Dr. YIKAIの言いたい放題「日本の世相と中国関係」
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2004年1月7日 | 終わりの始まり | |
2004年1月18日 | 食客 | |
2004年1月23日 | 経歴詐称 | |
2004年2月17日 | 天に向かって唾を吐く | |
2004年2月28日 | 二二八事件 | |
2004年3月18日 | 讒謗律と新聞紙条例 | |
2004年3月28日 | 軽茶ーオヤジ | |
2004年4月5日 | 事なかれ主義 | |
2004年5月18日 | 小国寡民 | |
2004年6月5日 | 朝貢外交 | |
2004年7月15日 | 渡来人の国を再現したらどうか | |
2004年7月25日 | Recycle | |
2004年9月24日 | 太陽の季節(10月23日追加) | |
2004年12月8日 | 銀行預金が下ろせない |
2004年1月7日 終わりの始まり
いよいよ日本軍が自衛隊と詐称して戦闘行為のために外国へ派遣される。この150年来,世界のすべての国が起こした戦争は,自衛とか緊急避難とか言い逃れの文句だけを掲げて,軍人とそれを牛耳っている政権のためにあった。日本だって自国の民衆のために起こされた戦争はない。それが証拠には,戦争で海外の利権をすべて失った,1945年以降のほうが日本は経済的にも文化的にも発展して来た。
真に日本の民衆のためなら,いますぐ半島の北の方にある将軍様が君臨している国に自衛隊を派遣すべきだ。この場合は,かの国が麻薬・覚醒剤を不法に日本に運び込んだり,日本人を拉致あるいは殺害するということをしているのだから,自衛という看板を掲げていても問題はない。
ところで,世は拉致拉致で賑やかであるが,拉致などはせいぜい100人規模の日本人に対する犯罪である。麻薬や覚醒剤の密輸はこれに比べると遥かに質が悪い対日攻撃である。なぜ,国会には拉致議連があり対将軍様麻薬議連がないのか。北の方々の日本における代理人が営業しているいろいろなお店(パチンコ・風俗など)が脱税して用意したお金を,回してもらっているから,手がつけられないのだろうか。
今回の日本軍のIraq派遣については,小泉と官僚は例によってIraqの復興のためなどと寝言を言っている。まだ戦争中なのに,もう復興するのか。病院などを復興しても,terroristが潜んでいるという理由で,またもや米軍の武装helicopterがやって来て,誘導missileを発射して壊されてしまうのが落ちじゃないかな。
IraqはIslam教国としては珍しく世俗政権の国だった。すなわち交渉ができる国だったのだ。でも米国は石油の利権が欲しいばかりに,旧日本軍の中国侵略と同じようにいろいろな理屈を捏ねて戦争を始めたわけである。同じ状況は盧溝橋事件のあと懲膺支那と唱えて中国に大軍を派遣した日本の愚挙と何ら変らない。終わりの始まりである。
米国にとっての終わりの始まりなのはわれわれは別に構わない。でも,北の国とは違って日本や日本人に悪さをしていないIraqに,日本はどのような理由を用意して軍隊を出して攻め込むのだろう。対米協調などという理由にならない理由で,再び終わりの始まりを再体験させられるとしたら,小泉を再選した日本人はよほどのお人好しである。多分日本軍には悪いIraq人と良いIraq人を見分ける道具があって,それを使って悪いIraq人をやっつけるために行くのだろう。でも,たとえ悪いIraq人だってIraq人であることは変わりはない。それをなぜ外国の軍隊が取り締まる権利があるのだろう。
そう,それは旧中国にだってあった。租界とそれを守る警察や軍隊。満州は日本租界の大きなやつに過ぎなかったのだ。そう考えると,ますますIraqは1935年ごろの中国と外国軍の関係に似てくる。
日本の60年ぶりの外国侵略の終わりには,Iraqに軍隊を派遣していない中国や印度によって,日本は経済的な敗戦の苦を嘗めさせられるかのしれない。それなら馬鹿馬鹿しい限りである。国として今もっともenergyを灌がなければならないことを疎かにして,戦争ごっこに駆り出されて喜んでいるのだから,今年はやはり終わりの始まりの年になるかもしれない。
2004年1月18日 食客
中国古代の王国の殷を滅ぼすのに功績があった太公望は,周王国が成立した後,周の王都(現在の西安)から遠く離れた土地である齊(山東半島のつけ根付近)を所領とした。周王室の姓である姫ではなく姜姓の彼は,周王室の争い事に巻き込まれて身を滅ぼすのを怖れたからである。当時山東半島には民族的には中原の民ではない東夷と呼ばれた種族が住んでいた。ちなみに山東とは太行山脈(註1)や泰山の東という意味である。
太公望の目論見どおり,齊は春秋戦国の時代も他の国に併呑されることなく,秦の始皇帝による中国全土統一まで八百年を生き長らえた。というと,何も問題がないようであるが,じつは齊は途中で姜姓から田姓に代替わりしている。
齊の長い歴史の中でこの国が最初に大きく光ったのは春秋中期である。友情の代名詞となっている管鮑の交わりの管仲と鮑叔の輔けで,齊の桓公は最初の覇王と称せられる地位にまで就くことができた(註2)。管仲は宰相の地位に昇るや,齊の諸侯を差し置いて自分の食客から有能な人材を推挙して富国強兵に邁進した。法治政治や軍事体制の改革はそれらの人材の助けもあって順調に進み,中原一の強国となった。
門地によらず多芸の士を登用するのは,何時の時代でも難しい。それが出来たのは管鮑の才だけではなく,桓公という人物の特徴も有利に働いた。桓公自身はたいした人物ではなかったが,人を信じて任せるという才能があったために,四十年近く覇王の地位にいられたのである。任された人物が勝れていたのである。管鮑が相次いで没した後は,輔弼の才を持つ人物を得られなかったために,桓公は餓死する運命となった。
齊は春秋時代の終末のころ,史記の作者司馬遷をしてその車の御者になってもよいとまで言われ,仕官希望の孔丘(孔子)を素気なく扱った希代の名宰相晏嬰(晏子)の死後,田氏によって国を乗っ取られた。
ともあれ,多くの有能の士を市井から招くというのは,簡単なようで容易ではない。多くの場合,人選に失敗するのが落ちである。当時すでに,人物を見るために食客として自分の私費で何年か面倒を見て,才能を見抜いてから抜擢するという知恵があった。
時代はそれから三百年ほど下がった戦国末期に,戦国の四君子の一人で鶏鳴狗盗の故事で名高い孟嘗君田文が田氏の齊に出現する。かれは食邑(国の中の諸侯の領地)に三千人もの食客を抱えていたという。この時代は有能な食客を多く有する者が力を発揮した。齊王が田文の力を怖れて宰相の地位を解任すると,その機を逃さず楚と燕に攻め込まれ,燕の名将楽毅に5年間国土を蹂躙された。多くの食客を有する人は他国からも怖れられていた時代である。
ところで,日本の現状に目を向けると,小泉首相は食客は一人も有していない。市井から招いたという大臣や秘書官は完全に人選を誤った。いまの日本の体制は,有能な人は役人と議員の中にいるという虚構の上に成り立っている。でも,すべてに於いて歪んでしまった日本の統治機構について,今さらあれこれ唱えても,選挙のたびに身の回りの私利私欲でしか投票しない日本人が悪いのだからしかたがない。
問題は企業である。日本の企業は真に有能な士を広く招くという体制をとっているところはあまり多くはない。たしかに,表面上はほとんどの会社は中途採用を実施しているが,経営や技術の中核になる人員を求めているのではなく,当面役に立つ臨時採用的な発想で人集めをしている。まず,ほとんどの企業が年齢制限をしている。それでは,定年退職した有能な人をよそから連れてくることができない。年齢制限には老人が多いと待遇などの多くの面で社内の秩序が維持できない,というだらしがない理由すらある。
有能な年寄りと言うと,企業の金で顧問や働かない役員を置いている会社は多くあるが,ほとんどが役員定年退職者か役人や親会社の天下りなど,当面の利益誘導の道具にしか使われていない。顧問を会社の組織を通して委嘱すると,無難な人選になるから当然ながらそのようなことになって,経費切り詰めの際の最初の検討項目になってしまうのだ。企業の将来を見据えたことを考える能力がある人材を抱えている企業はほとんどない。不要な天下りを削って,企業の将来を占うことができる人士を招いてはどうか,と思うが,月給取りが経営している会社では期待すべくもない。青色発光diodeの発明者を米国の大学に取られてしまう愚挙すら犯すのだ。
