Dr. YIKAI の言いたい放題「技術教育」

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2004年1月15日 官製成人式
2004年1月27日 非常勤教員を切る愚策
2004年3月3日 卒業式の歌
(5月27日,6月8日,10月31日
2005年1月20日追加)
2004年5月12日 二極化
2004年6月7日 漢文教育と教科書
2004年7月8日 英雄像不在と正義感
2004年8月7日 後ろ姿
2004年10月28日 四四四制
2004年11月14日 皇居清掃勤労奉仕団
2004年12月5日 海外派遣教員

2004年1月15日 官製成人式

 今日は以前の成人式の日である。国民愚民化政策の下,成人式の日を1月の第2月曜日に決めてしまったので,この伝統ある日も歴史的な意義を忘れ去られてしまった。1月の第3月曜日に生まれたKing牧師の記念日とは異なり,月曜日にする理由が乏しい単なる休日増加策でしかない。日本は月曜休業の床屋国家になってしまったのだ。
 もっとも,正月の15日に意味がある,と言っても太陰暦での話であるから,七夕やお盆と同じく,太陽暦ではすでに意味をなしていない。今でも太陰暦で正月(註1)を祝う中国では正月15日は元宵節である。元宵節の夜には街中に大きな明かりが常夜燈のように点される。中国からの伝統行事を引き継いだ長崎では,旧暦1月の満月の日に蝋燭を徹夜で点けることで祭りの最後を締めくくっている。
 中国の元宵節では,日本のお月見だんごのような元宵を食べる習慣がある 。これは外が白,中が黄色の堅めのとても甘いだんごで,茹でて食べる。もちろん,日本の成人式の記念品のように,中国では官製のものを配るのではない。私も中国で主食の配給切符(糧食票)が使われていたころ(註2),中国の友人から切符を譲ってもらって買った。1980年代までの中国では,元宵や月餅など穀物を使った食品を買うにはこの切符が必要だった。
 成人式はご存じのように形骸化して,次の選挙に出る自民党などの政権党の立候補予定者の事前運動の場になっている。すなわち下らない話を聞かされる官製の儀式である。この日を休みにすること自体が今は政治的な目的でしかない。その意味では太陽暦の日付に根拠がない2月11日の紀元節(建国の日)と同じである。紀元節は,政権が好む一つの方向へ国民を向けるために,戦前の政府が存在しない根拠をこじつけて決めたものである。それを元の軍国日本にあこがれていた政治家達が復活させただけのことである。
 成人式もこのような政治的な休日で,なおかつ官製の式典中にその意図を隠そうとせずに選挙演説をするから,若者が反発するのだ。成人式が荒れるのは当然であるし,配る記念品もほとんど意味を持たない。自主的に成人式をしようという試みがなされたこともあるが,行政側が自分の権威に逆らう行為と見たり,政権党が宣伝場所を失う怖れから,自主成人式の会場すら使えないようにしてきた。
 じつは,ここで言いたいことは日本の政治家がいかにご都合主義かということではない。成人式のほかにも海の日や敬老の日,体育の日などが月曜日に固定的に割り当てられている。このために,学校の月曜日の授業時間が極端に減少してしまった。以前には日曜日と祝日が重なると,それは休日が1回減ることを意味した。
 しかし,いつの間にか月曜日を祝日の代休にしてしまい,月曜日の授業時間が減少した。そのうえにこのdouble punchである。今年は被害が4日ある。世界的に見ても月曜日が休日に割当たっている国は多い。しかし,日本の多さは異常である。
 また運動会や文化祭などの学校行事も日曜日に開催することが多く,その代休で月曜日の授業が減ってしまう。大学などでは土曜日に不足した月曜日の分の常設補講日程を組んでいるところもある。じつは私が手伝っている都立高専でも先生方が頭を痛めた末,不足する月曜日の対策として11月23日を登校日にして,その代わり授業時間が比較的多く取れている木曜日を振替え休日にすることで,1日分の授業時間を確保しようとした。ところが,この計画には頭が固い事務方から待ったがかかった。それは,「休日に非常勤講師に授業をさせても講師料は支払わない。」というのである。国民の休日には公務をしてはならないからだそうだ。もちろん無償のvolunteerならよいそうだが,「その際でも交通費は支給できない。」とのことである。
 小中学校にもたくさんいて,常勤の先生と同じ仕事こなしている非常勤講師は,休日に催される運動会や文化祭に出ていっても,給料は払われないのだろうか。多分,都庁の事務の方々が,都立高専の非常勤講師に払う給料をケチるために付けた難癖のような気がする。どの道,タダで教えても感謝するような生徒ではないので,休日出勤は遠慮させてもらった。
 月曜日不足への学校側の対策としては,月曜日は比較的自由に配置できる科目や活動に当てて,年間にどうしても一定量をこなさなければならない主要な科目は火曜日から金曜日に配置するか,web siteを利用するeLearningの手法を使って,月曜日は自己学習や訓練で成果が出るような科目を配置するしかない。これには教育側だけでなく生徒や保護者もある程度の意識の変革を必要とする。従来の日本的な改良主義では限界がある。
 もっと月曜日の休日が増えれば,教育のやり方を真剣に考える人が増えるかもしれない。一層のこと,日付に根拠を求める意味が薄かった海の日(註3)などと同じように,日付に根拠がない紀元節(建国記念日)も月曜日に割り当てたらよいと思う。半島の北の国の現状とそっくりの戦前の状態に日本を戻そうとしている,大勲位を楯に引退を拒否したり,死んだ弟の名声で知事になった,超保守派の政治家が主張するような方向で自主憲法が制定されたら,自主憲法記念日も意義が薄れるように月曜日に是非割り当てて欲しいものである。
 月曜日の休日が増えて,学校での集合教育が無意味になってしまえば,私らが提唱しているeLearningと塾,お稽古やsports clubの組合わせによる寺子屋式教育が普及する可能性がある。そうすれば,超保守派が目論んでいる教育基本法を変えて,政権に奉仕する画一的な国民を育てるという,半島の北の国と同じような計画は破綻してしまうであろう。

註1:中国では春節といい,2004年は1月22日が新月で,太陰暦の新年。
註2:日本でも20年ほど前までは,米穀通帳という主食の国家統制時代の名残だった配給切符が制度上は残っていた。
註3:明治天皇が船に乗った日というのが根拠。


