。どこかで誰かが,「出勤簿への押印に不正がある。」と疑っている節が窺える。さもなければ,大きな事務室のどまん中に非常勤講師の出勤簿だけを置いておく理由が見当たらない。
 普通の事業所ではあるまいし,無断で講義を休んだら多くの生徒が文句を言ってくるので,不正はすぐに分かることになる。このような小姑的な発想しかできないのは,「非常勤講師の給料は講義をした時間に対して払っている。時簡単価としては相当な額だ。」とどこかの役人が考えているからではないかと邪推できる。実際にはこの時間単価で,毎日朝から晩まで連続で常勤の先生以上の授業をしたとしても,収入は常勤の先生方の半分にも満たない。事実そのような回数の授業はとうていこなせない。
 非常勤講師は,講義の準備・課題の作成や試験の採点の時間に対しては給料を貰っていない。すべて無償のserviceである。別にこれらの作業に対して報酬を欲しいとは思っていないが,非常勤講師を少しでも締め上げようという考えがあるとしたら,下らないとしか言いようがない。
 多分いろいろな件については,「役所の規則でそうなっている。」と言うであろうが,このようなことをしていたら良質な非常勤講師を高専の現場へ呼ぶことには困難が伴う。実社会で仕事が出来る多くの人は,そのような面倒なところは敬遠するであろう。私が良質であるとは決して言わないが,私も友人の後釜を引き受けたのでなければ遠慮したいところである。
 このようにして,非常勤講師があまり文句を言わない高専を定年退職された高年齢の方と大学院を出たばかりの若い方ばかりになってしまうと,企業の現場の風を教育現場に持ち込むという高専の基本方針は,どうやって実現するのであろうか。
 ちなみに都立高専は勤務時間を厳しく査定しているにも拘らず,行事などで授業時間が不足して補講をしても,その分の給料と交通費は予算がないので払えないということである。こんなに支払いを渋っていたらあえて補講までする非常勤講師はいなくなってしまう。
 教育に金をかけるということは,単に校舎を新築したり,学校の役職を増やすことではなく,真に教育に携わる良質な人材に対しての費用を増やすことである。この意味では都立高専は早々と独立行政法人化して,私企業(私学)の考え方を導入すべきである。
 非常勤講師の出勤簿については,私がお手伝いしている私学の成蹊大学にはない。出勤簿は原理的に要らないのである。高専は都立であるから役所の規則に縛られる。成蹊大学の講師給は,授業時間の多寡に拘らず月次給として定額である。授業を休むには休講届けを出すから,事務では自然と分かる。突然休めば学生が騒ぐから,休講は必ず判明する。休講は補講で穴埋めする。
 月次給は,授業関係の資料作成や試験問題の作成・採点の作業のみならず,補講をしても変わらない。したがって,毎月の勤務情況で支払うという給料奴隷的な講師料を払うために,事務経費がかかるだけの出勤簿を用意して管理するのは無意味となる。これによって多分事務職員一人分位の経費の削減になると思われる。もっとも,将来役所の管理を離れて独立行政法人になった際,事務職員が余っていてやらせる仕事がないと困るので,毎月出勤情況を管理して給料を計算する仕事を減らせないかもしれない。 