今は大企業の役員もownerは少なく,ほとんどすべてが月給取りである。米国などでの役員の高い報酬は,本来は自腹で食客を抱えるために使うべき収入である。企業に一旦人材が必要となれば,そのようにして見い出した食客の中からも補充する。このようにしないと,特異な人材は平時は多くの人の共感を呼ばないから,企業の中で育てることが難しいのだ。Owner社長の中には,自分の懐で関連会社として無駄飯食いの連中を飼っているところもある。そのような企業から,次の時代に勝ち抜く発想が生まれてくることが多い。
TVに出てくる政権党の土豪劣紳どもは,小泉のお先棒を担ぐだけで,多くの食客の提言に裏打ちされた発言などはほとんど聞くことがない。これでは経営者も政治家も,せいぜいどこぞの大学教授や役人の御説を担ぎ回るのが関の山であろう。日本は中原にあった二股膏薬の国,鄭にとてもよく似ている。ただ,したたかさがないだけ,長持ちしないような気がする。
註1: 2004年7月6日追加
北京のすぐ西にあり,最高峰が2,882mの南北400kmにわたる山脈で,仏教で有名な五台山はこの山脈中にある。黄河がこの山脈を貫いたところが函谷関である。そこから下流が華北平原であり,旧い大陸岩盤の上に扇状地が拡り歴史の揺籃の地となった。
註2:
春秋戦国時代を解説した歴史書やこの時代を題材とした小説は,数多く出版されているが,講談社文庫に収められている「春秋戦国志」(安能
務著)が小説として比較的読みやすく,脚色も少ないので時代背景がよく理解できる。
2004年1月23日 経歴詐称
自民党の愛人代議士山崎拓を昨年の選挙で破った民主党の古賀代議士が,米国の大学を卒業していないのに選挙の際に卒業と詐称した,と騒がれている。まあ,飲み屋で大口を叩いているうちはよいのだが,選挙は一種の就職試験だから,文句を言うのももっともだとは思う。でも,たとえ学歴詐称でも使える従業員は馘にしないのは常識である。学歴など形だけは整えていても,自分の生徒や児童に手を出すエロ教師とは違えばよい。
ところでこの騒動,九州の選挙民をバカにしてはいないか,と思う。九州の選挙民はみんな世間を知らずだから,米国の大学卒の資格だけ見て投票した,とでもいうのであろうか。どこの大学を出ていようと,出ていなかろうと政治家としてやるべきことができればそれでよいのである。彼もこんな意味がない詐称をする必要はなかったのだ。九州の選挙民だって学歴で投票するようなバカではないはずだ。
ところで,こないだまでは,秘書給与を流用したのが大犯罪であると議員を脅かして,選挙民が正当に選んだ議員が辞職するのが流行った。これは,政権を握っている連中が裏から手を回して,自分に都合が悪いことを言う議員や政党を潰す手段に使っているのだ。第一次世界大戦後のDeutschでHitlerが台頭した時も同じような手段を使った。政敵の国会議員をいろいろな理由を付けて政治的に葬り去った。ついには国会議事堂に火も着けた。
議員だけではなく田中長野県知事や東京都足立区長の解任騒ぎも,地方議会の議員個人が持つ利権を脅かす人物を,多数決の名の下で葬り去ろうというHitler型のやりかである。大陸の党内で東方紅の主が実権を握ったり,文化大革命を発動したのも同じことである。
日本人はいつから,故司馬遼太郎が憂うるところのこんな下卑た人間になったのであろうか。自分の目で確かめた自分だけの意見を持たずに,目の前だけの利益や政権,マスコミの情報操作に容易に左右されている。もっとも中国人もその点についてはご多分に漏れない。冷静なDeutscheが日本人並に狂ったのも,第一次世界大戦の後に多額の賠償を課せられて先が見えなくなっていたときであった。
日本も長く続いた不況状の環境下で,1960〜70年代のような明るい未来が見えていないからであろうか,自分だけのことしか見ない人が多い。学歴や牛肉や鶏肉で大騒ぎをしてしまう。このままだと,小泉の日本軍海外派兵策は,これらの相対的には重要ではない事件の影にうまく隠れて,国民をごまかしおおせることができるかもしれない。
そして,日本兵が他の国の軍隊や地元の部族に守ってもらって,NGOの数100倍の予算を使って,その数10分の1の成果しか挙げられなくても,国民は自己満足して初の自己判断による派兵は大成功ということになるかもしれない。米国人のほうがまだゆとりがある。牛肉に関しても危険なくらいに騒いでいない。9.11の結果,米国民は一時的には狂ったようだったが,最近は政治家に躍らされずに冷静になってきたようである。
日本人も冷静になって欲しいものである。さもlないと,結局損をするのは個々の民衆だからである。事態が変ったとき,政権を持つ者や関連している者は素早く利権を確保して逃げ出すことを覚えているべきである。第二次世界大戦敗戦後に旧満州にいた関東軍は,在住日本人や兵卒を保護したであろうか,軍幹部が最初に財産を持って逃げ出したのだ。
追加 2004年2月17日
最近はこのどうしようもなく馬鹿な古賀代議士を攻撃していた,政権党の安部幹事長や小泉総裁自身の留学経歴などが公表された事実とは違うことが分かったせいか,政権党を無批判に支持する,野球などで販売部数を延ばした政権党の御用マスコミも,古賀代議士をあまり追求しなくなった。
実際に,古賀代議士の選挙公報には経歴詐称となるような記載はないそうである。単なるマスコミの調査に対する回答が行き過ぎたのであるから,法律的には何ら問題はない。政権党は,「鬼の首でも取ったように騒ぎたてて,その間に日本軍の海外派遣を押し通そう。」という目論見に成功した。しかし政権党の幹部も相手の首を取ると自分も危ないということでは,目糞鼻糞や虻蜂取らずという状況であろう。
いま中国での反日propagandaが白熱している。ついに「愛国」,「反日」という名で呼ばれるwormが登場した。
それらの状況を伝えた「サーチナ」の記事によると,「このwormはWelchiaの変種型であり,中国人によって意図的に作られた可能性が極めて高く,日本語OSだけを攻撃する。このwormはinternet上でpathから判断して,virusを含むHTML
fileをそのpathの下に置き換える。そのvirusに感染したpageをclickすると感染する。」とのことである。
この感染のしかたと駆除方法は,専門のpageを見てもらうこととして,何故このようなことをする種族が大陸にいるかということである。基本的には,西安で間抜けな日本人留学生がエロっぱい出し物で攻撃を受けたように,中国国内には,反日運動をすることを容認している政治的・社会的背景がある。
中国では,日中国交回復後30年も経っても,学校ではかなりな反日教育をしている。それは,国内の不満を外に向けることでgas抜きをして,政権の正当性と基盤を強化しようという,どの時代でもどの国でも取られた政策の一つに過ぎない。半島北部の国だけでなく,南部の国も長らく反日教育をすることで国民を叱咤激励して来た。米国でも反Arab,反Islamを煽り,石油利権を得ることで政権を維持しようとしている。それに悪乗りして日本軍を戦後初の海外派兵に持ち込んだ小泉と政権党およびそれらに投票した日本人は,このwormを作ったり反日運動をして気分をよくしている中国人たちと何ら差はない。
さて,このような意味がない(教育も含めての)対外不安の強調や小手先の行動は,これからの世界の将来に対して何ら生産的な効果を生まない。実際に,このようなwormは単なる叩き合いでしかなく,browserが中国語を表示するときに感染するように変えれば,そのまま中国人のパソコンに感染する。このように具体的な「天に唾を吐くような愚挙」ではなくても,反日propagandaを放置することで中国は国全体としては事実上は何ら技術的・経済的な利益を得てはいない。政治的な利益などというのは,「富に換算されたときに初めて意味がある。」ということを忘れてはならない。
小は個人や集団の間の罵り合いや苛め,大は過去日本がやり今米国がやって日本が乗っかっているような戦争を仕掛けて利益を得たとしても,それは相手方がもともと持っていた資産を食いつぶすだけであり,古来続いた侵略戦争と変らない。脅迫や侵略によって相手方が築いた富を略奪しても,その富を再生産をするにはやはり相手方が自主的に働くようにしなければ無理である。
人間は規制を排して自由に個性を発揮できるようにしたとき初めて最高に機能する。がんじがらめの企業や学校などの組織だけではなく国家も,規制を強めることで短期的には成功したように見えても,中長期的には発展は望めないのが,われわれ人類が歴史から得た教訓である。国民や組織内の人間を特定の方向に向けて誘導すると,結果がどうなるかは60年前に日本や1960年代の中国の文化大革命がよいお手本を示した。現在でも半島北部などの国ではこれを実行していて,その結果がどうであるかは明らかである。にもかかわらず世界中の国や企業などの組織が,内部の意思統一などという看板の下に,指導者や一部の幹部だけがおいしい思いをするために,このような風潮を意図的あるいは強制的に助長するような,権力者とそれに追従して他人から小さな利益を略奪しようとする人の行動は嘆かわしい限りである。
