Dr. YIKAIの言いたい放題「日本の世相と中国関係」
2011年版 Copy Right 2011 Dr.YIKAI Kunio
「言いたい放題」の目次へもどる
2001/2002年版「日本の世相と中国関係」へ
2003年版「日本の世相と中国関係」へ
2004年版「日本の世相と中国関係」へ
2005年版「日本の世相と中国関係」へ
2006年版「日本の世相と中国関係」へ
2007年版「日本の世相と中国関係」へ
2008年版「日本の世相と中国関係」へ
2009年版「日本の世相と中国関係」へ
2010年版「日本の世相と中国関係」へ
2012年版「日本の世相と中国関係」へ
2011年3月21日 | 角を矯めて牛を殺す | |
2011年5月6日 | ある在日中国人 | |
2011年8月26日 | TV洗脳 | |
2011年11月28日 | 権力に阿る |
2011年3月21日 角を矯めて牛を殺す
養豚家は2010年朧月初めに茨城県土浦市の霞ヶ浦湖畔の陋屋へ引越して来て,早四ヶ月近くになる。この間,典型的な衰退しつつあるこの日本の地方都市での生活を体感して来た。それについて何か書き起こそうと思った矢先に大地震が発生し,それに続く停電・断水・交通遮断・買い占めによる物資不足などの対応に追われてしまった。
地震によって茨城県の経済および実物の土地の地盤沈下はたぶん著しくなるであろう。しかしそれについては別途考察を試みることにし,表題のことについて考えたい。
表題の漢字を並べ直して,「矯角殺牛」とすると一見中国語の四字熟語のように見えるが,あいにく中国語の辞書にはこの熟語は載っていない。韓国・台湾では使われているようであるが,日本語からの翻訳だという解釈が付いているようだ。事実,大陸の百度には「日語諺語」として翻訳文にこの四字熟語が出てくる。ということは中国にはこの概念がないのであろうか。「吹毛求疵」とか「矯枉過正」などちょっと近い熟語はあるが,意味が異なる。前者は“重箱の隅を突く”,後者は意味がちょっと近い。
この諺は日本人が持つ異常な潔癖感が肝腎の牛を殺してしまうから,それを戒めてできた言葉だと思う。
私はこの湖畔の家を四半世紀ほど前の,筑波科学万博開催前に建てた。まだ世の中はbubbleに踊る前で,当時は土浦の駅前はそれなりに賑やかで,新年の初売りともなると,今では全国的な行事となった福袋も,すでにない地元の小網屋百貨店を中心に,東京よりも大騒ぎであった。
ところが今般亡妻の影から抜け出すように,終の住処として建てたこの家に引越して来て,普段の生活を始めようとしたら,たいへんなことを思い知らされた。それまで地方の街では自家用車がないと生活できないから,80,90を過ぎても車が手放せない,という記事を読んで来た。正直,それまで事務所があった足立区でも環七の外側は車社会であることに気付いてはいた。
しかし人口14万人の土浦市の中心街が,車社会の影響でこんなに寂れているなどとは思いもよらなかったのである。街の商店街は一様にshutter街になっており,日常の買い物は一切できない。僅かなコンビニで生活必需品を買う人もいる。駅前には再開発と称して,下はイトーヨーカ堂,上は高層マンションになっている建物が建ちはだかり,駅前はcleanになった。それと同時に市街地内は自転車駐輪禁止となり,暇な監視員が常時回って駐輪している自転車をさっさと撤去している。
この読者で駅の回りから自転車がいなくなったことはよいことだと主張する人は,東京の吉祥寺駅前のことなどを考えているに違いない。しかし,土浦の人口から見て,もともと自転車は少なかったのだ。
四半世紀前にあった駅前の雑然とした繁華街はなくなり,筑波万博の際のaccessのために川口川を埋め立てた上に通した高架道下の二階建のshopping
mallもほとんどshutterが降りている。自動車での買い物に向かなくなった駅前には取り締まらなくてはならない自転車の影を見かけることはほとんどない。土浦はすでに中・高生以外は自転車で移動しなくなってしまったのだ。
液状化した公園(2011/3/12) |
瓦屋根の崩壊(2011/3/12) |
私のいる住宅地は昭和末期までは繁華街だった西口ではなく,昭和初期に駅の東口の霞ヶ浦を半島状に埋め立てたところにある。江戸時代からの埋立地や河口の沖積地である駅の周りは,今回の地震で地盤液状化が起きて,泥水が吹き出したりしていたが,幸いこの埋立地は日立が購入して宅地開発をした所だったので,震度6弱の揺れでも自宅の被害はほとんどなく,地割れや液状化の迹も見られない。
この霞ヶ浦に付き出した住宅地内で日立が手がけた以外の部分では,あちこちで液状化が見られ,ブロック塀や瓦屋根の崩落もあった。
さてこの住宅地であるが,駅東口前の四車線市道にある二つの信号しか出入り口がないにも拘らず,夜となく昼となく実に多くの車が住宅地内をかっ飛ばしている。歩道の整備が不十分な住宅地では,夜間に徒歩や自転車で駅前と往復をするのは命がけである。
もちろん釣客が不法駐車する場所を求めて住宅地内をうろつくのも目立つが,走り周っている車は基本的には半島内の住民の車である。実際に駅前までの道路を歩いている人は僅かで,自転車に至ってはほとんど出会わない。
わが家の両隣にも自転車がそれぞれ2台づつあるが,いつも同じ形に止めたままである。筋向かいの家の自転車は地震で倒れたまま1週間近くもそのままであった。もちろんどこの家の人も歩いて買い物に出る姿は見かけたことがない。したがって,地震のときに外に飛び出した際が,唯一この3ヶ月強で見かけて口をきいた隣人の姿である。あとはかれらは常に車で家から出入りしている。
ではなぜ車社会になってしまったのであろうか。