2003年6月30日 追付けずに遅れる

 今年は諸学会の大会には,私はまだ一つも参加していない。もちろん大会に論文を投稿していないのだから出席する必然性はないのだが,長年研究を進めてきた道路交通simulation systemの研究(MITRAM)からも学位が取れたから引退した,と疑われる可能性があるので,ここでその理由を釈明したい。
 たとえば,私が多くの研究を発表し,論文誌にも何件か採択・掲載されたシミュレーション学会でも,大会での道路交通関係のsessionが,ここ数年私たちのMITRAM以外には面白い発表がない,と我田引水させていただけるくらい発表論文の水準が低くなっている。
 発表しているのは世間で言う一流から四流に到る国立・私立の大学院生だが,入学試験の偏差値による大学の評価とは関係なく一律に出来が悪い。言ってしまえばMITRAMのような新しい概念を打出した研究はなく,MITRAMの考えをパチって自分流の新しい概念を創り出した,と主張したものさえある。このようなパクリの手法は,日本が欧米に追い付き追い越せと頑張って来た時代に流行った。現在ではお株を中国に奪われているやり方だ。
 過去のものとなった手法にもかかわらず,学会の大会にこのような手法で研究した内容が発表されるには二つの理由がある。一つは大学院ではどうしても課程博士を出さなければならないということである。これは一流といわれる大学では当然だが,三ないし四流の大学でも,数少なくなる受験生への宣伝のために大学等設置審議会をごまかして大学院の博士後期課程を作ったからである。博士後期課程があって博士の卒業生がいないということはまずいだけでなく,今後の設置審や受験生をかき集める商売にも差し支える。かくして,三・四流大学では指導教員自らが論文を書き,大会にも出席して自分のところの大学院生がボロを出さないようにして,博士論文の代筆まがいの指導までして,乳母日傘で博士の学位を持つ卒業生を捻り出すことになる。
 もう一つの理由は,そのような指導をしている教員が,自分で独自の研究対象を見つけて研究を世に問うた,という経験がないからである。すなわち,これらの大学院生を指導している教員は,もうすでにご用済みとなり,現在は中国御用達の古い手法しかご存じないのである。明治期において,欧米の最新論文を人より早く入手して,追試をやれば上等で,そのままの内容を日本語に訳して紹介するだけで大先生と称してふんぞり返っていられた時代の人達,すなわち某国の金融担当大臣の竹中氏ような方々である。
 かくして日本の多くの大学では,大学院生の教育もデタラメであり,経済とは違って欧米に追い付けないまま遅れるという悲劇を演じている。
 私が今年は学会の大会に参加していない大きな理由は,たとえばシミュレーション学会に出かけると,このようなできが悪い発表に堪えられなくなり,つい研究の本質を抉る質問や辛辣なcommentを発してしまうからである。日本の学会では,このような行為はtabooである。
 私がまだ電気試験所(電子技術総合研究所を経て現産業技術総合研究所)にいたころ,某学会の大会で,とある発表の内容について,「参考文献として挙げられている米国の論文と内容がどう違うのか,追試の結果同じことが言える,という論旨なのか。」と質問したところ,会場が騒然となり,後で研究所の上司に礼儀がなっていない,とひどく叱られた経験がある。私も偶然同じ論文を見て,上司の命令で追試をしていたのであった。私の場合は恥ずかしいので大会で発表しようとは露ほども思わなかったが,上司が言うには,「大学院ではこのような発表でもたくさん集めないと博士号を授与できないのだ。君も将来学位が必要になるから,大学とは仲良くしておくことだ。」ということで,妙に納得した経験がある。
 その後中国語学校の先生や大学の助手を経て一匹狼で工場の合理化の仕事を始めた結果,この新しい世界は学者の世界とは違うと感じた。ただ今度は別の問題がたくさんあったが,再び学位を取得するために論文を発表し始めたときは,このような恥ずかしい論文は決して出すまいと誓った。そのために,論文の件数が溜まらず,工学博士になるのに10年も掛かってしまった
 たしかに,個人的には不利だったが,MITRAMの研究の成果は世界に誇れると思っている。自分だけ追い越しても仕方がないが,私のやったことの本格版を実行した方々が日本人でもNovel賞に輝くことができたのかもしれない。
 とにかく追い付けないまま置いていかれる情況をなんとも思わない方々は不幸である。