2004年2月28日 二二八事件
今日は台湾で「手護台湾」という行事が行われている。台湾には日本が戦争に負けた後,中国大陸を追われた蒋介石の国民党軍が大量の外省人と共に統治に現れた。国民党の支配は日本の支配と大差なかった。台湾は1945年に日本の植民地から開放されたのであるが,実情は統治者が異民族から漢民族に変わっただけであった。政治の腐敗は,中国古代からの伝統的な情況で,その度合は日本統治時代よりむしろ悪くなったとさえ言える。
そのような中,1947年2月28日に台湾民衆がデモを行い,それが原因で知識層を中心とした大弾圧が行われ,2万8千人とも言われる死者・行方不明者が出た。この日は官製の10月10日の双十節とは逆に,台湾民衆にとっては重要な休日である。この事件では主に日本支配下の台湾で知的活動をしていた人士が狙われ,その後の戒厳令下でこの事件は口コミ以外には伝わらなかった。蒋介石の息子の蒋経国は1987年にこの戒厳令を解除した。台湾の目覚ましい経済発展は戒厳令の解除後のことである。二二八事件の内容は蒋経国が死んで,李登輝総統の時代になって始めて公に語られるようになった。
この事件は毛沢東の中国共産党が1966年に開始した文化大革命と好一対をなす。ともに,自分の政権の基盤を危うくするような言動を吐く知識人を狙った大量弾圧・殺戮が行われ,その後の国の発展に大きな禍根を残した。
民主主義が大好きで,Iraqの国土を破壊してまで民主主義を売り込もうとしている米国は,台湾の情況には目をつぶっていた。当時すでに冷戦時代に入りかかっており,38度線で南北二つに分断された朝鮮は一触即発の状態にあったからである。米国得意のdouble standardである。
蒋介石の国民党軍は,1949年に最終的に台湾に逃げこんだ。日本軍とのゲリラ戦を闘い抜いた毛沢東の共産党軍に歯が立たなかったのだ。米国は一旦は手を引いた,腐敗している蒋介石の国民党に再度テコ入れを余儀なくされた。
その後朝鮮戦争の勃発と共産党軍の金門・馬祖両島への砲撃など,極東の緊張が解けないまま,国民党の一党独裁は中国共産党と同じように続いた。しかし,中国より先に強権政治から脱した台湾では,野党だった民進党から陳水扁総統が生まれ,民主国家と言える形になった。
いま台湾では,土着の台湾人が支持する陳総統を再選するか,外省人や大陸との商売を重視する人が支持する国民党の連戦候補を支持するかで,3月20日の総統選挙の騒ぎの真っ最中である。今日行われている「手護台湾」というデモは,100万人以上の人が手をつないで,台湾を被い尽くそうという陳総統支持派の行動である。
日本でも戦前は憲兵や特高(特別高等警察:思想犯を取り締まる)が知識人を弾圧したが,中国流の敵対する相手を族滅する思想がない日本では,短期的にではなく明治・大正・昭和とやってきたように,時間をかけてじわじわと国民を締め上げて,特定の方向へ向けるのが得意である。いま日本では,小泉によってこのやり方の仕上げが行われていて,国境の意味が薄れているinternet時代に,愛国心を憲法の前文に書込もうとするような提案を出して,やり残した部分を手荒に処理しているに過ぎない。愛社心などを強調する会社に未来がないのと同じく,愛国心を強調する国に未来がないのは,半島北部の国を見れば明らかである。会社はいやなら辞めれば済むが,国民は辞められないのだから困ったものである。
半数近くの日本国民はこのようなことになる危険性を顧みないで,いま有している個人的な利権を維持したいがために政権党に投票している。この方々の考えは,台湾の国民党支持者の考えとまったくよく似ている。自分自身と今日がよければ自分の明日と子孫はどうでもよいのである。
豊かになって失うものが増えた日本国民は,二二八事件のような象徴的な事件がないだけに,おかしな方向へ走り出してしまった日本の将来を見据えることができない。その分だけより危険である。台湾のような大規模な運動さえできない日本は,近い将来いつか来た道を進むのであろうか。やがて,このpageのように発言する自由を,自衛隊の命名にならって作られるかもしれない特高の改訂版の自衛警察などに取り締まられるようなことになると,この国の経済は停滞していくであろう。
2004年3月18日 讒謗律と新聞紙条例
昨日,田中真紀子代議士のお嬢さんのことを書いた週刊文春の発行を差し止める仮処分が出た。多くのマスコミはこれは表現の自由に対する重大な侵害だと息巻いている。週刊文春がこの記事で何を暴露して,何を得ようとしたのか解らないが,とりあえず営業的には成功と言えよう。すなわち,法的規制がぎりぎり間に合わない発売寸前に記事が出ることを公表し,回収が間に合わないということで,騒ぎの中でほとんどを売り切るという手法である。
田中氏のお嬢さんのprivacyがどの程度暴露されているか,あるいはそれが本当に問題となる内容だったか,などについては,今後彼女が週刊文春を相手に訴訟を起こせば,長い時間をかけて法律的な結論は出るだろう。
多くのマスコミは,この仮処分を秦の始皇帝や清の明史事件,国民党による台湾の二二八事件,文化大革命など中国の王朝で繰り返された言論弾圧事件および軍国主義に走った日本で,讒謗律や新聞紙条例を始めとして治安維持法に至り美濃部達吉教授を槍玉に挙げた経緯と同じであると主張している。
ところで,本当に暴露しなければならない政治行政・経済界や医学界で権力を持つ側の巨悪の内幕ではなく,すでに衰えつつある田中氏の影響力を,さらに削ぐ意味でしかない記事がなぜ週刊文春に載せられたのか解らない。時の権力者に逆らう者は誰でも糾弾するという,権力側の走狗のようなマスコミも日本にはたくさんある。彼らは,権力を持つ代議士や首長の収賄などの不正は棚上げにして,このところ集中的に何の権力も持たない野党側の代議士の不正を暴露しているが,週刊文春がこのような意図を持っている雑誌であるとは,とうてい考えられない。
とするとこの事件は,敢えて一般市民のprivayを暴露する記事を出して,言論規制の法律を早期に成立させるのに普通の日本国民が反対する気分を削ぐ,という裏技ではないかと勘繰るのは行きすぎであろうか。古来中国ではこのような裏の裏をかく策略は,ある政治的意図を持つ企みが民衆の支持を得るように仕向ける手段として,よく使われて来た。
中国では,時の政権がやることは基本的には信用しないというのが常識だ。その点,日本人は人が善すぎるので,半島の北の国が悪事を仕掛けて来たことに悪乗りして,今の政権が好き勝手にやっていることも,北からの侮辱を防ぐためには止むを得ないことだと,妙に納得している。
もしこれを切っ掛けに,今の権力者が望むような言論統制が本当に実現したら,それを意図した人がいれば快哉を叫び,もしかすると相応のご褒美が出るかもしれない。さらに,田中氏のお嬢さんは美濃部教授並みに歴史に残るかも知れない。でもネタに使われた彼女は気の毒ではある。
追加 2004年3月28日
長島茂雄監督の次男の個人的な件について,週刊新潮が週刊文春と同じ水準の記事を出した。こちらは記事差し止めの仮処分を申請しなかった。じつは,私はこの事件で始めて長島監督には3人の子供がいることを知った。
父親が倒れて入院しているときにその倅のことを暴きたてるのは,日本的に言えば許されない行為である。右翼的な誌面作りをしているこの二つの週刊誌が揃ってこのような,言論規制に繋がりやすい手法に出たということは,やはりそれを以って言論弾圧を企む勢力からの差し金であるという疑いが生じてしまう。
2004年3月28日 軽茶ーオヤジ
昭和10年代に生まれた産めよ増やせよ世代も,あと1年ほどで60才になって引退してしまう。定年後に再雇用されていても65才となって,年金を貰う以外に何もすることがなくなったオヤジが多い。
かれらは,これから平均的にあと20年近く生きなければならない。病気になってしまえば,それとの付き合いで晩年は終ってしまうだろうが,元気な人はゴルフ,テニス,水泳などの運動系や音楽,絵画,詩など文科系の趣味に生きる人も多い。でも多くのオヤジは家にごろごろしていて,すでに長い間culture schoolで腕を磨いた連れ合いには置いていかれている。
