Dr. YIKAI の言いたい放題「技術教育」

2009年版 Copy Right 2009 Dr.YIKAI Kunio

「言いたい放題」の目次へもどる
 2001/2年版「技術教育」へ
2003年版「技術教育」へ
2004年版「技術教育」へ
2005年版「技術教育」へ
2006年版「技術教育」へ
2007年版「技術教育」へ
2008年版「技術教育」へ

2009年1月14日 ヘタリア
2009年6月4日 同級会
2009年8月3日 大学全入
2009年8月30日 若者の右傾化

2009年1月14日 ヘタリア

 東Asiaの国々は,近世まで永らく儒教思想の頸木に縛られてきた。とくに韓国・朝鮮は本家の中国よりもより儒教国家である。
 ところで,米国在住の漫画家日丸屋秀和氏かweb上のsiteで公開している4コマ漫画「ヘタリア」に出てくるキャラの韓国は,「明るく元気でゴーイングマイウェイ、米国に弱く中国を兄と慕い、日本が嫌い。ことあるごとに韓国起源説を主張する」ようだ。
 なお,中国のキャラは残念ながら私が熟知している一般的な大陸の中国人とは異なる。どうもヘタリアの作家は,世間に出回っている情報を基にキャラを作成しているようだ。

 中国は,政治や建前は儒教,商売や本音は道教,女性や来世を願うのは仏教と住み分けて来た。従って彼等を理解するにはこれらが混交している状態を理解できないと無理である。日本だって,神式と仏式を使い分けているじゃないか,と言う人は多いだろうが,その程度が韓国や中国とは異なっている。
 韓国・朝鮮人の行動は基本的には儒教,それも近世になって朱子などが解釈した路線に従って行われている。一方中国は建前上の国教である儒教は,下の人々を抑圧する統治思想として存在し,「上有政策,下有対策」の上側である。もちろん中国共産党も,儒教的な前近代的統治を中国大陸で行っていることは言うまでもない。すなわち賢者(中国共産党員)が孟子の主張する「仁徳」を「老百姓」(註1)に賜るのが政治だと考えている。

 儒教の教えでは,賢者と老百姓は支配層と被支配層という別の人種であるから,革命時など老百姓を利用するときだけ上手く使って,後は搾取の対象とするのが普通であった。蒙古族の政権「元」を追い払ったのは,朱元章などが率いる農民反乱軍であった。もちろんその時に民間宗教であった白蓮教徒も大いに利用したが,いざ政権を奪取すると最初に弾圧されたのは彼等であった。
 明朝の命運を実質的に断ったのも,李自成らが率いる農民反乱軍であった。明朝最期の皇帝「禎」を今の故宮の裏山で葬ると,掌を返して北京城内で略奪を始めた。それに反発した山海関の守将呉三桂が満州軍に寝返ったために,李自成は三日天下になってしまった。
 この儒教の建前と道教の立ち回りを兼ね備えた中国人とここ何年が仕事をしてきて,ほんとうに教育の大切さを身にしみて理解した。教育は自由でないと,真に人類の役に立つ人間を創り出すことはできないだろう。

 残念ながら今の日本の教育は,小泉改革以前から自民党右派と文部省による国民愚民化が行き渡ってしまって,中国人の屁理屈に対抗できるだけの論理的な根拠を失ってしまっている。
 日本もあと20年ほどで,石原や橋下などの右翼知事の指示で,ヘタリア以上の腰抜けな人間を量産するか,戦前流の猪突猛進人間を創り出すことになることは間違いないと思われる。

註1 老百姓は一般人を意味する中国語

2012年9月15日 誤字訂正


2009年6月4日 同級会

 先月の最終日曜日に小学校の同級会があった。15,6年振りに会った同級生達は,私も含めて一様に歳を取った
 この先生は,学校を出てすぐにわれわれの担任になり,卒業と同時に同じ小学校のかなり年長の図画の教師(既婚者だったような?)と結婚退職した。したがって,教え子はわれわれ50余名だけである。