実は養豚家も駅前のイトーヨーカ堂へ買い物に行くことはめったにない。さらに遠方にある生協や地産の青果物小売り市場へ自転車で行く。なぜなら,イトーヨーカ堂には無料の駐輪場があまりなく,徒歩で行かなくてはならないからだ。地下に市営の駐輪場があるが,無条件で一回150円ふんだくる。せっかく買ったものが150円高くなるのだ。無料にするには無理して1,000円以上買わねばならない。
もちろん敢えて道路に自転車を置いてイトーヨーカ堂に買い物に行くと,人数ばかり多くて暇な巡回員がすぐにやってきて自転車を撤去されてしまい,駅から徒歩30分もかかる場所に持って行かれてしまう。返してもらうには,書類を整えて週4日だけ開いている昼間に歩きで行かねばならない。さらに私はまだ文京区民であるために,土浦の住所を公的に証明するものがないから,多分たいへん面倒なことになると思う。
だからと言って,お米や液体類などの重い買い物をぶら下げて歩いたり,車付きの買い物籠を転がしてイトーヨーカ堂まで往復30分行き来するのはちょっとしんどいし,かっ飛ばして来る車も危険なので,遠方でも運動を兼ねて,歩道がある道を遠回りして自転車で生協や地産野菜の販売所へ行くことにした。
生協は駅東口から徒歩5,6分のところにある。もちろん自動車も自転車も平地に無料で置けるが,自動車用のspaceは150台分以上あり,いつもかなり埋まっているのに,自転車用は20台分位しかなく,しかも一番多くて10台程度しか止まっていない。この街ではすでに,歩いて行ける駅近くの商店でも車で買いに行くのが常識になってしまったのである。
イトーヨーカ堂は西口再開発の際にはもともと東口に移転したかったそうである。そうすれば,今のようには店内が寂れることはなかった。市の外れのAEON SCが繁昌しているのを見るにつけても,本部から早期撤退の指示が出るのは時間の問題であろう。客が来るのを拒む設計の西口再開発ビルに,市が無理にイトーヨーカ堂を押し込んだ結果である。
実は足立区にいた時も,徒歩なら往復40分の西新井駅前まで雨や雪でなければ,ほぼ毎日運動のために買い物に出ていた。それが苦にならなかったのは自転車が使えたからである。土浦駅の約6倍の乗降客がいる東武線の西新井駅周辺の駐輪場は優に合計数千台が置けるし,基本的に1,2時間程度なら無料である。北千住駅の駐輪場ですら屋根付きで一回100円,買い物をすれば金額に関係なく無料になる。北千住の商店街なら街角に自転車を置いたまま買い物もできるが,吉祥寺ほどは混んでいない。
北千住の十分の一以下のJR快速の乗降客しかいない(註),ど田舎の土浦市は買物客からも一回150円をふんだくっている。大した台数が置かれていないから,多分駐車場の管理人の給料にも充当できていないだろう。実際に150円で1Lの燃料が買えるとすると,車にもよるが往復10~20km程度の距離にある郊外型大規模SC(Shopping
Center)へ行ける。生協なら1.5km程度の距離なので,車でも自転車で駅前に買い物に出かけるよりも安く付くのである。
ようするに,土浦市は徒歩や自転車では日常生活が営めない街にされてしまったのである。放置自転車という角を矯めたら,街の活性という牛が死んでしまったのである。
なぜそうなったかというと,車社会になって郊外のSCやつくば市に客を取られたから,という無責任な言い訳が市当局ではなされているし,世間も細かいことを見ないでその見解を是としている。
ところで,土浦市役所の庁舎は日本中によくあるように昔のお城の跡地に建っていた。これを役人たちや市長・市議会が水害などの防災上の理由とか屁理屈を付けて,東京Olympicの前の1963年に街の中心部からかなり離れた高い岡の上に移転してしまった。今のように車社会になる前は,市役所へ行くには自転車はもっての外で,駅からのバスに乗るしかその急坂を登って市役所へ行くことはできなかった。しかし裁判所など国の主な機関や消防・警察署などは依然として元の庁舎の周りに立地している。すなわち市の幹部や議員達は,自分たちだけが水害から逃れることができれば,市民はどうでもよかったのである。
この山の上のお城から市民を見下す姿勢の故に,誰も自転車で走っていない駅の周りを駐輪禁止にするという馬鹿げた条例を制定するに至ったのではなかろうか?自分たちは車で通勤するから,自転車で行き来する人による市街地の繁栄はどうでもよかったのである。市役所を定年になった吏員たちに止めてある自転車を移動する仕事を作れればよかっただけである。
確かに吉祥寺駅前の自転車の数は異常ではあるが,それだけ駅前の街は繁昌している。でも付近に自転車が置けなかった近鉄百貨店や伊勢丹は撤退してしまったのである。
土浦駅の周りでは,すでに撤退した西友やその他中小商店の跡地には山のような駐車場が出現し,供給過剰となってしまった。すると値下げ合戦が始まり,24時間500円という投売り状態である。これが市役所の連中が考えた土浦駅前clean作戦の結果である。市が経営する東口の駐車場は投げ売りしない(24時間1,500円)ので,平置きにもかかわらずガラガラである。同じ平置きでもJRが貨物yard跡地に作った24時間800円の駐車場はちゃんと商売になっている。
歩いて買い物ができる街を潰した土浦の市役所商法は,車で行って大きな建物の中を歩き周る郊外型SCに負けてしまったのだ。本来この郊外型SCの中を歩く魅力は,吉祥寺のような駅前通りの商店街が持っている魅力であり,時代が変わっても人々はそのような街をそぞろ歩く楽しみを求めている。