2004年1月27日 非常勤教員を切る愚策

 この4月から全国の国立大学は独立行政法人になる。文部科学省は大学の評価制度と引き換えに予算を配分する作戦に出た。大学の予算を絞るためである。
 実際に日本の大学は人口に対して増えすぎた。私が大学へ行ったころは,大学に進学する人数は同世代の人口の10%程度だった。実際にそのくらいでも大学生としては落ちこぼれがたくさんいた。それは,成績が上のほうから順に大学に進学したわけではないからだ。しかし入試制度があるから国立大学には比較的優秀な人材が集まった。当時の東京地区の国立大学の総定員は1990年代の一番膨らんだ時期の東京大学一校の定員にほぼ等しい。だからと言って,当時の東京地区の国立大生が全員現在の東大に受かるとは限らない。すでに昨年の「全入大学」で述べたようにあと5年で,全大学の定員と大学志願者の数が等しくなってしまう
 大学が無秩序に膨らんだことに対する反省として,scrap and buildやrestructuringを考えることはよいことである。しかし,大学側が積極的に改革をやらないからと言って,単純に人件費などを絞ると,結果がどうなるかが予測出来ないほど,役人はバカである。
 私学でもそうであるが,大学は人件費予算が足りなくなるとまず非常勤教員を削ろうとする。民間企業が常勤の職員を削って,part timeの労働者を増やすのと逆の発想である。それは,教授会自治(実態は教員の互助会)の下で自分達の既得権だけは死に物狂いで守る,大学人の品の無さが原因である。
 企業では誰でもできる仕事から,労賃が安い派遣労働やpart timerにどんどん回していく。ところが,私は今年度で都立高専の「情報工学」の授業を馘になる。東京都は人件費予算で締めつけて,「情報工学なら教科書があれば,たいていの人が教えられる。」と思って,まず小うるさい私を血祭りに上げたのであろう。私の後任は,低学年の「情報科学」を教えている常勤教員が担当するのだそうだ。
 大学の課目である「情報工学」を,「高校の課目である情報と似た誰でも担当できる課目だ」
と考えるのだからまさに発想が逆である。「専門性が低いから外注に出して安く上げる。」のではなく,「簡単だから内部でやろう。」というのである。実際には情報工学は現在の最先端の分野で,広い知識と経験が無くては教えられない課目である。パソコンの立上げ方やinternetのつなぎ方,せいぜいExcelなどの軽いapplicationの使い方しか教えない課目の「情報」と混同している都庁の役人に,教育を任せておくのは危険このうえない。私が公開しているpageの内容はごくごく基本的な内容なのだ。
 大学における非常勤講師とは,本来自分の大学内の教員では担当できない授業課目を教えられる人を,他大学や実業界などから広く集めて,相互に補完するためにある制度である。もともと大学間相互の教員の融通が基本なので,非常勤講師の講師料は本務先で給料を貰っているという理由で,交通費に毛が生えた程度の寸志であった。
 今の非常勤講師の薄給はその名残であり,他大学の教員以外の非常勤教員にもその慣例を悪用している結果である。東京都では,常勤教員の年俸を単に年間の拘束時間で除して時間単価を決めているようだ。そのため,たとえ年間の授業時間のコマをすべて授業して(常勤教員の3〜4倍の量)も,常勤教員の給料の半分にもならないという,まさに派遣社員やpart timer並みの酷使である。その事情は国立や私立の大学でも同じである。そのような安い労働力を馘にして内部の専門でない人間で代替しようという考えは,企業なら奇策としか言いようがない。成功すれば一流の経営者だが,このようなことは役人がやっても上手く行かないのは必定である。
 非常勤講師なしで大学の授業を成り立たせようと考えると,非常に多くの常勤の先生を確保するか,授業の内容を今いる教授陣で賄えるようなほんの一部の分野に限ってしまうしかない。これには,「予算がないのだから,そんなきれいごとを言っても始まらない。」という反論があるであろう。長野県の田中知事は何かと話題を提供する人であるが,彼のような考えを持たなければ,大学改革はできない。
 彼の実績の一つに信濃鉄道の改革がある。信濃鉄道は,長野オリンピックに便乗した議員と地元がJRの反対を押切って全線新線を敷設した長野新幹線の開通に伴って,JR東日本が悪のりして第三セクターに追い出した旧信越線の成れの果てである。JRから不利な条件でいろいろなことを押しつけられている状況で,従来通りに運営していては,新幹線に客を取られた分だけ,単年度赤字が増えるのが常識である。ところが田中知事は,この三セク会社の社長に航空券安売りのHISから人材を派遣してもらって,2年めには黒字に転換した。
 このやり方がすごい。収入を経費が30%上回わっていたので,人件費・物件費すべての出費を例外なく30%削ったのである。もちろん売上増の対策も怠りない。大学なら,常勤教員の給料を削ることは絶対にない。ところが都立高専でも信濃鉄道と同じような動きがあるという噂が飛んでいる。それによると,「都立高専の先生が校外へ非常勤講師で出るときは,出た先で講師料が出る場合は,学校を出てから帰ってくるまでの時給を俸給から差し引く。」という信濃鉄道顔負けの経費節約策だ。
 国立大学でも今回の独立法人化に伴う経費の削減を受けて,「非常勤講師が持っていた課目を誰がやるか。」という後ろ向きの姿勢で揉めているところが多いと聞く。このままでは,非常勤講師の相互援助の構造が覆ってしまう。一層のこと,常勤教員は学生の指導と研究および教員の専門の課目を最低限二つ程度を義務として課して,給料は半分程度に減らしてはどうであろうか。それ以上のコマ数の授業課目は学校の内外に公募して,professional  stortsの選手のように複数年の契約としたらどうであろうか。こうすれば,いま払っている非常勤講師の費用も全額削減できる。出来る人には定年は無意味である。ちなみに,私の研究分野であるFuzzyの提唱者Zadeh教授はCalfornia大学のBerkeley校の永年教授である。
 たとえば,大学教員の平均年俸が現在1,000万円として,週の平均授業コマ数が六つ(これはちょっと多い)だとする。このうち二つまでを義務で教えてもらい,給料は700万円に値切る。残りの4コマの担当教員は学内外から公開で集める。一コマで年75万円である。これは,現在の非常勤講師の平均待遇の2〜3倍である。週2回程度あちこちに出講して4コマ持てば,定年後の優秀な技術者が年金をあまり貰わずに生活できる金額である。自宅にいるときには現状と同じように教材作成や採点を無償で行う。大学の常勤教員も学内外の競争に打ち勝ち,自校であと4コマの授業課目を確保して,減らされた分の収入を図ってもよいし,他校へ非常勤として出講してもよい。この方法の難点は,普通の企業では当たり前のことだが,お呼びがかからない常勤教員は大幅に給料downとなることである。
 現状では現役の技術者が非常勤講師として出講すると,通常では会社の給料が減額される。「都立高専がやろうとしている。」と噂されていることは,実業界では常識である。でも,一コマ年額75万円貰えれば,その分以上に給料が減ったとしても,本人が納得すれば済む話である。ちなみに,実業界では会社費用は本人の給与の2〜3倍となるのが普通であるから,年俸1,000万円の人は一コマの授業を持つために半日休暇(4時間)をとると,給料baseで年額50万円程度(年26回の講義で),会社経費baseでは100〜150万円位の給料downとなる。
 ここで提案している方策は,普通の常識から見ると実現不可能なようであるが,eLearningの進み具合から見て,10年以内に実現した大学が生き残りに有利となるであろう。
 とにかく,「非常勤講師を馘にして,常勤教員にいろいろな課目を持たせる。」という単純な経費の節約策は,何も生み出さない愚策である。 