 われわれは,小学4年生になった際に新しいクラスになった後しばらくして新担任がいなくなった(理由は忘れた)。次の先生が来るまでは他のクラスに分散させられて授業を受けた。
 よそのクラスに居候していたので,結束を固めるためか,それとも先生の趣味かはよく分からなかったが,実践を卒業したての国語科の先生だったので,よく本を読んでくれた。『アルプスの少女ハイジ』など西洋物の翻訳だったが,戦後の飢えた時代からようやく抜け出した子供たちにとって,文化の餓えを癒してくれた。
 たしかに,現今のように塾に通って学習をするのもよいかもしれないが,私はこの先生によって文章に目覚めた。文章であり文学ではないところが,私が理系人間となった所以であるが,綺麗な文章や巧妙な表現から得られる豊かなimaginationは,その後の私の文章生活に非常にplusとなった。
 今でこそ子供に創造(想像)力を付ける手段として“読み聞かせ”が注目を浴びているが,当時の漢字の書き取りや読解力中心の国語科の授業としては特異だったと思われる。

 事実,このクラスの中では小さな苛めはあったが,大きな苛めは発生しなかった。その後,中学のクソ担任から私が苛めを受けた際に,小学校のこのクラスにいた子供等の何人かからは中学のクソ担任公認の激しい苛めを受けた覚えがある。それらの連中は,今回だけでなく過去の同級会にも何故か一人も出席しなかった。多分この先生の“子供達へ愛”とは相入れないものがあったのかもしれない。
 結局人を育てたり仕事を順調にするのは“躾や脅しではなく,愛や信頼である”というのが,片手間に教師をまだ続けている私の信念になっている。

 この先生の教育法は,学力一辺倒の親からは噴飯ものであろう。さらに,先生は理科や算数を教えるのは得意ではなく,私などはバカしていたが,それも巧み(天然?)に利用して授業をしていた。たしかに当時は難しい学問などは中学以後に学べば十分だったと思う。
 おかげで私は小学校の図書室に戦災を免れて保存されていた数少ない図書を次から次へと読んでしまった。それだけでは足りずに,街の貸本屋で,講談本や山手樹一郎などの大衆小説を借りて来ては読み耽った。講談本や大衆小説にはルビが振ってあったので,“旧假名遣ひ”や“旧漢字”も小学校のときに身につけてしまった

 子供の教育にはいろいろな議論があるとは思うが,現在の北朝鮮・中国や戦前の日本のように一つの思想をただただ詰め込むだけなのは,まったくもって逆効果であると理解される。自由な発想に基づく豊かな創造(想像)力こそが,国を生かす人材を輩出する原動力であり,自民党の右派や石原・橋下知事のようなご都合主義の反動派が唱える上からの国家主義教育では,国家の将来を担う人材を育てることが出来ないと思う。
 このまま続けて行くと,日本も腐敗した共産党幹部が支配する中国のようになってしまうだろう。 

2009年6月7日 誤字訂正


2009年8月3日 大学全入

 大多数の私大は7月中に前期の講義を終了し,定期試験も終わった。私も先月22日に授業を終了し,webから成績を登録して今年のノルマは完了した。
 多くの私大はおろか国立大さえも,今open campusという名の来年度の新入生への勧誘に大童である。知人の高校二年生も都心にcampusがある数ヶ所の大学を見に行ったそうである。そして昼食券までもらって,学食の試食もさせてもらったそうである。

 見に行った大学は決して1970年代以降の雨後の筍の大学ではない。大学という形ではなくとも戦前から高等教育を行っていて,教授陣や教育理念も開学の精神をしっかりと把握しているものと推察される。
 ただ,大学はずっと学術の塔という皮を被って,その内容を公開していなかった。これは税法上あるいはその他にわたって社会から種々の配慮を受けている以上,本来許されるべき状態ではなかった。しかし,学生数が減りはじめると急に今までの掌を返したように,受験生に阿るような態度を取るのは,この度,国民に嫌われそうになっている自民党と非常によく似ている。