2003年9月10日 またまた二つめの東海大

 先日各大学のweb siteを見ていたら,東京水産大と東京商船大が合併してできる東京海洋大についてのいろいろな資料が上がっていたので,ざっと一覧した。
 ずばり言って,この合併は中国人女性が日本に合法入国するために行う偽装結婚と同じである。なぜ偽装合併であるかというと,合併による効果がなにも考えられていないからである。多分,古い感覚の先生方が,旧来の住み心地がよい時代の大学の感覚のまま新大学へ移行しようと考えているのであろう。
 どうみても,どこかの業者が作ったimage画像だけが東京海洋大の新しい皮袋で,内容は酸っぱくなった酒で,すでに10年以上前に破綻してしまった教育内容へ後退してしまった感がある。学際分野に背をむけた彼らの中の旧い学問分野が表に出てきて,お互いの学部(大学)の間の対抗意識とかそのような事ばかりが目立っており,海洋を中心として日本がどうこれからやっていくのかという観点がまったく欠如している。
 簡単な例を取れば,練習船による海洋実習すら統一が取れておらず,旧態依然とした海商隊を率いる船員と鯨をとる船員を養成する形のままである。海洋科学部の海技の免許などは航海訓練所に推薦で入る権利を用意すれば十分である。現に東京商船大や商船高専,海技大学校,海員学校は形の上では訓練所で海技免許を取ることなっている。
 船員としての基礎訓練と,各学部別の高度な海洋実習・研究を分ける考えを打出さないと,海洋科学部(東京水産大)だけでなく海洋工学部(東京商船大)も海技免許コースを持つ意義が薄れてしまう。同床異夢というか合併の効果は全くない。
 国際関係についても同様で,海外の国との利害を研究し,国連などの場に研究者を代表として送り出す体制をもっと強化しないと,ただの理学部と工学部でしかなくなってしい,大きい意味の海洋とは何も関係がない,操船の技法や情報処理,魚のことを追うだけの高専並みの学校になってしまう。
 いま大学改革で必要なのは,真に社会に必要な大学とは何かという視点である。先生方が既得権を振り回して,自分が教育・研究できる部門をそのまま残すことを多数決で押し切るような,自民党ばりの改革では,かけ声ばかりの小泉改革と同じで何も得ることはない。
 郵政事業について言えば,民営化という形だけを作っても決して問題は解決しない。中身を考えていないからである。郵便貯金は都市部では信用金庫と,農村部では農協と代替可能である。簡易保険は種々の共済事業と同じである。さらに郵便事業は宅配業者と電子mailが競合相手である。
 郵政事業はこれらの相手に対して何ら新しい商品を持っていない。郵便貯金で集めた資金は不合理極まりない形で,土建業者の懐を経て政権党と元役人の懐に納まってしまう。あの非効率を誇る農協(註)でさえ貸し付けを行っている。
 ここで重要なのは電子mailという新しいmediaが郵便事業に与えている衝撃を正確に分析しないまま,広告や宣伝の配布と年賀状だけに郵便の生き残りを掛けていることである。すなわち新しい媒体への対処を検討することなく,従来の手法を小手先でいじくることで,生き残りを図っている。
 大学も同じである。単なる情報の伝達のような講義はすでにweb site上の情報に勝てない。Broard bandがあと少し拡がれば,放送大学のような無味乾燥な講義はon demandの無料講義に取って替られることは間違いない。教室での集中授業も,塾のような水準なら個別対応のon line一斉授業で簡単に代替できる。光cableによる高速双方向伝送で,質問もお互いの発言も聞いたり見たりすることができるからである。教員も自分の家や研究室から授業ができる。これは決して夢ではなくここ数年で可能になる技術である。
 パソコンの画面に出席学生全員の顔が映るのはあまり嬉しくないとは思うが,発言者をclose upしたり,受講者同士でchatで話したり飲食をしたりするのは,現在の教室と同じように自由になる。大学で集中講義が必要なのは,パソコン上ではできないこと,すなわち機械(電子機器も含む)や生物,船の実物を相手にした学習や実験・実習である。人間関係を深めるための飲み会はoff会としてやはり必要であろう。
 ここでの議論はじつは東京海洋大だけに当てはまるのではない。大学改革とは何かを考えるべきところにすべて当てはまる。とりあえずこの10月1日から中途半端な偽装合併の大学が発足するようである。