その中には,あえてオバさんたちのgroupに首を突っ込んで,軽茶ーオヤジになろうという勇ましい人もいる。先日も,とある中国語の短期講習会が催されたときこの種のオヤジが数人出現した。同じgroupではなかったようであるが,オヤジたちはよくもこう良く似た行動をするのか不思議であった。講習会は中級会話courseと銘打っていたので,大学や各種学校で本格的に1年ほど学んだ人が対象である。先生は当然ながら中国人で,30代初めの美人であった。授業はvideoの会話を見て,その応用会話を先生とあるいはお互いに行うというものであり,軽茶ーオヤジと組まされた人にとってはたいへん迷惑なことになった。
参加者はオバさんと学生およびオヤジであった。オヤジたちは最初の授業時間が終って休み時間になると,さっそくオバさん相手に行動を開始した。あやしい発音と文法や語彙を振り回して,なにかとオバさんに付き纏う。一部のオバさんたちはすでに長い間学んでいるので,このオヤジたちよりもよっぽど実力があったりする。
オバさんたちはこの手のオヤジは,自分の亭主と変わらないので扱い慣れていて,「へぇ〜,そうですか。なるほど。」などと,軽くいなしていた。授業が終ってオヤジたちが消えると,「やーねェ,どこにでもいるんだから。」とこき下ろしてオバさんたちはgroupごとに三々五々去っていった。
オヤジたちは学生には相手がたとえ女子学生でも話しかけなかった。自分の実力が通用する範囲を知ってはいるようである。実際にあとで判明したが,学生は東大,外語大を始めとしてほとんど語学専門の課程の連中であった。オヤジたちが手を出さなかったのは賢明であった。
二日目三日目となると,オヤジたちは自慢できる相手がいないことを悟ったのかだんだん減り最終日まで来なくなった。発音するたびに四声が変わったり,口の中でモゴモゴしゃべってさっぱり聞き取れないのを何回も直してやらなくてはならないオヤジたちがいなくなったので,授業は開始当初の倍以上の速度で進み,さすが中級courseと言える水準になった。オヤジたちは最終日には揃って現れたが,時すでに遅く彼らが着いて行ける会話の速度ではなくなっていた。
このような場面は,中国語だけでなく他の語学教室でもあるであろう。ただ,そのような教室に参加したことがないので,よその実態は知らない。
語学だけでなくパソコンの世界でもこのようなオヤジがあちこちに出現している。私の専門の関係でも,Microsoft社のpresentation toolを用いて作ったやたらと画面が煩く変わる技術教育のcontentsを,HTML
tagで包み込んでホメパゲ(home page)にして,人にしつこく内容を見せたがるのである。
たしかに今の時代は誰でも自分で発信する自由を持っている。でも,人は自分が気に入るcontentsを求めているのであって,ほんの数pageの中身が薄い割にはなぜか10MBを越えるというPower Pointで作った重いpageを見たいわけではない。Top pageを見るだけでloadingに時間がかかるようなpageを,教室に持ち込んだnotebook型のパソコンとAir H"で見る学生はいないだろう。誰に教えるつもりで作ったのかその真意を疑いたい。
たしかにこのような軽茶ーオヤジたちは,語学よりは自分がかつていた大企業の中で通用すると信じて来た技術的なもので勝負したいのかもしれない。彼らが大企業にいる内は,見当違いな指示を出しても組織の力でそれを回避したり処理することができた。Internetのsiteなど自由な世界では実力と謙虚さがものを言う。
恥ずかしがり屋の日本人のオヤジたちが,突然このように恥も外聞もない人間になったのではない。長い間の大企業や役所・教員暮しの結果,組織の中を自分の家の中のように思う感覚になっているのである。内弁慶である。軽茶ーオヤジとなっても,その感覚で実力社会で自由競争である世の中に出て行くのであるから,百戦錬磨のオバさんに軽く見られてしまうのである。
2004年4月3日誤字訂正
2004年4月5日 事なかれ主義
日本固有の領土である魚釣島に中国人達が不法侵入した。多分官邸と外務省は中国を刺激することを避けるために,即時本国送還の処置を取ったのであろう。これは半島北部の王国の王子様が偽造passportで入国しようとしたときと同じ反応である。すなわち,事を荒立てたくないという,日本特有の事なかれ主義の現れである
外務省が国外の強い国,とくに米国や中国に対しては腰抜けであり,弱い国や国内では謂れもなく居丈高であるのは,別に今に始まった訳ではないが,腰抜け外交と居丈高の姿勢は表裏であることは忘れてはならない。なぜなら,北の国に対するように何時腰抜けから反転して居丈高になるか解らないからだ。過去に日本はそのような道を何度も辿って来た。全く反省が無い状態で,またまた同じ過ちを冒そうとしているのを見ると,これは役人や政治家だけでなく,すべての物事の責任を他人に転嫁して済ませている日本人の性癖が,ここにも現れているのだと思う。
ではどうすればよいのであろうか。今回の件でも金家の正男王子の件でも,基本的には日本の法律が規定する通りに取り調べを行えばよいのである。昨年中国経由で北に行った女性はいまだに釈放されていないのである。彼女が自分の意思で不法入国したというのは言い訳にはならない。王子も今回の中国人達も自分の意思で不法入国したことは明らかである。もし日本人がおなじようなことで中国で捕まったらどうなるか,想像すればよい。そして,中国がやるであろう,あるいはやった通りにやればよいのである。無実の商社員を何年も平気でぶち込む国である。その間,日本の弱腰政府は,事なかれ主義を発揮して解決の姿勢さえ示してこなかった
取り調べた結果,微罪であると判断したので,国際関係を鑑みて強制退去処分にしたというのなら,理屈が通る。あるいは北の国がやりたがるように,それにかかった費用を身代金として払うなら釈放するのもよかろう。事なかれ主義で物事を処理すると,「日本は弱気だから,もっと強気で突っ込んでもよい。」という相手方には誤ったmessageを伝えてしまうのである。日本人は,「事を荒立てないように処理した。」と思っていても,相手の文化は違うのである。
原則をはっきりとさせてその上での妥協を図るのが,長い間の国際紛争や経済社会から得られた経験であるが,実際に事が起こると右往左往して,事なかれに走るか,完全に非妥協路線を突っ走るかの二者択一が,日本人の思考の原点にあるのは確かであろう。
中国人は,絶対神を持たない原理主義が少ない民族である。一時は毛沢東とその取巻きにそそのかされて,毛沢東原理主義に走ったが,Isram教やChrist教などの一神教の社会とは違いすぐに元に戻った。すなわち,現実的な妥協を得意とする連中である。しかし,その結果かれらも真理を追究したり,真実を明らかにするという姿勢に関しては甚だ心もとないこともある。かれらにとって,真実より事実が優先するのである。
この小さな島の領有権を主張するなら,中国は歴史的には成文条約があるSiberia東部の領有権をRussiaに対して主張すべきであるが,それについては黒龍江の中州の取り合いに終始している。すなわち現実重視なのである。
日本でも人気が高い三国志は,じつは三国演義という明代に確立された大衆小説を指していることが多い。すなわちその内容は完全に史実に基づくものではなく,中国人の願望が語られている。でもその中の英雄達の行動が賞賛され,関羽に至ってはなぜか商売の神様として関帝廟に祭られている(註1)。横浜の中華街に行くと街のまん中にある関帝廟はいつも線香の煙で燻されている。そして多くの中国人は小説中の関羽を実際の関羽として捉えている。
今回の魚釣島の事件でも,香港在住の有名作家金庸(註2)の作品の鹿鼎記の中の記述を引用すると,
『至於這釣魚島是否就是後世的釣魚台島,可惜史籍無從稽考。若能在島上找得韋小寶的遺跡,當知在康煕初年,該島即曾中国人長期居住,且曾派兵五百駐紮。』
−以下私が付けた日本語訳と註−
「この釣魚島が後世の釣魚台島(現実の魚釣島に中国側が付けた名称)かどうかということについては,残念ながら歴史書では考察されていない。もし島で韋小寶(この小説の好色で貪欲な少年主人公)の遺跡が見つかったなら,当然ながら(清の)康煕帝の代の初期にこの島に中国人が長期にわたり居住したことがあり,さらに五百名もの兵隊を出して駐留させていた,ということが判明するであろう。」
という極めて政治的な意図を持つ記述があり,中国のBBSを見ると,若い中国人達の中にはこの島が以前から中国領であった証拠であると主張する根拠としている連中がいるようだ。完全に架空の小説の世界を,事実として受け入れてしまう精神的な構造が中国文化には存在する。