 自民党は公明党と組んで,衆議院で2/3の絶対多数を維持している間に,本来国民が託した自民党と官僚による郵貯資金のバラ撒きを阻止する改革から大きく逸脱し,教育基本法の改悪を始め,自分達に都合がよい社会を作り上げようとした。その結果Asiaの国々がどんどんと力を伸ばしている最中に,戦後最大規模の格差社会を固定化してしまった。
 経営危機という水準で考えると自民党は1990年代に一度政権から転がり落ちるという目に遭った。しかしその反省は,より国民の将来を考えたものではなく,現在の大陸中国のような戦前流の強権国家への移行であり,初等中等教育の時期からお上に無条件に従うよき臣民を育てようという愚民化路線を突っ走った。

 自民党のやり方は,たとえば国旗の掲揚や国歌斉唱への強制的な服従を通じて,自分の頭で考えるべき若者をどんどん保守化させることに成功した。その結果,新しいことを考えるのは損で,如何に目の前を上手くやり過ごし,人よりもちょっとでも得をすることを探すという今の強権主義下の大陸中国のような状況と似た若者が量産されてしまったのだ。
 当然ながら贋物や手抜きあるいは混ぜものをした事物で人を騙して,バレても賄賂で刑罰から逃れるという中国人ほど要領がよくない日本人は,独創的な考えを出せなければ,国際的な競争からどんどんと脱落して行くしかない。

 日本の大学全入の条件下では何も考えたり努力しなくても大卒の資格が手に入る。ますます真面目に学習しなくなった日本の若者たちが,政治の力で右傾化して,日の丸と君が代を奉っていれば目の前を誤魔化せるという考えを持ってしまうと,残念ながら無茶苦茶な競争を勝ち抜いて来た大陸中国の大卒者や,厳しい教育を施す欧米の大卒者には,学力の点だけでなく思考力の点でもはるかに劣る実力しかないバカ者にしかなれないだろう。
 本来日本の将来を担うはずの創造力ある若者たちを自民党は公明党を抱き込んで,保守反動教育で徹底的にダメにしてしまったのだ。

 月末の総選挙で自民党は野に下ることは間違いないが,この20年ほどかれらが教育に対してやってきたことは,自分で考える人間を潰すことであり,技術立国日本の将来を危うくすることである。
 これについては,日本では珍しい理工系の出身の鳩山由紀夫が民主党政権で首相になることに期待したいが,もう手遅れかもしれない。


2009年8月30日 若者の右傾化

 衆議院議員選挙は大方の予想通り,民主党が自民党と創価学会が牛耳る宗教政党に大勝した。麻生は昨年9月の就任早々に解散総選挙を行っていたら,事態はもっとかれらにとって有利だったと思う。
 ただ,午後になって関東地方を中心に台風11号の影響で雨になり,投票率が伸び悩み,結果として民主党が単独で2/3以上にならなかったのは,民主党の将来を考えると結構なことである。2/3の多数で暴挙を繰り返してきた自民党と公明党の二の舞をしないことが,民主党にとって必要なのだ。

 最期の政権の座と考えた自民党の右翼勢力は,2005年に当時の自民党の武部幹事長が唱えた「日本という国は天皇中心の国であります。中心がしっかりしているということと同時に,中心をみんなで支えていく。そういう国柄だと思います」という妄想を実現すべく,衆議院の2/3の多数を使って,数多の反動的政策を実現して来た。
 その中でも大成功を納めたのが,若者を右傾化する戦略である。今回の選挙でも,産経新聞やフジTVがやったinternet調査では,自民党への支持の声が民主党を上まわったとされている。都市部の20代および30代前半の結婚もできない独身男性がやみくもに民主党を叩いて回っているようである。しかし武部は今回小選挙区であっけなく敗退した

 中国では,江澤民元主席が強力な反日教育を押し進めた結果,貧困層を中心として保守的左派の若者が大量発生している。かれらはに自国の経済発展から取り残されてイライラが極致にまで溜っているが,自分が社会の底辺で這いずり回らなければならない原因を,日本のかつての大陸侵略に求めることで,ガス抜きさせられている。
 日本においても,小泉首相以来の10年近くの自己責任を表に立てる政策によって,努力をしない若者の将来は真っ暗である。そこに,日の丸と君が世の強制や“作る会の歴史教科書”など荒唐無稽な内容の教科書を使い,頭ごなしに日本を賛美する教育をした結果,森元首相や武部元幹事長が望む通りの“天皇の国思想”の若者が大量生産されたのだ。
 この現象は大陸中国とそっくりである。すなわち貧困化し希望がなくなった若者の矛先を,中国と同じように国外や国内の想定敵に向かわせることで,為政者の失敗を誤魔化そうというのである。

