Dr. YIKAIの言いたい放題「日本の世相と中国関係および教育」

2017年版 Copy Right 2017 Dr.YIKAI Kunio

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2012年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」2013年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」
2014年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」2015年版「日本の世相と中国関係および教育」

2016年版「日本の世相と中国関係および教育」

2017年4月25日 技術大国日本の凋落
2017年11月7日 日本は自らの鎧で潰れるかも
2017年11月24日 品質保証
2017年12月3日 Isram国並の男女不平等


2017年4月25日 技術大国日本の凋落

 英科学誌Nature Index 2017 Japanに“日本は失速し,エリートの地位が脅かされている”と警告する調査結果が発表された。 その記事によると,NatureやScienceなど高levelとされている自然科学系学術論文誌に掲載された日本人著者による論文数は,過去5年間で8.3%減少しているそうである。
 他の資料でも,全世界の査読付き全論文数が過去10年間に約80%増加した一方,日本人が書いた論文数は14%しか増えていないそうである。 その結果,全論文中に日本からの論文が占める割合は,7.4%から4.7%へと激減したそうである。
 割合の激減については,適当に何でもまとめて通り易い学術誌に投稿してしまうという傾向が強い大陸中国からの投稿が激増し,分母が急速に大きくなったという背景もあるとは思われるが,日本人著者の高levelの論文の絶対数が減少していることは重大である。

 現在,日本の若いポスドク(Post doctoral fellow)研究者たちは非常に厳しい局面に晒されており,俗にアカポス(Academic post)と言われる常勤で給料をもらって働ける研究環境はとても少ない。 しかも建前上は“競争原理”ということで,そのほとんどは任期付きで採用されているに過ぎない。
 日本の労働契約法の規程では,5年目以上の有期雇用契約は被雇用者の要求により無期(正規)雇用にしなければならないが,研究開発力強化法という法律で大学などの教員や研究者は,特別に10年までの有期雇用が認められている。 すなわち,若くても27歳で博士号を取得してから,10年間は不安定な状態で研究をしなくてはならない。 これでは,結婚して次世代を育てるという意欲すら湧かない。

 医療系を除く理系博士号所有者で,現在職を持つ人の8割は大学や公的研究機関にいる。 ただし,新規のポスドクがこのようなアカポスに就く割合は60%程度まで下がっている。 しかも,大学にいても何とか研究を続けられるのは国公立大学が主で,私大では多くの人がprogrammingや基礎実験などの指導要員としてこき使われ,とても一流学術誌に掲載されるような論文が書ける研究環境にはない
 養豚家が国立研究所から出身国立大学へ戻った半世紀ほど前は,学位どころか修士も出ていなかったにもかかわらず,国立大学に助手(現在の助教に近い地位)として正規任用された。 当時の助手仲間には,初志貫徹できずに別の方面に転出した者も二三いたが,ほとんどはお金はないけどゆとりがある研究環境の下,学位を取得し教授となり定年を迎えている。

 このような世代が,日本の研究や技術開発を世界の一流水準まで押し上げたと思われる。 しかし,国家予算の逼迫を裏の理由にして国立大学は独立法人化され,教職員の給与に充てる補助金は大幅に削減された。 お金が欲しければ,米国のように軍や企業から研究費を貰える研究をしろ,ということである。
 ところがどっこい日本は,軍事研究からはお金が出ないし,また運良く受けると左翼が五月蝿い。 さらに企業は大学を単なる卒業生の供給源としてしか見ておらず,優秀な卒業生を得るためのお付き合いとして,研究者一人分の雇用にも不足する数百万円程度の研究費しか提供しない, 米国のように財団がふんだんにお金を出すこともない。 それにより日本の各大学は給料が高くなる長期雇用の正規教員を減らし,研究者を安価な短期契約で雇用することになった。 医療系の博士なら,研究を続ける大学病院の給料がたとえ雀の涙ほどでも,大学外部の病院へアルバイトに行けば,生活が十分に成り立つほどの収入が得られる。

