Dr. YIKAIの言いたい放題「日本の世相と中国関係」
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2012年1月20日 | 河蟹国家日本 | |
2012年1月30日 | 古屋のもり | |
2012年2月9日 | 空洞化の拡大 | |
2012年4月4日 | 晋商の没落 | |
2012年4月12日 | 二度あることは三度 | |
2012年4月22/26日 | 小日本 | |
2012年7月13日 | 情弱 | |
2012年10月27日 | 意図的誤報 | |
2012年11月23日 | ウリナラ | |
2012年12月26日 | 客家 |
2012年1月20日 河蟹国家日本
冬の寒い時期,中国上海では「上海蟹」がたいへんな人気である。この蟹は淡水蟹で,すでにひどく汚染されている蘇州の陽澄湖や長江河口の巨大中州崇明島(注1)などで養殖されている。この蟹は雑食で多くの国では好ましくない外来生物の分類に挙げられていて,まるで大陸の中国人のようである。日本原産で,大人しく唐揚げにして食べられてしまう,まるで日本人のような沢蟹とは大いに異なる。
しかしどちらも淡水を好む河蟹なので,大海はあまり知らない。すなわち彼等は皆“井戸の中の蛙”の親戚なのである。
じつは,中国語では「河蟹」はhéxiéと発音し,現在の胡錦濤中国国家主席が提唱した「和諧社会」(“調和がとれた”社会)の「和諧」と発音がまったく同じである。発音からすると,“調和”が取れたということは,取りも直さず「河蟹」(井蛙)になったということになる,という皮肉である。
実際に大陸の中国人は,共産党政府のGFW(Great FireWall:防火長城)方策によってinternetが封鎖され,世界のことはおろか国内で起きたことも何も知らない状態に置かれている。養豚家は大陸のnet上の友人にさえ,“こんなに中国が発展して世界中の注目の的になっているのに,なぜあなたは中国をもっと尊敬しないのか?”ということを言われて,あきれ返ったことがある。
では,自由に世界中の情報が入手できる日本人は,日本国内や世界中の情勢を正しく自分で理解しているか,というとまったく嘘である。政府や役人の言うことをまるっきり信じない中国人とは違い,日本人は政治家・役所やマスゴミが発表する内容を丸呑みで信じている。すなわち,ほとんどの日本人は「和諧」されてしまっているのだ。
なお,中国語の「和諧」にはすぐに裏の意味ができて,net上で「被和諧了」などと書かれていると,共産党や役人のご意向に反したから“処分された,ぶち込まれた,消された”などという意味である。
民進党が一時政権を持っていた台湾なら日本よりましかというと,じつは決してそうではない。実際どこの国でも利権を手にした層は,将来の危険を顧みないで,目の前の既得権を守るために汲々となっている。1988年李登輝元総統により,ようやく台湾に民主と自由がもたらされたことを忘れて,自分の利権確保のために大陸中国共産党のご機嫌を伺っているような人々が増えてしまっている。
台湾最大の利権は,対大陸投資である。今や世界最大規模のEMS(Electronic Manufacturing Service:電子機器受託生産企業)になったFoxconn(富士康)は,もともと台湾のB級品connector製造会社だった。廣東省を中心に大陸中国で50万人以上の中国奥地から出てきた若年労働者を搾取して,年間一千億米$もの売上を上げている。日本でもuserが飛びついて買っているAppleのiPhoneもこの会社で製造している。
彼ら大陸に進出した台湾の商売人は,台湾と大陸との関係が今のままであることが一番望ましい。しかし一方,墨染めの衣の下に甲冑を纏っている中国共産党政権は“権力は銃口から生まれる”という毛澤東の教えをいまだに硬く信じている。機会があれば武力で脅してでも,台湾という果実を呑み込もうと虎視眈々なのである。
その前に共産党の傀儡でしかない国民党政権が台湾の土着政党民進党に破れることがあってはならない。去る1月14日の総統選では,共産党は口先で国民党支持を高らかに言うだけではなく,大陸出身の国民党の馬英九を応援するために,拓殖大の丹羽氏によると,“(20万人とも言われる在大陸台商が)投票のために帰国する際,飛行機代や宿泊代を支給するよう指示を出した”,そうである。
1966年に始まった大陸中国の文化大革命で数千万人規模で自国民を死に追いやった中国共産党と1947年の二二八事件で親日派5万人近くを虐殺した国民党の考え方は同根である。彼等は,日本軍がやったと言っている南京大虐殺よりも,はるかに大がかりに自国民を抹殺した為政者たちである。そのような両党の第三次国共合作劇に,今回の選挙結果でも分かるように台湾の既得権者たちはすっかり騙されている。
日本はどうかというと,台湾以上に事態は深刻である。小沢一郎の裁判は茶番でしかなくなったにも拘らず,マスゴミは全力を上げて彼を叩いている。小沢氏が甦って自分たちの目前の利権を奪ってしまうことに恐怖感一杯なのだ。日本は人気取りしか眼中にない大阪の橋下がやっているような,小手先の誤魔化しと戦前並の教育政策を続けていると,せいぜい10年で滅びてしまうのに,既得権者たちは今日の続きが明日も来ることを疑っていない。小沢氏が民主党のmanifestoで示唆した日本改革案は,ほとんどの日本人にとって辛いものであろう。しかし,もう末期ガンに近い状態の日本が,円高のおかげで目の前だけ小康状態を保っていても,立ち行かなくなるのは明らかである。もう一発10年以内に東南海大地震が来れば,ガタガタになってしまうのである。
世界のことがこれだけ伝わってきている日本でも,1947年に起きた前述の二二八事件(今は台湾の休日になっている)を知っている日本人は僅かである。直木賞作家の邱永漢はその時日本に逃げて来たのだ。さらに昔の話となると,高校の歴史で習っても忘れている,というか気にもとめていない。歴史上の地震の話であるが,1755年PortugalのLisbonを襲ったM8.5~9の大地震では,15~20mの大津波とそれによる火災によって5,6万人が死亡し,それ以来世界の七つの海に英・西と覇を争ったPortugalは大した国ではなくなってしまったのである。日本で原発を設置する際に知ることができた,貞観大津波よりも近い時代のこのような津波の例はいくらでもある。
もちろん,Portugalでも宰相Sebastião José de Carvalhoの手によって震災後の復興は行われた。しかし,守旧派の抵抗に遭い,日本にも宣教師を派遣したIesu(イエズス)会など多くの旧権力者が失脚したり国土を追われた。それでも,現在の日本と同じく加工貿易立国だったPortugal経済の落ち込みはひどく,工業の復旧に時間がかかる内にインフレが起こり,植民地からの収益への依存度も上がり,やがて衰退したのである。
日本が今後大した国ではなくなるかどうかは,正に地震後の日本をどうするかにかかっている。しかし,すぐに再建に導いた当時のPortugalの宰相ほどの先見の明を持ち,守旧派を追い落とすだけの人物が総理大臣なっていないのは確かである。現時点では小沢一郎位しかそのideaと胆力とを有する人物はいないのであるが,マスゴミに目耳を塞がれた日本人は無意味に小沢氏を嫌っている。守旧派の思う壷である。
復興は,放射能の除染などというどうせ大多数の住民がジジババだけになってしまう地域にお金を投じないで,原発地帯を避けて福島県東部を無人化するくらいの構想で,限られた予算や人材を迅速に投じないと間に合わない。総花主義で,既得権をみんな守っていたら,みんなでPortugal以下になってしまうのは火を見るよりも明らかである。
西日本の旅館やhotelは観光客が減った責任を東京電力に押しつけて賠償請求をするそうである。東京電力にはお金がないのだから,国民みんなの財布から巻上げることになる。自分だけが他人よりも得をしようという既得権丸出しの魂胆である。そんな形で賠償金をねだるような考えでは,震災がなくてもやがてかれらの商売は行き詰まったであろう。
今の円高投機gameはいつか終焉を迎える。その時にGDPの二倍を越える負債を背負った日本国家は,今の欧州の国々のように倒産しなければ,物価が数倍になるインフレがやって来る。そうしなければ国債は返せない。しかし,東京都心部以外の不動産の価値はインフレ率ほどには上がらずに,円預金よりはマシな程度しかならないだろう。
外国語に不自由を感じない人は,早く日本から逃げだすことをお勧めする。中国語ができる養豚家は,台湾も共産党に乗っ取られる危険があるので,困っている。
注1
崇明島は月島のような河口の中州であるが,琵琶湖の二倍もの面積を持つ。上海との間に高速道路や地下鉄が通ったので,上海の一部として浦東地域に続いて発展しつつある。
2012年1月30日 古屋のもり
私の知人で原発事故で放射性元素が飛散した後,自分が住んでいる周りの放射線量を軍が放出した機材を使って調べている人がいる。最近来た情報では,昨年見つかった高濃度spotはなくなったとのことである。
過日、線量スポットで12μSv(1.2mRAD/HR)の所もある情報をお送りしました。昨日、同地点の再測定する事が出来ました。 再測定では測定器のメーターは振れず、音響測定した所; 平均59.67cpm こちらの計測器では1cpm、0.002μSv/hr相当に変換でき;これはおおよそ0.1193μSv/hrに相当します。(当測定器のみでの換算値で小数点3位以下はあまり意味はあ りません。) 昨年の夏、かなりの『豪雨が何回もあり、除染された』と考えられます。 ここまで減ったのでその場所を公表(メールの方のみ)しますが、県の施設の裏手の芝生でした。良かったのか悪かったのかですが、ここは高台で結果的には下の地域の土壌へ行きある程度沈着、さらに道路の側溝を経て川へ流れたと考えられます。 現在、県発表でも0.10を越える場所は数カ所あります。ある農産物が高い線量を示していましたが、現在では低くなっていると思われます。以上により、この県にお住まいの方はとりあえず安心して良いかと思いますが、0.11μSv/hrを越えると3.11以前の設定値の人の限界量年間1mSvに達します。 |
この連絡で知人の意図するところは,“放射性物質の除染と簡単に言っても,昨年何回かあったあのゲリラ豪雨のようなものすごい量と強さの水を吹き付けないと1/10くらいにならなかった,という事実”を知って欲しいということである。
実際に昨年の原発事故で放散された放射性物質によって新たに癌になる人数は,疫学的には数10年後にならないと推定できないが,広島・長崎の経験から言うと,大気汚染やタバコが原因で肺癌になる人よりは少なそうである。
広島・長崎の資料によると0.1Gy(注1)以上の放射線量を被曝した人は,固形癌の自然発生数に対して有意に増加が認められ,その被曝量に応じてだんだんと上がって行くということである。ここで知人が言う原発事故以前の国の安全基準は,事故後に政府が決めた放射線原因物質除染基準の半分の値である。
したがって環境自体から直接浴びる放射線は,多くの閾値地域でもあまり神経質になる必要はないと養豚家は考える。では何が問題かと言うと,体内に放射性物質を取り込んだ際の被曝である。これには当然ながら今回の原発事故で飛散し除染の対象となっているCs137があるが,案外無視している物質にPb210(鉛)がある。ほとんどの放射性元素の崩壊最終生成物は鉛である。しかし,Pb210は放射性同位元素で半減期は22.3年と比較的長い。
この崩壊系列は地殻中に含まれるU238を起源とするもので,途中U234やTh230,Ra226など半減期が長い物質を経て,一連の崩壊過程の最終段階に近いところで一旦鉛になる。Pb210はそのほとんどがCs137と同じくβ崩壊(高energyの電子線が出る)し,再度鉛になる途中でα崩壊するPo210になる。Po210は比較的寿命が長く半減期が139日ほどである。α線は透過力が弱く紙一枚で遮ることができるが,もし体内にPb210があるとその娘核種であるPo210が出すα線はほとんど体内の細胞に照射されてしまうと見てよい。
なお,α線の放射線障害はβ線に比して大きく,生体に与える影響を数値化した放射線荷重係数は20倍にもなる(注2)。すなわちPb210はそれ自体が出すβ線以上にその崩壊物であるPo210が出すα線が怖いということである。
では自然界に存在する鉛がどうして体内被曝に結びつくのであろうか。鉛は通常,食品や飲料(一日約300μg)および大気中(主にRadon gasにより,一日約30μg)から体内に取り込まれる。しかし,ほぼ同量が排泄されていて鉛が蓄積することによる中毒は,職業的に鉛に接しないかぎり起きない。しかし,タバコを吸うと確実に鉛の吸入量は増える。ちなみにタバコのfilterによる鉛の除去効果はほとんどない。タバコの煙の場合大気と異なり,吸った鉛の一部が排泄されずに気管支にヤニとなって吸着することが問題(注3)なのである。