註 2000年時点で,日本の全農家数は3,120,000軒で,農協職員数は301,200人。ほぼ農家10軒で一人の農協職員を養っている。ちなみに,農協の総貯金残高は69兆円で都市銀行並みであるが,郵便貯金よりは大幅に少ない。信用金庫も103兆円で郵便貯金と張り合うには不足である。


2003年9月28日 EMS企業と就職用の言語

 今日NHK Specialを見ていたら,世界的なEMS企業(註1)がさらなる利益を求めて製品提案型企業へ脱皮しようとしてるという内容のことをやっていた。昨年買収した愛知のCASIOのデジカメ工場では,全世界共通の生産lineを導入して,空いたspaceでは他社の製品の製造を受注しようと考えているそうだ。
 天下のCASIOに入社できて喜んだのも束の間の若手社員だけでなく,古くからの既得権社員もすべて社内標準語が英語となってしまい,毎日業務終了後に英会話の特訓だそうだ。世界中に展開するこのEMS企業では,他の工場との連絡や米国で一括管理している部品の手配などがすべて英語で行われるのであるから,英語が出来ない従業員は当然ながらリストラ(英語ではlay offという)の対象になってしまう。
 一方米国に5社ほどある大手のEMS企業と対抗するかのように,パソコン生産で伸びてきた台湾のEMS企業も中国市場で激しく米国企業と争っているそうである。こちらの社内公用語はもちろん中国語(標準語)である。社内公用語が日本語の企業は当然ながら日本国内で展開する日本企業であるが,これは既得権による高cost体質の中,今後どんどんと米国や台湾・中国のEMS企業に工場が売却されていくことであろう。こうなると,これから学校を出て就職しようとする,工場の現場要員や保守要員・販売員としての就職口しか期待されていない工業高専や単なる大学工学部卒(註2)の新人は,このような企業に就職するしか口がなくなる時代が5年以内に来ると思われる。
 ところが,冒頭に引用したようにこれらのEMS企業が,従来顧客が設計・開発したものを製造するだけだったとこから脱皮して,製品を自ら開発して顧客はそこに自社brandを付けるだけという体制を組み立てつつある。すなわち開発を行うことで製造の利益を大きくしようとするわけである。従来の企業は単なるbrandによる販売会社になってしまうのである。
 こうなると,工場要員だけが外国のEMS企業の傘下に入らなくてはならなかった図式が崩れ,大学院卒水準の研究・開発要員もEMS企業に就職を捜す羽目になる。もちろん米国籍の企業なら英語,台湾・中国籍の企業なら中国語が必須である。
 なぜ,日本企業にEMS企業が出現しないのであろうか。じつは多少は存在するが,実態はbrandを持つ日本企業のヒモ付き(製造子会社)であったり,単なる下請け企業であったりして,米国のように年商100億dollerを越える企業はない。これは日本的利権構造が,このような野心的な企業の出現を阻んでいるのである。
 ともあれ,世界の常識は日本の非常識。いつかは日本式だけではやっていけなくなる。そのとき,あなたは英語か中国語かどちらかを堪能にしゃべることができますか。私が手伝っている成蹊大では工学部だけが中国語を選択出来ないようになっている。その代わり独語と仏語の選択があり,私の授業の裏番組になっているので,私の授業を履修する学生が少ないと喜んでいたが,事態は憂慮するべき状態になってしまっている。都立高専では,独語か西語かのどちらかが必修である。どちらの学校も甚だしい時代遅れである。これらの語学を教えるしか能がない先生の失業対策で教えられたのでは,学生は迷惑だと思う。
 私は,先日も印度人相手に英語で講演したが,私の英語力が散々だったので英語での講義は諦めて,学生の将来のために何とかしゃべることができる中国語で,digital回路を教えようかなと真剣に考えている。幸い拙著「定本ディジタルシステムの設計」が台湾に次いで来年には中国でも翻訳出版されるからtextは用意できた。でも,どうしてこの本の英語訳は出ないのだろう。

