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5.4 多くの人が電池を乾かした

 乾電池,すなわち液体がこぼれない乾いた電池を入手するまでの歴史は,多くの人の試行錯誤と叡智を積み重ねた結果でした。 本章の扉にも書いたように,明治期に日本人もその歴史の端に名を連ねました。 日本は明治初期や第二次世界大戦後に欧米の技術を導入しましたが,つねに自分たちでもその上に独自に創意工夫を凝らし続けてきました。
 多くの新興国が行うように,外国から導入した技術をそのまま使った,安い労働力による安価な製品を作って輸出していたのではありません。 独自の考え方を持つということとその伝統が,安価な工業製品だけには頼らない“技術立国”の基礎には必要です。


5.4節の内容

5.3節 乾電池からは直流が出てくる 5.5節 電池で電気をためる

Q 5.11 電池の発明   Q 5.12 連続使用できたDaniell電池
Q 5.13 実用化した電池   Q 5.14 持ち運べる乾電池



Q 5.11 電池の発明
 Voltaボルタが最初に発明したという電池も今の乾電池と同じ構造ですか。

[A]
 Voltaが発明した電池は,現代の電池と残念ながらちょっと違います。 電池はVoltaの発明からいろいろなアイデアIdeaが加えられ,100年近くかかってようやく乾電池が発明され,誰でも使える実用水準のものになりました。
 1800年に発明されたVolta電池は,図 5.7のように正極側で発生した水素を水にする酸化剤がありません。

図 5.7
実用に至らなかった 
Volta電池

 Volta電池は組み立てると,電流を流さなくても負極の亜鉛(Zn)が希硫酸に溶けて盛んに水素の泡が発生します。
   Zn + 2H+ → Zn++ + H2
という亜鉛の溶けだし反応が起きるからです。
 電流を流しはじめると,水素イオンが水素ガスになる前に電子が負極から流れ出してしまうので,正の電気が過剰になり,水素イオンは正極に移動します。 その時は約1.1Vの起電力があります。 そのりくつは,組み立て直後のVolta電池では,
   負極:Zn → Zn++ + 2e-(−0.763V)
   正極:CuO + 2e- → Cu + H2O(+0.337V)
という反応が起きていて,正極でも起電力を発生するからです。
 正極では,本来は銅の電極で水素イオンH+ が電子をもらって水素ガスになるのですが,初めの内は,発生した水素が正極の銅板表面の酸化銅や酸化銅が溶け出してできた正極周辺の水酸化イオン(OH-)と結合してしまい,水素ガスは出ません。 この反応は,Volta 電池を使いはじめるとすぐに,銅板表面の酸化銅が銅になってピカピカになって止まります。
 正極が純銅になると共に,銅のイオン化電圧+0.337Vが起電力に寄与しなくなり,電池の起電力は,負極で亜鉛が希硫酸に溶ける分のイオン化電圧の約0.763Vだけに下がります。
 さらに,正極の回りには水素ガスが発生して電流が流れることを妨害し,Volta電池の起電力は0.4V位にまで低下することもあります。
 この現象のりくつは,もっと複雑ですが,一般に分極とよばれています。 分極のために電流が減ると,負極の回りでは亜鉛が溶けて発生した電子は,その場で希硫酸溶液中の水素イオンと結合して泡になってしまい,こちらでも電流の取り出しを妨害します。

*   *   *
★ 江戸時代末期にはVolta電池は日本でも知られていた

図 5.8
Volta電池による
電気分解の図
Wikimediaより

 図 5.8のように,Volta電池を積み上げて電気分解を試みる図が,1837年から10年かけて宇田川榕菴ようあんが訳出・出版した蘭学書『舎密開宗せいみかいそう』に描かれています。

Q 5.12 連続使用できたDaniell電池
 Volta電池が連続して電気を取り出せないなら,どんな工夫で使えるようになったのですか。

[A]
 1836 年英国人のDaniellダニエルはVolta電池の問題点を改良し,連続して電気を取り出せる電池を発明しました。

図 5.9
Daniell電池
  (a)Daniell電池の概念図   (b)銅容器

 彼は図 5.9のように,正負の電極に異なる電解液を用い,その間をイオンだけを通す素焼き容器で分離しました。 正極には硫酸銅を使うことで水素が泡になってしまうことを防ぎました。 さらに負極側の溶液も生の希硫酸ではないので,亜鉛が勝手に溶けだして水素の泡が出ることも防ぐことに成功しました。
   負極: Zn → Zn++ + 2e-
   正極: Cu++ + 2e- → Cu
 化学反応は,Volta電池と同じく電子が正極から供給されると,酸化剤として使われる硫酸銅水溶液中のCu++イオンが還元され,水素ガスは発生しません。 一方残された負イオンのSO4-- は,素焼きの穴を通り抜けて亜鉛側の溶液に供給され,亜鉛を溶かして電子を負極に供給します。
 負極側で余った亜鉛イオンは,硫酸銅側にも滲透してきますが,酸化反応には影響しません。 電池を組み立てた時には,負極側の溶液に希硫酸が多少残っていても,電気を流すとすぐに硫酸亜鉛の溶液になってしまいます。
 Daniell電池では,亜鉛と銅の水素に対する電位差がそのまま加算され,起電力は約1.1Vになります。 素焼きの壁はどちら側を内側にしてもよいので,外側を銅製容器にし,内側を亜鉛にした図5.9(b)の構造の方が,亜鉛が溶けきった際の液漏れが起きません。