タバコは根や葉から鉛を選択的に吸収し溜めることが1960年代にはすでに分かっている。もちろん放射性のPb210もその中に含まれる。したがって,Cs137の20倍も生体に影響が出る可能性があるPo210が,タバコの煙と共に喫煙者だけでなくタバコの副流煙を吸った人の気管支にもPb210の産物として溜まる。その意味ではタバコによる内部被曝の問題は原発事故による内部被曝の可能性と同列に議論してもよいと思う。なぜなら原発事故の被曝は時間が解決するが,タバコは時間では解決しないからである。
なお,経口摂取で体内に入るCs137は鉛と同じく一定の時間(鉛は平均200日)で体内から排出される。
このように,原発事故で拡散した放射性物質やタバコに含まれる放射性物質の量を可とするか,これが危険と見るかは個人の観点の問題であり,それをどう扱うかは国家の将来の問題であろう。
いずれにせよ放射性物質による汚染を怖がるなら,汚染地域をすべて買い上げて無人化してしまえば,無駄な復旧費用や除染費用は発生しない。幸い汚染地域は人口減が激しい地区である。この地域をすぐに住めるようにすることなどは無駄な発想でしかない。2050年の日本の予想総人口は一番楽観的な政府の予想ですら9,500万人しかない。2050年頃には日本中空き地と耕作放棄地だらけになる。無理して放射能汚染があるところに住む必要はまったくない。福島県の浜通りの現状50万程度の人口は,2015年ごろの日本の総人口の年間予想減少数と同じ水準でしかない。
原発事故で飛散したCs137 は半減期が30.1年なので,300 年も経てば放射線量は千分の一に減り,多分福島第一原子力発電所の周辺以外はまた住めるようになる。現在の汚染地帯はなくなると考えても差し支えない。
多分,原発事故の放射線被害をこれからも声高に唱えるということは,補償金収入を狙っている人には重大な意味があるが,そのような人のためには汚染地域から逃げ出すための助力をするのが,日本の滅亡を遅くするためには最善だと思われる。世界の歴史を見ると,諸般の事情で住めなくなった場所からは人々は逃げ出している。そのような地域や国を頑張って維持するのは,結局は滅亡への時間を短縮するだけに過ぎない。
どのみち,今の高齢既得権者たちが目先の利益とマスゴミに躍らされている日本は,将来中国に蹂躙されるか,米国に隷属するか,Russiaが泥棒に入るかしかない。真に第三の道を歩もうとすれば,当面は現状よりももっと苛酷な選択(たとえば年金半額,物価二倍,医療費は半額負担など)をしないと,今後日本を独立国家として維持できないのは明らかである。
現状Asiaで日本に好意的な国は台湾くらいしかない。やはりTPPで日本を米国と一体化しないと,中国が触手を伸ばしてくるのを防げない。野田政権のTPP参加方式は,自公政権時代とまったく同じく,ただただ米国のご意向通りという姿勢なので,交渉などはまったく無意味である。しかし今後はTPP参加なしの日米安保体制は存在しないと考えるのが世界の常識である。第二次世界大戦前のblock経済体制の再現である。
交渉事は“手持ちの札を如何に高く相手に売りつけるか”ということであるから,日本側に世界情勢に明るい政治家がいないとTPP交渉は成功しない。たとえ現政権を見切っても橋下の維新の会やみんなの党のように世界情勢に音痴で,対米・対中pipeが何もない連中では,結局役人の言う通りにしかできないだろう。それでは自公政権や管・野田総理とまったく同じである。既得権を失うことを恐れたマスゴミや役人に騙されて,対米・対中に長い間pipeを築いて来た小沢氏を交渉人に使えなくした日本人は,つくづくアホとしか言いようがない。
TPPに反対する人たちは“TPPでは農業や医療保険制度が破壊される(既得権がなくなる)。”と叫んでいるが,じつはTPPに参加しないで現状のまま放っておいても,Asia地域での経済的な孤立や自己矛盾と中国などからの経済攻勢でTPPに参加したのと同じ水準まで破壊されてしまうと養豚家は予想する。今回の地震や原発事故への評価でも,すでに海外では次に起きる地震での産業破壊や高齢化による日本の消費衰退を重視している。
これらはどちらも避けられない未来である。たとえば,世界一の石油major Exxon Mobilは今月29日に日本事業の大幅縮小を発表した。日本企業の脱出だけでなく外国企業の日本からの撤退も始まっている。これからも日本に積極的に進出しようとして来るのは,死肉を漁るハゲ鷹fundとハイエナ中国企業くらいだと思われる。
海外の連中は資源がない日本国土自体にはあまり魅力はない。たとえば新しい製品や概念を打ち出せる有能な日本人だけを,彼等の国に取り込めばよいという考えもあるのだ。日本から国外に留学する若者は確かに減少しているが,現状の国内の就職口が見つからないという逼塞感の下で,優秀な若い世代がどんどんと海外に引き抜かれたら,日本国内にはカスと高齢既得権者だけが残る。
そんな廃人ばかりの国は侵略する魅力すらなくなるかも知れず,韓国辺りに食いつかれて逆日韓合邦となる可能性も大である。早いところ台湾と連邦を組むほうがよいかもしれない。
政治家に国家観と世界観がないのは政治家だけの責任ではなく,それを選ぶ国民に責任がある。そうして見ると,投票行動で高齢既得権者が国を牛耳っていると,若者には将来への夢も希望もなくなるのは当然だと思うし,少々の放射線を浴びても余命が大差ない老人が放射線量に一喜一憂しているよりも,重篤な国家の癌状態が先に日本を瀕死の重症にしてしまう可能性を考慮すべきである。国民個人が恐れている50年先に発症する原発事故由来の癌などは,他の病気を保険治療するだけの国力がなくなった将来の日本では,計算外になってしまうと思う。
このように,原発事故によって拡散した放射性物質やTPP参加より怖いものは,老齢既得権者による政治支配である。日本昔話に“虎狼よりも怖いのは古屋のもり”というのがある。このままでは日本は国家の屋根がボロになり,やがて“雨漏り国家”になって行くだろう。
注1
1Gy(グレイ)は人体が吸収した放射線量を測る単位で,体重1kg当り1Jのenergyが吸収されたときの値である。電磁波であるX線やγ線,電子線であるβ線は,1Gy=1Sv(シーベルト)である。吸収率は位置関係や着ている物などでも変わるので,X線やγ線と比べて透過力が弱いβ線は,放射性物質を体内に取りこんで保存しないかぎりひどく心配する必要はない。
なお,ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告によると一般公衆が1年間にさらされてよいとされる人工放射線の限度は1mSvである。一方,自然界から1年間に受ける放射線量は日本国内平均値では1.5mSv,世界平均では2.4mSvと言われている。したがってこの限界値だと癌への影響が出はじめるとされる積算値が0.1Svになるには,日本国内では自然放射線量を含めて40年かかる。
今回除染基準として国が決めている1時間当りの値は0.23μSvで,この値の所にずーっと立っていると50年ほどで広島・長崎での有意発癌増加の最低限に達することになる。もちろん,放射性物質であるから主なβ線源であるCs137は約30年で半減する。したがって手粗い計算で行くと,この基準値は生れたての子供が今の平均寿命(女子で86.4歳)までそこに住んでいて残留した放射線を浴び続けていると,癌になる確率が1%近く上がるということになる(指数関数的に減衰する放射線量の積分値は86.4年で約0.0767
Gy)。
一方,現在の疫学調査の結果では,もし癌がすべて治療できても平均寿命は3~4歳伸びるだけであり,仮に放射線による癌の発生率が10%上昇してもたかだか半年ほどの平均寿命の差にしかならない。
注2
放射線荷重係数は浴びた放射線の物理量が生体にどの程度の障害をもたらすかを線種ごとに決めたもので,RIST(財団法人高度情報科学技術研究機構)の原子力百科事典2006年1月のdataによる。
注3
1本のタバコ(約1g)には0.96~2.0μgの鉛が含まれている。そこから出る主流煙中に2~6%,副流煙中に10~16%の鉛が含まれていて,タバコの煙を吸った人の体内に蓄積する。喫煙者が一日20本吸うと,1μgほど余計な鉛を肺に入れてしまい,その8%は肺の気管支の分岐点にヤニと一緒に付着し,なかなか体内から排泄されない。
通常の呼吸で肺に吸込んだ鉛はそのほとんどが呼気と共に排出されるし,体内に取り込んだ分も200日程度で尿から排出される。一方ヤニの分解・吸収には10数年かかると言われており,もし吸いつづけると常時3mg以上の鉛が肺にある計算になる。
2012年5月28日 追加
実際に放射線で細胞を破壊するには驚くべき線量が必要である。
輸血の際に起きる死亡率95%以上と言われる輸血後移植片対宿主病(PT-GVHD:Post Transfusion-Graft Versus Host Disease)を防ぐために,日本赤十字社では15~50Gyの範囲で輸血血液に放射線を照射している。じつに日本における年間の自然放射線量1.5mGyの1万倍以上である。この放射線量は通常のX線発生器で10分以上必要とする。
この病気は輸血血液中の白血球が増殖して患者の身体を異物として攻撃するもので,白血球活性が高い新鮮な血液や輸血した白血球が生き残り易い親族間での輸血が多い日本では特に深刻であり。1981~1986年の6年間に行なわれた63,257件の手術で96例が発症したとされる。平均して他人で300~900回の輸血で一人,親族間だと50回で一人発症する。
これを防ぐために,1996年からこの放射線照射が行われている。照射によって輸血血液中のvirusに突然変異が起って,それが患者の免疫機構をすり抜け,重篤な病気に罹ったり癌を発生させる可能性は残るが,上記のPT-GVHD発症確率には及ばないので実施されている。
2012年2月9日 空洞化の拡大
土浦駅前の再開発高層ビル(マンション)の下に入居しているイトーヨーカ堂が,2月2日に売上不振を理由に下記の通り撤退することを表明した。
イ トーヨーカ堂(東京)がイトーヨーカドー土浦店(土浦市大和町)を閉店し、撤退する意向を市に伝えたことが2日分かった。関係者によると、閉店は来年2月末ごろになる見込み。同店は土浦駅前地区市街地再開発事業で建設された再開発ビル「URALA(ウララ)」の核店舗。市は今後、同社が所有する床の買い取
りを検討する。市は現在、中心市街地への市庁舎移転を審議しており、影響は必至だ。 イトーヨーカ堂関係者が同日、土浦市役所を訪れ、中川清市長に伝えた。 同店は同社が「ウララ」の保留床を約68億円で取得し、1997年10月に開店。県県南生涯学習センターが入る「ウララ」の4階から地下1階を占め、売り場面積は約1万5千平方メートル。商都復活、土浦駅前活性化への起爆剤として期待され、売り上げは98年度が約89億3千万円、99年度が約89億2千万円と滑り出しは好調だったが、モータリゼーションの進展や大型店の郊外進出、消費者ニーズの多様化などで近年は業績が低迷していた。 「ウララ」には同店のほか、28の専門店が営業しており、核店舗撤退の波紋が広がりそうだ。 市は市庁舎建設審議会で、同市下高津1丁目の現在の庁舎移転候補地を、中央1丁目地区(京成百貨店跡地など)、「ウララ」に近接する土浦駅前北地区(大和町・有明町)、川口2丁目用地(京成ホテル跡地)の3カ所に絞り込んで審議。本年度中に決定する方針だが、同審議会の一部委員や市議から、イトーヨーカドー土浦店を候補地に加え検討すべきという声が上がっていた。 同店が営業中であることを踏まえ、候補地には挙げられていなかったものの、撤退による中心市街地空洞化加速に歯止めをかけたい市は今後、床の買い取りを前向きに検討するとみられる。価格や専門店の問題など課題は多いが、「ウララ」が市庁舎移転候補地に加わる可能性も出てきた。 セブン&アイ・ホールディングス広報センターは「今回はまず、こちらの意向を伝えさせていただいた。開店から15年目に入り、当時と環境が大きく変わる中で、周辺のマーケットに対応できなくなっている面があった。閉店時期については、地元の意向をお聞きしながら詰めていきたい」などと話している。 |
昨年の言いたい放題で,養豚家は震災の報告と共に土浦駅前の空洞化について触れた。それから一年を待たずして予測が現実になってしまった。まあ,誰が予想しても当たる銀行raceではあるが,こうなることは今世紀に入ってすぐに分かっていたにも拘らず,街の活性化について消極的な明治時代から続く駅周辺の商店街の超保守的な地権者たちは,解決を先送りにしてきた。