註1:自社brandの商品を持たずに電子機器などの製造のみを引き受ける工場主体の企業
註2:1990年頃までは工業高専や大学工学部卒でも大手企業の開発・技術部門に配属されたが,いまは大学院を出ていないと無理である。


2003年10月6日 出勤簿事件続編(給料が出ない)

 都立高専で4月に行われた出勤簿の事務室への移動の続きで,個人水準の低次元の事件が起きた。9月分の私の給料で午後の授業の分が支払われなかったのだ。理由は簡単である。7月までは授業は午前だけであったが,9月からは午後も授業がある。したがって給料の支払いの事務処理は変更しなければならないのに,少ししか仕事をしなくても高い給料の保証がずっと続く東京都の事務のお役人が,自分がやるべき仕事量をさらに減らしてしまったのである。
 お役人は9月分の給料は出勤簿を見て計算したと主張した。だけど,出勤簿は旧態依然とした意味不明な構造のものを使っていて,一日に何回授業をしているかなど記載されていない。ただ,9月には4年までは定期試験があったので,午前中の授業がない日があった。しかしこの日の午後には5年の授業があるので,私は当然ながら午後から出勤した。ところが・・・,出勤簿にはすでに授業がない旨のゴム印が押されていた。出勤したのだからどうすべきか事務のお役人に聞いたら,その上から印を押せとのことなので印を押して,これでめでたしめでたしと思っていた。でも,実際には午後に出勤したことにならず,午後の給料は9月分全額が支払われなかった
 この出勤簿は非常勤講師が不正をするとの疑いからか,今年の4月から事務の役人のどまん中で,衆人環視の状態で押すように変わってしまった。人の行動をそんなに監視するなら,自分たちはもっとしっかりと仕事をしていて当然なのであるが,お役人にはそんな殊勝な心がけなど爪の先程もないようである。なるべく仕事をしたくないから,出勤簿を講師控室から事務室の中へ移動したのである。それを命じたのは誰か知らないが,それで都立高専の改革をしたと考えているのであろう。まさに,藤井道路公団総裁を石原都知事の倅に更迭させて改革の人気を高め,民主党の発足の人気を下げようと小泉が考えたのと同じ程度の下らなさである。こちらは,更迭しても道路は以前と同じpaceで造られる密約があると考えられる。
 民間企業ではこのような失敗をしたときは,「Computer処理だから来月になります。」というとぼけた応対はできない。もし客先に対してなら,手土産を持って担当者とその上司がお詫びに行くのが普通である。
 前のIraq戦争のときに海外旅行をcancelしたら,担当者が間違えてcancel料金の請求をしてきた。戦時の特別規定で1週間前cancelが出来たので,当然ながら文句を言ったら,担当者がScoch whiskyを持って詫びに来た
 最低限でも文書による詫び状を出すのが当然である。しかし事件から3週間経っても何もない,電話で担当者が,「来月の払いだ。」と言えばよいと考えているのだ。やはり東京都のお役人は,「非常勤講師は定年後の老先生や職がない若者をお情けで使ってやっている。」という意識でいるのだと思う。
 ところで,仕事量を減らしてもお役人の給料は減らない。しかし,私のようにこの給料を当てにして月々カツカツの生活を送っている者にとっては,迫ってくる支払いのために不足分はサラ金から高い金利で借りなければならない。石原都知事は銀行から召し上げた外形標準課税という運上金に利息を付けて返した。私の給料はcomputerで処理しているので来月にならないと支払うことができないが,無利息で納得しろとのことだ。民法で決まっている遅延利息を東京都は負担できないそうだ。都の規則が間違っているので,裁判にしようと考えたが,裁判所に払う費用のほうが多いので,サラ金へ高利を払うことで泣き寝入りするしかなかった。
 役人が悪いことをするのではなく,するべきことをしない場合不作為の不法行為といい,本来行政訴訟か民事訴訟で賠償金を取ることができるはずである。また不作為で他人に損害を与えた役人個人に対しても請求ができると思うが,この国では役人がそのようなことを認めた前例はほとんどなく,裁判をしてもなかなか勝てない。なぜなら裁判官自身が役人だからである。
 まったく,この国の役人天国は中国と同じで永久に直らない。でもそんなことをしている内にこの国自体の将来を担う若者が育たなくなっていく。かく言う私も都立高専で生徒たちを一所懸命に育てようという気は,今回の件で完全に失せた。不名誉な形で馘になることがない程度の水準で授業をして行くことにしよう。