このような話は,日本人には荒唐無稽としてまったく受け入れえることができないが,「字に書かれたものは事実として受け取りたがる。」という中国人の発想を知らねばならない。惻隠の情などは,彼らには無意味である。不法入国者達はきちんと捜査して,必要なら起訴猶予という文書を作成して,始めてかれらと対等に渡り合うことができるのである。
ここで,官邸や外務省の国際音痴をそのものをなじっても,上述のとおり日本人の特徴が現れただけのことであるから致し方ない。しかし,われわれ個人や企業としては,われわれの10倍の人数がいる国民がどのようなものの考え方をするかを知っておかないと,これからの仕事に差し支えることは請け合いである。
註1: 2004年6月17日更新
蜀の武将の関羽がなぜ商売の守り神なのか。関羽の出身地である春秋時代の北方の国,晋の地(おおよそ今の山西省で,北京と西安の間にあり仏教の聖地五台山がある太行山脈と黄河で河北平原やオルドスの地と区切られている)の南部に後代関羽を祭る廟が作られた。この地は寒冷で水が少ない台地であるために,明清代には晋商と呼ばれた行商人が多く輩出し,銀行の元となった銭荘(銀票と呼ぶ兌換券を発行し,流通を促進した)が中国では最初に作られた。
晋商の豪邸は今も残っている。この屋敷は現在では北京の故宮に次ぐ歴史建築物の一つであろう。ちなみに長江の南側では徽商と呼ばれる商人が輩出し,明清代の塩などの流通に大きな役割をなした。
商人達は,故郷の神様である関羽を行く先々に持ち歩いて,線香を焚き紙銭を焼いて商売繁盛や家族の無事を祈った。これが,たどりついた先では商売の神様として認知されたものであると言われている。
註2:
中国の近現代の有名作家というと,魯迅,老舎,巴金,茅盾などが日本ではよく知られているが,金庸は純文学ではなく武侠小説という日本の剣豪時代小説に相当する分野の大家である。すなわち武侠小説は水滸伝と同じようなtypeの大衆小説であるが,世界中でおよそ中国人がいるところでは,どこでも必ず読者がいるといわれている。
特に金庸の作品は,構成が見事なだけでなく文章も巧く古典からの引用もあり,柴田練三郎の眠狂四郎無頼控を髣髴させる。
鹿鼎記は金庸最後の作品で,他の作品と異なり史実を背景に展開している。等身大の主人公が出てくる作品のために,往々にして読者である中国人が事実と思いこむ節がある。また,この作品が発表された時期は,魚釣島の領有権を中国が声高に主張し始めた時期である。この小説自体も至る所で中国人の愛国心を煽っているので,当然ながら魚釣島についても彼は中国の主張を書き込んだのである。
また中国へ行ってきた。今度は,三国演義にも出てくる古くからの街である合肥(ガッピ,註1)である。南京から150kmほど内陸に入ったところで,古来交通の要衝として発達した街である。今は人口500万程度で安徽省の省都になっている。安徽省は南北に500km,東西に300kmほどの本州の半分くらいの面積の農業など一次産品を主体とする人口5,700万人の省であり,昨年訪れた長江の南側の黄山も安徽省に含まれているが,もともとは二つの地域を一つの行政区画にしたものである。省南部の元の徽州地域が江南に属していたこともあり,文化的には発達している。
合肥へ行った理由は昨年の徽州とは違い観光ではない。市の郊外に作られた広大な情報産業開発区へ外国企業を誘致するための宣伝をして欲しいということで,現地を視察したのである。安徽省は華東地域に属してはいると言っても,内陸の省であり,近代産業の立地に不可欠な交通の便はあまり良くない。上海からの便も国際便が飛来する浦東空港ではなく,旧い国際空港である虹橋空港から出発する。乗り継ぎには60km近い道のりをバスで移動しなければならない。成田−羽田,関空−大阪と同じ羽目に遭う。
この市がなぜ情報産業かというと,日本で言う大学校に相当する中国科学院傘下の中国科学技術大学があるからである。この大学は中ソ対立が深刻になった際に北京からここへ避難して来た経緯がある。そこからすると,教育部傘下の清華大学などと比べてより軍事機密に近い研究・教育を行っていたようである。
ご多分に漏れず,改革開放政策の下で国家研究が占める割合が低下したためか,世界の大勢を見て研究・教育の軸足を情報科学へ移した。当然ながら多くのこの方面の教員を抱え卒業生を輩出するようになった。すると,米California州のStanford大学とSilicon Valleyの関係を再現しようと考えるのは,日本の筑波研究学園都市とまったく同じ発想である。
筑波の場合は,国立の試験・研究機関を集めるといった研究の面が強く出ていて,関連した産業による雇用の拡大はあまり期待されてはいなかった。その意味では仏Paris郊外のIle de Franceに集まる研究教育機関の街に近いと言えよう。
合肥で目標としているのは北京の中関村や印度のBangaloreである。これらの情報産業基地は確かに政府の指導や計画もあったが,基本的には経済の合理性に従って企業が集まったものである。中国国内だけなら,強権政治を基本としている中国では合肥に情報産業を集中することは可能である。しかし,資本主義の権化である経済合理性を行動規範とする世界の企業にとっては,合肥に進出する積極的な理由が必要である。国内の需要だけで成り立たないほど大規模な情報産業基地は通常の社会主義政治体制とは相容れないような気もする。
古来中国では都市は政治都市で,都市の産業は商業を主体としてきた。春秋時代の齊の都の臨し(緇をサンズイにした字)に学者が集まって学問の府となったり,五台山や少林寺に学僧が集まって学問の中心になったことはある。
問題は,このような中国で政治の力で情報産業基地を作って,うまく行くかということにある。単に技術系の大学があり,優秀な卒業生がいて土地と建物を用意しても産業は集まってはこない。過去の成功事例を研究して,立地以外はそのとおりの条件を用意しても,同じようになるかどうかはわからない。やはり,その土地を構成する歴史および人間と時代が異なるからである。
中国の場合,各省市の競い合いからか,すべての計画が意味もなく大きく膨らんでしまう。中国全体を見渡す政策はなかなか打ち出せない。情報産業基地などにおける土木建築関係の開発は国土が広く人口が多いからといって,それを頼みにしても無駄な計画になる可能性も高い。かつて小国寡民という考えが春秋戦国時代にあった。老子などの考えである。今でも,中国国内を五つ程度に分割して,それぞれを独立国家に近い形で経営すれば,自ずと最適な経済発展の手法が見いだせると思われる。
日本も堺屋太一氏が予告した,たそがれの平成30年にあと14年あまりとなった。全国各地で発展の可能性が少ない産業基地をやたらと計画するよりは,焦点を絞ってそれぞれ特異性が高い産業の発展を目指さなければ,無駄な投資になること請け合いである。小国寡民は日本でも考えるべき将来への方向の一つではなかろうか。
註1:
「ガッピ」と読むのは,日本の歴史的な音韻体系に沿った読み方であるが,中国側では日本人には「ゴウヒ」と読ませようとしている。これは,日本語の発音体系を意図的に変更しようという大国主義の現れである。もし中国側の意図どおりにすると合併や合算も「ゴウヘイ」や「ゴウサン」と読まねばならなくなる。
日本語のハ行はもともと「パピプペポ」と発音していたようである。だから破裂音の前にくる音には促音「ッ」が付くという日本語の発音原則によって,吉川英治氏が日本語版三国志を執筆した際に「ガッピ」と読むようにしたという,話でもある。
2004年11月14日 誤字修正
2004年6月5日 朝貢外交
先月自分自身の再選などの利益のために,小泉総理が日本を代表して朝鮮民主主義人民共和国に朝貢した(註1)。本人や政権党の連中は一所懸命に朝貢の成果を誇示したり小泉を擁護しているが,歴史的・世界的に見てこれは朝貢外交以外の何者でもない。
もっとも小泉や政権党の連中あるいはかれらを支持する多くの日本人は,歴史に学ぶという姿勢がまったくない故に,たった5人の人質を返してもらっただけで立派な外交と思い,「結果よければ総べてよし」という勘違いをして,Iraqで現地反米勢力に捕まった後に釈放された3人の日本人のときと同じように,政府と御用新聞・TVに躍らされて拉致被害者の家族の発言を叩くという愚挙を演じている。
古来,外交は対等を以って成り立つ。その姿勢と現実の形がないときはこれを朝貢というのだ。朝貢外交せざるを得なかった理由は,中国の協力が得られなかったからである。日本外交はいま米国(Bush)べったりである。小泉総理は長期政権を誇ろうとしているが,いまだに中国の首脳陣とどちらかの国内で会談することすらできない。その原因は靖国参拝に現れている,中国軽視姿勢が見え見えのかれの頭の中にある。かれは中国の古典に表された知恵をまったく知らないのだ。