2004年3月3日 卒業式の歌

 きょうは新暦での桃の節句の日である。いまごろ桃の花が咲いているのは,中国南部か台湾位である。節句の起源となった中国では古代に政治の中心があった中原地方(洛陽),西域(長安),江南(杭州)などではまだ咲いていない。長江の南の楚の地でも3月末頃が見ごろである。
 これは,本来季節に合った日取りだったものを強引に新暦に持ち込んだことによる弊害である。
 世界の主な国では日本だけが,卒業式もこのころから3月末まで盛んに行われる。卒業式と言えば「仰げば尊し」と「蛍の光」を唄う。東京都では,戦前の軍国主義者と同じ発言を繰り返す知事の意を受けて,都庁の役人を都立の学校の卒業式に派遣して,「君が代」を斉唱するかどうかを監視させるそうだ。なぜ,卒業式に天皇家の歌を生徒に下手に唄わせるのか,先生が唄うことをサボらないことを監視しなければならないか,理解に苦しむ。国歌だと主張する人がいるが,それは政権を取った連中が,本来神聖な天皇家の歌を,下卑た連中までが唄うように勝手に決めた,不敬・不埒な行為の結果である。
 多分,先生が唄わないと生徒が唄わなくなるから,と役人は上に対する阿(おもね)りの意で,このような愚挙を行うのである。半島の北にある国などでは偉大な将軍様を称える歌を国民は強制的に唄わされる。国歌かそれに準ずるからということである。自分も同じことをしているのであるから,君が代を唄うことを強制する人は将軍様を批判する権利は無い。もっとも,戦前の日本に戻したい人にとっては,上の人の言うとおりに動くだけの国民を作るのが目的なのであろう。
 このような国民ばかりになった社会では,何か新しいことをやろうとしても,上の人が同意しないと出来なくなる。そしてゴマすりや賄賂が横行するのである。なぜなら監視する人は監視される人より偉いと勘違いし,監視される人は何かしでかして上のほうから不利益なことをされることを怖れて,何も新しいことをしなくなり,学問・研究や社会・経済から活発な行動が失われていく。
 このような強権的な支配が行われていると,何時の時代でも,何処の国や会社や団体でも活動が停滞するのは,歴史的事実である。
 君が代を唄うことを強制したがり,日本は神国だと主張する総理や知事などは,「世界のどの国でも国歌があり儀式では唄うのが常識だ。」と主張する。これは完全に論理のすり替えである。君が代は戦前から国民全員が好んで唄っていたわけではない。多くの国民はどこかの国のように唄うように強制されたり,唄ったほうが損をしないから唄ったのである。
 であるから,米軍が日本を占領した時に,「もう君が代は唄わなくてもよい。宮城遥拝もしなくてもよい。学校で教育勅語を暗唱しなくてもよい。」となったとき,日本軍国主義時代に利権を有していた一部の人間を除いて,誰も唄わなくなったのである。
 Franceの国歌La Marseillaiseなどは,革命で牢獄をぶち破って政治犯を救出し,当時欧州の王室を押さえていたAustriaとの戦いで唄ったとき以来の反権力の歌だからこそ,いまだに多くのFrance国民が団結を認識する時に唄うのである。映画Casablancaで唄われる場面などがそうである。
 外国で不利益な目に逢った日本人が君が代を唄って団結する場面は想像できない。国歌はそういう歌でないと国民の団結の象徴にはならない。
 中国では毛沢東主席の権威を高めるために作られた歌の東方紅が,人民団結のためと称して,文化大革命のときに盛んに唄わされた。この歌は彼の死去とともに唄われなくなった。特定の個人や家族を崇拝するものは,まだ強権政治が続いている中国でも好まれないのである。
 日中戦争寸前の中国国民に大人気だった映画「風雲児女」の主題歌であり,準国歌になった義勇軍行進曲は,作曲した聶耳が日本亡命中に客死したのが悪いのか,毛沢東主席の権威を強調した時代には演奏されることはほとんどなかった。この歌はいまは正式の国歌となり,儀式では使われている。中国人もあまり反発しないようである。
 特定の家族を称える神聖な歌である「君が代」を国民全員が唄うことを強制するのは,経済や社会・学術の発展には無意味な国民の時の権力者への忠誠度の確認行事でしかない。キリシタンに対する踏み絵と同じ水準の愚挙であり,教育という観点ではなにも生産的な結果をもたらさない。この曲はただ演奏するだけで,卒業生が静かに日本の神聖な伝統音楽(註)として聴いていれば十分である。下品なガキが唄うことは不敬極まりないと考えないのであろうか。

註:
 君が代は半島の旋律の真似であり,雅楽を演奏する楽器は中国伝来のものである。旋律も楽器も,かなと同じく渡来したものを日本風にこなしたわけで,頭がいかれた総理が神国日本が成立したと主張する2660年ほど前からあったわけではない。

2004年3月29日,同4月3日変更

追加 2004年5月27日
 2004年5月25日,東京都教育委員会は半島北部の国とそっくりな特高と憲兵が支配する戦前の日本に戻したい思っている国家や地方政府の中枢にいる連中にゴマを磨って,卒業式の君が代を唄わされるときに起立しなかった生徒が出た高校の教師を予想どおり処分した
 これは,隣の住民が犯罪を犯したからという理由で逮捕される五人組み制度と同じで,戦前の日本で採用されていた非自由主義的な国民の管理方法である。
 このやりかたは共産党支配下の中国では住民委員会の名の下に長らく行われて来た。当然ながら人々は予期せぬ誣告に恐れおののいて,経済や文化の発展は遅々たるものになった。その反省から中国の現在の経済発展があるのだ。
 一方日本は多少の問題があっても,戦後は個人の自由が発揮されることで経済や文化の大発展が成しとげられた。いまさら,中国が辿った道を逆に歩いて落ち目の日本をどうしようというのであろう。堺屋太一氏が言うところの平成30年には日本は何もしなくても世界の三流国になるという。発展の芽を摘むような国民監視体制を導入して,この馬鹿な方々は日本の将来をどうするつもりであろうか。
 多分,「そのころは自分達はもう生きていないので,いま国民の上にのさばって気分良く過ごせればよい。」と考えているとしか思えない愚行である。

追加その2 2004年6月8日
 2004年6月8日東京都の教育長は都議会で,「公立学校の入学式や卒業式で,児童・生徒を起立させ国旗に向かって君が代を唄うことを強制的に指導させるように指示する。」と発言した。
 とうとう中国を通り越して北朝鮮並みの国にしようと企んでいる。その一方で都立高校が私立に大学進学実績で劣っている状況を何とかしようというのだから,何をか言わんやである。
 君が代を唄うこと自体は私は問題がないと思う。しかし,感情としては下手くそなガキに唄って欲しくない。ここで問題としたいのは,強制という手段を使うことなのである。自分の子供はこのような状況なら,どんなに無理をしてでも私立やAmerican Schoolへやるか,高校からなら留学させたいと思う。
 教育の分野では放っておいても強制が行われ易い。しかし,そのような教育を長く受けて来た人間は,自分自身をしっかりと確立できないと,仕事上でも簡単に他人に強制をしてしまう。このようなことでは,日本の将来を占うことが出来ない。せめて自分の子供だけでもその頸木から逃れさせてやりたいと思うのは親心である。
 こうなれば東京のように選択肢が多い都市では,親が経済的にも経験的にも豊かで優秀で将来性がある子供を持つほど公教育から逃げ出そうとする。一方,将来社会の負担になる可能性が高い子供は公教育により多く残ると思われる。

追加その3 2004年10月31日
 今月28日の秋の園遊会で,石原知事が自分の分身として任命した東京都教育委員の中でも最強硬派の将棋の米長がでしゃばって天皇陛下に,「日本中の学校で日の丸を揚げ,君が代を斉唱させるのが私の仕事です。」という旨の言上をしたところ,陛下から,「強制になるということではないのが望ましい。」とたしなめられた。
 普段は政治的発言をしない陛下が,首相が国会で強制はしないと答弁したにも拘わらず,東京都などで事実上の強制をして,却って天皇家の神聖な歌である君が代が下品なガキ共に穢されるのを憂慮したとも受け取れる。今の狂いつつある日本で,唯一まともに世情を見ておられるのは天皇陛下や皇太子殿下など一部の皇族だけしかいないのかもしれない。

追加その4 2005年1月20日
 東京都の管理下の町田市では,「小中学校での国家斉唱時の子供たちの声量が足りないとして,校歌などの斉唱時の音量と同じ以上となるよう指示するように。」という命令を教育委員会が出した。  天皇家の神聖な歌をこれ以上バカ声で唄うのを推進しようという愚挙である。この市の教育委員会は,戦前の日本を目論む都知事に競って阿るために,この不敬極まる命令を出したとしか考えられない。  このような強制は,当然ながら天皇陛下のご希望とは異なり,天皇陛下を文化大革命時の毛沢東中国共産党主席や北朝鮮の金正日国防委員長と同じように祭り上げて,国民との間にいる自分達の権威を天皇陛下の権威を笠に着て振りかざそうという魂胆がみえみえである。