実際に駅前空洞化現象はここ土浦に限らず,日本全国いたるところで起きている。しかもそのほとんどの地域で空洞化の原因を,市や商工会の連中は上記の新聞記事にあるように,買物客の自動車による移動や,郊外大型店,消費者のneedsの変化など,他人に求めていて,少しも自分たちの先見性のなさや努力不足を顧みていない。
ご存じのようにイトーヨーカ堂は,北千住駅から日光街道バイパスに出るところにまだ“プライス”という系列店の名前で残っている洋品屋さんが始まりである。その営業戦略はぴたりぴたりと当り,日本を代表する小売業となった。したがって,土浦店についてもその持つ最大のknowhowを投入したであろうことは,想像に難くない。
しかし,その店舗をscrap and build方式でプライスなどに転換するのではなく単なる撤退という決定をしたからには,イトーヨーカ堂は相当に頭に来ているに違いない。なぜなら,土浦市にはいくつかのshopping centerがあるが,2009年に市郊外の花火会場のすぐ横に開店したAEON土浦が大繁盛しているからである。
ここのAEON土浦は端的に言えば,イトーヨーカ堂も全国で展開しているのと同じ形態の総合SC(Shopping Center)である。スーパーAEONを中心に映画館や家電量販店,飲食店,書店,衣料品店などを取りそろえて,一つの街を構成している。昔なら徒歩・自転車あるいはバス・電車などの公共交通機関で人が集まった駅前繁華街を意図的に創り出して,基本的には自家用車で来る客層を相手にしている。
もちろん駐車場には常に車が溢れている。すなわち需要はある,ということである。土浦駅前商店街の経営者たちは,つくば市に客を取られたなどと寝言を言うが,養豚家からすれば,つくば市まで車で買い物に行くらいなら日用品は自転車に乗って地元で買って済まし,window shoppingは用事や文化的な催しのついでに東京まで電車で行く。そのほうがよっぽど発見も多いし楽しい。
もちろんつくば市でもそのような催しがないわけではないけど,車で行くということは出歩いた時の最大の楽しみである一杯呑むことができない,ということである。
実際に,東京に住んでいたころはつくば市を抜けて往復していたこともあり,よくつくば市内で買い物をしたり食事をしたが,どこへ行くにも必ず車のengineをかけなくてはならず,どこかに車を止めて街をそぞろ歩くということが出来ない。そんなことが出来る場所はSCなどの人工的な街の中しかない。すなわちつくば市は自然都市ではないのだ。
つくば市の先住民というか議会で勢力を有している土着民達は,研究学園都市という天から振って来た幸運に頼って自分たちは土浦市より進んでいると思っている感があるが,これら土着民達は所詮土浦の商工会が牛耳る市役所や市議会と同じく何もしない連中だから,つくば市もかなり近い将来空洞化を招くと思う。根がない都市の将来は,多摩ニュータウンだけに留まらず東京周辺の住宅団地を見れば,将来の予想は簡単に付く。
現時点ではTX(つくばエクスプレス)の開通で東京に近くなったから,つくば市西部の人口は増えつつある。しかし,これから人口減少の時代に入ると,土着民ではないつくば都民は逸早く東京へ逃げ出す連中でもある。なにせつくば市には新宿・銀座やアメ横・巣鴨の地蔵通りのような楽しさがない。神社仏閣や名勝も少ない単なるど田舎である。すなわち土着民の年寄り以外には住みたくない人造の環境なのである。しかも元々は茨城の西蔵と言われた所なので,つくば市の観光地は筑波山くらいしか思い浮かばない。
話しがちょっとそれたが,ついでにもう一つcathedral(伽藍)とbasar(バザール)というsoftwareの開発手法に関する概念(注1)がある。そこでは伽藍とbasarを対立する概念として捉えている。しかし,商店街はそのどちらかだけでは成り立たないのである。
実際多くの自然成立した商店街と人造のSCとは形態としては同じ構造をしている。まず人が集まる中心となる伽藍がある。門前町や城下町,港町はその典型である。近現代になってからは,駅や大学・病院なども人を集める力を有するようになった。すると,集まった人々に食事や便宜を提供する商人が集まってきて,“門前市をなす”状態になるのである。権力者や行政が何も規制をかけなければ自然とbasarを形成する。するとbasarが人を呼び込み,伽藍に来る人が増えるだけでなくbasar自体もさらにも繁昌する,というのが商業地域発生の手順である。
一方SCは伽藍とbasarの組合わせを商業資本あるいは行政の手で一気に作ってしまうものであるが,通常は当初に計画した以上の規模には拡大できないし,何処にできたものも同じような全国展開している店舗が入店していて構成に特色がなく,basarの持つ得体が知れないけど気持ちがワクワクする感じがない。
もちろん掘り出し物や値切り交渉とは無関係である。すなわちSCはいまや全国に拡がったコンビニの大規模なものに過ぎないと言ってもよい。だから,より新しいSCが出来ると周辺の色あせたSCは滅びるのである。これが,今回のイトーヨーカ堂の撤退劇の筋書きである。
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話を元に戻して,イトーヨーカ堂の立場としては,以前の土浦駅西口北側にあった店舗から市の要請に従って現再開発ビルに入居したわけだが,自由に集客するにはあまりにも不便な構造であったと言えよう。再開発ビルは高層マンションに多数の住民がいるにもかかわらず,それだけで伽藍とbasarを構成することもできなかった。本来古い駅前商店街との連携を図ることで,吉祥寺駅前のような街にすべきなのだが,市や地元商店街には土浦駅とイトーヨーカ堂および街の商店街・市内交通を繋ぐ物理的構造というか人の流れを誘導する発想も貧弱であった。
土浦駅東口に住んでいる養豚家からすれば,現イトーヨーカ堂は駅ビルを除けば一番近い大規模店舗であるにもかかわらず,これほど行きにくい店もない。
上記の1と6以外は土浦駅を利用している通勤客にとっても同様な難点かもしれない。すなわち再開発ビル(マンション)は伽藍となる機能を有していなかったのである。というか最初から伽藍とbasarという考えで駅前の街を再開発したのではなく,単に駅前をかっこ良くしたいという見栄と,建築工事で儲けたいという思惑からできた伽藍もどきの建物なのである。市や地元商工会の思惑がからんだ再開発施設が,利用者の目線で作られていないから人が集まらない。
駐輪禁止条例で駅周辺を自転車で移動するという手段まで排除してしまい,basarをそぞろ歩く楽しみもないイトーヨーカ堂と駅前商店街では,無人化してしまうのは当然である。
その結果駅西口前商店街の地権者達は,閉鎖した店舗の跡地を駐車場にして固定資産税の支払に充てようとし,つくば駅周辺の半額以下という叩き売り料金の駐車場が乱立している。一方,原価主義で値段が高い駅隣接の市営駐車場はガラガラである。それにもかかわらず通勤客は空いている高架道を通り,駅東口に拡がる月極の駐車場に車を置く。当然ながら駅西口の商店街には立ち寄らない。車で帰宅途中のSCで買い物をすればよいからである。
Basar内の散策は本来徒歩または自転車である。それなのに土浦の市街地の道は自転車での通行を完全に無視して作られている。そのためすっ飛ばす車や田舎に多い耄碌運転の車(注2)が怖くて駅前まで自転車で行くことは困難である。
たしかに伽藍としての機能は,イトーヨーカ堂などの商業施設よりも市役所や病院のほうが優れている。他の業者によって郊外展開した施設では代替できないのでbasarは客を取られることがないからである。床面積があれば,市役所だけでなく市の保健所・図書館を初め,県や国の出先機関も登記や社会保険など事務処理だけで済む機能も一緒に収容してしまえば,市民だけでなく出張する県や国の人間も便利である。客が来ない駅ビルに市民用の窓口を設けるのも一法であろう。
すなわち,土浦藩当時のように行政や市民service機能を集中することで,移動に伴う行政や市民の無駄を排除できる。この点では1963年に岡の上に市役所を移転して,役人と議員だけが桜川の水害から逃れようとした腐った根性ををかなぐり捨てないと,市民はつくば市の外れの街という認識を持つしかないのである。
しかし,街を自転車や徒歩で移動するという観点がなければ,basarの繁栄はない。市役所が街から遠く離れた岡の上にあろうが駅前にあろうが,車社会の現状では大差はないのだ。SCのような作られたbasarは面白くないのだ。
さて,地方都市の空洞化はその街だけの対処で解消されるのであろうか?それよりも日本全体や産業の空洞化のほうがより重大ではなかろうか。この観点から見ると日本全体が空洞化していると養豚家は判断する。
日本は東京以外の都市は京都を除くと少しも面白くない。知的産業の立地にも適していない。伝統の重みを感じさせる小京都を任じている都市はまだましだが,大阪を初めとして小東京に成り下がった都市は,東京と地続きの街以外はどこも金太郎飴よろしくつくば市と変わらないつまらなさである。大阪都構想などは,ますます大阪の独自性を放棄する方向でしかない。
面白みがない都市には客は来ない。これが観光の大原則である。観光客が来ないような街には知的な人間も住みたくなくなるのだ。養豚家が以前勤めていた研究所はつくば市にあるが,昔の同僚は定年後はつくば市から離れて住んでいる。つくば市にはゴルフ場以外に何もないというのが,かれらの感想である。 したがって,世界に通じる観光地と東京以外は日本中すべて空洞化し過疎化する。人口減少が避けられない日本では,これを食止める手段はない。養豚家はこのまま駅前空洞化が進む土浦駅周辺に住んでいては,車で病院やSCへ行けない歳になったら,のたれ死にするしかないのだ。
注1
Eric Steven Raymondが1997年に論文で提唱したsoftwareの開発手法のたとえ方。Microsoftなどが取る従来型の開発手法を権威主義の伽藍と言い,serverなどで多く使われているLinuxのようなopen
source型の開発手法をbasarと名付けて,手法の優劣を論じた。ここではこの意味から敷衍して使っている。
すなわち伽藍は宗教上の目的のために上からの意思で作られるものである。一方basarは集まった人々がてんでに勝手に市場を構成したものである。
注2
今日(2012年3月14日)の午前中,養豚家は危うく車に轢かれそうになった。土浦駅東口前の往復4車線の市道を歩行者信号が青になったので,自転車で横断していたところ,市道側の赤信号で一旦停止した赤の軽自動車が急に発進してきて,横断歩道を加速しながら横切ったのである。
運転していたのは60歳を優に越えている白髪の耄碌デブババアであった。大声で注意したら,ちらっとこっちを見て素知らぬ顔ですぐ先の信号で停車している車群の尻まで50mほど飛ばして行った。
ここの信号は当然ながら連動しているので,信号無視しても必ず次の信号で待っている車の後ろに付けるしかないのである。地方都市ではこの手の耄碌運転と酔っ払い運転に遭遇するのは日常茶飯事である。下記の講演でも触れているが,人が歩けない街は必ず寂れるのが原則である。つくば市は最初からそんな街を作ってしまったのだ。
2012年3月14日 追加
駅前空洞化について,日本政策投資銀行地域企画部調査役(2002年当時)の藻谷浩介氏が洞察の効いた議論をしている。もしlinkが切れていたら,養豚家が内容を保存しているので,ご一報いただければ送付する。
2012年4月4日 晋商の没落
今日は清明節である。中国人は祖先の墓にお参りをする。台湾では今日4日だけがお休みであるが,大陸中国では今年は3月31日の土曜日と4月1日の日曜日が出勤日となり,4月2日から今日4日までが連休である。清明の時季になると江南では春めいた気候になり,人々も外出したくなる。宋の都開封府の清明の賑わいを描いた「清明上河圖」は,今年の1月に東京国立博物館で展示され,3時間並んで5分だけ見るという大盛況であった。養豚家も後学のためにヤジ馬になった。
唐末の詩人杜牧の有名な詩に,『清明』というのがある。「清明時節雨粉粉,路上行人欲斷魂。借間酒家何處有,牧童遥指杏花村。」この「杏花村」の所在地には諸説あって,「汾酒」の産地で有名な山西省の「杏花村」だという説が日本でも多くの人に信じられている。もちろん山西人は100%この説を信じていて,杜牧が実際に刺史として赴任していた安徽省の池州にある「杏花村」など他の地を比定する説には,猛烈に反発する。
たしかに唐代末期でも山西省の森林による被覆率は40%程度と言われ,現在の3%以下という悲しい状況よりも緑豊かであったかも知れない。しかし,先月末に山西省を旅行した養豚家の感想からすると,黄土高原のやつれた土地にある「杏花村」はとうてい「雨粉粉」などというのどかなものではなく,清明節は油断をすれば黄砂が舞う冬の終わりの時節である。水墨画によくあるように牛に乗った牧童が指さすなどという情景からは,「杏花村」は江南の地にあるのが好ましいと養豚家は思うが,どうであろう?