中国は春秋戦国以来,外交にかけては多くの経験と手法を有している。一衣帯水の日本としては経済的に中国を馬鹿にしたり怖れたりする無知蒙昧な思考を止めて,かれらからその知恵を拝借したらどうであろうか。日本の知識人は長い間中国の古典から学んで来た。戦後の教育の中でそれが軍国主義につながったという誤解のために,歴史に学ぶ教育は中国や西洋の古典ではなく,たかが建国200年程度の歴史しかない試行錯誤中の米国の経験や手法を崇めることに換えてしまった。
「ノーと言える日本」を主張する戦前の日本がよいと考えている節が伺える知事も,小泉総理と同じように戦後の教育を受けていて中国を頭から馬鹿にしている。この知事と小泉総理はBush譲りの口では威勢がよいことだけを言うので,「三歩あるくと過去をすべて忘れる。」というニワトリの脳味噌しか持っていない大多数の日本人を騙しおおせている。
ところで,この朝貢外交で北朝鮮と日本のどちらが損をしたかというと,これは別問題である。北朝鮮の中枢は日本の白米を欲しかったようである(高い値段で再輸出できるし,幹部の食事も潤う。)が,さすがに雑穀で25万噸ということになるようだ。日本だって昨年は不作で米不足なのだ。日本人ですら本来なら煎餅や家畜の餌になる平成12年産米まで食べさせられているのだ。どうして金王朝の一族に美味しい米を献上する義務があるのであろうか。
雑穀でも入手できれば北朝鮮の政権は長持ちする。太陽政策である。でも,この太陽政策はよく考えれば,韓国の金大中元大統領が考え出した大変な裏技かもしれない。少しずつでも援助して北朝鮮の幹部だけが食える状態を10〜20年も続けると,普通の国民は餓死してしまい,一部の優秀な資質を持つ特権階級だけが生き残るという,たいへん有効な人種改良策なのである。第三帝国のAdolf Hitlerも思いつかない方法で優秀な朝鮮人民を創り出すことに成功するかもしれない。Sports試合の応援に繰り出される北朝鮮の美女軍団はその結果であろう(註2)。
経済的に貧困な状態や政治的に圧迫された状態が長く続くと優秀な遺伝子を持つ人間が相対的に増えていく。劣悪な遺伝子を持つ人間は子孫を残せないからである。Judea人はこのようにして優秀な種族になった。日本も徳川250年の鎖国で人口の増加は抑制され3,000〜3,500万人前後で推移したという。その結果,今の日本人が形成された。英国人のように新大陸を初めとして世界中で好きなように蔓延ると,劣悪な人間が拡散再生産されてしまうのである。Bushを選出した米国人はその後衛であることを忘れてはならない。
Adolf Hitlerは遺伝の法則を知らなかったが,北朝鮮の金総書記や韓国の金大中元大統領はこの自然界の法則を知っていて,敢えてこのような政策を採っていると考えたら穿ちすぎであろうか。
小泉とそれを支持する国民はそのようなことには多分考えも及ばず,身代金を払うことで朝鮮人の優秀化に貢献していると見たら,滑稽極まる漫画が出来上がる。
註1:
この北朝鮮の国名には民主主義の4字が入っているが,民主主義は何処に行ったのあろうか。ちなみに中国の国名にはこの民主の2字がないので民主が行われなくても仕方がない。
註2:
中国山西省の大同で聴いた話であるが,大同の石窟に仏像が作られたときは,この地は北方民族の鮮卑族の王朝北魏の王都だった。北伝仏教が盛んで,中原の地を含む多くの地方から仏前に優秀な美少年美少女を集めたとされる。そのためか,この地には姿形が勝れている人が多いという。奈良の多くの国宝の仏像に北魏様式というのがある。この国は仏教の振興を通じてかなりの影響力を中国及び周辺諸国に及ぼした。
2004年7月15日 渡来人の国を再現したらどうか
大方の予想に反して自民党は協力している宗教政党の票を得て,参議院議員選挙に大敗はしなかった。これは昨年の衆議院議員選挙とおなじpatternである。堺屋太一氏言うところの平成三十年が来ることに気がつかないダメな日本国民の後ろ向き思考の結果である。韓国や台湾などAsiaの他の国ではもっと劇的な変化が起きるのが通常である。
日本はいま劇的な変化を迎えているときであるにも拘らず,日本人の鈍感さは群を抜いている。堺屋氏が指摘したとおり,多くの未来予測が当たらない中で,日本の人口が減少することだけは確定的事実である。自由な社会構造の下では子供の数は国民の生活水準が上がれば減る。これは時代や民族の差違を越えた,歴史的な経験なのである。政権を取ろうとする野党はこのことを念頭に置いて政策を立てて欲しい。人口が減少する現実の前に,百年保つ年金制度などという絵空事を唱える政権党にはこの意識がまったくない。
過去20年来子供の数を強制的に制限した中国でもその制限を緩めたが,「いま制限を解除しても都市部では子供の数は急には増えない。」と思われる。その証拠に同じ中国人が住んでいる台湾では将来の人口減少が問題となっている。私の知り合いの日本留学後に日本に帰化した何軒かの元中国人の家庭でも子供は一人か二人である。豊かな国にとっては人口増大対策よりも人口減少対策が難しいのだ。
台湾と中国の例を考えると,一般的により豊かな生活をおくっている層の子供は,より厳しい生活をおくっている層よりも少なくなる。「貧乏人の子沢山」という言葉は往々にして,「子供を作るより他に娯楽がないからだ。」と誤解されている。実際は豊かな層ほど子育てにかかる費用と手間を考えて,子供の数を各家庭の意思で制限してしまう傾向にある。これは必然的にその国民の平均的な能力水準が下がることを意味する。より厳しい層の人は能力水準が低いことが多い。競争社会の結果としてかれらは豊かではなくなってしまったのだ。したがってこの層の子供が増えると国民としての能力の平均値に影響を与える。実際には,社会は能力が高い上位の一部の層が引っ張っているので,国民の能力の平均値が多少下がってもそれに比例して経済に打撃を与えることは少ない。
子供の数は晩婚化・非婚化によっても大きく減少する。これも豊かになって独身のまま一生を終えても暮らしていける経済状況になったのが原因と言える。実際に今の日本のような勢いで人口が減少すれば,人口1億3千万人を前提としたすべての政策や経済は急速に成り立たなくなる。日本政府の政策の基礎となるdataはすべて楽観的過ぎて大きく修正しなければならない。厳しい予測を探すと2100年には明治維新ころの3,500万人程度になるという予測(註1)すらある。
政権党は,「今,多少経済が上向きになった。」と国民を騙して今回の国民の審判を潜り抜けたが,それはこの問題に対する答えを先送りしたに過ぎない。景気がよいのは中国特需や対米輸出に沸く業界だけである。そこで働く人は国民のほんの一部しか占めていない。65歳以上の被扶養層では単年度の貯蓄率がすでにminusである。すなわち,蓄えを取り崩して生活しているのである。このため,子供を作る世代に対しあまり経済的・労力的な援助ができなくなっている。子供を作る世代は夫婦で働かないと生活が維持できない上,子育ての労力も馬鹿にならないとなると子供の数は減る一方である。
老齢世代の既得権と化した年金を大幅改革し,税金で維持する生活保証と自己責任で積み立てる免税の貯蓄で老後を過ごすような構造に変革しないと,優秀な層が今後の日本で生活していくことに見切りをつける虞すらある。
日本が衰退しない対策としてはいろいろ言われているが,主なものは三つであろう。いちばん大切なのは既得権の見直しによる機会均等化である。学校を出て大企業へ入るか役人や医師・弁護士などになれば一生安泰であった,20世紀後半の既得権社会の考えがまだ多くの人に残っている。いま月に50万もの年金を得ている層とその子供たちがそれである。
対策は年功序列賃金体系を国や地方政府の機関からなくすことである。また役付きの役人に対しては選挙か外部監査がある任期制を導入して最長5年程度で再度公平な任用をして腐敗と停滞や情実を避けるべきである。
二つめは数人の子供を有している家庭でも夫婦で働くことができるようにすることである。たとえば,老年層の年金を大幅にcutして,健康な老齢者には定年を設けずに能力と働いた量に見合った報酬を支払えるような社会構造に転換すれば,costを押さえたまま労働力の確保ができる。年金生活の老齢層が面倒を見る乳幼児や児童育成施設(Sports clubや補習塾なども含む)を大量に用意できると,若い家庭が結婚や出産を厭わなくなるであろう。
三つめは外国から若い優秀な人材を導入することである。今のようにただ入国審査をきつくしているだけであると,玉石混淆で日本に潜り込んで金だけを稼ごうという輩が増えてくる。西欧の多くの国が採用しているように永住権を入手するprogramを明確にして優秀な人材を優先的に取り入れる必要がある。犯罪に対しての罰則を強化して,帰化の条件を緩めるべきである。