2004年5月12日 二極化

 新学期が始まって約1ヶ月経ち,履修学生も確定した。最近は一次限めの講義の最初の20分で出席を兼ねた小testを実施している。定期試験ではこの小testで返却された自分の答案の現物のみを持ち込み可とした。
 そのせいか,遅刻してくる学生は減った。今日の授業では履修者が50名のところ,41名が小testに間に合った。もっともそのうち7,8人は予め教えておいた問題を解いてくるどころか,問題が印刷されている講義textさえも持って来なかった。当然ながら小testが終ると自分は出席になったと考えて教室から去っていった。私も講義中おしゃべりをしたりmailを打つカチカチという音が煩いので,出席点でCの成績は付けてやることにして,自分自身をお引き取りいただく自由は許してやった。
 なぜそんな温い成績評価をしているかというと,今年からこの大学ではGPA方式を導入して成績評価の方法が変わったからである。単位が欲しいだけの学生にはCを出し,本当の意味での成績はS,A,Bの三つであるというふうにこの制度の真意が読めたからである。
 このようにすると,学生の態度に完全に二極化現象が現れる。教室の学生の席を前列,中列,後列と窓側,内側,廊下側で区切って九つのマスにすると,この授業では教室が120人用のせいか,前列に坐っている学生は一人もいない。 中列の窓側は女子学生が占拠しており,中列の内側は遅刻しない男子学生がいる。中列の廊下側は高年次や一人だけの学生が一人一列の割合で坐っている。後列は遅刻およびescapeの常習犯や授業中しゃべったりmailに熱中する学生が坐っている。中列と後列の間は一列ほど空いている。
 中列と後列の二極化現象である。人数的には両者はほぼ等しい。一次限当たり3,000円以上に付く高い授業料を払っている親御さんには申し訳ないが,教室の実態はこのようである。学生に訊いてみると,語学のような必修科目で着席位置も指定されている授業以外では,この座席による二極化現象はどの授業でも発生しているようである
 後列に坐っている学生が,技術の分野で何か出来るようになる将来性を期待できないことは,親御さんが実態を知らないだけで19才にして決定的な事実である。では,中列に坐っている一見真面目な学生に将来があるかというと,それも怪しいのが現実の日本の状況といえる。中列の学生はたしかに予習はしてくるようであり,後列の学生のように小testの解答を臆面もなく人のを丸写ししてしまうことはない。心配しているのは約20%いる女子学生が一塊になって坐っていて,男子学生とまったく別のgroupになっていることである。
 Babble崩壊後1998年入学のころまでの女子学生は成績が悪く,出来がよい男子学生に纏わり付いて小testのために課題の解答を教えてもらっていた。ここ数年は女子校からの推薦入学者が増えたせいか,女子学生の出来がよくなり,毎年10番以内は半数が女子学生である。後列に坐っている見込みが少ない学生には,「中列の出来が良い学生の隣に坐って解答を写せば,成績が上がる。」と言ってもそのような行動に出ない。
 どうも理由は,出来がよい学生の隣に坐って自分が傷つくのを恐れているのではないかと思われる。いま日本政府から意図的に流されているIraqでのNGO活動の自己責任論のpropagandaと軌を一にしている,日本的な矮小で醜い考え方が表面化しているようである。
 国が豊かになると個人levelでも失うものが増えてしまい,勇気を持って失敗を恐れずに自分から冒険をするという,父性的な気分が個人から失われてしまう。一方,安定を求め予定調和的に生きて,自分が何かをする代わりに,誰か英雄的な行動をする人物に希望を託す,という母性的な思考が優位になっていく。これは豊かな国家が瓦解する課程で辿る必然的な過程であると思われる。
 ともあれ,日本の将来を託す若い技術陣が,成人としての自覚と気力を持たずに,母性に依存する幼児性を残したまま社会に供給されると,以前の中卒者が就いたような職種が残っていない現在の日本では,かれらの就職についての希望は暗いと思われる。

2004年5月13日 略号修正


2004年6月7日 漢文教育と教科書

 Internetを検索していたら私が大好きな唐詩が載っているsiteに行き当たった。しかし,残念ながら中国のことをさっぱり理解していない日本の漢学者や学校関係者が下した解釈がもっともらしく書かれていて,この国の教育界の水準の低さに呆れることになった。
 その詩は,涼州詞という韻律に合わせて作られたもので,題名も「涼州詞」となっている。ちなみに「涼州詞」という題の詩は王翰はさらに一首あるし,王之渙のものも有名である。
 以下青のbackの記述はそのsiteからの引用である。(このsiteにはcopy freeの旨の記載がある。)

 涼州詞  王翰
葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人回
  《故郷を遠く離れ戦場での戦いのつかの間を琵琶を聞き酒を飲んでまぎらす兵士の姿を歌った詩です。》
 通釈
葡萄のうま酒を,夜光杯で飲もうとしていると,誰かが馬上で琵琶をかなで美しい音色を響かせている。
酒に酔いつぶれ砂漠の上に倒れ伏してしまったが,こんなぶざまな姿を見て笑わないでくれ。
昔から戦に行っていったい何人帰って来ただろうか。
私も明日の命がわからないのだから。
涼州詞   涼州は唐の西北の国境,今の甘粛省武威県。“涼州での歌”でよいと思う。 辺地の風景や戦の苦しみの心情を詠ったものが多い。
葡萄の美酒 西域産のぶどう酒で,ギリシャから伝わり,西域地方の名産。一度飲んでみたい酒。
夜光杯 西域の白玉製のさかずき。
催す 奏でられる。かき鳴らす。
沙場 砂漠地帯、砂の上。
ここでは回りの人達,私達読者に訴えている。
征戦 戦いに赴くこと。

 多分このsiteの作者は中国語は出来ないと思われる。解釈は自分のものではなく,多くの日本で標準的といわれている教科書などから探し出して組み立てたものと思われる。
 私も大好きな詩であるが,いくつかの点で違う解釈を持っている。その方が詩の情景をより楽しく再現できると思う。それらをいくつか挙げてみる。字句の解説にもいろいろと考察を加えなくてはならない点があるようだ。


 詩の対象となっているのは,ここで一括して言うような「兵士」ではない。通常中国の軍隊は,将校である騎士や戦車隊の武人と農民から調達した多くの徒士からなっている。このあたりの事情は蒙古などを除けば世界で平均的なstyleと言えよう。騎士や武人などの将校は通常は貴族や軍人官僚のような士大夫であり,文章の読み書きができる。単なる従者にすぎない徒士は読書人の価値観から見て詩の対象ではない

 「戦いのつかの間をまぎらす」ような状況ではない。宴会の場所は決して砂漠ではない。中国人の宴会に対する感覚からすると,砂漠でかがり火を焚いて酒を飲むという戦争相手である匈奴などの野趣豊かな情景はそぐわない。
 むしろ,敦煌から玉門関にかけての唐の雰囲気が残る最後の街のちゃんとしたところで,見送ってきた友人や親族などとお別れの杯を重ねるという情景が,中国人の風習にそぐうと思う。宴会は友人達が出征する人を招待し,その答礼の詩という形で作られている。

 この詩は西域伝来の品物が登場することで,独特のmoodを醸し出している。葡萄酒や夜光杯,琵琶は唐朝が西域への領土拡大と交易に踏み出したために渡ってきたもので,高価なため将校級の人物でなければ到底宴会に供することができなかったと思われる。もちろん自分達に供するために戦場へ持っていくことは難しい


 「涼州詞」は楽府の篇名である。唐詩は歌曲として唄われたので,それぞれがどれかの韻律に基づいている。もちろん当時涼州で流行った韻律ということである。「涼州での歌」では意味不明となる。
 歌曲という意味では,まったく違う日本語の韻律で吟ずるのはまったく可笑しなことである。日本語の書き下し文で読むよりはお経のように漢字音だけで読む方が,よっぽど元の詩の感じに近くなる。


 このころの葡萄酒の製造技術では,放っておくとすぐに酢になってしまうので,戦場に運ぶことなど土台無理である。清代に書かれた「紅楼夢」のように宴会の状況を細かく描写している文学作品の中でもあまり飲まれていない