事実,先月末に中国北方は黄砂に襲われ,北京でも30日には黄色の土砂を含む雨が降って路上の車は泥だらけになったそうである。
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じつは,悪運強い養豚家は山西省から27日に帰国したので,すんでのことで黄塵舞う黄土高原に閉じ込められる難を避けることができた。
養豚家は,自分たちで企画立案した日中学院校友会の旅行団の一員として,中国の城郭都市が唯一ほぼ完全に残っている約1.5km四方の「平遥古城」,33万㎡の地に千室も有する山西軍閥「閻錫山」の故居,仏教の聖地「五台山」,北岳恒山の崖に北魏時代に建てられた「懸空寺」などを見てきた。
武侠小説好きの養豚家にとって,金庸の名作『笑傲江湖』の一舞台となっている「懸空寺」に実際に登れたことは,大感激であった。
さて,この農産物があまり豊かでない山西省では,農業で食い詰めた貧乏人の中から多数の行商人が輩出した。
かれらは,明清の皇帝が北方異民族(主に蒙古)の侵入に備えるために,同省北方の万里の長城の切れ目に駐屯させていた軍隊に補給をする仕事を初めとして,行商の足を蒙古のみならずRussiaのMoscowにまで伸ばしている。(注1)
じつは平遥はこれら商人の根拠地であった。明清代の中国では晋(山西省の一字名)商,徽(安徽省の南部の徽州)商と並び称されたが,財力では晋商が上であった。
実際に「票号」と言われる為替業務を始めたのも晋商であり,これにより現物貨幣である銀(江戸時代に関西で使われたのも銀で,決済は重さでする)を長距離持ち歩かなくても旅ができた。「票号」はもちろん金や銭との両替もしたが,江戸の両替商のようにはならず,より銀行的であった。
かれら晋商は明初から500年に亘り繁栄したにもかかわらず,清末に列強諸国が中国に侵入すると共に急速に衰えてしまった。もちろん晋商の中にも実業に進んだ者もいて,山西省特産の「汾酒」や「老陳黒錯」だけでなく,北京で営業している高級漬物店の「六必居」のようにいまだに続く晋商もある。
しかし,かれらは京都で長く続く上賀茂神社前の“すぐき屋六郎兵衛”のようなものであり,かつて平遥城内に根拠地を置いた「日昇昌」などの展示で見られる「票号」の莫大な財産と比べれは微々たるものである。
晋商が衰退した原因については中国でいろいろと取り沙汰されていて,守旧的になってしまったため西欧式の近代的な金融資本にやられてしまった,というのが通説である。養豚家は更に進んで,儲けた資産を産業資本に投資しなかったのが大きな原因の一つだと思う。
山西軍閥の総領閻錫山は,山西省の太行山脈ふもとの片田舎から日本の士官学校に留学した人物で,辛亥革命後北洋軍閥を擁して民国臨時大統領になった袁世凱亡き後,山西省を40年近くに亘って独立王国として統治した。
かれは,日本留学の経験からか,学校を創り鉄道を敷き幾多の産業を興した。日中戦争時には,表では石炭などの地下資源を求めて侵入してきた日本軍と渡り合いながら,裏では日本軍を利用して山西省の発展を企てた。
戦後,旧満州国からの帰還者とは異なり,山西省に駐屯していた日本軍と民間人から2,600名程度が閻錫山軍に残され,共産党軍相手の戦闘で500余名が戦死し,ほぼ同数が共産党軍の捕虜となりすぐには帰還できなかった(注2)。
日中戦争後の国共内戦で閻錫山は,太原の地主出身の徐向前率いる中国共産党軍の前に覇権を明け渡したが,“解放という輝かしい栄光”に包まれた徐向前よりも現地の普通の人々には人気が高い。それは,“解放後”の山西省の経済的な地盤沈下を見れば,“むべなるかな”と思うのは養豚家だけではあるまい。最大の産業である石炭鉱山も共産党中央の支配下にあり,地元産業資本家は育っていない。
かつて漢代に国家財政収入の1/8を占めたといわれる,山西省南部にある解池(塩水湖)で採れる天然塩が当時の皇帝の管理下にあって,地元にはほとんど利益をもたらさなかったのと同様である。
さて,今の日本であるが,大震災と共に襲った原発事故という黒船来襲に匹敵する事態に,小澤一郎という知恵者を座敷牢に押し込めたままで,たった一人の勝海舟もいない民主党幕府はどうするのであろう。
閻錫山がやったように大地震後に新しい観点からの産業を興すことなく,元の状態への復帰ばかり考えている守旧派の現地住民に対し,原発事故の賠償金や大地震の補償金というバラマキを続行している。
このままでは日清戦争の2億銀両(テール)に及ぶ賠償金が清朝と晋商を経済的に追い詰めた(注3)ように,ただただ増税で解決という財務省を含む既得権者の希望路線を走っていては,晋商の1/10の長さの50年にも及ばない日本の繁栄は,晋商の没落よりも急で厳しいものになるであろうことは,火を見るよりも明らかである。
注1
『左手晋商右手徽商』陳建林編著(2010年 中国・石油工業出版社)
注2
映画『蟻の兵隊』池谷薫監督(2006年)や『私は「蟻の兵隊」だった 中国に残された日本兵』奥村和一、酒井誠・共著(2006年 岩波書店) ,『蟻の兵隊 日本兵2600人山西省残留の真相』池谷薫著(2007年 新潮社)など。
注3
清初の乾隆帝のころは,銀一両は約37gの純銀に相当する重さであった。最近の銀価格はひと頃ほど安くはないが,2012年現在銀1gはほぼ100円であるから,2億銀両は今の7,400億円に相当する。日清戦争当時の1銀両はほぼ日本の2円弱だったが,賠償金を得た当時の日本の国家予算の約4.5倍になる計算だ。さらに,当時の銀の購買能力から見ると現在の数兆円相当となる。
2012年4月12日 二度あることは三度
二度目の殺人被害のニアミスである。養豚家は今年2月9日付けで土浦駅前のイトーヨーカ堂の閉店について書いた。そこで,地元の人間達の人任せというか横暴な生き方をあげつらった。そうして3月14日地元のDQN(注1)ババアに殺されそうになった。
ところで,養豚家は先月晴れて古稀になったので,自転車で歩道を通行する道路交通法上の権利を得た。霞ヶ浦に流入する桜川両岸の桜並木が満開になったので,自転車で花見をしながら買い物に出た。
するとスーパーの入り口のところで,今度は耄碌ジジイが左側から接近する養豚家を確認もせずにいきなり駐車場から車を車道に出そうとした。もちろん歩道をゆっくりと走っていた養豚家は何か変と感づいたので,車が出て来た頭で自転車を急停止させるのに間に合った。ところが,このジジイは何と自転車が目の前にあるのも気にしないで右方を見たまま車列が途絶えたので車を発進させようとした。
もちろん養豚家は逃げたが,車が自転車に軽く当たったことも気にしないので,車を激しく叩いたところ,手を振ってそのまま行こうとした。怒鳴るとようやく車を止めたが,車から降りて養豚家が怪我をしたかどうかを訊いたり謝罪するでもなく,そのまま逃げるように車道に飛び出して行った。このように先日のババアといい,中国人も顔負けの危険運転をする耄碌ジジイがいるのが,崩壊しつつあるど田舎の地方都市の現状である。
養豚家には幸い何も被害がなかったが,倒れたりしてケガをしていたら明らかにひき逃げ事件である。
ところでこのような寝ぼけたジジイが住んでいる街では,イトーヨーカ堂の撤退に対して,自分では何もしない土浦駅前の商工会は下記のような寝ぼけたことを言っている。イトーヨーカ堂の市への申し入れから2ヶ月も経って何を寝言をほざいている,というのが養豚家の感想である。
土浦市役所の新庁舎の候補地を調査研究する市議会「新庁舎建設調査特別委員会」(矢口迪夫委員長)が3 日あった。市がJR土浦駅西口駅前ビルのイトーヨーカドー土浦店閉店後の移転を選択肢としていることについて、市議から4月末までのイトーヨーカドー側への回答を先延ばしするよう市に調整を求める意見が出た。ヨーカドーは4月末を回答期限として、市に対し保有する床の買い取りを打診している。 特別委は非公開で行われた。矢口委員長によると、市議から「今月9日に土浦商工会議所などがヨーカドーに(撤退しないよう)再度申し入れるので、9日以降にもう一度検討したい」「4月末の結論をもう少し先延ばしできないか」などの声が上がったという。 |
住民がイトーヨーカ堂は必要がないと思っているから売上が減ったのである。それを店を一つも開けていない駅前商店街の連中が何を言うかである。自分たちの買い物の便だけしか考えていない。イトーヨーカ堂側としては,店の利益保証をしてくれれば残すであろうが。
ともあれ,養豚家はイトーヨーカ堂に買い物には行かないし,住民登録も東京都文京区に置いたままなので,この騒ぎは高見の見物である。用心すべきなのは,交通事故である。“二度あることは三度ある”から自転車での走行にはもっと注意しよう。
2012年5月3日 追加
下記の記事によると,土浦市は相変わらず田舎議会とお役人仕事でこのまま決定を引き伸ばしている。イトーヨーカ堂は一般公開で売りに出すかもしれない。相手は土浦市の特別会計を含む予算規模840億円の50倍以上の連結売上がある大企業である。86億円程度の床権利は,かなり損してでも処分できる。ぐずぐずと持ち続けることはないかもしれない。
養豚家は床をすべて土浦駅前の元丸井ビルのように水商売も含めて何でもありのbazarにするとか,人も通わぬ僻地沖宿に逃げ出した土浦協同病院の代りの個人医院群と養老施設にすればよいと思うが,どうであろうか。土浦カレ-などという怪しげな特産物を作るよりは,台湾の夜市のような街にしてジジババからもお金を吸い上げるようにすればよいと思う。
土浦市は19日までに、JR土浦駅西口再開発ビルのイトーヨーカドー土浦店閉店を巡り、イトーヨーカ堂から打診されている床の買い取りの回答期限を、当初の4月から6月に延期する意向をヨーカ堂側に伝えた。同日開かれた市役所の新庁舎の候補地を調査研究する市議会「新庁舎建設調査特別委員会」(矢口迪夫委員長)で明らかにした。同ビルはヨーカ堂の他36人の地権者がおり、今後買い取り金額を巡る複雑な交渉が予想されることなどから市は時間が必要と判断したと見られる。 市によると、36人の保有床は専門店など約5700平方メートルと駐車場約1万3700平方メートル。36人に市への売却の意向調査をしたところ、了解31人▽了解だが営業を継続したい2人▽判断しかねる2人▽回答なし1人--だった。具体的な売却金額は示されておらず、市議からは「36人とヨーカ堂で交渉させないと、市は高い買い物をすることになる」などと指摘する声が出た。同特別委員会ではヨーカドー撤退後の西口駅前ビルを新庁舎候補地に加えることが了承された。 新庁舎候補地は、中川清市長の諮問機関「市庁舎建設審議会」(会長・大沢義明筑波大教授)で議論されている(1)同市中央1(土浦京成百貨店跡地、JR土浦駅西口側)(2)JR土浦駅西口北(新図書館建設予定地)(3)同市川口2(土浦京成ホテル跡地、JR土浦駅東口側)に加え、ヨーカドー撤退後の再開発ビルも加わる見通し。ただ、再開発ビルの保有床を巡る売買交渉は各地権者の思惑も絡んで難航することも多く、市が目指す15年度中開庁に向け交渉がスムーズに進むか注目される。 |
注1
DQNは2ch(日本最大の匿名掲示板)用語で,Wikipediaによれば“ヤンキー(不良)など,粗暴そうな風貌をしている者や実際に粗暴な者,また非常識で知識や知能が乏しい者を指す。”ときに用いられる。
2012年4月22日 小日本(下に追加あり)
昨21日夜に東京から土浦に帰宅した。北千住から乗ったので,取り敢えず先に来た取手行きに終点まで乗って,次の水戸行きに乗り換えた。上野から土浦までで特急2本待ちという間隔が特急よりも開いている快速電車は意外と混んでいて座席がなかなか見つからなかった。当然ながら北千住乗車では立ちっぱなしになると思ったので,比較的空いている取手行きに座って束の間の着席を企んだのである。
取手で乗った際に車輌内を見渡すと,4人掛の箱席にニットの帽子を被っているDQN(4月11日注1)が通路側の席に一人で座って,足を向かい側に伸ばして,自分の横の窓側の席に自分の荷物を放り投げている。3人分の席があるのに女性や気が弱い人は座れずに立っている。
養豚家は席を拡げてもらおうと思って“すみませんが。”と声をかけたが,寝てもいないのに知らぬ顔である。そこで養豚家はもう一度“すみません”といって,このDQNガキのドタッと伸ばされた足を跨いで荷物が置いてない方の窓側の席に座った。
ところがこのDQNガキは人の顔を睨みつけている。養豚家は北千住から読みつづけていた本を見ていたが,その本の隅からガキの視線が伺える。何を頭にきているのか知らないけど放っておいて,窓に写っているDQNガキを観察すると,ズボンは例のごとく腰穿きにしており,網目から地が見えるニット帽を目深に被っている。20代後半のフリータか流れ労務者風であった。
このDQNガキは牛久で降りたが,降りるときわざわざ養豚家の靴先を蹴飛ばして,隣の席に放り投げて置いた荷物を養豚家にぶつけるように振り回して出ていった。もちろん養豚家はこんなDQNガキの相手をする気はないので,実害がなかったから無視した。多分,このDQNガキは束の間の小さな一国一城の空間を侵されたのがシャクに触ったのだろう。
養豚家はこんなDQNガキを生かしておくためにこの歳まで営々と仕事をしてきたのかと思うと情けなくなったが,すぐに今の中国人が日本人を蔑んでよく口にする言葉「小日本」を思い出した。この言葉は「日本鬼子」と共に,江澤民時代に強化された日本非難の中国映画やTV dramaには常時出てくるし,news以外の出演者もしょっちゅう口にする。かつて日本人が当時の支那人を“チャンコロ”と蔑んでいた言葉と語感は同じである。
このDQNガキに限らず,今の日本には中国人に「小日本」と蔑まれても仕方がないような人間がごまんといる。
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その中には橋下徹の唱える毛澤東並の大衆掌握路線に乗っかろうとする輩も含まれる。例えば左の報道はみんなの党の江口克彦が作った私案を基に,橋下に擦り寄って権力を得ようと作成した憲法の骨子のようだ。