それを駅前再開発と称して,人の流れを断ち切るような再開発マンションを建ててしまい,商店街をがたがたに壊してしまったために,寂れに拍車をかけてしまった。再開発マンションの下にあるイトーヨーカ堂のすぐ向かい側に駅ビルがある。でも,そこでもこの2011年度末にまたまた撤退する商店が何件かある。駅ビルで買い物をしなくても,車で帰宅途中のSCに立ち寄ればよいのであるから,駅ビルの客は電車通学の高校生だけになってしまったのだ。人を掻き分けて歩く吉祥寺の駅下shopping
mallとは大違いである。
以上,市の幹部が自分たちの感覚だけで都市計画を追求した中小都市の結末はこのようである。しかし,養豚家?少しも困らない。土浦の位置は無駄に面積ばかり肥大化したつくば市の北端からと比べれば,つくば市中心のあちこちに点在する新しい店舗に行くにはとても便利である。車で15分で着く。 さて,養豚家は土浦市の繁華街がどうなろうと知ったことではない。なにせ,養豚家はまだ文京区民であるからだ。
註: 2009年度一日平均JRの乗降客数(北千住駅の常磐線緩行は私鉄(公鉄?)東京メトロによる,西新井駅とつくば駅以外はJRの発表に依る)
【東京都】北千住:193,976人(乗換客を含む,私鉄5線も含めて実際に街に吐き出される人数は30万人と言われている。),吉祥寺:141,314人,西新井:94,884人
【土浦市】土浦:17,053人,荒川沖:9,016人,神立:5,313人
【茨城県】取手:30,662人(常総線への乗換客を含む),つくば:22,321人,牛久:15,333人,石岡:5,882人
追加(2011年4月30日)
土浦市の特産は蓮根である,たしかに生産額は全国第一位である。これは広大な霞ヶ浦に面しているから当然といえば当然である。ところで,こんなものでは街の衰退は止めようもない。以前は色街も特産だったけど,今は衰退してしまって,廃業した建物の跡地はすべて駐車場になってしまった。ここでも角を矯めたのかも知れない。“風俗は悪い!”と決めつけると,街に潤いも何もなくなり,大型SCとの競合に敗れるしかない。
ところで,つくば市は東洋経済誌の2010年日本の住みよい街の第8位(前年30位)に入ったそうだ。その理由は,夏は暑く冬は寒い内陸性気候でも快適度が高いからだそうだ。ちなみに同じ茨城県でさらに東京に近いど田舎の守谷市は第6位である。つくば市の見た目の快適さは街全体を国費でこさえた人口都市で見場が良いからで,住みよさの指標となる数字的には有利であろう。東京の街は,何と外れの山中にある稲城市(高齢化でghost town化著しい多摩ニュータウンがある街)が第17位でtopである。このrankingの無意味さは,正に何をか謂わん哉である。
土浦に住んでいる文京区民の養豚家から言わせてもらえば,土浦市からつくば市へ越そうとは到底思わない。つくば市は車がないと完全に生きていけない山村だからである。つくば市の店舗配置は,隣の店まで徒歩で移動するということはほとんど考えられていない。市内の移動はすべて車以外では不可能である。歩道は人が歩かないから,刈らない限り草茫々になる。将来は多摩ニュータウンがある稲城市に似てさぞ住みよくなるだろうと思う。
なお,つくば市役所は“福島からの原発避難民を放射能検査してないと受け入れられない。”として大顰蹙を買った位のど田舎の発想しかしない。その百姓根性丸出しの行政には要注意である。
またまた追加(2011年5月10日)
報道によると,昨日9日の土浦市長記者会見で,原発事故で怖くなった土浦市職員が事後承認で有給を取って逃げだしたので,訓告処分にしたと発表があった。訓告処分を受けた主幹(33歳)は,3月16日深夜に妻を連れて5日間浜松市内の親類宅に逃げ込んだ。休暇申請は逃げた後の17日朝に電話で行ったとのことである。つくば市に負けず劣らずの小役人根性である。
一部事実誤認による修正(2011年8月26日)
2011年5月6日 ある在日中国人
ある,日本に10年以上住んで日本永住権を持つ中国人が日本人にmail magazineを送っている。日本人に中国人の考え方や行動様式を紹介したり,日本人の行動や考えに疑問を呈したりしている。
もちろん,中国の歴史を好んで理解している養豚家から見ると,的外れなこともあるし,日本人を表面的にしか捉えていないと思われる節もある。しかし,日本で敢えて発言するこの中国人は,今後も国家や民族などの関係について,中国共産党の幹部の保身のために,彼等に踊らされて「小日本」などとバカ騒ぎしている中国大陸の若者よりは,はるかに真面目でよく考えていると思う。そこで,養豚家はこの中国人への返信を敢えて本人に送らずにここで公開する。
Mail magazineは一般の公開図書と同じなので,非公開であるべき情報を除いて以下に転載する。なお,句読点・改行など書式以外の日本語の間違いや勘違いは修正してない。読者の日本語の指導力を試すことに使って欲しい。どうしても解りにくそうな点には注釈を加える。
★===**===========================================☆☆ マイケル サンデン① **☆***============================================★** 土曜日の夜テレビをつけたら、この番組です。見ていた方は少なくないでしょう。以前にあった番組なのか分かりませんが、私は初めて見ました。 マイケル教授が(何処の教授か分かりません)テレビを通して今回の日本の地震について、ハーバート大学と上海の復旦大学と東京大学の学生に同時に討論講義を行うことです。 画面には同時に三カ国の学生の画面が現れました。三つの会場は違う文化と環境によって違う背景が映り出されたように,私はそういうふうに見えていました。先進国と途上国の区別はすでに見た目で区別されています。日本とアメリカの学生は姿勢もよくきちんと座り、洗練された雰囲気です。