 「白玉製のさかずき」は可能性が低い。白玉は柔らかい玉なので酒を飲む用途にはあまり向かない。通常の飲酒の道具は陶器の深皿のような大きめの杯か,高級なものは塗りの木杯である。ちなみに青銅の鼎も酒器として使われた。
 暗いところで光る玉がないわけではないが,この当時すでに玻璃(glass)製のものが渡って来ていたことは正倉院の御物からも判る。敦煌の発掘物からはcut glassも出てくる。切子の杯だとすると情景にぴったりである。白玉製の食器類は敦煌の発掘物からはあまり出ていない。

 字面どおりの「馬上で」だけではなく,「すぐに」という意味もある。漢代の古典にはすでにこの意味で使われている。現代中国語では「すぐに」の意味が普通である。

 「砂漠地帯,砂の上」ではなく,戦場である。玉門関への河西回廊は,文書や発掘によると昔は緑が比較的豊かな土地であった。楼蘭や西夏などが栄えたのである。
 「回りの人達,私達読者」ではなく,送って来た友人達と考えるのが答礼の詩として自然である。中国の詩は読者などを意識して唄うよりは,当人の感情を発露する手段として作られた。

 日本語では「戦いに赴くこと」でよいが,「征」も「戦」も動詞である。「出かけて行って戦って,何人が帰って来ただろうか。」という意味である。

 この詩については,いくつかのsiteには多分私のよりはましな解釈が載っていると思う。
 前置きが長くなったが,ここで言いたいのは,「何故このような低水準の解釈がまかり通っているのか。」と言うことである。この解釈は中学・高校の漢文の教科書の解釈である。
 日本の教育は文部省の強力な指導の下に,時の政権に反対しない従順な画一的な人間を造り出すことが最大の目的になってしまった。まるで北朝鮮における教育のようである。すなわちこのようないいかげんな解釈でも教科書を作成・検定する側がよいと言えば,それで通ってしまうし,それを何ら疑うことなく学習するのである。
 文部科学省と政権党の頭が固い連中は,このinternetで何でも情報が入る時代に,教科書を使って特定の考え方を詰め込めば思うような人間を作ることができると思っている。義務教育は無償であるということを良いことに,自分達に都合がよい教科書を作っている。しかし,すでに小中高の教育課程自体が崩壊しているのだ。
 教科書に類するものは自由に作成してinternet上で配布すればよいのである。すべての義務教育の学校にはパソコンを児童・生徒一人に一台ずつ用意して,必要な教材はそこに出せばよいのである。そうすれば,教員は自分自身の教材とsyllabusを用意せざるをえない。よいものが選ばれ,教員が時の政権に迎合するものを選んでも,生徒は自分で違うものを探すことが出来る時代なのだ。
 教科書は米国のように本来は分厚い資料集なのである。学校の所有物であるべきである。自分の家に持って帰るという発想自体がおかしい。とにかく,学校教育における(分量と質の上で)薄っぺらい教科書は排除すべきである。


2004年7月8日 英雄像不在と正義感

 むかし中国で文化大革命という権力闘争が行われる以前に,「英雄」という名の万年筆が中国から日本に大量に輸入された。一元が150円の時代に日本で買って300円で入手できた。授業のnotebookをほとんど万年筆で書いていた当時の大学生にとっては救世主のような存在であった。月額3,000円の奨学金や年額9,000円の授業料から考えるととても高価だったが,国産品の万年筆が数千円もした時代にはありがたかった。ちなみに,バイト代が一日350円,学生にはとってはたいへんなご馳走だった駅前食堂のカツライスが120円だった。
 当時の子供たちは万年筆ではなく,小説や漫画・TVの中の英雄にあこがれた。古くは「丹下左膳」や「水戸黄門」の講談小説,漫画では「鉄腕アトム」や「巨人の星」,「あしたのジョー」などの主人公も現実的にはありえない英雄であり,その中に子供たちは人間としての生き方や倫理観の理想を求めた。まともな人間なら決してしない不法行為やイジメ,ちょっとしたズルに対して,憤然として正義感を燃やしたものである。それが「ドラえもん」であっても,小さな不正をする「のびた」が失敗するたびに,人としてしてはいけないことを学んだのである。
 小泉総理が出現したときも,多くの国民はそのような正義の使者の振る舞いをかれに求めた。しかし,かれは子供のときにこのような英雄文化に触れなかったせいか,三代続いた政治家というせこい家庭で育ったためか,自分だけが不正に手を染めなければ人の事には耳を傾ける必要はなく,人気を維持できれば何をやってもよいという,独裁者的な心情を持っていることが次第にバレてきた。
 彼の心の中には英雄像に由来する正義感などは毛先ほどもなく,物事を正面から見据えることをせずに,相手をはぐらかしては一端の政治家ぶっている。これは,残念ながら,「心やさし〜。」という鉄腕アトム流の英雄ではなく,「ドラえもん」に出てくる「じゃいあん」や「すねお」どころでもなく,犯罪者である「田中角栄」や「鈴木宗男」以下である。
 実際に今の日本の世の中は英雄不在である。英雄像などいらないという発言も多い。英雄像は別になくてもよいのだが,このような発言をする人はどのような価値観を持って子供を育てるのか,を伺いたい。現実にほとんどの子供たちは英雄にはなれない。ただ,英雄のような人物にあこがれることで,やってはいけないことを我慢したり,嫌なことや面倒なことでも積極的に手を出していく人間に育つのである。
 ところで,いま私が手伝っているような三流の大学では,課題の提出や小testで他人の解答を丸写して提出するのが当たり前になっている。禁止しても教員の目を盗んで平気でやってしまい,一切の罪悪感を持っていない。英雄像不在の小泉総理を信仰する世代が育てた子供たちである。
 学生たちの世界観は,「少しでも人を出し抜いて楽をしたものが勝ち。」という寂しいかぎりのものである。利権の取り合いに明け暮れた日本人が育ててあげた次の世代のこの現状を見るにつけても,この国の将来が思いやられる。文部科学省の役人や政権党の復古派の政治家やそれに阿るいくつかの大新聞は,この現象をすぐ受験戦争や日教組のせいにするが,一番の手本はこの方々の過去の行動なのである。三菱自動車をめぐる欠陥車隠しは,一流大学を出た優等生も例外なく素朴な正義感さえ持っていない小泉総理の一派であるということが暴露された。
 学生たちはまだ子供であるから,社会の大勢に敏感に反応している。すなわち日本の役人たちがやるように形だけを整えればよいと考えている。であるから,成績の評価がすべてなのである。個性や独創性などは爪の先ほども必要と思っていない。他人の解答と同じものを提出してなじられても,運が悪かったと思うだけで反省のかけらもない
 本来は実際の社会では人の仕事を丸写しして自分がやったふりはできないのだが,かれらのような学生の親はそのようなことをしても給料が貰える利権にありついているのかもしれない。今の多くの家庭の子供への教育は,単なる成績あるいは入学・就職した学校名や会社名で評価するという姿勢がどこかにちらついている。
 では,「人のを見ないで自分でやった学生は全員立派か。」というと,そうではない。昨日は小testの成績が非常によい学生が,「自分はもうSの成績基準に達しているから,定期試験では白紙で出してよいか,他の科目の試験勉強をしたい。」と一見合理的なことを言ってきた。これは「教師を馬鹿にしている発言である。」という認識すらないのである。ぶっちぎりの成績を獲って教室での英雄になる必要も感じないのである。
 「自分は努力してよい成績をもう確保した。人にも見せてはいない。」あとは自分のことだから手抜きをしても大丈夫という,現在の三菱型優等生社会そのものの縮図を見た感じがして,絶句した。これも,成績主義の害に毒された姿である。ただ,本人は悪意なくそう言ってきたので,まだ救いがあるのかもしれない。
 日本はこのような態度で過去に侵略したAsia国々へ対処してきた。Asiaの優等生である。多くの国々からも羨ましがられてはいるが,決して尊敬されてはいない。最近経済的に台頭し始めた国々の若い世代からは,「一番嫌いな国の一つ。」と言われている現実を知るべきだ。
 小泉総理の靖国参拝やIraq参戦はこのような学生の独り善がりの考えと軌を一にする。国家や企業の上層部がやったり考えたりしていることは,その本質を後生が必ず真似をするということを念頭に置かないと,教育を論ずることはできない。英雄像の欠如は自分を小さくまとめてしまい,その中で本人が合理的と思っている論理を振り回す人間を創り上げてしまう。小泉総理だけではなく,優秀な若い世代でもそのような風潮から逃れる術がないというか,違う価値観を持てない英雄不在の状況にいまの日本はあると言える。小さな英雄でも英雄像がないとそれを見習った正義感は育たない。育つのは残念ながら夜郎自大な矮小人間である。