出勤簿事件の始まりを読む

枝葉末節の後日談
 支払いを忘れ去られた給料は11月になってやっと2枚の給与明細書とともに支払われた。文書でのお詫びは一切なしで,払ったのだから文句はないだろうという感じだった。
 ところで,あと二つ役人の腹黒さが露呈した。一つめは,最近講師控え室にはり紙が出て,「茶わんを使った人は,自分で洗って元に戻しておくように。」と書いてある。この4月からは従来用意されていた茶葉が,お役人はお茶を飲んでいても,非常勤講師には提供されなくなった。今度は茶わんの提供もしないつもりだと見受けられる。授業をすると猛烈に喉が渇くが,「水道管から直に水でも飲め。」ということになるのは時間の問題だろう。非常勤講師は外来の客ではなく,お役人より一段下のアルバイトだという感覚である。
 もう一つは,月曜日事件である。自民党と公明党の野合政治の結果,偉大なる将軍様の真似をしたのか,子供にお金を配ったり休日を増やしたりして恩恵を施す政策の取引きがあったようで,月曜日の休日がやけに増えた。この学校では木曜日に比べて授業回数が20%も少ないことがある。そこで,先生方は11月24日の新嘗祭の振替休日に授業をやり,木曜日を学校休日にしようとした。そこにお役人が横槍を入れて,「非常勤講師は外部の人間だから,休日に授業をさせても給料はおろか交通費も出さない。」という意味のことを言ってきたようである。国家の大事である新嘗祭を侮辱しないようにとお役人が気を回したのかもしれない。
 まともな日に授業をしても給料を払わないお役人が予め警告しているのに,交通費を手弁当でわざわざvolunteerで授業するバカはいない。真の被害者は授業をしてもらえない生徒だが,連中も授業がないほうがよいのだから,損をする者は誰もいないという不思議さだ。一層のこと月曜日はすべて休みにしたら,その分非常勤講師に給料を払わなくても済むと思うが,如何であろうか。


2003年11月6日 三分之一

 学校で教えていると,まともといわれている大学でも,ひどいと感じられる大学・高専でも学生は上位層と下位層に別れているのが分かる。学校は入学試験で,成績が正規分布していると考えられている受験者をある偏差値から上だけを切り取って入学させたはずである。しかし,入学後の成績はそのような正規分布の山を一部分切り取ったような分布を取らない。
 入学してすぐは正規分布に近くなるのであるが,しばらく経つとこの分布が崩れてきて,通常ふた山に別れてくる。その形は日本アルプスのようにいくつもの山が連なって,そこここが高いというものでなく,箱根の双子山のようにはっきりと二つの山が発生する。工夫をせずに授業をしているとこの山は必ず出来ると考えてよい。またそれぞれの山に属する人数は,下位層は上位層の二倍程度となる。理由は分からないが,選択科目であると講義内容に対する人気(註)によって,下位層が多いとか,上位層だけしかいないとか,分布の形が正規分布に戻るような要因が働くこともある。