一方、復旦大学の学生達は、少し厚着を着て、マフラを首に巻いて、髪の毛がパサパサで、いかに原子力発電の恩恵をまだ受けていないように見えました。多分室内温度は上海のほうが一番寒いではないかと思います。 15年前に通っていた、室内と外の温度が同じの復旦大学の様子を思い出させました。今はきっと学校の環境や学生のファッションなど変わったはずですが、東京を見慣れている私の感覚では、15年前のままの雰囲気でした。 さらに、日本とアメリカの学生はテレビを見ながら、「レッスン」を受けていたと思う一方、上海のほうはもしかしたら、テレビを見ないままに「レッスン」を受けていたではないかと思っています。上海の学生はみんなの目線が床に向けてしゃべっていたからです。 今の復旦大学にはこのぐらいの設備はないかなと不思議に思っています。 日本側には大学生以外には、女優とテレビショッピングの社長や作家も参加していました。 講義の内容はいくつの論点を分けて討論を進めていました。全部覚えていませんが、今回の地震では日本人の混乱せずに、秩序を保って強盗や略奪など起きていない行為は世界を驚かせました。この美徳についての討論からはじめました。また原子炉の作業員たちの犠牲行為は何のためのかもなどなど・・・・ ここでは私は話したいのは講義の内容ではありません。上海の学生はみんな英語で対応していました。おしゃれな洋服や化粧や洗練された環境も無く、流暢な英語力を持っています。 最初は原子炉の作業員の犠牲行為について、「この行為について、中国人は理解できます。人のために犠牲にする人は中国では昔からとても高い評価されてきたし、これまで国のために犠牲にしていた人も沢山います・・・・」というような上海の学生の答えにはマイケル教授はとても反感していたように「政治的な話はやめまましょう」と止めました。 私から見れば上海の学生は意識的に何を言おうとしているわけではありません。中国では共産党の教育の一つ手段に一貫してとは言え、国のために人のために犠牲する行為は人に尊敬され、賛美されるという社会風土があります。その学生は外から中国人はどういうふうに見られているか当然分かりません。(外の人間は中国人が中国人を綺麗に思うほど綺麗に見えていませんから。) マイケル教授は本当の中国人のみっともないところしか見えていないのは当然でありおかしくはありません。そこに行き違いはありました。一つ言えるのは、中国人学生はアメリカ人と日本人のように中国人の悪いところを絶対言えないはずです。 この講義のために何を言うべきか注意されることではなく、中国人は素直に自分の悪いところを認めない資質を持っているからです。人には言われたくないし、自ら反省はあんまりしないです。自分のよくないところを人に平気に話せません。(メンツかも?) つまり「私のお母さんは地面に痰を吐いたら、私は注意すればいいです、人には言われたくない」15年前に中国のテレビで聞いた台詞のようなそのものです。 また私は「中国政府の出先機関(注:原文にある名称を変更)との喧嘩」の配信中には先方(注:変更)の方が最後に言われた台詞の「貴方の教育はいらない。」と平和ノーベル賞の劉さんの事件では、中国の対応の仕方も「貴方達は少数です!」。 「孔子平和賞」の設立などの批判に強く反発する行為などなど実は同じことを物語っています。 こう説明して、理解していただけますか。 こんな長くなると思っていなかったから、次回に続きましょう。 |
ここで,養豚家から“マイケル サンデン”は“マイケル・サンデル”と書くべきで,“マイケル教授”ではなく“サンデル教授”が正しいと連絡した。他の部分も文法や語句の間違いも指摘したが,ここには掲載しない。 |
★===**===========================================☆☆ マイケル・サンデル② **☆***============================================★** (本題とは関係がない文章が前置きにあるので省略した。) 本題に戻ります。 その討論の流れでは、アメリカの学生と日本人の出場者は平気で自分の国の悪いところを話していました。上海の学生はそれを聞いて何を感じたか分かりません。(びっくりしたでしょう。)その影響なのか、上海の学生の発言はだんだん深く広く広げていきました。 最初の冷ややかな態度を持ったサンデル教授は興味深く興奮気味で質問を続けました。(私の敏感なのか、はっきりそういうふうに感じていました。)やはり中国人は自分の考えをまとめて言葉で表現するのは得意です。 それは中国の文化とアメリカの文化がなんとなく息の合うところだと感じていました。 原子力発電はこれから廃止すべか続くべきかについての質問ですが、アメリカの学生は口を揃って、続くべきだと答えました。さすがに「冒険国」の思想ですが、とても気分爽快をさせてくれました。 東京知事選討論会は一度テレビで見ました。同じ質問でした。石原知事だけは続くべきだと言っていました。他の三人は全部廃止すべきだと言っていました。 原子力発電はそんな簡単にやめられないのは誰でもわかっているはずです。危険だと知りながら、沢山の犠牲を払って、最後成功かつ安全な道に辿りづいたのは今まで人類が歩んできた道です。 石原さんは高齢で残念ですが、知事には彼しかないとその時思っていました。(もちろんこれだけではなかった)ハーバード大学の20代学生さんの度胸は東京知事候補の方々よりはるかに大きいです。 では東京大学の学生はどうでしたか。正直に言うと、あまり印象に残っていませんでした。彼達が一体何を発言したか、どんな顔をしていたか、その後思い出そうとしても何にも浮かべませんでした。(緊張していた様子以外はありませんでした。)