2004年7月23日 誤字訂正と追加
 去る21日にこの大学で定期試験を実施した。定期試験であるから座席も自由にはならない。しかも監督者は2人いる。返却された自分の小testの解答は持ち込んでもよいのであるが,しきりと前席に座っている人の答案を覗きこんでいる。そばに近寄ると止める。なかなか証拠は掴ませなかったが,答案を席順に回収して調べると,案の定間違った解答を丸写ししている。このような学生が卒業して就職して,どうやって仕事をするのであろうか。
 小testの成績が非常によかった学生は試験時間終了前に,一応の解答を書いて退席した。しかし,最後まで頑張った別の学生に合計点では逆転されてしまった。どのみち成績は変わらないので,「そういう人生もありか。」と思うが, 英雄像不在時代の学生達の寂しい姿を見た思いである。


2004年8月7日 後ろ姿

 いまから12年ほど前のbubble華やかなりし頃のことである。いま中国哲学をやっている娘が中学受験に成功したので,ごほうびに彼女が念願だった蒙古の草原で馬に乗る旅行に行かせた。主催したのはある小・中学生を中心に課外教育や不登校対策を手がけている財団であった。
 娘は馬に乗るのが好きで,この財団が主催する国内での乗馬訓練合宿に小学校3年の頃から年に10回近い割合で参加していた。その費用たるや,親である私が年金生活になった今ではとうてい払い切れないような高額なものであった。蒙古といっても中国の内蒙古自治区で人民解放軍との共催で行われたこの合宿は,文字どおり蒙古の草原を馬で走り回り,羊を宰って食事をするというものであった。北京にいた私の友人は,「自分たちも行ったことがない場所だ。」と羨ましがっていた。
 行事そのものは,草原で落馬して馬が走って行ってしまい,娘はたった一人でcamp地に向けて歩いていたところを,空馬が帰って来たので捜しに出た解放軍の兵士に助けられたとか,乗る予定の飛行機が落ちて飛べなくなったので早朝の列車で内蒙古に向かったという,当時の中国では日常茶飯事が起きた程度で楽しく帰ってきた。
 ところがそれ以後は,毎回欠かさず参加して家計を圧迫していた国内の乗馬合宿も,中国への遠征合宿も行かなくなってしまった。最初は,多分蒙古の草原に比べれば東北の寒村で行われていた合宿がチャチに感じられたのだとか,信じられないことだが学業に身がはいったとか,親は思っていた。
 しばらくたって本人が行かないことにした理由が判明した。簡単にいうとこの財団の運営に見切りを付けたのである。「まだ中学1年の子供のくせに,見切りを付ける,などとは生意気だ。」と思われるかもしれない。しかし,最近の日本の世相を見ていると,教育を標榜していながら,まるで北朝鮮のような横暴さがこの財団の中でも日常のように振り撒かれていたのである。
 原因は単純なことである。乗馬学校から草原に行く前の現地のお土産屋の店先で,試飲の柘榴酒(wineではない)を娘がさも旨そうに飲んだところ,店の人が気に入って家へのお土産用に試用壜を一つくれたのだそうである。もちろん日本では未成年者が酒類を摂ることは,たとえ試飲であっても禁止されているが,ここ内蒙古では当時は飲酒は問題なかったのである(註1)。遊牧の民は成人しなくても一定の体格になれば当然のように飲酒ができた。ましてこの柘榴酒はwineのようにalcohol分が高いものではない。蒙古でよく飲まれる馬乳酒などはalcohol分は1〜2%程度である。同じ場所にいた日本人の引率者たちも試飲を止めなかったし,多くの子供たちも飲んだ。娘がお土産を手にしたことも認めていた
 事件はその日宿舎に着いて食事前に起こった。宿舎といっても解放軍の招待所なので,当時のことであるし大都会でもないから,個室が並んでいるわけではない。蒙古族用の例の丸い天幕と大差がないものである。男女別に一緒に寝るのである。でも,入浴が出来たので,娘はお土産を自分の荷物の中に大切にしまって体を洗いに行った
 体を洗って帰って来ると,なんと自分の荷物のふたが空いていて,中身が布団の上に放り出されている。「やられた!」と思った娘が叫ぶと,周りにいたお姉さんが(娘以外はすべて大人が同伴していた)が,「引率者の中のおばさんが持って行った。」と教えてくれた。なんと引率者と付き添いの親達が,娘が貰ったお土産を無断で取り出して宴会をしていたのだ。お土産をただで貰えなかった引率者や親は娘の積極性と幸運をやっかんで,下司な日本人根性で娘をイジメたのである。
 彼らはすでに酒が入っていて酒が足りないので,すでに娘のものであるお土産店からもらった親への贈り物に目を付けたのである。大人が付いていない子供の荷物だと軽く見て勝手に開け,中身を盗み,しかも探すのにじゃまな荷物はばらまいたままで何とも思わないという,醜い日本人の大人の姿が,お土産をくれた親切な中国人の店員の姿と二重写しになって娘の目から心に焼き付いた。最近悪く言われている中国人以上に悪い日本人の姿を露呈したのだ。多分「懲庸支那」ということで中国に攻め込んだ日本兵もこうした行為を平気で行った(註2)のであろう。心の芯からの恨みというものは,加害者は忘れても被害者は決して忘れないものである。
 当然ながら娘が異議を唱えると,「子供はお酒を飲んではいけないから,取り上げたのだ。」と,この女は盗人猛々しい言動を吐いたそうである。窃盗行為を止め立てすることはおろか,謝ることや了解を取ることすら,宴会をしていた大人たちは誰一人としてしなかった。このような小泉流の開き直り方は個人の特性ではなく,日本人の特性である。しかも,本来このような愚挙を止めなければならない,責任者として合宿に同行した当時の財団理事長の倅は,娘を宥めるどころか叱責した
 娘は,泣いたりしたら惨めなばかりか,他の子供たちに馬鹿にされるのでじっと堪え,草原へ乗馬に行く前だったが,「もう,二度とこの財団が主催する合宿には参加しない。」と固く心に決めたそうである。幸い帰路の北京では時間があったので,あらかじめ連絡しておいたわが家の友人に会うことができ,嫌な大人たちとは接触する時間がちょっとでも少なくできたのは幸いであった。
 さらに,彼らは追加の犯罪をしていた。弟へのお土産として買った装飾品のknifeを枕捜しのついでに失敬して,西瓜を切っていた。「このknife切れないわねー。」(当たり前だ,装飾品で実用品ではない。)という声を聞いて気が付いた娘が,洗って還すように言うと,この女は西瓜の汁で汚れたまま鞘に収めて投げて寄越したそうである。酔っぱらっているのであるから面倒くさいことはしたくないし,knifeを黙って持って行ったのは,泥棒であるという認識すらない
 これには,おまけが付いている。お土産を泥棒されてゆとりが出来た娘の荷物に,葡萄酒を盗んだ女がお土産で一杯になった自分の荷物から下着を取り出して,娘の荷物に黙って押し込んで,内蒙古にはない「くろねこヤマト」の代用をさせようとしたのである。娘は当然ながら翌朝出発前に,誰のだか解らない下着を放りだして草原に向かった。現地に付いてから下着を請求された娘は,「宿の人が下着を間違えて荷物に入れてしまったと思い置いてきた。」と返事をしたそうである。そうしたらこの女は,「日本製の下着なのよ,中国製と違うくらい見れば解るじゃない。」とのたまわったそうである。
 いま,日本で子供たちの不祥事が多く伝えられているが,子供は本性でそのようなことをするわけではない。大人の後ろ姿をみて,「気に入らないやつは殺してもよい。」と考えるのである。娘が出会ったような大人が自分の子供を育てれば,「子供や中国など弱いやつには何をやっても構わない。」という子供が育ち,それが大人になり,やがて小泉のような無責任な発言となるのである。
 じつは,これが日清戦争以来変っていない日本人の潜在意識である。それまで押さえて来たこの意識が,bubbleで大国になったと勘違いした政権党の政治家や庶民の行動で表に出ただけである。
 北朝鮮のように故なく圧迫される世の中では,他人に対してその捌け口を求めたり,圧迫される側の気持ちを想像できない人間を大量に作り出す。中国人が今回のAsia cup footballで露骨な反日感情を漲らせるのは,明確な政治哲学を持たなかった中国共産党の三代目の幹部層が,1990年代に押し進めた強烈な反日教育や世界観が欠除している日本の政治家たちだけのせいではない。中国社会が教育を含めて伝統的な強権国家の形を取っているからである。
 日本でも学校で君が代を唄うことを強制することは簡単であるが,権力に押さえつけられた形だけの服従人間を創り出すだけで,独創性を持って大きく伸びる人間を創ることはできない
 娘はこの財団の合宿に行かなくなって久しいが,今日ふと,この財団のsiteに行き当たったので,過去のことを思い出した。日本の学校教育の現場は,この合宿と同じことが毎日行われている。大学生になってから,人の答案を写すなと言っても遅いのかもしれない。