全権委任法という法律でWeimarer憲法を否定した“国家社会主義独逸労働者党”(“みんなの党”と同じような胡散臭い名称だ)の党首Hitlerは,欧州を手始めに第二次世界大戦を惹き起こした。この憲法草案は正に全権委任法を目指している。国家主義な橋下の君が代斉唱の強制に擦り寄っていて,具体的な条文には,国民は行事の際には必ず起立して,国家を斉唱しなければならない,と記されると予想される。
日本でことあるたびに君が代の斉唱を憲法で強制されるくらいなら,出来が良い子供を持つ家庭では当然ながら留学させるし,知力とお金がある層は国外に逃げだすと思われる。事実いろいろな強制がある中国では,子弟を米国や英国,悪くても日本に逃れさせるのが,上位共産党幹部や国営企業家の常識である。
すなわちみんなの党は常磐線沿線にたむろしているDQNガキのために憲法を弄くるつもりだと勘繰れる。「小日本」な政治家である。
2012年4月26日 追加:「大中国」では謀略も「小日本」の比ではない
本日,民主主義国家であるはずの日本で起された日本の戦前体制を彷彿させる「大中国」に比肩できる謀略裁判で,無罪の地裁判決が出た。本来なら裁判にならない案件を強引に裁判に持ち込むために特捜部が検察審査会へ提出した捜査報告書の内容を偽造したことから考えると,公訴棄却とするべきであるが,日本の裁判官は検察審査会を操る最高裁事務総局に人事を握られており,検察の立場も十分に考慮しなければならないので,大善裁判官は政治資金収支報告書に虚偽記載はあったが無罪という灰色判決を出した。大善としては,ここまで推認を重ねて頑張ったんだけど,有罪にはできなかった,ごめんなさい最高裁事務総局殿,という判決である。
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大陸中国ならもっとdigitalな判決が出る。すなわちすぐに死刑にするか,今より出世するかである。それは,今でも裁判官の意思ではなく相手を裁きたいと思っている人間の胸先三寸で決まる。裁判官は判決内容を難しい法律用語に翻訳する単なる係員にすぎない。
死刑判決が出たらすぐに左の写真にあるような刑具で刑が執行されていた。今は死刑執行は量産が効く銃殺か薬物注射である。
小澤裁判は小澤一郎の政治力を削ぎたいという日本の既得権者(高級官僚・司法官僚・独占企業や組織・大マスゴミ・それらにぶら下っている電波芸者や学者達)の意向を酌んだ東京地裁特捜部が最高裁判所事務総局と共に起したと喧伝されている。小澤一郎が裁判中に述べた“この裁判では日本の民主主義の真価が問われる”という見解は本来重く受け止めなければならないが,大新聞やTVに洗脳された大部分の日本国民は,民主主義の片鱗も理解していないので,大新聞やTVによって刷り込まれた小澤氏の悪人像を元に小澤批判をしている。
しかし,やはり「小日本」では政治謀略の規模は小さい。伝え聞くところによると爪の先程の民主主義もない大陸中国では,一級行政区である重慶市の全権を握っていた薄煕来共産党書記が解任されて中央紀律檢査委員会の尋問を受けているそうだ。
彼の部下であった元重慶市副市長の王立軍は上司の薄煕来のために多くの政敵を捕らえ,多額の資金を没収・上納していたが,薄煕来に嵌められて生命の危険を感じ,今年2月に隣の行政区にある四川省成都の米国総領事館に駆け込んだ。ちょうど中国国家副主席の習近平が訪米中だったので政治亡命は認められなかったが,薄煕来やその妻谷開来および中央政治局常務委員の周永康の秘密の悪事について米国に資料提供したと言われ,現在米国側からその内容の一部が漏らされている。
谷開来は英国側が真相究明を求めていた英国人実業家の死亡事件について毒殺容疑ですでに司法機関に送られており,彼女は周永康の悪事を暴露する代りに死刑の減刑という司法取引を提案している,と伝えられている。
女好きで強姦魔とまで伝えられている周永康は,道徳に煩い前妻が2002年に何故か運良く交通事故死するという奇禍に遭った後すぐに江澤民元国家主席の姪と結婚し,共産党中央政治局常務委員に引き上げてもらい公安部長と政法委員会書記になった。そうして,今回の小澤起訴における日本の特捜検察や最高裁事務総局に相当する権限を一手に握り,国内を左傾化させることにより対日強硬路線や国内言論統制の強化を謀ってきた江澤民一派の代表者に納まった。
つい今年に入るまで重慶市では薄煕来が主導した「唱紅打黒」(注)という運動が盛んで,打倒暴力団の名の下に薄煕来の前任者汪洋現廣東省書記の元部下とそれに繋がっていた役人や実業家を次々と捕まえては粛清(注)していた。
これは,いわゆる極左の毛澤東主義者がよく使う手で,日本でいうマスゴミによって操作された世論調査で得られた“民意”という言葉と同じく,大陸中国では表立って反対しにくいこの運動は,狙った相手を孤立させるには最適な“葵の御紋”である。
北京や上海など江澤民派が支配している所では,「唱紅打黒」のたれ幕は4月になってもまだ掛かっていたみたいで,中国事情がまったく理解できていないNHK TVが最近の中国の風潮として「学雷峰」運動を報道していた。ちょっとnetを見れば解る範囲のことですら,当局の発表を金科玉条と報道する日本のマスゴミのバカさ加減が異国での取材でも遺憾なく発揮されたようである。
ここにも,検察が一言“小澤一郎が悪い”と言えば,鸚鵡返しに国民を洗脳するマスゴミでしかない証拠が露呈してしまっている。
ところで大陸中国では,今年の秋の中国共産党第18回党大会で今の指導部(周永康を含む多くの中央政治局常務委員が定年)は引退し,国家の実権は現国家副主席の習近平体制に引き継ぐと予定されている。しかしそうなると,それまで江澤民一派が行ってきた過去の危ない所業が白日の下に暴かれてしまう危険がある。
そこで,周永康の後任に薄煕来を昇格させ,その管理する公安と司法の力で習近平を数年内に引きずり下ろし,薄煕来を国家主席にして毛澤東主義の路線を維持しようとしたのが,2月以来の一連の動きの背景ではないかと推察する人が多い。
じつは今度の小澤裁判についても世界は注目しており,日本は民主主義を勝ち取った国のではないので,このようなありえない裁判が起きるのだと日本をバカにしている。すなわち日本国民はすべて江戸時代から明治憲法下のお上意識から抜け出していない。
日本人は政治的には子供で,お上の言うことはなんでも正しいと思い,困り事はすべてお上に縋って解決してもらおうという意識である。自分で物事を判断して決めることができない人物が圧倒的に多い。大震災や原発事故の被害者だという人々も,“元に戻せ,補償金寄越せ,賠償金寄越せ”という親の遺産を食いつぶす道楽息子さながらの言動を続けていて,将来を見越した自助体制を築く気配が少ない。
中国人は基本的に政権を信用していない。だから自分が思うように政治に動いてもらいたいときは“金,物,女,利権,国外留学・脱出”などいろいろな贈り物をするのが常識であり,その極致に海外に1,000億円以上の資産を持ち出したと糾弾されている薄煕来事件がある。
民主主義国家であるべき日本では,いくら中国人に「小日本」と罵られても,小澤起訴のような大中国の真似をしてもらいたくない,と考えるのは養豚家だけであろうか。
注
(でっち上げだという噂がある)文化大革命時代の滅私奉公の英雄「雷峰」に学び,革命の赤い歌を唱って,暴力団を殲滅する運動。なお,中国では「粛清」は“正しく”する「粛正」ではない。「清」は“きれいさっぱり”という意味で,文字どおり“青い水”を指す。すなわち何も余計なものが入っていない水は太陽光が深くまで射すので青く見える。
中国料理の「清湯」は澄んだsoup,「清菜」は肉気がない料理,麻雀の「門前清自摸和」は人の捨て牌を取らないで上がること等,「清」は“ナイ”ことを表わしている。「粛清」で相手の命はなくなり,しかもその血で“お清め”するのだ。
じつは養豚家は文化大革命が盛んであったころに中国語を学んだので,下手な中国人よりも“赤い歌”は上手いかもしれない(笑)。
2012年7月13日 情弱
“情弱”という言葉をご存じだろうか。“情報弱者”の省略形のinternet用語である。意味は決してinternetが使えない人間を指しているわけではない。Internetで情報を集めていようがいまいが,自分で情報の真偽を確かめることをしないで,人の言うことを鵜呑みで信じる人のことを言う。これが日本人には特に多い。
東京都市大学(2009年武蔵工業大学から改名)名誉教授の青山貞一氏が現在のマスゴミのひどさに嫌気がさして,自分の放送局E-wave Tokyoをnet上に開設している。その内容はYouTube上で視られるが,マスゴミ報道鵜呑度は日本人70%,英国人14%と言っている。この数字がどれほど正しいかは確かではではないが,多くの人の実感ではこのような情弱者は日本人の50%をはるかに越えていはいるだろう。特に一日TVにかじり付いている老年者にはこの傾向が強い。
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ところで,いまあなたが幅10m程度の比較的狭い道の信号が赤で横断待ちをしているとしよう。そうして目の前の道路は見渡すかぎり車や自転車,人影もないとする。もし,あなたが車を運転していたり,たとえ自転車でも車輌等に属する乗り物を使っているときは,大人しく青信号になるまで待つことをお勧めする。それは万一交通警察に発見されたとき蒙る不利益が,赤信号を渡ったことで得られる時間的な利益よりもはるかに大きいからである。すなわち“発見される確率×不利益>時間利益”だからである。
一方歩行者なら,自分が交通事故に遭わないことを確信できたら,勝手に赤信号を渡ってほんの僅かの時間の利益を得るのが,猪瀬直樹がつぶやくように世界の常識である。たとえ交通警察に発見されても,今の法制上はあまりおおきな不利益はないのだ。しかし,このような状況下でも日本人はじっと信号が青になるのを待っているのが普通だ。外国から来た人には,まずこれが奇異に感じられ,次に日本人のお行儀の良さに感心し,最後にどこか変だと薄気味悪く感じるそうである。
猪瀬直樹のように奇異に感じている日本人はいるだろうけど,率先して自己判断で赤信号を渡る養豚家のような人は少ない。まあ,“赤信号みんなで渡れば怖くない”がムラ国家日本の本音であろう。でも,猪瀬さん,あなたがた既得権者たちが国民を情弱にしてしまったんじゃないのかと,養豚家は小一時間問い詰めたい。
信号の状態とそれを無視した際の利益・不利益は一つの情報であり,普通の人々はそれらの情報を基に自分の利益が最大になるように行動するのが普通である。でも,車一台通らない赤信号で待つ日本人は,じつはこの判断を放棄した情弱なのである。自分で情報を判断して行動できず,TVや新聞などのマスゴミで誰かが特定の意図を持って流した情報を鵜呑みにして,あたかも自分が正しい判断をしたかのように思い込んでいるだけである。青信号待ちと同じく自分の判断や行動は人任せの付和雷同である。
したがってこのような情弱者は情弱であるがゆえに多くの被害に遭う。一番身近なのはオレオレの振り込み詐欺や架空の投資話である。日本人ほど騙し易い国民はいない,と外国の政治家(=詐欺師)も思っている。しかし,被害者には気の毒ではあるが,これは所詮個人の範疇のことであり,他の国民にとっては国が回収すべき相続税が少なくなったとか,被害者が“生ポ”(生活保護のnet上の略称)を申請して税金が無駄に喰われる,程度のことであろう。
もっとも“生ポ”は橋下の地元の年収数千万円の売れっ子芸人の親族でも申請すればもらえるのだから,無一文になった振り込み詐欺の被害者がもらえない理由はない。しかも詐欺で盗られたお金はタンス貯金で眠っていたのであるから,詐欺師共が豪遊してくれれば,活きたお金としてその分経済活動が活発化するので,国家的には利益になると思われる。
情弱の被害がこのような個人の水準に留まっていれば,むしろ経済活動を助長する可能性さえあるのだが,じつは情弱は日本という国自体をすでに蝕んでしまった。マスゴミはいつの間にか戦前の大本営発表と同じstyleになり,権力者に都合がよい情報しか流さなくなってしまった。すなわちマスゴミ自体が既得権者になってしまい,それを死守するために国民には自分に都合が良い情報やねじ曲げた情報を流すようになってしまった。
かつて自民党は,自党が打ち出す既得権者保護と戦前復帰の教育制度弄りの政策を厳しく批判した当時のマスコミに,“偏向報道”というletter(レッテル:蘭語)を張って,激しく叩いた。当時そこそこには健全なマスコミの姿があったが,前世紀末からマスゴミは政府・検察や既得権者の発表をそのまま流し,それに反対する意見を持つ者に対してはその意見は載せずに専ら小澤一郎に向けているような人格攻撃をしている。これは日本社会という村からのムラ八分行動そのものである。
2011年秋に発生したにもかかわらず今になって急に大騒ぎになった大津市の中学生いじめ自殺事件どころではない。根は同じであるが国家を背景にした異なる意見の封殺といういじめである。これではどっちが中国でどっちが日本の報道機関か判別が付かない。日本のマスゴミはもはや中国を通り越して半島北部の国のTVや新聞と何等変わらない報道に終始している。しかも中国のように政府に強制されているのではなく,自ら進んで中国化している。
このような報道がまかり通るのは,日本人の大多数が自分でものを考えない情弱になってしまったあるからである。猪瀬直樹がTwitterで情弱日本人について下した評価は正しいと思うが,それは安保闘争以後,時の政権にnoと言う日本人を抹殺し続けた自民党政治が育んだ結果なのである。
その被害は前回選挙時の公約(manifesto)を公然と破る,選挙の洗礼を受けていない野田首相による消費税の突然の増税という形で,マスゴミ報道を鵜呑みにしているジジババに降り懸かって来た。個人的な詐欺に引っ掛からないように用心していても,官僚・マスゴミ・大企業の経営者と従業員組合およびそれらの代弁者である与党の政治家などの既得権者が一斉に仕掛た詐欺には逃げる方策もない。消費税は消費に対して一律にかかるので,一見公平に見えるが,お金が余っている人にとっては消費しない分には税金がかからない。金持ち優遇税制の最たるものである。