前に女優達のような「ゲスト」がいたせいか、確かに「ゲスト」の方々の話は印象に残っていました。けれどもこの番組で聞きたいのは日本の20代の学生の話です。 この番組が学生のために作ったと思います。どうして「ゲスト」を入れなければならないかと分かりません。 本来は三大學の学生の対決でした。どうして東京大学の学生を堂々と英語で対応させなかったかは分かりません。(NHKの番組です)せっかくの機会だったのに・・・ もしゲストはいなくても、日本の学生はどれほどの存在感をアピールできるか想像にはつきません。 今回の地震は世界を感動させた日本人の美徳のうらには何を伴っているか日本の皆さんは考えたことはありますか。もちろん秩序をたもち、混乱せず、譲り合いなどの行為は美徳であり、日本以外の国では考えられないのは事実でしょう。 しかし物を言わぬ、感情を抑え、我慢するという美徳の裏に伴っているのがうつ病と自殺症と陰気ないじめ症だと私にはこう思わざるを得ません。 今は放射能で色々と騒いでいますが、実は目に見えない放射能と同じ威力を持っているものがすでに日本の社会を蝕んでいます。 とうとうここまでしゃべってしまいました。次回に続きます。 |
★===**===========================================☆☆ マイケル・サンデル③ **☆***============================================★** 日本はすばらしい国です。 旅行に来る外国人に聞けば、「日本は何処が悪いですか?」と聞くとそんな簡単に例を挙げられないでしょう。 民主主義社会で自由平等です。空気も水も綺麗です。生活の環境が安全で静かです。交通が便利です。目にするものも、手に触るものもみんな品質もいいものばかりです。食事も美味しくかつ健康的で、温泉もすばらしいです。人が優しく礼儀正しく、至るところにサービスが満杯です。 逆に中国のほうは一党独裁で、自由も平等も公平もありません。空気も水も環境も汚い、食料品も不安全だし、ルールも秩序も礼儀も無く、日本から見れば混雑かつ暗い世界に過ぎません。(でした?)例を挙げたら、切がなくなるでしょう。 そのような中国からやってきた一人の女性が、日本で5,6年ぐらい勉強してから、一年半前に帰国しました。彼女は官僚やお金持ちの子供ではありません。日本で留学している費用は全部自分で稼いでいました。特技があった(注:特技の内容は省略した)おかげで、日本でのバイトの収入は普通のOLよりやや高いかもしれません。中国に帰ると、月に何万円ぐらいの収入しかありません。彼女は皆さご存じの人(注:人名なので省略した。)です。 この間に彼女と電話で話すとき「どうですか、もしあの時に戻れれば、もう一度選択してもらえれば、どちらを選択しますか。」と聞きました。帰国するとき、大分悩みました。「もちろん帰国を選択します。日本という国には“虐待”か、“虐待される”かどちらか存在しかしていません。気分的には爽快に生きることは出来ません。」と言いました。 そんな彼女は日本に対してまとめた言葉はこれです。もちろん人間は立場や角度が違うと、感じたものも違います。彼女が言っている“虐待”は虐待の本当の意味ではないはずです。(10年前なら、私達にはこのぐらいの選択肢さえも無かったでしょう。) 日本は嫌い?いいえ嫌いではありません。日本が好き?いいえ好きではありません。これは私の答えです。一体何何ですか?分かりません!非常に言葉で表現しにくい感覚です。日本の文化と同じような曖昧で白でも黒でもない灰色の感覚です。 せっかく日本のようなすばらしい国で生まれてきたのに、自殺なんて考えられますか。しかも自殺も集団でやります。一円も持たずに、日本にやってきた中国人の留学生はどれほどいるでしょう。学校もバイトも返済も家へ仕送りも全部取り遂げなければなりません。みんなやり遂げていました。自殺するなら、どちら先でしょうか。 上海に転勤した日本人の生徒から聞いた言葉では「上海の若者は元気です。」これほど自由自在な国なのに、若者は元気がないとおかしいと思いませんか。ちょっとだけのことでわけが分からないぐらい涙がぼろぼろになるほど優しい人間社会なのに人を死ぬまで追い詰めていじめるなんて、信じられますか。こんな青空の下で、自由が漂っている空気の中で、おどおどして、疑心暗鬼している日本人はどれほどいるでしょう。 この方(注:人名なので省略した)が言っている形の見えない“虐待”は一体何何なでしょうか。この社会を蝕んでいるのは一体何何でしょうか。比べると放射能は怖いものではありません。原子力を収束することは至急ですが、同時に収束すべきものもあります。それは日本人にとって、これから大きな課題になるでしょう。 終わり 2011年4月22日 |
さて,養豚家はこの中国人の一方的な対日認識に対してこまごまと説明したり反論したりする気は毛頭ない。ただ,中国人を理解し日本人が今後どう行動すべきかを考える手がかりになるようなことを書いて置く。もちろんその中で原文からの引用もある。
まず,東大生が述べた意見が印象に残らない,ということである。
東大生等は決して復旦大学の学生と比べて劣っている訳でもなく,英語ができないから自分の意見を上手く表現できない訳でもない。ただ,言いたくないだけなのだ。養豚家も自分の意見を達者な中国語で中国人相手にしゃべることができるが,基本的には東大生と同じで,無意味に自我を拡大させて主張することはしない。しかし,自分が決して決して中国人や米国人に劣っていることはないと思っている。
すなわち日本人の若者は,自分の思いこみだけを正しいと信じて自己主張をする米中の若者とは意見の表現方法が異なるのだ。それが自然と「和諧社会」を作りあげた日本文化である。日本のよい部分は,そのような感覚を持つ日本人が創りあげたのである。また,そのような感覚が日本の悪いところも露呈させている。