註1:
 外国人に対しては,外交官など外交特権を持っていないかぎり,法律は現地の法律が適用される。中国では窃盗の罪は日本より重いことがある。
註2:
 盧溝橋事件後華北平原に軍を進めたときの,陸軍の派遣理由。自分の国土に土足で入り込まれ,反日運動を起こした中国を,悪いことをしたのだから懲らしめるという発想。いまでも政権党の人間を初めとして多くのマスコミや戦前の日本が正しいと主張する連中が主張する正義の拠り所。

2004年8月16日 葡萄酒を柘榴酒に変更


2004年10月28日 四四四制

 埼玉県の開智学園など小・中・高を持ついくつかの私立一貫校では,文部科学省が決めた従来の小学校6年,中学校3年,高等学校3年の構造を内部的に廃止して,各4年ごとの構成にするという試みが行われている。
 文部科学省の教育課程は戦前からの体制に,戦後米国から持ち込まれた六三制を接ぎ木したものである。そこには何ら未来の日本を見通した展望もなく,したがってそれを実現する戦略もない。ただただ左翼危険思想を弾圧するという管理と指導の連続であった。
 戦前の教育は,善かれ悪しかれ皇国の善良な臣民・兵士を供給するという目的があった。すべてはその基準で判断された。戦後は表向きは米国流の自由な教育体制になったはずであったが,依然として知らしむべからず依らしむべしという考えが役人と教育界を牛耳っていた人々および時の政権党内にあったので,形骸化した戦前教育の残滓が60年近くも残ってしまった。
 子供の体格の発達が速くなったのと相まって精神的な変化も早くから出るようになった。大人並みの体格の小学生がランドセルを背負って,異性の話に花を咲かせているのは滑稽である。女子児童は5年生ごろからどんどんと女になってなって行き,好色な小学校の担任を楽しませている。高学年に教科担任制を採用すれば,被害は減るのであろうが,過疎地並みの一学年一学級という都会地の学校では,そのような教員配置は到底無理である。
 実際に四四四制は現状の児童生徒の発達段階から見るといちばん良く適合していると言える。人は規律を持った行動ができるのは10歳前後からである。中高校生はおろか大学生や社会人になっても,「あいつは小学生以下だ」と言われる場合の小学生は,大体4年生位までである。上述の成長が止った幼児性丸出し人間達を小学校5,6年生と比較しては,小学校5,6年生に対して失礼至極である。
 現在大都市では,まともな家庭の多くの5,6年生は中学受験塾に通っている。訳がわからない大学にいる多くの学生達よりも,知識の面でも論理的な思考の面でもこれらの子供たちのほうが勝れている。ただ残念なのはこれが中学受験という狭い範囲に限られていることなのである。すなわち試験に出る4教科だけに学習対象が絞られている。塾も本人も目的が目標中学合格なのであるから,このことは仕方がないが、中学受験をさせて来た親からみると何か割り切れない。目標中学に受かるとそれで終わりではなく,一部の大学直結あるいは独特の教育思想を持っている中高を除いて,それはさらなる大学受験への6年間の塾化した学校教育の始まりなのである。
 この間に受験教育を受けるのは,当社の前の公園に男女の中学生が夜中に集まって煙を出したり何か飲んで騒いでいるよりもましであるが,もっとも人間性を伸ばせる時期としてはやはり不都合である。受験がない中間部分の4年間で学習の基礎的な手法や外国語の基本を身につけたり,読書やsportsおよび芸術・趣味に多くの時間を割いたりする方が,将来人間的には大きく飛躍すると思う。栴檀の芳しさが匂いだす年頃なのである。この時期に子供の特長が見え出すので,それを育てる体制が学校制度に必要であると思われる。
 私見では,前述の読書やsports等は,学校で行うべき内容ではない。地域にvolunteerを用意して発展を促すか,専門の団体に所属して行うべきである。学校の教員の力は広く浅くが基本であるから,これらのどれ一つ取っても子供の将来の発展を見越して指導することはできない。これらの道で名を成した人達はこの頃から学校ではないところで育ってきたということを知って,学校が担う役割を学習に限るべきである。
 幼稚園児の減少と保育園の不足から幼保同居という秘策というか拙速策が脚光を浴びている。しかしこれも,単なる施設の融通という観点からでは今の固定化した六三制に組み込まれるだけである。四四四制だけではなく,幼稚園も視野に入れた三三四四制とかいろいろと実験する必要もあるかと思われる。
 それには,全国一律の官製の教育委員会が,左翼刈りと皇国教育復古を主目的に行動している現状では無理である。江戸時代のように住民の手に教育を取り戻さないと,富国強兵のための教育体制がいまだに続いている状況では,今後世界に通じる人材を育てるどころか,まともな大人に仕立て上げるのも難しいかもしれない。