*   *   *
★ Daniell電池は電気通信の発展に寄与した

 Daniell電池は連続使用出来る電池として,多くの電気の実験や機器に使われました。 1840年代に始まったばかりの電信分野でも,電気の安定供給源に使われました。

Q 5.13 実用化した電池
 乾電池のりくつはDaniell電池と同じですか。

[A]
 違います。乾電池とほぼ同じりくつの電池は,時期に諸説がありますが明治維新の前後にLeclancheルクランシェ(仏)によって発明されたLeclanche電池です。
 彼は図 5.10に示した概念図のように,正極に集まった水素イオンを水にするための酸化剤として二酸化マンガンを使い,その中に炭素棒を挿して正電極にし,電解液は塩化アンモニウムAmmonium(塩安とも呼び,窒素肥料としても使う)を使った電池を発明しました。

図 5.10
Leclanche電池 

 この電池の化学反応は,Q5.8で説明したマンガン電池とほぼ同じです。 溶けた亜鉛は錯イオンという理解しにくい形になっています。
   4NH4+ + 4Cl- + Zn → [Zn(NH3)4]++ + 4Cl- + 2H+
 Leclanche電池はDaniell電池と比べると画期的な性能の向上を見ました。

Q 5.14 持ち運べる乾電池
 液体の電解質を使った電池では,持ち運びに不便だったのではありませんか。

[A]
 不便ながらも前述のように,Morse通信などに実用的に使われていました。
 しかし,液体電解質の電池の用途は,どうしても電信や電話などのように電池を固定したまま使う場合に限定されていました。 持ち運べるという点での電池の大幅な実用化には,さらに乾電池の発明を待たなくてはなりませんでした。
 携行できる電池への要望は大きく,電解液をペースト状にしてちょっと傾けたくらいでは液漏れしない電池が作られてはいました。 しかしこのままでは正極の炭素棒から液漏れが起こり,まだ常時携帯して持ち歩くことはできませんでした。

図 5.11
屋井乾電池
電池工業会HPより

 屋井先蔵は正極の炭素棒にパラフィンParaffin(ろうそくの主成分)を含滲がんしんさせて液漏れを防ぐことに成功しました。 図 5.11は彼の会社が販売していた乾電池の写真で,正極に炭素棒を用い,電解液に塩化アンモニウム,酸化剤に二酸化マンガンを使っているところはLeclanche電池のままです。 屋井乾電池は1894年の日清戦争中,極寒の旧満州で凍結しない有用性が示され,屋井は乾電池王とまで言われました。
 この完全な乾電池は,欧米の通説では1888年に欧州で発明されたことになっています。 正しい記録によれば,日本で1887年に屋井先蔵が発明したのが最初です。 欧米中心だった当時の科学技術の世界では,日本人の発明や研究は,独自に発展を遂げ微積分まで実現した和算のように,その後の世界への影響力が少なかったために単発の現象として無視されたのでしょう。

*   *   *
★ 無水銀化

 Q5.11で触れたように,電池は放っておくと負極から亜鉛がどんどん溶けだして水素ガスの泡が発生します。 これを防ぐために亜鉛電極の表面に水銀をごく薄く塗布するという手段があり,長い間乾電池を長期保存した際の腐食対策として利用されてきました。
 電解液に微量の塩化第二水銀を混ぜておくと,
   2Zn + HgCl2 → Zn-Hg(amalgam)+ ZnCl2
という反応が起きます。水銀はこのように多くの金属と容易に合金(アマルガムAmalgam)化します。 すると裸の亜鉛が直接電解液に接する割合が減るので,亜鉛の勝手な溶けだしを防ぐことができます。
 水銀は上記の化学反応式からも分かるように,逆向きの化学反応となる塩化亜鉛液への溶解は起きないので,電池が放電しきるまで亜鉛の反応性を押さえるのに役立ちます。
 しかし有機化した水銀を身体に摂取すると,水俣水銀中毒と同じことが起こるので,水銀は危険物質として使用中止が模索されてきました。 円筒型電池では1992年に,さらに2009年にすべてのボタン型電池の無水銀化が達成され,水銀を含む電池は市場や使用現場からどんどんとなくなっています。 もちろん補聴器によく使われていた水銀電池(全重量の半分は水銀)は,日本では1995年に生産停止となっています。
 なお無水銀化には,亜鉛電極の材質の改良や腐食防止剤の検討などの直接対策の外,亜鉛が溶けて発生した水素ガスの吸収剤の開発も大きな原動力となりました。

★ 電池の進化は生物と似ている

 およそ38憶年前に海で生れた生物は,水の中でしか生きることができませんでした。
 4憶5千万年前ころのオルドビスOrdovices期になると,大気中に酸素が増え,紫外線から生物を守 るオゾンOzon層が上空にできました。 すると,乾燥した陸上でも体内に水を保持できる仕組みを備えた陸上生物が,海から上陸しました。
 図 5.12に示すように電池も液体から始まり,液体の中で進化した末に,内部に液体をうまく保つ方法を考えついて,自由に持ち運びできるようになりました。

図 5.12
電池の進化 



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