 ガチガチの資本主義を認める格差社会(註1)では,基本的に下の階層のほうが人数が多い。一揆や革命を起させないために,かれらの不満を国外や体制の敵にぶつけさせることは,古くから為政者の採る常套戦術である。
 自民党は左翼運動に多大な警戒心を払った結果,学校教育を徹底的に右翼化する戦術を採った。さらに日本は,1960年代後半から格差が少ない社会に突入し,その結果戦後すぐから続いた貧困をバネとする左翼運動は終焉を迎えた。振り子が左から中央に振れたのである。それは左翼的な主張をしなくても一定の努力をすれば明るい未来が約束されたからである。
 しかし振り子は往々にして反対側にも振れる。長い間の権力は当然ながら驕りと腐敗を醸し出す。自民党でなければ人でないという,中国共産党と同じような構造下で,国民を戦前の特高(特別高等警察)の管理下と同じ状態に置きたいという願望が,森元総理をして“神の国”発言にまで至らしめた。

 では,自民党独裁下の固定概念に縛られて右翼化した若者はどうのような人になるのであろうか?
 中国の例を挙げよう。国際教育到達度評価学会が21カ国の子供を対象に行なった調査では,計算力では中国の子供は世界1位である。お金儲けで商売熱心な中国人は世界最強の計算力を得た。
 しかし同じ調査で,中国の子供達の創造力は21カ国中で17位でしかない。すなわち,中国共産党を賛美する事項の丸暗記と商売の計算だけに注力した結果,好奇心や想像力が決定的に欠如してしまったのある。
 ところが人口が多いことはよいことである。創造力に富む子供の数の割合が,日本人と比べてわずか1/10であっても,日本人と同じ人数の創造力に富む人々が育つ可能性がある。問題はそれら創造力に富む人材を生かすことが出来るかどうかであろう。人材を生かすことに関しては,日本は今中国と同等な水準である。すなわち,自民党の政権は創造力に富む子供を好まなかった。大陸中国政府と同じように,自分たちが決めた価値観を押しつける教育を続けてきたのだ。そうして日本からの新技術発信力は中国並に落ちつつある
 アメリカの専門学会が共同で選んだ,20世紀の人類の生活に最も影響を及ぼした発明20項目の中には,中国人による発明は一つもない。相対性理論のEinstin博士は 「想像力は知識よりも大切だ。知識には限界がある。想像力は世界を包み込み,発展を刺激し,進歩に息を吹き込む」と言ったそうだ。

 民主党の政権下でも,教育を戦後すぐの時のようにおおらかな状態に再生できるかどうかについては,あまり期待できないだろう。それは文部科学省と石原都知事やその他の反動的な学者によって,学校教育は徹底的に破壊され尽くされてしまっているからだ。ほとんど今の中国の子供たちと同じような学習を強いられていると考えてもよいであろう。

 これからは日本でも政権交代はしばしば起きることが望ましい。台湾の場合は中国人であるので,大陸中国と同じことになる虞は十分にあると思われるが,後から民主化された台湾や韓国に遅れをとってはならない
 時の教育が政治に左右されるようでは,Nobel賞受賞者が一人もいない大陸中国と同じことになってしまう。創造力は想像力と好奇心から産まれる。“神の国”などという復古思想で右傾化した頭からは,新しい考えは何も出てこないであろうし,技術立国などはおこがましいと言える。

註1 現在の中国はどう見ても,日本よりも米国により近いガチガチの資本主義国家である。しかも,米国のように法律と公開原則に基づく規制はまったくなく,裁判ですら中国共産党(=政府)の指導を受ける。
 経済は資本主義,統治方式は(儒教思想を使った伝統的な)絶対君主制と同じというのが中国の政体の正しい姿である。中国共産党は労働者と農民の党という看板はとっくに色あせてしまい,権力者(役人と金持ち)のための党になっている。中国共産党はある意味では日本の自民党と相通じる党である。

2009/年9月14日 改定


2009年版完