 では,企業では研究は進まないのかというと,島津製作所の田中耕一や元日亜化学の中村修二のように企業内で研究を続けてNobel賞を取得した人物もいる。 田中氏は博士号どころか修士もなく,企業内でコツコツと商品開発を進めてきた。 中村氏も修士卒で会社に入り商品開発に従事していたが,青色発光diodeを発明後にようやく博士号を取得し,Nobel賞受賞前には会社を辞めて米国の大学に移り,米国籍を取得した。
 しかし,この両人は例外と考えてもよいであろう。 日本の名だたる企業からは,Nobel賞受賞者は出ていない。 しかし,大企業の研究開発部門の管理者級には,名刺に“博士”と書いてある人物が少なからずいる。 この肩書きがある方々は,米国のように博士号を取得してから企業に入り,企業の研究開発部門の中心となってやってきたのであろうか。
 現状の日本では,米国で学位を取ったなどの例外を除いて“”と言って差し支えない。 大企業の管理部門での出世が望めなくなって待遇に困った技術者に対し,企業は大学に研究費を出して共同研究の担当者として学位を取らせ,あわよくばどこかの大学の教授に追い出そうとした戦略の結果,“専門部長・博士”という名刺が出来上がったのである。
 事実大学には,社会人枠として企業内の研究成果をまとめて,学会論文や博士論文の執筆の指導だけする博士後期課程の学生がけっこうな人数いる。 かれらは,週一から月一程度大学に出向き,共同研究という形で研究の指導を受けて,学位を取得する。
 研究室によっては正規の課程博士の学生が社会人学生の名前や顔すら知らないということも,ままあると聴く。 彼ら社会人学生は,現時点ではほとんどが修士卒で会社に入り,技術・研究開発部門で長年経験を積んできた者ではあるが,研究方法論などには疎いので,論文を書くには大学の手助けが必要なのである。
 今は社会人が学位を取得するにはこのような方法が普通になったので,養豚家のように昔ながらの学部卒で博士論文一発で学位取得するというのは希有のことになってしまった。 事実,今の論文博士のほとんどは,博士後期課程を“単位取得後退学”あるいは“満期(通常6年で満期となる)退学”後,数年後に博士論文を提出した形の者である。

 修士(博士前期)課程で,きちんとした自分なりの方法論を身につけられる人は,非常に僅かである。 養豚家も,学部卒で国立研究所に入所した際に,若い同期といちばん議論したのは“どうすれば使える方法論を身につけられるか”ということであった。 当時の大学や国立研究所は予算は少なかったが,考える時間は十分にあったので,養豚家も研究所を辞めて大学へ移ったころには“零から何かをするにはどうすればよいか”という方法論は自然と身についてしまっていた。
 一方,企業はたとえ研究所といえども利益追求が第一なので,その企業独自のやりかた(企業文化)が決まっていて,たとえ博士であってもそれに従って業務や研究開発を進めていくことが要求される。 というか,日本企業では全社一丸となって同じやり方をすることが,利益を出す早道だという観点が定着している。 まるで軍隊の組織である。
 たしかにこの手法は,進んだ欧米の科学技術に追いつくにはとても有利な戦術であり,過去の韓国の驚異の成長もこの原理を利用することで成し遂げられた。 しかし,欧米に対するcatch up過程が終わると,この戦術は逆に作用し,企業内の異端を排除するように動きかねない。 せっかく博士を取得する際に培われた新たな物事に対処する方法論を押しつぶさないと,企業内では生きていけないのである。
 事実,韓国は全国的にcatch up終了状態に陥っているにもかかわらず,“漢江の奇跡よもう一度”という後ろ向きな姿勢が顕である。 これが上手くいかないイライラも,国を挙げての“反日”propagandaとして現れているのではなかろうか。

 博士号取得者が企業に入ると,当然ながら自分で確立した方法論を以って,物事に対処しようとする。 しかし,旧態依然とした考えの企業から見れば,これは何の役にも立たない学徒の青臭い議論だとして排除し,場合によっては閑職に追いやられるか,詰まらない仕事を押しつけられてしまう。 その結果,企業側の博士に対する感想として,まだ仕事もちゃんと知らないくせに生意気ばかり言うとなり,自然と博士号取得者に対する求人はなくなってしまったのが,日本の企業社会の現状である。
 実際に方法論が身についている人間にとって,新しい仕事の内容を理解し,与えられた規則通りにそれを片付けるには,早ければ3日,長くても3月あれば十分である。 米国などでは“博士というのは,上述のようなことができる人材であることを大学が保証している”と解釈されている。
 しかし日本の企業では,新入りの博士がこのようなことを言えば言ったで“新米のくせに生意気な”と同僚や上司から排斥されるのは火を見るよりも明らかであろう。 したがって民間に仕事を見つけた博士は,“物言えば唇寒し秋の暮れ”と決めて,大人しく企業の黄昏に付合い,そんな企業を選んでしまった自分の不明さを嘆き,生活のために物事が解らないアホな社員に教える塾の先生やIT土方(Program作成やserver管理などの昼夜を問わない土方仕事)のような仕事をやるしかないのだ。
 結局日本では,企業側は博士を人材とは認識していないし,博士側も人を押しつぶすような企業には行きたくなくてアカポスに殺到するのであろう。 当然ながら,修士課程にいる学生も,博士取得後の就職難を熟知しているので,よほどの研究意欲がない限り博士後期に進むのは躊躇するであろう。