米国人はその思いこみの間違いを他人から指摘されると,それが論理的に合っていれば素直に過ちを認める勇気がある人が多い。Pride はあるが面子は気にしていない。中国人が自分たちの pride と思っているのは,無意味な面子でしかないのだ。
もしpride があれば,ドイツや日本から技術導入してやっと製造した「高鉄」を,無理して技術導入元の国より表面的に速く走らせることに成功しても,世界一の先進技術だと自慢はしない。「孔子和平奬」と同じで,面子が一番大切だからそういう言動をするのだ。
じつは,日本人は pride もなく面子もない。敢えてあると言えるのは根性というか執着心である。Pride はもう少し持ってもよいと思うが,中国人のような面子は下手に持たない方が,世界の平和のためには安全だと思われる。
日本で“虐待”されたということであるが,どの民族でもそうであるが異文化の下では誰でもそう感じる。特に中国人は余所の省や国でその土地の人と同化しないで,自分たちの街や「小中国」を作る傾向がある。中国は特に広いので,大都市間は別にしても,遠方の県程度の都市間では中国国内でも考え方が合わないことがままある。「客家」などはその典型である。千年経っても言語や食事・生活習慣などは,永久にその住んでいる場所に融け込まない。
中国文化の下で育った人は,異国への同化は難しいのかもしれない。養豚家は 20 代からすでに,日本の永住権を持つ中国人(台湾籍が多い)をたくさん知っていたが,やはり考え方にちょっと差があるのを感じる。日中国交回復以降に日本に来た大陸中国人は,共産党の政治教育の影響もある所為か,このmail
magazineの発行者のように違和感が強い。
中国が古代から周辺の異民族を攻略して国土の版図を拡げ,彼等を中国人として吸収して来たのとは異なり,日本は古代より大きさが変わらない国土に多くの渡来民を受け入れて,同化してきた国である。米国も先住民を植民地開拓で追い払って今の国土を得た。日本人からみると米中はお互の考え方や行動様式がよく似ているのは当然である。日本人のように限られた国土という条件下で物事を解決するという考えとは大きく異なる。
西暦紀元ごろには日本の人口は年率 1% 近くの割合で増加したと考えられている。当時の出生後の生存率がそんなに高くなかったことから考えると,その増加数のほとんどが渡来民だと想定できる。日本は中国とは別の意味での混血国家である。すなわち国土を拡げてそこに住む人々を中国人にしたのと,自分の意思で渡来して来た人々を吸収したのとの違いがある。
大勢の渡来民とは言っても,10 年で総人口の 10% 程度であるから,携えてきた技術や知識は別にすれば,生活習慣や言語は先住民に同化せざるを得ない。そのためか,日本人は均質化を好む。必然的に胡錦濤が唱える「和諧社会」にならざるを得ない。
日本がお互いを苛めている国である,という評価がされている。たしかに,閉じた生活空間内では動物はかならず相剋するという見本である。人類とても例外ではない。共産党支配下で閉じていた中国も血で血を洗う抗争をしてきたではないか。閉じていないということは個人や社会・国家の将来像が見えるということであり,その将来像を全世界の経済侵略に置いている間は,どの国も元気がよいのである。
実際に,高度成長を遂げた敗戦後の日本人はもっと元気だった。養豚家は敗戦後の日本を立ち上げた世代の人間で,同時代的に生きてきた。しかし,この世代は今の学生よりももっとシャイだった。なぜ,そんな日本人が米国に経済的脅威を与えるまでに日本を発展させ得たのか?それは米中の学生のように,針小棒大に自己主張しなくても,自分ができることややるべきことを十分熟慮して行動してきたからである。
ただ,今の日本が危うく見えるのは人口構成の高齢化と切り離せない。高齢化の問題点は,働かない人が増えるということではなく,何事にも保守的な層が増え,その人たちの意見で政治が行われる,ということなのである。
その勢力の代表者が自民党と公明党である。すなわち,現在の利権を死守する層がいままでの日本を動かしてきたのだ。進取の気概を持つ若者が,何かしたいと思っても,彼等の圧力の下で凋まざるを得なくなる。すると若者は,“まあ今のままでもよいか,何となく食べられるし…。”となって,放置主義に走る。それが現在の日本社会の逼塞感を産み出しているのだ。
民主党政権になるときに,国民の半分以上が期待したのは既得権の徹底的な排除だったのであるが,それを恐れる残りの国民と既成権力層(官僚・地方議員・マスコミ・自民党と公明党および米国)の総意の下で,小沢一郎や鳩山由紀夫を葬り去るべく,重箱の隅を突き出したのが東京地検特捜部である。
今回の原発事故も既得権を死守した結果起きた。先進的な学者はすでに津波の危険を予測して何回も警告を出していたが,既得権者たちに全部握り潰されてしまった。
まるで秦の始皇帝の時に,改革を恐れた皇帝の取巻きが,韓非子を殺すように仕向けたのと同じである。韓非子の改革は中途半端に終わり,その法定統治主義を人民の弾圧だけに向けたため,秦はすぐに崩壊してしまった。そうして始皇帝が一度は嫌った衒学の徒である儒家が,漢代に統治思想として力を持ち,現在の中国共産党の統治思想も,それに大きく影響を受けている。
孔子が唱えた儒教は単なる道徳や温情でしかないので,とうてい大きな国家を統治するには足りない。しかし,爾後二千年も使い続け,さらに周辺の国々までもその影響下に入ってしまい,19世紀に欧米の植民地化の手が伸びて来るまで,各国が東洋的停滞を余儀なくされた原因となった。