小泉総理は最近は,「米百俵」と言わなくなったが,日本の教育は科挙伝来の丸暗記に頼る中国の教育に比べれば遥かにましである。アホな日本人学生をこれ以上増やしても無意味である。農業に無駄なばらまき所得保証をするより,留学生に奨学金を大幅に出して,優秀な渡来人を増やすことが肝要であろう。古代日本は渡来人をたくさん受け入れることで大きく進化した。文化の流れの向きは違うが,人材の流れの向きは同じである。
政権党は,今の短期的な景気の回復が,海外との取り引きができる大企業の業績に依っているにも拘らず,自分たちの政治や政策の成果であると誇示している。野党は日本をどう再生するかについて,人口減を第一に据えて百年の計を立てる必要がある。
註1:
アトラクターズ・ラボ(株)「日本の将来推計人口(2001年12月推計)」
2004年7月25日 Recycle
今日NHKスペシャルを見ていたら,「いま日本の資源ゴミを大量に中国に輸出していて,日本でPET
bottle類の完全recycle工場を立ち上げた業者が,原料不足で立ち行かなくなっている。」という資源戦争の番組をやっていた。PET bottleを法律に基づいて回収している横須賀市などが,単に金を出して買ってくれるという理由で,中国の業者を交えた入札でゴミを販売したという。
市は回収したゴミは自治体の財産であるかのように考えているが,本来は国民一人一人が無償で回収に協力して成り立った事業である。危ない廃棄物を出さない高度な回収技術を確立した日本の将来を考えないで,当面の収入があるからという理由でゴミを中国に出すとどうなるであろうか。
現在回収したPET bottleは1 kg 20円程度で中国側は買っているそうである。中国輸出に踏み切ろうとした千葉のある市では,年間800万円程度の収入になるという。ところで,この程度の収入を得るために回収したPET bottleを輸出してしまうと,中国を儲けさせるために国民に協力させてきたと考えるのはいけないことだろうか。原料がなければ,世界最先端の日本でのrecycle事業を潰しかねない。
そう遠くない将来,中国では自国内で必要な分量のゴミPET bottleが賄えるようになる。さらに人件費が上がって,日本から有償で輸入していたのでは採算が合わなくなるときも必ずやってくる。そのときに日本国内での処理構造が壊滅していたら,また以前のように埋め立てるしか処分の方法がなくなるのであろうか。中国人は地球のためではなく商売として日本からゴミを輸入しているのだ。より安価な原料の入手先が見つかれば,日本のゴミをわざわざ輸入する必要はなくなる。
いまの800万円など,役に立たない既得権の役人や議員を一人減らせば済むことである。
2004年9月24日 太陽の季節
東京都では青少年が性行為をしてよい年齢を条例で規制しようとしている。現在の東京都知事は青春の讃歌を唄い上げた「太陽の季節」という,当時としてはポルノとさえ誤認される小説で名を上げた作家である。本来そのように若者の性への理解があるはずの都知事の下にいる連中は,自分がVaigra(註1)を使わなければ男ではなくなってしまったせいなのか,なぜか青少年の青春を弾圧することばかりを考えている。
今の東京都の青少年保護育成条例は全国一の厳しい条例になっている。民法で結婚が認められている16歳以上であっても18歳未満の少女と性行為しただけで罰せられる。自由な恋愛もできないのだ。最近はそれを逆手にとって,少女と性行為した大人を恐喝する犯罪が続出している。痴漢行為でもそうであるが,規制を厳しくすればするほど,それを利用した犯罪行為が増え,無実の大人から大金をむしり取る暴力団紛いの少女が出現する。保護育成(この言葉もいかがわしい。)ではなく,犯罪育成に役立っている。
規制が厳しいはずの北朝鮮の政治犯収容所で行われているrape行為は,想像を絶するひどさである。北朝鮮では将軍様以外の性の氾濫は決して放置していないが,複数ある秘密警察組織は率先してこのような行為を行っている。
中国では,いまの北朝鮮や戦前の日本と瓜二つだった文化大革命の最中,毛沢東の女房の江青は,年齢が離れた亭主が役たたずになってしまったのが原因なのか,若い男を大勢身の回りに置いていたそうである。その一方で,人民には極端な禁欲を強制した。大学生ですら恋愛はご法度という江戸時代の武家のご奉公並みの規制を敷いていた(註2)。大学生どころか職場の男女ですら二人だけで話しているところを見つかっただけで,すぐ大衆の前で強烈な自己批判を強いられ,山間僻地での思想改造という名の強制労働となった。批判された理由は,毛沢東思想の理解が不足しているということなのである。もてない連中の僻みである。
思想の自由と民主主義がない国では,考えることすら毛沢東思想や主体思想,天皇崇拝思想,原理主義的な宗教書(聖書やコーラン)の解釈しか許されないのである。
日本はそうならない,大丈夫と多くの日本人が考えているようであるが,つい60年前まではそうだったのである。いまでもそのような国に戻したいと思っている人が多くいて,小泉の前の総理大臣が,「日本は神の国である。」と発言して憚らない。もしこのような条例が堂々とまかり通る日本になってしまうと,権力を持っている人だけが自由に性を謳歌できた,戦前のような国に逆戻りするのは間違いない。
そのような国では家族に一人でも権力者が決めた思想に反した人物が出ると,北朝鮮のように一族全員が強制収容所送りになるか,戦前の日本のように仕事を失い,学校からは放校され,常時権力機構の監視下に置かれる。いまの中国ですら,つい最近父親が失脚したために,日本に国費留学していた息子が帰国させられたまま連絡がつかないという例があった。
いまの東京都の条例でもときおり逮捕されているが,今後は夜中に18歳未満の少女と歩いているだけで,女性に持てないが権限だけは持っている監視体制側の人物から,誰彼なく尋問・逮捕されるようになる。もちろん国民はそのような危険を犯すことを怖れるので,暴力団が管理する陰惨な商売が闇で繁盛する。監視体制側の人物はそのようなところから情報を取ると称して,然るべき物を受け取って見逃す(泳がす)。この姿は戦前の日本であり,文化大革命時の中国であり,Al-Qaida支配下のAfghanistanであり,現在の北朝鮮である。
たぶんそうなると,経済的にも日本の活力は減衰し,Puerto Ricoのような米国の自治領や内蒙古のような中国の自治区としての存在すら期待できない状態になるであろう。
今回の東京都の動きが,東京都の学校での君が代斉唱の強制と共に,これから数十年後に日本が暗い国に変化していった記憶すべき歴史の節目にならないことを祈る。もしそうなったら,この記事を書いたというだけで,私はぶち込まれるであろう。私自身が日本がどうなるかのLitmus試験紙にならないことを期待する。
性を含めて人の心の中を権力者が規制した国は,いつの時代でも経済的・文化的には見るべきものがないことは,歴史が証明している。源氏物語に表される平安時代や吉原や芝居に代表される江戸時代の文化が,世の中を発展させる原動力だったという事実を理解すべきである。
註1:
米国Pfizer社が開発した夢の経口impotents治療薬である。最近Paltine technologies社からもっと有効とされるPT-141と呼ばれる新薬が発表された。
註2: 2005年3月30日追加
中国では婚姻法で男22歳,女20歳で結婚が認められているが,ここ15年来大学生の結婚や同棲は学則で禁止されていた。
違反すれば退学という厳しいものであった。
さすがに,世界の人権問題となりかねないと考えたのか,この規則が9月からすべて無効となることが3月30日に発表された。
追加 2004年10月23日
2004年10月23日神奈川県では青少年保護育成条例を「親は深夜に青少年を外出させないようにしなければならない。」と,義務化した外出禁止令を作るそうである。ついに戒厳令が敷かれたことになる。今は罰則はないが,それでも官憲や監視人が親まで自由にしょっぴく権利を手に入れることになる。
こんな日本からは逃げ出したいと思うのは,異常な心理であろうか
2004年12月8日 銀行預金が下ろせない
12月6日号の雑誌Aeraに,組織に巣食う恥じない人々についての記事が載っていた。記事の内容は同誌をご覧いただくとして,三菱自動車・UFJ銀行やNHKなどに見るelite達の体質は,この国の未来を暗雲の中に引きずり込んだと言えよう。
最近立て続けに,このような方々に私もいろいろな目に遭わされた。先日,卒論のthemeを考えてあげたにも拘わらず,部下に書類でも作成させたかのような対応をされた話は,「技術教育」について言いたい放題ですでに報告した。
