★ 海寧市塩官鎮の塩官景区へ移動し,入場券を買い金庸書院を観る |
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ホテルが駅に面していたので,一晩中列車が行き交う音がしていたが,前日の朝早く起きて成田へ行ったためか,よい子守り歌になった。
この鉄道は,上海南駅から杭州(城)駅あるいは杭州東駅を結ぶ在来幹線の「滬[Hù]杭鉄路」なので,旅客列車以外に貨物列車も数多く走っていた。
海寧駅を通過する列車も多い。
列車では上海南駅から1時間10分~2時間半,杭州城駅からは30分~45分程度かかる。
個人やグループ旅行でこの地を訪れるなら,鉄道を利用するのも一法であろう。
虹橋駅からの高速鉄道は,海寧駅から30km近く西にある塩官鎮に近い海寧西駅に乗入れている。
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各自で朝食後,8時半にはチェックアウトしてバスに荷物を積み込んだ。
8時50分にバス乗り込んで革製品の市場ビル街を南に抜け,塩官鎮の塩官景区に9時半過ぎに着いた。
写真が逆光で見難いが,海嘯の予告時刻が13:20と表示されていた。
ここで入場券を買った。
海寧は杭州湾の干満の差が大きなことを利用した海塩の管理地でもあり,2015年春の旅行で行った運城と同じく,古来「塩官」が置かれた。
海寧城は今の塩官鎮に置かれ,唐代以降の一時期には全中国の三大繁栄県とさえ言われ,明清代には国内外からの商船が集まり,貨物の集散地となった。
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広大な塩官景区の南側にある金庸書院まで2kmちょっとをバスで移動し,9時50分から1時間ほど見学した。
海寧は香港在住の武侠小説作家の金庸(本名:査[Zhā]良鏞[yōng])の生れ故郷である。
金庸書院は,金庸を記念して2010年に建てられた。
中に入るとかれの作品の見せ場をレリーフにした壁があり,かれの書いた書籍が展示されている。
書院は非常に凝っていて,木造建物の彫刻から庭の太湖石や黄色に青筋が入った竹(金鑲[xiāng]玉竹),敷石に至るまで安っぽくなく,きっちりとお金をかけた本来の江南風のものである。
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★ 切符売場に戻り,宰相府第風情街を買物をしながら乾隆酒楼へ |
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11時前には入場券売り場の前に戻り,30分かけて清代の雰囲気が残る宰相府第風情街を散策しながら昼食を摂る乾[Qiān]隆酒楼へ向かった。
風情街は中央に水路があり,柳の新芽がとても綺麗であった。
海寧や浙江省の伝統的な物産を売る店が多く,旅行参加者たちはそれぞれ好みの物を買っていた。
真綿の布団を作っている店や,当地の有名料理「海寧罐肉」を売る店もあった。
杭州料理で有名な「東坡肉」は,蘇軾が当地に来た折に食べた「燜[mèn]罐酥肉」(海寧罐肉の古い形)の作り方を覚えて蘇堤の工事のときに,労働者に食べさせたため広まったという。
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金庸ファンの報告者個人としては,明清代に合計32人の進士を輩出した陳家の陳閣老故居や海神廟,海寧州城の宣徳門や春煕門の城楼も観たかったが,海嘯を観る前の余裕時間での見学であったから割愛した。
なお,ガイドの金さんも学生時代徹夜で金庸の武侠小説を読みふけったファンだそうである。
ちなみに,進士は3年に一度実施される科挙の最上位試験の合格者で,多くは国政の重鎮となった,2014年に訪れた開封の包青天も進士である。
海嘯の時間にはまだ余裕があったので,乾隆酒楼で早めの昼食を摂った。
この店では風情街で見た当地名物の海寧罐肉が出た。
茶碗蒸しの大きいようなのは,豆腐が主体であった。
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昼食を約1時間で終えて,またバスに少し乗って観潮公園に着き,12時45分にコンクリート製の牌坊(入り口の門)から河岸へ入った。
堤防の内側の河寄りの手摺りのところで集合写真を撮った後,自由に潮の到来を待った。
13時20分ころに,アッという間に上げ潮は目の前を通過した。
潮目の向こう側に見える船は,上げ潮で目を回した魚を捕る漁師の船だそうである。
潮そのものは,旧暦8月18日の約2.5mと比べるべくもなかったが,潮の音はかなり大きく身体に響いた。
海嘯とはよくぞ名付けたと思われた。
なお,この日の潮は約1.2mだったそうである。
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清の第6代皇帝の乾隆帝は6回も江南に来訪し(六巡南下),内4回は海寧に寄って陳家の安瀾[lán]園に逗留したという。
多分,海嘯も見たと思われる。
食事をした乾隆酒楼は当然ながらこの故事から付けた名称だろう。
乾隆帝の時代は,第4代康煕帝の時代に三藩もなくなり台湾問題も解決した後,清の国力が一番上がった時で,2011~2012年に放映されて大人気になった連続TVドラマ「甄嬛[Zhēnhuán]傳」(日本名:宮廷の諍い女)の雍正帝の次の時代であるが,南巡は陳氏などの漢族の有力者を懐柔する目的もあったのかもしれない。
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↑ 写真をクリックすると動画で見られる。なお,動画は添乗員の手塚さんが撮ったものである。
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★ 河底トンネルをくぐって杭州市蕭山区経由で紹興市の黄酒博物館へ |
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潮が行き過ぎた後バスに乗り,13時35分に塩官鎮を出発した。
出発してすぐの北にある塩官の入り口からG92に乗って西に向かい,すぐに南向きのS9に移って,銭塘江を4.5kmの河底トンネルで越え,13時45分に杭州市蕭山区の田園地帯に出た。
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近郊農業で稼いだ農家は,競って4階建ての住居を新築している。
中国の習慣として男の子すべてに住居を用意するのは,親の役目であるそうだ。
もちろん高級車も必要で,さもないと如何に儲かっていても,農村には結婚相手が来ないそうである。