消費税倍額増税は年金制度を維持するためだ,という疑似餌をマスゴミが撒き散らしていて,それに情弱ジジババが喰い付いて釣り上げられている。国民年金制度は国民年金税というRoma帝国並の人頭税で,貧乏な若年層の懐を直撃している。ついに若年層の半数が不払い状態になってしまい,財源不足になったので,それに便乗して情弱を脅しあげているのだ。
では,情弱を大量に創りあげて日本は上手く行くのであろうか?残念ながらいくら情弱を集めても国家の経済を好転させることはできないのだ。それは自分で考えて方策を見いだせる人間の割合が経済を活発にしていく指標だからである。青信号を待って皆で渡っていくような人間は,人材ではない。単なる奴隷工場の労働者でしかない。情弱者を作って胡坐をかいている既得権者たちも,実際に自分たちが次にどうすれば良いかが分からなくなる状態まで,自分が仕掛た情弱路線で情弱になってしまっているのだ。
ところで,中国人は昔から政府などの統治者の言うことは信用しないと言われているが,やはり情弱である。次の記事は中国情報site“レコードチャイナ”に載っていた話である。
<中華ボイス>成長しない中国の教育、古傷ばかりつついては前進などできない―医師 (2012年7月12日) |
かつて戦争で虐げられた歴史を持つ中国。しかし今や世界で最も成長著しい国であり、富国強兵の道を着実にまい進している。1937年7月7日に勃発した日中戦争から75年たった今、両国は国交正常化40周年を迎える。だが、そんな中でも抗日戦争を描いたドラマや映画が度々放送されており、子供たちの教育に影響を与えている。 2012年7月7日、医師である中国のネットユーザーは、「7日の夜、子供に寝るよう促したとき、子供が抗日戦争を描いたドラマをみたいと寝ようとしなかった。私は驚いて振り返ると、子供番組で抗日戦争を題材にしたドラマが放送されていた。私の子供はそのドラマを見て、『日本人って悪い人たちなんでしょう、でなければ鬼子(鬼子=日本鬼子のことで、日本人を指す蔑称)なんて呼ばないもの』と言った。私は娘の問いに答えられなかった」と自身のマイクロブログに体験談をつづった。 |
別の中国情報site“大紀元”にも中国の伝統的な愚民化政策(情弱製造術)の実体を解説した記事“中国共産党の反日・反米の扇動手段”が載っている。
もちろん古来,皇帝や君主の周りにいる権力者(既得権者)は世界のどこでも何時の時代でも大多数の国民を情弱状態に置いておいて,自分だけ楽をして太平の世を貪ろうとしてきたのである。さらにそれでは足りずに,自分の身を守り自分の利益が最大となるように君主の耳目までも塞ぐという情弱化戦術を使った。その結果,間違った情報で踊った君主とそこから利益を得ていた既得権者からなる王朝は自分が情弱に陥り,滅びてしまった。清朝も然り,江戸幕府も然り,みな情弱政権は自己改革ができない中で政権から転がり落ちてしまった。
近現代では王様は国民である。そこで既得権者達は専ら国民の耳目を塞ぐことに専念した。すなわち情弱による王様の無力化である。でも,やはり自分自身が情弱に陥り,夜郎自大化した昭和初期の日本軍は,10倍の工業力を有する米国相手に戦を仕掛てしまったのだ。国民が情弱化すると,国王の耳目を塞ぐのとは大きく異なり,民族自体が滅びる。
これからは二つの国家,共産党が国民を情弱にすべく支配する中国大陸か戦後70年近く立ってどんどん情弱化が進む日本のどちらがさきに転がり落ちるかは見物である。台湾も急速に大陸化しつつある。情弱ではない養豚家は逃げる先がないけど,西方浄土からのお召しの方が先にやって来るだろう。
2012年10月27日 意図的誤報
世論を自分たちの思う侭に誘導できると信じている老害人間渡邉恒雄主筆が率いる読売新聞ことゴミ記事売り新聞は,米国Harvard大学客員講師を名乗る森口尚史が世界初となるiPS細胞の臨床応用を行ったとするnewsを10月11日付朝刊の一面topで報道し,京都大学の山中教授のNobel医学生理学賞の受賞に泥を塗った。
ただちに世界中のマスコミや研究機関から疑問が呈され,医師の資格もない詐欺師森口尚史の自作自演であることがバレた。さすがに読売新聞は事態を糊塗できなくなり,13日に誤報である旨誌面で訂正した。
本来マスコミはnewsのネタが持ち込まれた際,その信憑性や妥当性を独自に調べて発表するのが筋であり,それゆえに読者の信頼を得て来たのだ。ところが長年に亘って記者クラブ方式で発表されたnewsのたれ流しを続けて高給を貪って来たため,マスゴミはnewsのネタの真偽や意味を検証することなく右から左に流すだけの不動産仲介屋稼業になってしまった。しかもnewsのネタを検証する気がないだけでなく検証能力自体も失われてしまったのだ。
多分不動産仲介業界のほうがもうすこし真面目に,売り手や貸し手の言い分を鵜呑みにせずに独自に販売・賃貸し物件の情報を整理・提供しているかもしれない。
Newsのネタを流す企業や役人のほうも,日本のマスゴミのこの体たらくを十分に理解・利用していて,自分に都合が良いnewsネタだけを公式発表ではなくleakという形で流すようになった。マスゴミは特落ちになるのを怖がって,leakされたnewsの裏を取ったり検証せずに,ただ一言“何々によれば”という不特定なネタ元名でnewsの信憑性の責任をネタ元に転嫁して横一線で国民に流しまくっている。
それでも特ダネが足りないときは,2010年1月28日のTBSで成り上がり芸人みのもんたがやったように,倒産した水谷建設が陸山会に現金を渡したという,ありもしない場面を捏造実演して見せるというヤラセ報道までして,国民を欺いているのだ。なお,TBSはこれには誤報という訂正すらしていないし,みのもんたは未だにいけずうずうしくTVで稼ぎまくっている。
なお,この事件には裁判所も特捜検察の筋書きに乗っかって,実際の証拠には一切基づかずに推認に次ぐ推認でTBSのでっち上げ番組を追認した形で,小澤一郎の秘書を有罪とした。すなわち,ヤラセはマスゴミだけでなく警察・検察はおろか裁判所まで及んでいる。まるで大陸中国の裁判を見ているような茶番劇である。日本は民主主義国家ではなく,一党独裁の専制国家とどこも変わらない。小澤一郎が自身の裁判で“民主主義の危機”と指摘したのは,まさにこのヤラセを真実と見なす意図的誤報体制のことである。
マスゴミ報道の極端な例は,2012年10月25日に唐突に発表された老害極右東京都知事石原慎太郎の国政再進出宣言である。せいぜい“立ち上がれ日本”の国会議員5人かそこらと組んで立枯れ政党しか作れない石原新党にマスゴミは大騒ぎである。
石原都知事は米国に乗せられたのか,訪米中に尖閣諸島問題に火を付け,もともと危なかった日中関係を外交音痴の野田総理と一緒になって粉々に粉砕した張本人である。しかし,だれも彼に付いて来ない上に無駄遣いの極致とも言われるOlympic誘致の失敗の責任者としても槍玉に挙げられそうになり,極右反動教育政策以外には何もして来なかった都政の責任者から逃げ出したのであろう。
何の政策実現能力もない石原慎太郎が都知事になるには故石原裕次郎のファンであるオバサン連の一票が役立った。極限すると日本を誤らせたのは,裕次郎にキャアキャア言っていた連中の投票行為であるから,今回の対中経済騒動で酷い目に遭った日本企業や日本人は,その責任をこの裕次郎の取巻き達に取ってもらってもよいだろう。
一方,同25日ホテルニューオータニで開催された小澤一郎代表の政党,国民の生活が第一の結党記念パーティは,同hotel久々の4,000人以上の参加者が集ったにもかかわらず,ほとんどのマスゴミが無視あるいは3行記事にしかしなかった。Hotel関係者によれば「ホテル側の実数カウントで約4,200人。ここ十数年で最高記録です。これだけの人数を集められる政治家はなかなかいません。」ということだ。
ちなみに先月の9月12日に開かれた極右政治家橋下大阪市長が率いる日本維新の会の政治資金パーティーは3,000人集まったということで,マスゴミは大はしゃぎであった。しかし,橋下大阪市長の挨拶が終わると,ほとんどの参加者は帰り始めてしまったという。橋下市長に睨まれると怖いのでお義理で顔を出したのであろう。このnewsを見て,いまではGoogleの検索でも見付け難い,かつて大騒ぎになった竹下パーティを思い出した養豚家はかなりな歳であろうか。
今後の日本の政治への影響の可能性から言えば,まだ存在しない石原新党とすでに約60人の国会議員を擁している政党との重さはまったく異なる。この極度に矮小化された小澤一郎関連報道も,流されたnewsをそのままたれ流しての誤報とは違う意味での意図的誤報と言えるであろう。
中国にこんな話がある。
ある男が街で“虎が来た!”と叫んだ。するとみんなは“嘘言ってら。”と相手にしなかった。次に別の男が来て“虎が来た!”と叫んだ。するとみんなはちょっと気にした。またまた別の男が来てもう一度“虎が来た!”と叫んだ。するとみんなは家から飛び出して街から逃げ出した。
すなわちありもしないことでも,何回か耳にタコができるくらい言い続けると,真実と思われてしまうのである。
為政者や政府の役人が“虎が来た”をやってマスゴミが拡げるだけでなく,子供のうちから教育でも嘘を教え続けると,普通の国民はみなそれが真実だと思い込む。情報を積極的に取捨選択できる人間は数少ないのである。ほとんどの人は他人が流した情報を丸のみしてしまう情報弱者である。恣意的にしか情報を流さず,嘘が非常に多い大陸の共産党政府の宣伝さえも,それしか情報源がないと信じてしまうのである。尖閣諸島を中国領だという宣伝はまさにこれを地で行ったものである。
日本でも警察や特捜検察はマスゴミを操って,無実の人間に罪を被せる冤罪を長く続けて来た。警察や特捜検察が意図的にleakして,特定の無関係な人物を有罪に追い込もうと企み,それに乗っかったマスゴミに大きく報道された代表的な事件に,厚生労働省の村木厚子局長の証拠改竄事件と今年起きたパソコンを遠隔操作された殺人予告mail事件とがある。いずれも警察や特捜検察が書いた筋書きに合わせるよう自白を強要し,それが上手くいかないときは証拠さえも検察の手で改竄するという悪質さである。
遠隔操作mail事件では,誤認逮捕と言っているが実体は自白強要事件である。真犯人にせせら笑われた警察は冤罪の手口を暴露させられてしまった。
松本サリン事件でも,警察の意図的なleakに乗っかってマスゴミは妻を亡くした被害者である河野義行を真犯人だと断定し,冤罪の嵐の報道を繰り返した。
最近騒ぎになっている学校でのイジメ自殺事件も,苛めた側の言い分を鵜呑みにしている担任の教師や教頭・校長および教育委員会の姿勢が事態を悪化させている原因である。まさにこれは大人の世界の意図的誤報が子供の世界にも拡がった結果と言えよう。
もちろん小澤一郎への捜査もそれと同じであるが,さらに特捜検察に政治的な意図がある点が問題である。これら調書を捏造したり,虚偽自白を強要した検事や警察官は日本では基本的に無罪放免である。村木局長の場合だけ,自分たちの身内である官僚を罪に追い込もうとしたので,大阪地検特捜部の担当検事は首になった。
小澤一郎を動けなくしてその強力な中国pipeを閉じてしまい,その結果石原都知事の跳梁跋扈を防げずに対中関係が悪化し,日本の経済に多額の損害をもたらす原因となった。調書偽造事件では検事の犯罪を見逃し,身内を売った村木局長の件では厳しく対処したように見せかけるのは,ヤクザや秘密結社のやり方そのものである。
ヤクザの争いなら,日本の官僚や検察・警察は世界最大の幇会(中国式秘密結社)である中国共産党とどうやってシマのやり取りの決着を付けるのだろう。
iPS細胞研究者山中教授のNobel賞受賞でも分かるように日本は世界にいろいろな新しい事物を供給している宝の国である。もし日本が金の卵を産む鵞鳥だとすると,米国は鵞鳥に餌をやらないで卵を横取していて,中国は鵞鳥を殺して食べようとしているのである。
日本国内で誤報という名の意図的誤報や冤罪で小澤一郎を潰し,マスゴミや官僚は国民を騙しおおせたとしても,肝腎の鵞鳥が料理されてはどうしようもない。金の卵だけでなく鵞鳥も食べたがっている虎は本当に中国にいるのである。
2012年11月23日 ウリナラ
去る11月1日に国立総合研究大学院大学等の研究groupが,“日本列島人(アイヌ人・琉球人・本土人)のgenom(独語:遺伝子)解析により,現代日本列島人は,縄文人の系統と弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得た。”と発表した。この研究・分析結果自体はすでに世界の学会で定説になっている日本人の系統をさらに詳しく確認したに過ぎない。
ところが同日検察発表の丸写し報道で有名な共同通信と時事通信は,このnewsを配信する際に“弥生系渡来人”の部分を“朝鮮半島から渡ってきた弥生人”と意図的に改竄して配布した。当然ながら読売以外の朝日・毎日・日経新聞などほとんどの日本の新聞社やTVは,総合研究大学院大学のHPで公開されている元の資料に一切当たらずに,日本人があたかも朝鮮半島人の子孫であるかのような売国記事を右から左へと報道した。
これに意を強くした韓国の大新聞“中央日報”は更に意図的改竄を進めて“日本人のルーツは韓半島系混血”という,またまたすべて韓国が起源だというウリナラ(注1)ぶりを発揮した。
韓国人が日本や中国の事物や人物に対してすべてウリナラ起源であるという宣伝を国内の教育および世界に向かって行っているのは,毎度のことであるが,悪いことはすべて日本,良いことはすべて韓国というかれらの主張に,共同通信と時事通信の意図的な捏造は要らぬ根拠を与えた。