大陸中国は「和諧社会」を説く儒教を統治思想に使い,「孔子和平奬」を作ってもよいと思う。そうしないと現在の中国人のように際限なく自分勝手な行動するからである。すなわち韓非子の主張する法定統治を行っても,もともと数千年に渡って遵法精神がなかった国であるから,儒教的道徳が必要だと推察される。
ただ,日本の現在の大きな論点は,日本という国が米国に付くか中国またはロシアに乗っ取られるかということにある。養豚家は早いところ,米国の準州になったほうがよいと思っている。
米国人と中国人は考え方ややり方がよく似てるが,米国は法治主義である。同じように多民族で構成されていても,儒教的な人治国家である中国共産党が恣意的に支配する大陸中国とはこの点が大きく異なる。なお,ロシアは相変わらず19世紀的な強権主義国家で,その行動は大陸中国より質が悪い。たとえば蒋介石は日本が敗戦したときに東北三省にいた日本人を日本に送還したが,当時のソ連は日本人の民間人で使えない老人婦人子供は手当りしだいに殺し(葛根廟事件ではソ連の戦車に轢き殺された),男はシベリアの地での強制労働に追い込まれた。そして大多数が帰還することなく死んだのだ。
それなら,発言の自由がある米国がよい。たとえ中国共産党がなくなっても事実上の皇帝が支配する国家に組込まれるのは,まっぴらである。その意味では,大陸中国を共産党が支配していようが,していまいが,儒教的統治思想から進歩していない以上同じことである。近隣諸国にとって中国は眠れる獅子であることが一番ありがたいことであろう。
2011年8月26日 TV洗脳
日本人を特に老人をアホにする洗脳の最先端を走っていたフジTVや日本TV系で,視聴率を稼ぐ旗頭であった島田紳助こと長谷川公彦は暴力団山口組の大幹部(筆頭若頭補佐)との黒い交際が明るみに出て,芸能界を引退することになった。
もちろんこの黒い交際の発覚は,警察から島田紳助が所属する吉本興行への通報によるものと思われる。
日本のTVや新聞はすでに政治も芸能番組・記事の一種としてしか扱っていない。このような洗脳行為で,小沢一郎を引退に追い込もうと企んだ,自公政権以来の日本の支配層は,今回肝心の洗脳係を勤める役者を一人失った。
日本の政治は,すでに60歳以上の現状維持至上に陥ってしまった老人達の意向で進められている。すなわち,かれらの大多数の意思決定を左右しているのは,芸能番組化した政治番組や芸能新聞化した大新聞である。
そこには現役の中堅層や職が見つからない若者達の意見は反映されていない。なぜなら,かれらはほとんどTVを見ないし,投票にも行かないからである。したがって大マスゴミの行う世論調査とYahooなどinternetで勝手に投票した意見とが大幅に食い違っている。どちらを真の民意と受け止めるかは,この際問題ではない。問題なのは,島田紳助等によって白痴化された老人の意見を聞いて国家を運営するのか,それとも中堅・若者の意見を聞いて国家を運営するのかなのである。
大マスコミはTVや新聞以外でも,至る所で情報操作をしている。それが国民に知られないように行われていることにおいては,中国の共産党政権よりも悪質であると言えよう。どちらがより巧妙であるにせよ,そのような洗脳が自国だけでなく他国との関係悪化までもたらすことは,江澤民前中国国家主席による極端な反日教育がもたらした結果をみれば一目瞭然である。
政治的発言をする権利を奪われた中国人は金儲けだけに生甲斐を見いだし,国内外を問わずに他人の成果を剽窃するだけに留まらず,役人による汚職・多数の愛人保持,はては有毒食品の販売まで拡がってしまった。もちろん7月に浙江省温州で起きた高速鉄道の衝突脱線事故も,その延長線上にあるに過ぎない。
これらの情報操作は,戦前にも大日本帝国陸軍によって行われた,反共・国粋主義思想統制と軌を一にする。
読売新聞が主催する掲示板に発言小町というのがある。この中に恋愛・結婚・離婚に関する書き込みがあり,大変盛況である。ところが,養豚家はここに相談をした案件に対するレスの内容が妙に古典的な家族関係を肯定するものばかりであることに気がついた。すなわち,女性の不倫はすべて頭から否定,女性は嫁しては夫や夫の実家に従う,などという旧民法さながらの価値観のレスの書き込みばかりである。
一方,超巨大掲示板である2chでは,そんなに一方的な意見ばかりではない。相談女性の納得できる行為や心情には同意する意見も多くある。これは発言小町は,投稿内容を読売新聞の担当者が取捨選択して,旧民法の価値観に合わない投稿は載せないよう操作しているからであろう。このことは発言小町の投稿規定にも,投稿内容は審査してから掲載すると明記されているから,読売新聞社は大阪の橋下知事と同じような価値観を以って,国民を律しようとしていることが解る。
養豚家も読売新聞の情報操作を疑って,発言小町の恋愛・結婚・離婚に関する書き込みに,大多数の意見とちょっとズレた意見を数回投稿してみた。しかし,それらはすべて読売新聞によって好ましくない意見として封殺された。切羽詰まって発言小町に解決を求めて書き込んだ女性達には気の毒であるが,読売新聞の判断基準は離婚調停の調停委員と同じ水準でしかなく,もしかすると本当に役立つかもしれない養豚家のレスは永久に読むことができない。
2chの投稿者は自己責任で投稿するから,要らない内容や不愉快な内容がたくさんあるが,それらの雑音の中から意味ある内容を汲み取るのが,情報化社会における処世術である。脳軟化症を発病してしまうようなTV番組や大新聞の報道姿勢で歪曲された情報に洗脳されている多くの日本人は,誰が見ても明らかに情報操作を受けている中国人以下の情報弱者でしかないだろう。