 ちょっと実例を挙げることで,上記の議論を具体的に説明しよう。
 右の上の図は,小生が教えている学校でのある年の成績分布(素点)である。5点単位でhistogramにしてあるので分かりにくいが,61点から64点までの点を取った学生は一人もいない。すなわちここで上位層と下位層が別れている。下位層はさらに単位取得を途中で諦めた放棄層が30点以下のところに分布している。諦め組を除外すると上位層の人数は下位層の大体半分になっている。
 この授業は2年次の前期に実施した。最初は60名以上の受講者がいる(一学年の正規の定員は75名)が,朝の一次限目の頭15分に毎週小testをやってその合計点で評価した。参考資料等の持ち込みはすべて認めた。
 本来上位層だけに単位を認定すればよいのであるが,さすがに保証人から高い授業料を頂戴していて,本人も最後まで小testに出たという情状を酌んで,成績がC(可)の限界は下位層の山のpeakの少し左側の45点付近に置いてある。上位層にはB(良)を付けてある。
 下の図は別の年の一回だけの持ち込み不可の試験の成績である。難易度は上の図とほぼ同じである。やはり35点付近で上下の2層に分かれている。この場合は一発試験だったので,下位層は全部不合格とした。一発試験だと,試験問題と類似あるいは同一の問題を予め教えておかないと,試験のための勉強をする学生はわずかだということである。
100満点での素点(5点ごとにまとめた)
毎週小testの合計
期末一発試験

 上で引用した現象が大学内だけで納まっていれば,このような双瘤駱駝もここであげつらっているだけで済む。しかし,学校内で起きていることは実社会の反映だと考えるほうが妥当であろう。すなわち日本人の多くが仕事の上でもこのような現象を呈していると考えるのは行き過ぎであろうか。
 先人の血を吐くような努力により輸出産業が育ち,今日の日本の繁栄がある。過去には,下位層を形成する人々の中から多くの人が自分の意思で上位層へ移ろうとした。今の日本では下位層にいても結構豊かに食べていける。このことが,地道な努力を馬鹿らしいと考える風潮を生んでしまい,下位層に甘んじる人が増えている。また,一度上位層に入った人々はその後継続して励むこともなく,既得権を如何に守るかに必死になっている例が多い。
 このような現状が今日の日本の閉塞感をもたらしているのだ。実際に教育側がどのような努力をしても,下位層を上位層の半分以下にすることは難しいと思う。いつの時代にも楽をして生きようと考える人はいるからである。米国のconsulting会社のMcKinsey&Companyが2000年7月に出した提言「日本経済成長project」によると,日本の勤労者の10%の生産性は米国の1.2倍だそうである。ところが残りの人達は米国の1/3にしかならないという。特にservice業が悪く,日本の経済の足を引っ張っているという。
 入学偏差値30台の金沢工業大の例を見るまでもなく,下位層の中の半分を自分で努力して学習や仕事をするtypeの人間に転換することができると,日本の将来は大きく変わるものと思われる。日本を再生させるための遠まわりであるが近道である。せっかく高等教育を受けているのであるから,安穏と下位層に留まって,近い将来中国人に見下されることがないようにしたいものである。

註:日本における大学等での選択科目の人気は,必ずしも講義内容や講師の有名度だけによらない。普通の大学でいちばん重視される選択基準は,楽してA(優)が取れるかということである。そうやって日本の大学を出た人が一度米国のましな大学に留学すると,決して楽ではない授業に,「目から鱗の思い」で感激するのである。