日本ではだれが見ても,顔が平べったくて一重まぶたの目尻がつり上がっているのは朝鮮半島人と認識される。現代日本人は現代韓国人の祖先を自分たちの直接の祖先に持つとは決して思ってない。なぜならその人種的な違いは文字どおり一目瞭然だからである。一方中国の南方に住む一部の人たちと日本人との顔の区別は非常に難しい。誰が見てもお互いの一部の祖先が一緒だった可能性は否定できないだろう。
ここではウリナラ度の馬鹿らしさを検証することはやらないが,彼らが大騒ぎしている従軍慰安婦問題も,同じウリナラ発想からすれば容易に理解できる。すなわち韓国人の売春婦が自分から金儲けのために日本軍相手に性を売ったという事実自体が気に入らないから,日本軍に強制的に狩出された慰安婦がいたことにしたいのである。
しかし,日本軍がいなくなって70年近く経っても,以下の記事のように韓国の実体は世界一の売春王国である。売春は賭け事と同じく如何に禁止しても世界で一番長持ちしている商売である。韓国国内の取締が厳しくなったため,国外に出稼ぎに行った韓国人売春婦が8万人もいて,そのうち2万人は日本で稼いでいるという。
「売春大国」の汚名を返上すべく、韓国では売春の摘発が強化されたが、なくなるどころか地下に潜り、さらには“輸出”までされて、ますます世界から白い目で見られている。
<中略> 看板は出していないが、今も変わらず売春産業は根強く生き残っている。2004年の法律制定後も風俗産業は一向に衰えず、現在も一大産業となっている。韓国政府の女性家族部がソウル大女性研究所に依頼して調査・作成させた『2010年性売買実態調査』の内容には驚く。 結果は非公開だったが、それを入手した『ハンギョレ21』が2011年11月にスクープした。それによれば、売春産業の規模は最大8.71兆ウォ ン(約6300億円)と報告され、韓国GDPの約5%を占めている。また、同調査では、年間売春件数が4605万件、売春従事者は14万2000人余であ ることを明らかにしている。 |
遺伝子による現代人の系統決定は,現在のところ,①女性のみに遺伝するmt(ミンドリア)DNA,②男性のみに遺伝するY染色体,③Gm(免疫globulin),④親子間と性交渉で感染する成人T細胞白血病virus(HTLV-1)(注2),の各遺伝子型多形がその集団の中でどの程度の割合を占めるかで行っている。これらの研究は,日本・中国・米国などの学者が独自あるいは共同で進めている。この研究で韓国の学者がほとんど表に出て来ないのは,かれらのウリナラ先入観から,何事も朝鮮半島が起源でかつ主役であることを強く主張するため,純粋に学問としての研究にならないからであろう。
その最新の情報によると,たとえばY染色体が変化した遺伝子多形はA~Rと英大文字で名付けられている。おのおのの中ではさらに小変化があり,それは数字で示されている。さらに下位の変化を示すにはa~eなど英小文字を用いる。以後再度数字を附して細かい変化を示して行く。すると,沖縄の先島諸島ではO2b1型のY遺伝子を持つ男性が圧倒的に多い,などという分類ができる。
アイヌ人から本州人を経て沖縄人まで広く分布するY染色体のD2型は,日本人男性の約35%が保有しているにもかかわらず,朝鮮半島を含めて世界中どこにも発見されていない日本人に残された独自の型(移民を除く)である。
人類がAfricaを出発する以前にA~E型は分離している。D2型を持つ彼らは約3万8千年前にMongoloidの故郷と言われるSundaland(注3)への移住前後にD型から進化・分離し,約3万年前にまだ氷河期が続くAsia大陸の東岸を黒潮に沿って日本列島を含む東Asiaに拡がったと推定されている。Sundalandを経由したC,D,E型はさらに北上を続け,一部は北米大陸に渡り,南北米大陸の先住民となった。かれらのことを旧Mongoloidと呼んでいる。
一方さらに派生したF型以降の他の型の一部は,経路はいまだ明確ではないが,前後して氷河期のAsia大陸に進み,最終的にБайкал(バイカル)湖周辺に着いた。そこで寒冷地適応して大陸北部Mongoloid特有の目尻がつり上がった一重まぶたで平たい顔になったのではないかと推定されている。かれらの遺伝子型をO型と分類し,新Mongoloidと呼んでいる。
狩猟技術と強力な狩猟用の武器を持った新MongoloidはAsia大陸を順次南下し,すでにそこに住み着いていた旧Mongoloidを圧倒した。D2型以外の旧Mongoloidも,日本以外では西蔵・Thailand・Nepal・Andaman諸島などAsiaの周辺部に痕跡を残すのみである。
縄文人の骨からY遺伝子を採取することはむつかしいが,D2型はアイヌ人・縄文人を特徴づけるY遺伝子と考えるられている。なお,他のD型の遺伝子も朝鮮半島にはほとんど残っておらず,たとえ縄文人の一部が朝鮮半島を経由して日本に渡来していたとしても,かれらの子孫は朝鮮半島では跡形もなく完全に消滅したと解釈できる。
すなわち,現代日本人男性の約1/3は朝鮮半島に現住する男性と遺伝的な直接関係はまったくない,ということである。
約33%と次に多いO2b型遺伝子はその後の渡来人が日本に持ち込んだものとされ,渡来系の弥生人が日本に拡がった標識になっている。O2b型はO2b*型(O2b型がそれ以上細分化していないことを示す)とO2b1型(日本人はO2b型の75%を占める)からなる。
O2b型は黄河の南側から台湾に移住したことがわかっている人々(3/8の数が陳姓である)にも痕跡が残っている。O2b型は基本的に中国では淘汰されて残っていないが,Indochine半島のViet Num(14%)やThailand(6%)にも存在している。
このことからウリナラの学者が主張する“O2b型は朝鮮半島の北部でO2型から分離して朝鮮半島を経由して日本に渡って弥生人になった”という説は,O2b型がAsia南方に存在する事実を説明できないので世界の学会からは否定されている。
これについてはウリナラ学者は“第二次世界大戦中に東南Asiaに侵攻した日本兵がO2b型の子供を残したからだ”と愚にもつかないお笑いネタを提供している。すると当然D2型も東南Asiaで同水準で発見されねばならない。そうでないと,日本軍は毛深い縄文人系の兵隊を嫌って,渡来系の人間だけを巧みに徴兵したということになる。しかも人口の10%にも及ぶ子孫を残したというのでは,そっちに忙しくて戦争をする暇もないし,それこそ自発的に商売に現れた従軍慰安婦では数が足りなかったろう。
もちろん朝鮮半島にはO2b型は30%(O2b1型はその1/4)ほどいるが,O2b1型だけを比べれば日本人男性の約25%だが,朝鮮半島では約8%と存在比率が1/3しかない。一方,前述のようにO2b1型は沖縄の八重山群島には67%も存在している。すなわちこのことからO2b1型を有する人々は中国の浙江省や江蘇省辺りの海岸から海路を直接に日本と朝鮮半島に別々に渡来したと考えるのが合理的であろう。あるいはさらに先島諸島や九州を経由して朝鮮半島に渡ったという仮説の方が説得力があるが,ウリナラ学者が唱えるその逆向きでは決してありえないない。
朝鮮半島の弁韓など任那の地にもO2b1型の渡来人は住み着いたから,当然ながら日本最古の歴史書である記紀の記載通り,長い間同族間の交流が続いたのであろう。Asia南方に住むO2b型の人々も,中国北方のO3型の中原人に逐われてIndochine半島まで陸づたいに逃げたというstoryが素直である。
じつは,これら男性の遺伝子解析の結果と並ぶくらい重要な研究結果が出ている。それは温帯Japonicaという水稲の遺伝子である。
温帯Japonicaの原産地である中国長江流域では,8種類の温帯JaponicaのSSR遺伝子が見つかっている。朝鮮半島にはその内のMR1b型が欠けた7種類が存在する。一方日本ではMR1a,b,c型の三種しかない。
この意味するところは,日本列島にもたらされた温帯Japonicaの種(たね)は絶対数が少なく,しかもMR1b型は明らかに朝鮮半島を経由しないで中国の源産地から直接一度に日本に持ち込まれた可能性が大だ,ということである。回数を分けて持ち込まれれば,朝鮮半島のように8種の内半分以上は日本にももたらされる確率が高くなる。なお,8種のSSR遺伝子の違いは水稲の外観や性質にはまったく影響を与えないので,人為的に三種をより出すことは不可能である。
最多の渡来人徐福一行の航路 『DNAから導きだされる日本人の起源』より 2012年8月3日 丸地三郎 |
以上考察した中国から日本への直接航海に対し,当時東シナ海を船で横切ることができたか,という疑問があると思うが,それは中国側の発掘調査によってすでに答が出ている。中国の歴史書の史記に,徐福が始皇帝の命を受けて蓬莱島などへ不老不死の薬を求めて五穀の種や三千人の童男童女と多くの技術者を乗せて出航したが帰って来なかったという記載がある(注4)。この史記の記述は徐福の出港後わずか100年後に書かれていて,十二分に史実を記載していると考えられたので,中国でもSchliemannのTroyの木馬よろしく発掘作業が行われた。
山東半島の南側のつけ根に,現在大きなコンテナ貿易港となっている江蘇省連運港市がある。そのすぐ北側に 徐阜(徐福)村があり,そのさらに35kmほど北側に王坊村という場所がある。
徐州師範学院の羅其湘教授による1982年の徐福村の発見後,王坊村で約2,300年前の大量の造船用材木を含む造船所の遺跡が発掘され,徐福の出航に関する史記の記載が正しいことが証明された。遺跡には全長120mもの大型外洋帆船を多数建造した跡が残っていた。
一方日本には,日本海側は青森を北限に,太平洋側は三浦半島や伊豆諸島まで暖流の黒潮と対馬海流が流れる各地の海岸に,中国から徐福という人物が率いる船が辿りついたという伝説が,全国に20個所余りもある。多分始皇帝の追求を逃れるために,すべての移民船の責任者は徐福と名乗ったのかもしれない。
徐福渡来の遺物としては,船の重しに使われたとされる中国原産の丸い大きな石が伊豆諸島で多数見つかっているらしい。三重県尾鷲市の熊野古道センター
には徐福一行が持ち込んだとされる秦の半両銭が保存されていたが,10年ほど前から行方不明で,「中国人研究者が盗んだようだ」との説明がなされているようである。
徐福の墓と伝えられているものも多数あり,何等かの史実が背景にあると思われる。徐福渡来は日本では後の世に史記を読んで勝手に作った単なる民間伝承としてあまり重要視していない学者が多いが,中国側の証拠から見るかぎり,これぞ弥生人を産み出した最多の渡来人ではなかろうか。なお,朝鮮半島の済州島などにも徐福が立ち寄ったという伝説が残っている。
産経新聞から2012年11月1日(木)14時3分に 配信を受けたYahooニュースより |
以上,これらの論証を待たなくても,前述のように日本人なら誰でも朝鮮半島人の顔を見分けることができる。時事・共同通信はウリナラの宣伝に惑わされて,日本人の歴史を韓国に売り渡すという売国奴紛いの行為をしたのだ
じつは韓国が嫌いなはずの産経新聞は,時事・共同通信の記事本文をそのまま流すだけではなく,勝手に作成した不確かな渡来人の移動地図までを加えて,ウリナラ思想に媚びを売った。HPを開けば解る程度の裏を取ることもしていない。産経新聞は系列のTV局がさかんに韓流の安物番組を流していることからも解るように,金儲けのために媚韓路線を走っているのだ。
注1:
“ウリナラ”とは韓国語で“わが国”という発音をカタカナ表記したものであり,日本ではすべての起源は韓国であるという妄想を象徴する言葉として使われている日本語である。
注2:
成人T細胞白血病は旧型Mongoloid(モンゴロイド)中に親子感染で引き継がれてきたvirus病で,日本では九州に多く,旧型Mongoloidが移住したとされる中南米でも発症がある。一方,朝鮮半島や中国大陸ではほとんど発症を見ない。男性のY遺伝子型がO型の場合,このvirusに抵抗性があるのかもしれない。
注3:
Sundaland(スンダランド)は氷河期に,今のIndonesia(インドネシア)諸島とIndochine(インドシナ)半島およびKalimantan(ボルネオ)島の内側の海域にあった広大な沖積平野で,今は海になっている。
当時は氷河期のために海面は現在よりも80~140mも低かったとされ,日本列島付近も津軽海峡および台湾と石垣島の間以外は大陸と陸続きだったとされている。
約7万年前にAfricaを出発した新人は,India(インド)洋の海岸づたいに長い時間をかけてSundalandに到着した。氷河期にもかかわらず温暖で食料が豊富だったSundalandで人口増加した新人たちは,この地でMongoloidとしての特徴を有する進化を遂げた。
Mongoloidの一番古く原始的な層は5万年ほど前にAustralia大陸へ渡り,現在に至るまでAborigine(アボリジニ)と呼ばれる先住民として残っていて,現在Africaにいる新人と遺伝関係が近い。
なお,New Zealandに済むMaori(マオリ)はAborigineとは異なり,太平洋に広く分布するPolynesian(ポリネシア)系に属する。
Tasmania(タスマニア)島にいたAborigineの一種Tasmania人は,そこを占領した英国人によって徹底的に屠殺されて一人もいなくなった。周恩来が悼んだとされる中国の史書に残る黄帝の三苗殺戮に匹敵するgenocide(民族浄化)である。この三苗が現存する苗族のようなO2a型ではなく,O2b型の種族であったかどうかは不明であり,今後の発掘を待つしかない。
史書によれば黄帝はさらに長江下流域の蚩尤との戦にも勝っている。この蚩尤がどのような民族であったかも不明であるが,今の貴州省に住む少数民族の風俗習慣が古い日本の習俗と非常によく似ているのは確かであり,ウリナラの韓国が主張するような朝鮮半島に残る習俗とはさっぱり一致しない。
SundalandでAborigineよりも少し進化した旧型Mongoloidの一部は,原因はわからないがSundalandを捨てて黒潮に沿って北上を始めた。