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バスは14時10分に紹興の出口を出て,紹興市内の一般道を30分ほど走って14時40分に越城区にある中国黄酒博物館に到着した。
来館者はほとんどいなかったので,ゆっくり見て回れた。
2007年開館の博物館では,伝統的な方法で紹興酒を作っていて,「百年辛亥」と書かれた甕が保存されていた。
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以前は製造工程も直接見ることが出来たそうだが,今は図示による説明が主である。
日本酒のように麹での糖化と糖を酵母でアルコール醗酵させる工程を同時進行させる醸造法とは異なり,中国の黄酒はまず糯米(もちごめ)を糖化させ,それから酵母を効かせてお酒にする。
雑菌の繁殖を防ぐために糖化の前に乳酸醗酵もさせるので,酸味が残る。
出来た黄酒は味がまろやかになるまで葡萄酒のように,長期間貯蔵して飲むとよい。
老酒である。
娘が生れたときに醸し,その娘が嫁ぐときに飲むという「女児紅」などが有名である。
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伝統的な製法で作ったできたての「甜酒釀[niàng]」を試飲したが,当然ながらまるで味醂のように甘かった。
福建旅行や広東旅行の時に飲んだ甘い「客家娘酒」も同じような工程で作る。
日本酒も江戸時代後期に今の製法になるまでは甘かったそうである。
入場券に付いていた無料試飲券で「加飯酒」を飲んだが,こちらはおなじみの味であった。
ちなみに砂糖や「話梅」を入れなくても十分美味しかった。
ペットに入った「甜酒釀」を買ってホテルで水割りにして飲んでみたが,意外と美味しかった。
これを旅行鞄に入れて日本に持ち帰った参加者もいた。
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★ 渋滞する工事中の104号国道を行き,古縴道へ |
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15時45分ごろ,紹興酒の酔いが回らない内に黄酒博物館を出発し,北西16kmほどのところにある古縴[qiàn]道を目指した。
経路の大運河沿いの104号国道は,拡幅立体工事中で非常に混雑していた。
45分ほどかかって目的地に着いたが,駐車場がなく,ガイドの金さんが道路工事の人と交渉して,工事事務所の駐車場にバスを止め,工事現場を抜けて国道の北側に沿う大運河に出た。
古縴道は運河沿いに敷かれた石畳の道で,船曳き人足の足場である。
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17時まで30分ほど橋を渡ったり石畳の道を歩いてのどかな江南の水辺を自由散策した。
昔の役人やお金持ちはここで船を牽かせて,美人を侍らせ,酒食音曲詩作に興じて優雅に時を過したのであろう。
すぐ横を走る国道や鉄道との対比が時代の隔たりを感じさせた。
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★ 再び104号国道を越城区に戻り,咸亨酒店で夕食を摂る |
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17時にバスに乗り,渋滞する104号国道を市内へ戻った。
18時過ぎに,魯迅の短編小説集『呐喊』に収録されている『孔乙己』で有名な居酒屋の咸亨酒店に着いた。
予定より多少遅れたので,店からガイドの金さんに到着時間の確認の電話が何回もあった。
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この店は元々居酒屋だったので,店内にメニューと料理の載った皿を客がセルフサービスで受け取る窓口があった。
そばには,小説の通りに「三月六日 孔乙己 欠十九錢」という札も用意されて下がっていた。
店内はほぼ満席で,四角い中国伝統の小さなテーブルに8人掛けで座った。
料理は置くゆとりがなく,あとの方で出た名物の「炸臭豆腐」などは置く場所がなく,所狭しと並んだ皿の上に積むことになった。
紹興名物の「醉蝦」は,生ものの衛生管理上の理由から,店で供することができなくなったそうである。
残念ではあったが,調理した蝦で代用となった。
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参加者の中の一人が,寧波で仕事をしている友人に,紹興に来ていることを伝えたので,かれは寧波から車で店まで駆けつけて来て,参加者すべてのテーブルに持参の10年ものの紹興酒を振る舞ってくれた。
流石,中国人である。
友人に対してはとても義理堅い。
差入れの紹興酒は,店で頼んだ最上のものよりもさらに美味であった。
この参加者とご友人に感謝する。
なお,ビールは2.5度の雪花であったので,消費はあまり進まなかった。
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★ 紹興飯店へチェックインして,夜の倉橋直街を散策 |
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19時半には食事を終え,参加者の友人を見送って40分にバスに乗った。
魯迅記念館のそばにあった咸亨酒店から西北側にある,府山公園の北側の紹興飯店まで10分くらいであった。
途中,清末の女性革命家秋瑾[Jǐn]が処刑された場所(道路中央)に建つ碑があった。
秋瑾は日本留学経験を持ち,反清光復の蜂起に失敗し,1907年清軍によって碑が建つところで処刑された。
元々政府の招待所であったこのホテルは,低層階の建物からなる政府高官やお金持ちの別邸のようであった。
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19時50分にはチェックインして,希望者は20時半に再び集合し,すぐそばにある老街「倉橋直街」へ揃って出かけた。
この老街は昼間も風情があるが,夜の散策もとてもよい。
正に蘇軾の『春夜』にある「春宵一刻値千金,花有清香月有陰」の世界であった。
水路と橋に面した左の写真の酒楼は,昔は夜もさぞ華やかなだったと思われる。
横の道に入ると,21時近くにもかかわらず,開いている店が多く,食品を求める地元の人もいた。
参加者達は,あちこちの店に寄っていたが,21時過ぎに再集合してホテルに戻った。
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