次は合併時にいろいろと不具合があった大手銀行である。場所は都内の支店(註1)であるが,私は歩いて10分ほどの病院にいる母親に頼まれて,支払に充てるために,この支店の母親の預金を5万円足らず下ろしに行った。母親は卒壽を越えているので,盗難を怖れてcash cardを持っていない。窓口で印鑑と通帳で下ろすことになった。
すると預金窓口の役席(係長か課長か知らない)が,私の運転免許証などを預かっておきながら,「本人確認ができないと下ろせない。」と30分も待たせた後で曰わった。この言いたい放題が原因でこの銀行ともめ事が起きると,当然ながらこの役席は,「そんなことは言わなかった。」と自己弁護するに決まっているが,役席の言い分を正確に記録すると以下のとおりである。
何10万という大金を下ろすのではない,病院の支払をするくらいだから,私の預金からでも問題なく払えるが,老人特有のケジメをつける気持ちで,自分の預金を下ろしに行かせた訳である。このときは老母の体調が優れなかったので,病院の帰りに銀行まで出向いて嫌がらせを言うなどということは,当然ながら無理であった。
もちろん,この銀行はこの支店から病院へ外勤の営業担当を派遣して本人確認をする,という信用金庫や郵便局なら当たり前のようにやってくれることもしないようだ。私は,この役席の言い分について,いくつかの疑問が湧いた。
もし老母がcash cardを持っていて暗証番号を聞いてくれば,預金は問題なく下ろすことができる。本人の意思はどうやって確認するのだ。強盗に口を割らされて暗証番号を言ってしまっても,「本人の意思だから銀行は責任がない。」というつもりだろう。
たかが5万円弱の金を下ろすために,私は委任状に印鑑証明を付ける手間までして,この銀行と裁判所で争うほど時間と訴訟費用はない。老母が自分で銀行へ行けるまでに体力が回復したときに,解約して来てもらうことにした。この支店の無礼極まる役席は,自分の狭い範囲の仕事を成功させたので,「私のような零細顧客を失っても,自分の銀行内における地歩には影響がない。」と思っているかもしれない。
当然,子供名義の預金を作ることも危険である,ということに注意して欲しい。一旦この銀行のこの支店に子供名義の預金を作ると,その子供が成人になった途端に,この支店では本人確認が取れない限り下ろすことは出来なくなる。
じつは,私は子供達の学資をこの銀行のこの支店の私の口座に置いている。だから,病院の支払だけのためなら母親の預金を下ろす必要は毛頭なかった。数千万円までもはないが,まだ一千万円以上の残高が残っている。そう,「本人確認!本人確認!」とこの役席が吠えても,私が自分の預金から下ろせばけりがつくのだから,意味がないのである。でもつぎのような事態になったら,子供たちは学業が続けられなくなる危険性が生じた。この役席が私に吐いた捨てぜりふは正しい。遠慮なく,すぐ別の保管手段を考えなくてはならない。
すなわち,私が交通事故などで突然入院する羽目になり,かろうじて声は出せるが寝たきりになって,銀行へ行くことが出来なくなり,病院と外部との直接の接触の手段が絶えたとする(註3)。これが学資の支払時期だったとすると,本人確認ができないということで,大金である授業料は当然ながらこの銀行のこの支店では下ろせなくなり,子供達はお金があるのに,この支店の役席が頑張るために退学という事態が想像される。
この支店を出たあと,世の中でいろいろと揉めているUFJ銀行の同名の支店に行き,母親の預金から病院の支払に必要な額だけ下ろした。このときも頭が沸いている役席がいる支店のときと同様に,事情を話して同名の支店にある私の少額の預金通帳を見せたら,本人確認の件は役席が了解した。この頭が沸いている役席を飼っている日本最大級の銀行は,service業だったはずである。いつの間にか,日本の役所を飛び越えて,「おととい来い。」が常識の中国の役所並み(註4)になっている。この銀行は顧客の方を向くのではなく,内側だけを見て保身のみに走る従業員を抱える銀行になっていた。世の中がだんだん就職難になったためか,この銀行の従業員になっただけで,国会議員の先生のように偉くなってしまったのだろうか。
前述の卒論themeの人やこの銀行のこの支店の役席のような恥じない方々が,日本をダメな国にして来たし,今後もダメにして行くのである。本人は仕事が出来ると思っているので,部下や零細預金者が何を思っても気にしない。上司にはmissが少ないと思われていて受けがよく,同僚はその要領のよさのお零れで我慢している。本当に仕事が出来る部下・外注業者やたくさんの零細預金者は,そのような恥じない人々に蹴散らかされても,面と向かって歯向かうこともできない。
この恥じない人々がいる状態が,有能な人々にやる気を無くさせ,日本にとって致命傷となる。やる気がある人は,既成の企業社会からは逃げだしてNGOやNPOに身を投じたり,外国へ逃れたりする。日本には恥じない人々と,やる気がない人達だけが残る。誰が富を稼ぐのであろう。
私も同じように危険があるならなら,学資を金利が高い外国の銀行に預けるか,外国株にでも投資しようと思っている。このような個人の小さな動きは,やる気のある人々の企業社会からの流失と同じく,じわりじわりと日本の経済を蝕む。人材と資金の流失の切っ掛けを作るのは,これら恥じない人々なのである。
この支店も女性の従業員の方が,はるかに親切であった,要は私の母親が,「預金を倅に騙しとられた。」とこの支店に怒鳴り込まなければよいのである。本当に問題が生じないかどうかを相手の話し方などの心証で判断できないと,客商売はうまく行かないのである。この点ではUFJ銀行など関西系の銀行は商売が上手い。
この役席のように役人以上の杓子定規で,尻抜けの電話による本人確認で,仕事が出来るなら笑いが止まらない。この銀行が利益のためにサラ金業者の真似をして,自前で高金利の金貸しをしようとしても無駄であろう。この銀行も恥じない人々を全員除外して,女性だけで運営してはどうであろうか。南Asiaのある国にある,女性だけで作った頼母子講のような銀行は,貸し倒れも非常に少なく,僅かではあるが利益も出ていると聞く。顧客に嫌われた企業はどんなに大きくてもいつかは無くなるのである。
軽茶ーオヤジの項を見ると,恥じない人々の定年後が判る。
註1:
銀行名と支店名および役席の個人名はあえて公表しない。かれらに注意を与えて,以後の経営や人生がうまく行くように指導してやる義務がないからである。かれらの話は,この「言いたい放題」では,馬鹿になってしまった日本人の標本としての単なるネタである。不埒な銀行の情報をどうしても知りたい人は,私に直接連絡すれば考える余地はある。
註2:
この銀行も来年に無金利の決済専用預金口座を作ると言っている。現在の普通預金の金利は事実上0であるから,多くの人はこちらへ移行するかもしれない。でも考えて欲しい。決済専用口座が本人確認をしたら,当座預金と比べてたいへん不便である。私は,印鑑だけによる要求払いにしないと欠陥口座だと思う。盗まれるのが怖い人は,本人確認がある口座に預金を置いておけばよいのである。
註3:
事実,国立癌センター中央病院では患者と外部の電話連絡は,公衆電話を使う以外はできなかった。
註4:
中国の役所では問題が起きたときには,なにがしかの鼻薬が功を奏するが,恥じない人々には,薬を嗅がす方法が難しいので,却ってやっかいである。
2004/12/16 題目変更
2004/12/23 後日談
この母親の預金については,合併する前は別の銀行だった支店(この別の銀行にも同名の支店があったが,合併後に吸収されてしまった)に行き,全額私の預金に振り替える処理をした。本人確認どころか,何も訊かずに処理は終わり,母親のこの銀行の預金通帳の残高は0円となった。
あとはcardで私の預金口座から母親の預金残高に相当する額を引き出せば終いである。この頭が沸いている役席は,喧嘩まで吹き掛けて,私を手ぶらで追い出して,何か儲かったのであろうか?私がこの銀行を嫌いになり,この話をネタとして拡げるようにしむけただけでなかろうか。このような人間が仕事が出来るとこの銀行が思っているとしたら,その内に倒産の憂き目に遭うかもしれない。
2005/1/27 後日談その2
年が改まって時間が出来たので,この銀行のこの支店に置いてあった私名義の1,000万円を越える子供たちの学資預金は,一日にcardで降ろせる限度額の500万円(!?)ずつ数日かけて別の本人確認が問題にならない所へ移動した。
もちろんこの役席に移動を伝える必要はさらさらないので,静かに実行して,私の不慮の事故や病気での入院に備えた。
2004年版完