2003年12月11日 法科大学院

 東京都立大学では法科大学院に予定していた教授が4人も辞表を出したので,先日認可されたばかりにもかかわらず学生の募集を一時見合わせるそうだ。
 法科大学院のみならず大学(大学院)は新規の学部(研究科)・学科(専攻科)の設置だけでなく,変更に際しても大学設置・学校法人審議会(通称:設置審)の審査を受けて,基準を満たしているとされれば許可の答申が出されて,文部科学省から認可が出る仕組みだ。
 今回の設置審ではいくつかの大学が認可に至らなかった。大学幹部の責任問題にまで発展したところもある。都立大学は石原都知事の強い意志で,上からの変革を実施しようとしている。辞表はこれに関連しているのだろうが,少なくとも設置審に最終書類を提出した夏の時点ではこれらの先生方は法科大学院の教授になることを承諾していたはずである。都立大学ともあろう大学が,多くの怪しげな大学のように無理な人事をしてまでも設置審を通そうというつもりであったとは思われない。
 しかし,ここで論じたいのは法科大学院だけのことではない。一部の有力私立大学を除くと,ほとんどの私立大学では研究科はおろか学部でも設置審向けの人事をしている。設置審が縛る年期(新しい制度の卒業生が出るまで)が解けると,ほとんどの設置審用に用意した教授は定年になり,それ以後は理事会と教授会のお手盛り人事となる。都立大は研究科の学生募集前に設置審用の人事が終端しただけのことである。
 たとえば,日本では理工系の大学の数が多すぎる。それらの大学がすべて博士課程後期を設けようとするのだからいただけない。博士課程後期を出てすぐ助手やポスドク(註)で研究職に就いて,教授になるまでの出世raceをひた走る。このような慣行を制度上も不可能にしないと,大学教授の職を維持するだけのために大学が存続する,という逆転の構造がいつまでも続いて,真の大学改革はできない。
 (1)研究者や中核技術者を育て,なおかつ世界に伍する研究をする大学
 (2)研究は企業向の開発研究でもよいが,大量に必要とする企業技術者をきっちりと育てる教育中心の大学
 (3)研究はあまりしないで,補助技術者や技能者を教育・訓練する大学(これは本来工業高校や工業高専の役割だった)
など各大学の性格をきちんと決めていかないと,これからのeLearning化の時代にただ大学というだけでは世界的に生き残れないと思う。
 現在,中国からの留学生が大学院生の大半を占めているような大学が,設置審に新設や変更を出すときの最大の問題は,博士課程後期の教員の確保である。土台,自ら研究していない大多数の教授が学位の認定に携わることなど無理である。設置審が要求する最近の研究の内容と論文数などは,優秀な大学院生がいないととうてい満たすことができない。かくして,学位を取ったばかりで企業が不要とした技術者・研究者,有名大学を定年あるいは定年間近になった老教授が歓迎される。すでに述べたように,かれらは設置審が縛りをかけている年期明けには目出度く定年になるので,それ以降の学校経営を圧迫しない。(2),(3)の大学では大学院の教員に対しての設置審のくだらない要求基準を止めにして,真の教育力を持つ教員を採用できるようにし,競争社会に曝すべきである。(2)の大学には博士課程後期は必要ない。2〜3年の専門大学院がよい。(3)の大学に大学院を用意することは無意味である。なぜなら(3)の大学は,工業高校や工業高専の代わりだからである。
 話を元に戻すと,法科大学院は上記(1)の水準の大学院であるから,当初伝えられたように全国で15校程度で十分である。いまは法曹界の人材も専門化の要求に答えなくてはならない。医師と同じで,法律を必要とする各分野ごとに専門の判事・検事・弁護士が必要となっている。医師もそうだが,大学の学部時代には幅広く人間としてあるいはいろいろな専門基礎の教養を身につけて,しかる後に医学大学院や法科大学院へ進学するのが正しいのではなかろうか。
 2年間の研修が医師に義務づけられるようになったのも,6年間の医学部教育では医師として不十分だからである。司法官試験に合格しても司法修習生を経ないと正規の司法官となれないのも同様である。20台前半の若造が医者や弁護士面して威張っているのはまったく気分が悪かった。法科大学院の制度はそれを少しでも改善できるはずである。
 ところが,ここに工学系と同じような論理で大学院を乱立させると,多分工科系と同じようなことになって,せっかくの制度が台なしになると危惧する。 

2004年5月18日 註追加,誤字訂正

註:
 大学院で博士の学位を取っても,教員や研究職あるいは役人や企業の技術・管理職に就職できない人。


2003年版完