移動を始めた原因は,①氷河期が弛んで海面が上昇し食糧不足に陥った,②同じく気温上昇でマラリアなどの疫病に耐える遺伝子を持っていなかった,③さらに進化した遺伝子を持つMongoloid
groupに体力的文化的に対抗できなかった,などいろいろと挙げられている。
世界の学会の一致した見解では,太平洋の沿岸沿いに北上したこの旧型Mongoloidが日本列島に初めて定住した新人であると想定されている。沖縄で骨が見つかった港川人や本州の縄文人,北方のアイヌ人はかれらの直接の子孫である可能性が非常に高い。かれらのY遺伝子はD2型という分類に属し,さらにC1型というAfrica由来の非常に古い型の遺伝子を持つアイヌ人も20%ほど存在する。
注4: 司馬遷 「淮南衝山列伝」『史記』巻118の記述
又使徐福入海求神異物,還為偽辭曰:『臣見海中大神,言曰:「汝西皇之使邪?」臣答曰:「然。」「汝何求?」曰:「願請延年益壽藥。」神曰:「汝秦王之禮薄,得觀而不得取。」即從臣東南至蓬萊山,見芝成宮闕,有使者銅色而龍形,光上照天。於是臣再拜問曰:「宜何資以獻?」海神曰:「以令名男子若振女與百工之事,即得之矣。」』秦皇帝大說,遣振男女三千人,資之五穀種種百工而行。徐福得平原廣澤,止王不來。
2012年12月26日 客家
例年より1ヶ月ほど早く来た年末寒波を逃げるように,12月中旬から亜熱帯の地である中国広東省にある“客家の郷”梅州へ,一週間ほど一人旅してきた。実際には,現地の大学で月給わずか5千元(この記事の執筆時で約7万円)で日本文化と日本語を教えている日本人の友人を訪ねて,電子辞書や乾燥味噌など欲しがっていた日本の物品を届けたのである。
実際の現地の気候は,前線が北へ移動すると日射が強く,昼間の気温は25℃を軽く越え,移動に使った高速バスでは冷房が効いていた。一方前線が南に下がると,空は曇り,気温は10℃前後までしか上がらないという,日本の初秋と晩秋が日替わりで来るという情況で,あまり快適とは言えなかった。台南の方が恒常的に暖かいので,寒波から逃げるにはましである。
梅菜扣肉 |
客家料理も食べたが,残念ながら「食在広州」の味には敵わなかった。しかし養豚家は2010年に福建の土楼を見に行った際にも食べた「梅菜扣肉」という素朴な料理が好きである。
日本から広州の空港まで5時間(帰りは偏西風が強かったので4時間),広州で往復に一泊して高速バスでまたまた5時間かけて,梅州市にある嘉応学院という大学附属の招待所に4泊した。まさにジジイ・バック・パッカーである。全経費は航空運賃+日本国内移動費が約56,000円,広州のhotel代+交通費+食事代が約1,000元(広州到着日の交換価格で14,000円)の計7万円で済んだ。梅州での滞在費約1,000元は友人が貯めたRMB(人民幣:元)で払ってくれた。同じ一週間の日本国内旅行と比べると,格安である。
ただ,行きは例によって30分遅れで飛んできた遅刻常習犯の中国南方航空(CZ)のおんぼろB737が離陸寸前で雷雨待ちとなり,2時間遅れて広州白雲空港到着が21時半になった。さすが疲れたので,翌日のためにバスターミナル近くに予約したhotelまで空港からタクシーを利用したのが間違いであった。チップ込みで140元も払ったにもかかわらず,運転手が尖閣諸島(やつらは勝手に「釣魚島」と呼んでいる)問題を言いたてて,何度「我累了,不想談話。」(疲れたから,話したくない。)と言っても,こちらをゆっくりさせてくれなかった。
帰国時は朝だったから,もちろんhotelから徒歩2分の地下鉄に乗り,たった7元でタクシーとほぼ同じ時間で空港に着いた。
普通に訪問した外国人相手に,その国の悪口をまくしたてるなど,礼儀にもとるだけでなく,中国共産党による教育水準とそれによる大陸人の品性・知性の低さを如実にしめしている。このように自国政府の発表と誘導に主体性なく騙されていると,彼らの民度は永久に低いままだし,日本を始めとする科学技術先進諸国には,贋物と安値以外には追いつく手段が見つからないだろう。
もっとも,古代に孔子が礼を守るように厳しく言ったのは,もともと中原にいた中国人にこの運転手のような無礼な人間が多かったためかもしれない。
ところで広東省は中国国内では特殊な位置を占めている。1978年の鄧小平の号令の下,中国で初めて経済特区(注1)となった厦門・深圳・珠海・汕頭の内,厦門以外はすべて広東省にある。共産党政権樹立後事実上の経済鎖国状態であった中国で,唯一の対外経済窓口であったのが広州市で,江戸時代の長崎のように毎年春秋2回広州交易会というものが開かれている。かつては中国側からは国営企業が安価な中国産の商品を出品し,西側諸国のバイヤーがこれを買い付けた。
養豚家は1968年に日中学院本科を卒業したが,多くの同学達は当時(対中)友好商社(注2)と認定された小さな貿易商社や大手商社のダミーへ就職して,当時唯一の西側からの入り口であった香港で中国大陸へのvisaを取り,橋を渡って深圳で入国した。
その歴史もあり,広東省の珠江三角州地帯(広州・中山・仏山・深圳・珠海・東莞の各市がある)は今や世界の工場と言われており,輸出により中国のGDPの約10%を担っている。広東省の面積は日本の半分ほどであるが,流入人口が多く,1億人を越えている。
改革開放政策を打ち出した鄧小平は改革開放の総設計師と呼ばれ,中国の現代化に大きな足跡を残した。しかし,今年9月に中国共産党内の反日勢力によって惹き起こされた対日暴動では,鄧小平自らが松下幸之助に依頼して作ったパナソニックの山東合弁工場でも,徹底的な破壊活動が行われた。
中国の田舎から出てきた工場労働者や職が見つからない破落戸・忘八(ごろつき・あぶれ者)にとっては,鄧小平の三顧の礼(注3)すら無意味だったのだろう。
鄧小平の故郷は四川省の重慶から100kmほど山奥の広安県協興郷牌坊村というところで,10ha程度の農地を保有する富農(注4)であった。かれはここを出てから死ぬまで一度も故郷に帰っていない。かれの祖先は14世紀終わりごろ(明初)に江西省からこの故居がある村に移り住んだとされている。
中原辺りに住んでいた北方漢民族の南方へ移住は,秦の始皇帝による中国全土の統一が行われた際に当時の王侯貴族などの支配階級が逃げ出し,淮河南方の湖沼地帯や長江南の山地に移り住んだのが始まりとされている。
その後も,魏呉蜀三国の後の晋末(八王の乱),唐末(黄巣の乱),南宋末(元の侵入),明末清初(後金の侵入)など戦乱のたびにかれらは南方に避難した。かれらは一旦住み着いた場所からさらに南に西へと移動を重ねた。かれらは地元民を意味する「本地人」対して招かざる客のいわゆる「客家人」と言われた。客家は広東語で“ハッカ”と読み,その読み方が日本でもそのまま使われていて,決して“キャッカ”とは読まない。(注5)
福建省の初渓土楼群の中の集慶楼 |
客家人達は福建省の山の中にまで逃げ込み,山間の狭い土地を耕して生活を続けた。「本地人」との争いに備えて建て,UNESCOの世界文化遺産に指定された土楼群がかれらの住居だ。しかし,教育については同一氏族が住む土楼の中に学堂を設け,子弟の教育には全力を上げた。没落したとはいえ,元王侯貴族の血がそうさせたのであろう。女性の教育にも熱心で,毛澤東が中国農民を評した「一窮二白」の「白」(文化も教養もない)の情況ではなかった。
客家では家族の労働力が必要だったので,女性の纏足(注6)も行われず,女性の文盲もほとんどいなかった。今回招待所に泊った大学は,元々は女性教育のために「梅県県立女子師範学校」として設立されたものであるが,じつに孫文の辛亥革命の翌1913年に設立され百周年になるという。海外に出た多くの客家から寄付があったものと思われる。
現在は学生総数は2万人越え,医学・工学・文学・外国語など19学部を持つ,人口500万人の梅州市唯一の広東省立総合大学であるが,ほとんどの建物には寄付者由来の名称が付いている。
土楼のある福建省から南西に山を越えたところに拡がる盆地が,客家人の最終到達地で客家の郷と言われる梅県である。今は管轄が拡がり梅州市となっているが,広東省では珠江(中国第三の大河で流量は黄河を凌駕する)に次ぐ大河である梅江(下流は韓江になり,全長400余km,信濃川は367km)が盆地内を蛇行しており,中原から千年かけて移住してきた客家にとっては,“約束された土地”であったと思われる。
現在この地で話される言葉が,全世界で話者3,500万人と言われる客家語の標準とされていて,台湾の客家語によるTV放送や鉄道の案内もこの梅県を含む一帯四県からの移住者が話す言葉を使っている。
じつは客家の人々にとっては梅州がとどのつまりではなかった。梅江を船で下り,汕頭の港から世界に旅立ったのである。かれらは台湾,Philippines,Indonesia,Thailand(タイ)はてはIndia洋に浮かぶ島国Mauritius(モーリシャス)など多くの国に拡がっていて,全世界の華僑(中国・台湾国籍)・華人(現地国籍)の1/3が客家だと言われている。Singaporeの初代首相のLee
Kuan Yew(李光耀,梅州大埔出身),台湾の李登輝元総統,PhilippinesのCorazón Aquino元大統領(女性,福建客家)など,みな客家人である。さらに,ThailandのThaksin元首相とYingluck現首相の兄妹も梅州出身の客家人である丘春盛の子孫である。
中国国内でも,鄧小平だけでなく広東省中山市出身の孫文を始めとして,過去の科挙の時代から多くの客家の政治家が輩出している。貧乏な山地が多かったため,江西省の瑞金など客家の村々は毛澤東の革命根拠地として機能したところが多い。梅州でも解放軍の十大元帥の一人になった葉劍英が出ている。
さて先日,日本では戦後最低の投票率59.32%となった第46回衆議院議員選挙があった。必ず投票に行く老人既得権者のジジババの支持や熱心な宗教関係の支持が多い自民党・公明党に有利な結果が出た。
これで霞ヶ関の特権役人や経済界の既得権者が目論んだ,小澤一郎がやろうとしている日本の改革を潰すことに成功を納めると共に,日本は江戸時代末期や清朝末期の状態へとまっしぐらの道を辿ることが決まってしまった。小澤一郎が考えている日本改革は小泉純一郎がやった,米国や金持ちのためだけの改革ではなく,真の日本再生のための国民の政治・行政意識改革である。
後年,2009年に始まった小澤潰しが,日本転落のきっかけになったと,歴史学者が分析することになるのは間違いない。
流浪の民の客家人が持つ不撓不屈の精神は,小澤一郎の粘りにも似たものが見られるが,しかしなにせ衆寡敵せずで,日本はこのまま老人国家になって再生は不可能となるであろう。
日本にはYehudim(ユダヤ)人や客家人のように迫害を受け,生地を逐われて流離っても,優秀性と不屈の精神を保持してきた人々はなはだ少ない。鄧小平は三度その地位を逐われ,三度復帰した。中国では「不倒翁(起き上がりこぼし)」と言われている。潰されても客家人のように頑張っている小澤一郎を無視して,国民全体が既得権の微温湯に浸かったままでは,国の将来に明るい見通しはない。
養豚家?大陸はあまり好みではないけど,台湾の客家人が多い地域にでも引越して暮そうかな,と思いはじめている。でも,國語(北京語をbaseにした台湾の標準語)さえ満足な水準にない養豚家は,客家語を一から学ぶのは不可能だから,諦めるしかない。
注1
経済特区は1979年7月に本文に挙げた4市が指定された。1988年には海南島全域が経済特区に指定されると共に,広東省から独立して海南省となった。
注2
友好商社とは,中国共産党政府が世界の多くの国と国交がなかった当時に,共産党の特別のおぼしめしで,中国に友好的であると看做され,中国との交易を許可された中国と国交関係がなかった西側諸国の商社を指す。
中国共産党が出す条件をすべて受け入れた商社が,赤い毛主席語録を持った従業員を派遣して交易をすることを認めた,一種の朝貢貿易であり,日本の大手商社はそのためにdummyの商社を作り交易会に参加していた。
注3
三顧の礼とは,三国志演義に出てくる話で,後に蜀(今の四川省)を建てた劉備が,軍師として目を付けた諸葛亮(孔明)を招くに当たって,孔明の草庵に三度足を運んだという故事である。その気がない人に,格別にていねい来てもらうように依頼することを意味する。
注4
農家は中国共産党によって,敵対分子(地主・富農),中立分子(中農),聯系対象(貧農・下層中農),組織対象(雇農)に分けられていた。なお,中国の農家一戸当たりの耕地面積は,1990年の統計によると0.53haである。ちなみに日本では北海道以外は2011年で1.46haである。
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声調は省き, 発音はIPAの簡略表記で書いた。' は有気音を示す。 なお,日本語の“じゅう”は,歴史的仮名遣ひでは“じふ”と書き,“ふ”は 平安時代には/pu/と読んだことがわかっている。 |
注5
客家人の話す客家語は現在でも唐宋代の発音をよく残し,漢数字の発音を例に取ると,日本の漢音での読みとよく似ている。単語には長期間かけて移住した途中に江南地域に元から住む「本地人」との交流を通じて,かなり南方系の単語が交ざっているので,純粋な中古代の漢語を受け継いでいるとは言えない。
官吏になるために科挙を受けるためには,四書五経などの古典を暗誦せねばならない。その時の発音は,福建省など中央の発音と大きく異なる地方では,方言のままで読んでは他の地方の人々と議論さえ出来ない。
そこで,福建省の南部(厦門などがある閩南地方)では表のように「文読」という唐宋代の音に近い発音が使われた。これも日本の漢数字の読み方に近い。
注6
纏足は宋代末期から起った風習で,政府による再三の禁止令にもかかわらず,清朝末期まで続いた。素足に性的な意味を込めるものとして,小説にも良く出てくる。纏足してない女性は貧乏人や文化程度が低いとされ,「大足女」と嘲笑された。しかし,清朝初期の貴族の情況を描いた恋愛悲劇小説『紅楼夢』に出てくる女性は,漢民族でないため誰も纏足をしていない。
2012年版完