日本の政治についても,数多の老人だけでなく多くの中堅・若者も情報操作を受けている。政治に対して職業として発言する人々も例外ではない。政治的な発言を並べているYahooの“みんなの政治”では,レスはすべてそのまま掲載される。2chや発言小町のように匿名ではなく,YahooのIDが載ることで発言は自己責任である。反論が直接来ることだってある。
しかし,Yahooでは発言行為自体には一切干渉を受けない。これが古代ギリシャ以来の民主主義の原点である。春秋戦国時代の中国にもこのような発言の自由があったからこそ,諸子百家と言われるような思想の大発展があった。それ以来,現代に至るまでの中国はおろか今の日本に於ても,自由な発言はすぐに封殺されて,権力側の都合が良い意見だけが,あたかも全国民の民意であるかの如く大手を振って拡がっている。
以下養豚家がYahooの“みんなの政治”で意図的に大勢と反して発言した内容を引用する。もちろん反論は大歓迎である。養豚家の発言に対する賛否の数から,国民の意見がどれだけマスゴミに誘導されているかが理解できる。
|
|||||||
|
|||||||
|
|||||||
|
|||||||
|
|||||||
|
|||||||
|
|||||||
|
|||||||
|
|||||||
|
|||||||
|
2011年11月28日 権力に阿る
野球の巨人の清武前球団代表が,読売新聞のドン渡邊恒雄にel Quijote(ドンキホーテ)よろしく咬みついている。日本の権力の常識から言うと,如何に清武前代表が正義を振りかざしても勝ち目はない。じつは独裁者に逆らうとどうなるかという成り行きが読めること自体が,日本の現在の閉塞感の原因なのである。
大阪でも,戦前の日本への復帰を目指す橋下がアホな大阪人を騙すことに成功した。今後大阪では,その名も時代がかった“維新の会”による独裁政治が強行されることになった。独裁者の誕生である。大阪府民は橋下の衣の下の鎧に気がつかないまま,自分たちが努力することを棚に上げて,誰かが大阪を救ってくれると勘違いして“維新の会”一派を支持してしまったのである。
すなわち,大阪府民が各自で論理的に物事を判断し,自分たちの将来を設計し,その実現に努力するということを放棄して,美味しそうな疑似餌に釣られてしまったのである。
渡邊や橋下の様な独裁権力を手にするための手法に長けている人物は,巧妙な餌を作成するという技巧に長けている。おなじみのAdolf Hitlerのみならず,中国共産党の毛澤東,北朝鮮の金日成などを初めとした世界の独裁者が最初に手がけることは,庶民の表面的な些細な不満を解消する秘薬を提供する振りをする。まさに覚醒剤や麻薬の提供と同じである。
一方その独裁性を危険だと感じた勢力は,庶民を騙す手段を持たないのが普通である。
橋下の傀儡にすぎない松井一郎新大阪府知事は,すでに“教育基本条例”なる“新教育勅語”を最優先で制定すると息巻いている。
教育を弄んで,国の将来を危うくする愚は,日本ではすでに明治政府による国家統制教育の開始から50年を経ずして敗戦の憂き目を見たことで明らかである。今日反日教育をやっている韓国・北朝鮮や中国も将来その視野狭窄な国民からしっぺ返しを喰うだろう。
昨日小澤一郎が検察審査会なる内容不明な組織によって暗殺されようとしている最中,裁判の冒頭で下記のような意見陳述をした。この言を妄想と捉えていると,日本の民主主義と自由は長からずして,戦前の状況に追い込まれるのは明らかである。
今、指定弁護士が話されたような事実はありません。 |
2012年1月19日 追加
2011年12月15日の元東京地検特捜部の田代政弘検事の証人尋問で,石川知裕氏を再聴取した際の捜査報告書に,虚偽の内容を書いていたことが弁護側の追及で発覚した。この報告書は,検察審査会が小沢一郎の訴追の決め手となった。
すなわち田代検事から検察審査会へ出された報告書は裁判用の検事調書ではない内部文書で,石川氏が再聴取で語った内容とされている内容は石川氏が再聴取時に録音した内容とはまったく異なり,小沢強制起訴に誘導すべく改竄されていた。村木事件で証拠を改竄して犯罪をでっち上げた前田元検事が証言で暴露した内容と加えて,マスゴミに騙されている大多数の日本人は,自らの将来を現在の日本の支配層であるお殿様たちに捧げているのだ。
その石川氏がまったく語っていない内容とは以下の通りである。単なる検察や最高裁の傀儡でしかない検察審査会の平均年齢が極端に若いガキ共を騙すのに,このような手段を使ったのだ。
私が「小沢先生は一切関係ありません」と言い張ったら、検事から「あなたは11万人以上の選挙民に支持されて国会議員になったんでしょ。小沢一郎の秘書という理由ではなく、石川知裕に期待して国政に送り出したはずです。それなのに、ヤクザの手下が親分を守るためにウソをつくのと同じようなことをしたら、選挙民を裏切ることになりますよ」と言われたんです。これは結構効いたんですよ。堪えきれなくなって、「小沢先生に報告し、了承も得ました」って話したんですよね。 |
中国では古代から国家の改革や国家防衛の意気に燃えた政治家や軍人をバカな皇帝に讒訴することで,当面の自分の地位と権力の安泰を図ることが常時行われた。たとえば北宋では王安石が,南宋では岳飛が讒訴を受けて失脚・自刃させられ,当時世界の1/2のGDPを誇ったといわれる国家が北方民族の支配下に入ることになった。
いまや日本では皇帝は,裸の王様然とした国民であり,それの耳目を塞いで讒訴しているのは,検察・裁判所やマスゴミである。日本人は今後どの異民族支配の頚の下で生きて行かねばならないのだろう。
最後の一文は昨年に書いたものであったが,もっと追加したいことがあったため,上げずに置いていたら年越しをしてしまったものである。
2011年版完