2004年11月14日 皇居清掃勤労奉仕団

 皇居清掃勤労奉仕団という任意団体がある。やることは名のとおりである。国が予算不足なので,これらの民間団体に皇居や皇居前広場の清掃を押しつけているのではない。戦後すぐの時期から,自発的に団体を組んで,宮内庁に申し込んで都内に泊まり込んで清掃をするvolunteerである。
 この行動自体は,天皇や皇太子がご会釈という形で清掃の終わりに接見することもあり,参加する人達にとっては涙が止まらないような嬉しいことである,と言われている。人によっては,「『天皇陛下、皇后陛下。万歳。万歳。万歳。』と奉仕団全員にて割れんばかりの万歳三唱」という経験を語っている。
 わが国は,今の北朝鮮ではないし,文化大革命時の中国でもないから,「毛主席,万歳,万万歳。万寿無彊。」などとゴマを磨らないと,首と胴体が生き別れになる心配はないので,この万歳三唱は参加者の本心からだと思う。
 このこと自体はとても平和なことで,何ら問題はない。問題があるのは,2007年度から都立高校で奉仕活動を週一回一年間必修にするという東京都の方針である。東京都教育委員会によると,奉仕とはvolunteerと異なり,自発的ではなく,善い事だと認定したことを,都立高校生全員に強制的にやらせるのだそうである。誰が善いことだと決めるのであろうか。多分時の政権や教育委員会と役人,校長などが一方的に決めるのであろう。
 これとてうまく運営すれば,あちこちの高校ですでに導入しているvolunteer活動と同じようにできるが,多分ほとんどの場合,国旗国歌法と同じ経緯で,皇居清掃勤労奉仕団と似たようなことをさせるのが落ちである。
 今年の秋の園遊会で,陛下に「強制になるということは・・・。」とたしなめられたにもかかわらず,それが自分への励ましであると受け取ってしまう,米長のような人間が教育委員会を牛耳っている東京都では,volunteerではない奉仕活動となると,当然ながらこのpatternになる。
 学校の近所の公園の清掃は善いことだ,ということで始まる。このあたりはいまのvolunteer活動と同じである。公園などたかがしれているから,道路や海岸の清掃,ついには本命の神社の境内の清掃まで始める。寺院や神社の境内の清掃はそこにいる僧や神官自身の修行の場として存在するが,それとの競合はどうなるのであろうか。小さな稲荷や八幡社は神官が常駐していないのが普通であり,地域の方々が手分けして静寂を保つようにしている。これは住民がやってきたvolunteer活動なのである。
 高校生に奉仕活動を強制的にやらせるとなると,若者は当然ながら楽なことからやるので,手がかかる老人・幼児の相手や力仕事・汚い仕事のvolunteerからは逃げ出して,箒で掃いてお茶を濁すというところに流れるのは明らかである。神社の清掃の行き着く先は皇居清掃勤労奉仕団ということになる。
 そのうち,都立高校生は皇居前(神聖な皇居の中は,不埒な高校生は是非とも遠慮して欲しい)の清掃に一度は参加しないと卒業させてもらえない時代が来るかもしれない。この件だけから見ても,なにかと意にそぐわない強制が多くなる公立校から私立の中高一貫校へと優秀な生徒が流れるのを加速するのは明らかである。
 私立の真似をして伝統ある旧制府立第一高等女学校や第五中学校を中高一貫校にしても羊頭狗肉でしかない。歴史は知事や米長の意向を汲んで,南京大虐殺や慰安婦は教えずに,日本が華やかだった時代を持ち上げる教科書を採用するそうである。出来がよい児童・生徒を持つ家庭ほど裏の剣呑さを察知する。
 何時の時代でも,若者はvolunteerが嫌いなのではなく,誰か権力者に強制されて奉仕をさせられるのが嫌いだということである。都立高校はこれから少子化が進む中,お客が嫌うことをして,商売になるのであろうか。

2005年2月6日 一部追加


2004年12月5日 海外派遣教員

 卒業論文の追い込みの時期となった。理工系の学部や文学部では卒業論文というものが課せられる大学が多い。
 ところで,私は日本の大学の教員資格に対する審査ほどいいかげんなものはないと思っているが,それでも大学の教員は基本的には教育能力を問われるのは当然であろう。ところが教員の選考時に,ほとんどの大学で教育能力を問わないのが現状である。
 実際には,教員は論文の数と過去の経歴から選考している。私のように学位や著書・論文はあっても,大企業のOBであるなどの晴れやかな経歴がない人間は除外されてしまう。それでも,形の上では応募書類にどのような研究をするのかという内容や教育に対する抱負程度は提出させている大学は多い。これらの研究内容や抱負は当然ながら,その教員の学生に対する卒論themeとして反映されるべきである。
 話は変るが,日本からODA(政府開発援助)を受けているような発展途上国の中には,大学の考えが日本とは違っていることがある。日本の専門学校のようなものも大学としている(註)。日本の大学で教員になるだけの条件を満たしていなくても,JICA(国際協力機構)の「シニア海外ボランティア」などで派遣されて,受入国の大学で教鞭を取っている人もいる。
 私の知人にもこれらの形で外国に行って数年間教授職に就いていた人もいた。この方々はみな海外勤務経験が長く,技術能力も高いので,講義は英語で行い,学位や著書・論文がなくても十分役に立つ講義が出来たと思われる。ただ,実際に研究を行った経験が少ないので,卒論のような形での学生の指導はやらなかったようである。
 ODAなどを受ける国の大学側からすれば,研究が出来なくても教員の給与を支払わないで,外国人教員が確保できるので歓迎である。受入国側で送出し国の給与水準で外国人教員を雇い入れることは,明治期の日本などの例外を除けば不可能である。
 たとえば中国語で講義ができ,著書の中国語訳もある私でも,中国で私の専門のdigital技術を教えるとすると,どんなに頑張っても月5,000元程度しか貰うことができない。この額は中国で一人暮する分にはあり余るほどであるが,毎月の帰国費用どころか半年に一回の帰国がやっとという水準である。もちろん中国で教鞭を取れば,今の日本での週二回の講義やときどき引き受ける講演はすべて放棄しなければならない。その講師料・講演料は容易に中国でのfull timeの収入を越える。
 簡単に言うと,日本で大学教員として通用する水準の人が,日本政府などの援助の金を使わないで,ODAなどを受けている国々で教員になるということは,持ち出し覚悟で行かない限り不可能である。
 実際に日本においては教員になっていないが,企業などを退職後その専門知識を活かしてこれらの国々で教育に従事する例は多い。先日もそのような感じで国外の大学で教えている人が,大学側から卒論生の面倒を見るように突然要請され,間に人を何人か介して,私に一日二日の内に卒論themeをいくつか考えてくれという依頼があった。
 見ず知らずの人であったが,私に直接連絡して来た最後の大学教授には,私は義理があったので,決算前の非常に忙しい時間を半日割いて,五つのthemeとその概要を作成してあげた。
 これに対し一片の謝辞が来たが,通常なら5〜10万円にもなるideaの作成を無償で行ったのであるから,「帰国した際にはご挨拶に伺います。」位の文面があってもよいと思うが,「(五つのthemeのうち二つは)まとまっているので,学部長に提案する。」という主旨の返信がきた。人に考えさせておいて善し悪しを言うのは,自分の部下を相手にするような態度である。さらに,「あなたと私は同年代で,専門も同じ。」という意味のことが書かれており,唖然とした。「それなら大学教員なんだから,卒論のtheme位ご自分でお考えになれば。」と言いたい気持ちになった。
 このように日本にいたときの管理職の感覚を引きずっている人ばかりだとは思わないが,米国の大学に呼ばれた青色発光diodeの中村修二博士のような人は,ODAなどを受けている国には行っていないことは確かである。すると,これらの国では,「日本からはあまり出来がよくない先生を送って来る。」という評価が定着する危険がある。事実,中国の重点大学では日本人の先生や大学院生のことを非常に軽く見ている。これは,訪中時にいろいろな大学を訪問するたびに感じることである。
 私もかれらの言う,「日本人の学者や大学院生は英語ができない,発表が下手だ。」などの指摘は正鵠を得ていると思っている。しかし,これは日本国内のことであるからかまわない。しかし,外国に教員として出て行くということは,そのことで日本を代表しているのである。日本で年金を貰ってさらに派遣手当ももらえるおいしいvolunteerだと思って出ていってはいけないのである。
 「私もJICAに応募しようか。」と,ある人に言ったら,「国外に送る教員を選ぶのは,援助器材などを納入した企業の既得権で,天下りの一種の場合が多いから,たとえ公募があってあなたが応募しても採用されないよ。」と裏を教えてくれた。本来は援助器材や人材は先方の公募選択に任せて行うのが正しい方法なのであるが,この国の御家芸のひも付き援助の発想が教育面にも及んでいるとすれば,残念ながらこの国の将来にとって不幸である。

註:
 日本の多くの私大の理工系でも,専門学校と大差ない教育がなされている。特に私が以前手伝っていた大学のような,受験者全員が受け入れられてしまうような全入大学では,卒論をまともにやらせるなどということはほぼ絶望的である。


2004年版完