 だから,約1/3を占める医療系を除けば,どこの大学院の博士後期課程も,外国人学生と企業からの社会人学生が目立つという現象になっている。
 事実,2016年発表の「博士人材追跡調査」第一次報告書から見ると,医療系や人文科学系および社会科学系を含む全博士後期課程の入学者(社会人・留学生も含む)数は,2003年の18,000人余りをpeakにここ数年は15,000人強まで下がってきている。 それを反映して,農学系を除く理工系は,博士後期課程の定員に対しての充足率は60%強にまで下がっている。
 大学の先生も,学生に如何に見込があっても,将来のアカポスを用意できなければ,無闇と博士後期への進学を勧める勇気はないと思われる。 この統計の最後の年の2014年には,社会人比率が約38%,留学生比率が約15%となっており,理工農系に限ればこの比率はもっと大きくなるのは明らかであろう。
 もちろん博士後期課程入学者が全員博士号取得とはならない。 特に社会人の場合,企業内などの仕事との両立がたいへんで,満期退学になる可能性が非常に高いし,過去に企業内でやってきた仕事はすぐに陳腐化して論文にならない場合も少なくない。 企業では最先端の研究成果は,学会発表すら禁止しているところがほとんどであり,中村修二も会社には内緒で見つかりにくい英文誌に投稿したと言っている。

 すなわち,15,000人の入学者の内1/3の約5,000人が産業の役に立つ理工系で,留学生の多くと社会人はそこに集中している。 約半数を占める留学生と社会人以外の全員が学位を取れたとしても,年間たった約2,500人が,科学や先端技術の新規人材であるとすると,技術立国の日本としては寂しいかぎりではないか。
 しかもその約6割(約1,500人)がやっと大学や公的研究機関に就職口を得た(ほとんどが任期制)という統計から見ると,日本の名だたる大企業は日本全体でたった1,000人の人材すら,大学や公的研究機関との間で取り合いに至らないどころか,入社を拒絶しているかに見受けられる。
 従来のやり方で学部や修士の卒業生を集め,自社のcolorに染めて,旧日本陸軍よろしく叩き上げたとしても,満州事変から日中戦争をへて太平洋戦争へ突入したmono tone思考の結末と同じ状態を迎えるだけである。
 台湾企業というか大陸政府御用達の巨大下請け企業(EMS)である鴻海に飲み込まれたシャープや,米国の斜陽産業であったWesting Houseに巨額の資金を突っ込んで会社分解の危機に瀕した東芝などは,結局,異なる思考法を認めない社風になってしまったのが原因で転けてしまったのであろう。

 生物界では雌雄交配で異質の遺伝子と交換することで種の安全と繁栄ならびに発展を得ている。 企業界も同じで,創業者社長が健在でその思考が柔軟な内は全社一丸となってもよいが,創業者が没し,topが役人の世界のように従来の思考法の延長に縛られるようになると,強風に出あうとあっけなく折れてしまう。
 社内の“和”だけでは世界を相手に競争しても,簡単に負けてしまう。 博士号取得者は,基本的には自分で物事を構築できる能力を有している。 多少の軋轢はあっても,あえてこのような人材を組織内に取り入れないと,科学技術立国は砂上の楼閣でしかなくなってしまうのは明らかであろう。 日本の凋落の始まりは,博士取得者(ポスドク)の冷遇が切っ掛けになるのは確かである。

 余談ではあるが,修士卒で世に出た養豚家の二世が,この四月に課程で博士号を取得した。 学部の卒業研究の延長線上ではなく,零からのstartだったので,満期一杯の6年間大学院に通い,いくら国立大とはいえ授業料と生活費とで,1,000万円以上の浪費をした。 幸い養豚家の亡妻がかなりな額の学費を溜め込んでいてくれたので,奨学金という悲惨な借金をせずに学位を取得することができた。
 しかも,社会人学生としてではなく課程博士だったので,ご多分に漏れず昨年は博論の執筆と並行して就職活動をする羽目になった。 もともとアカポスには興味がなかったので,表向きは博士を募集している数多くの企業にentryし,社長面接まで進んだ企業もあった。 しかし,ある一社の社長の言い分は“わが社には君が研究したい仕事はないよ”というじつに馬鹿げたものだった。
 書類選考,人事面接,担当役員面接で,職種や業務についての件はお互いに十分了解が付いているはずである。 社長面接はお互いの人物を見るものである。 社長は会社の顔であり,会社の考え方を代表するものであるが故に,面接では社長の人物も見られているのである。 しかし,創業者一家ではないこの成り上がりの社長は,“博士=頭が堅い偏屈な研究者”というmad scientistを思い浮かべるstereotypeな図式が頭に染みついていたのであろう。
 この会社の得意先には多くの大学や研究機関および企業の研究開発部門や生産現場があり,担当役員や採用担当者は,それら博士級の客先担当者と対等に話ができて,開発内容を相互に煮詰めながら進められるような人材が欲しかったのであろう。
 養豚家としては,元々この会社のことは見くびっていて好みではなかったので,社長面接で落ちたということは良かったのであるが,本人はもう馬鹿馬鹿しくなってしまい,日本国内の企業には見切りを付けてしまった。
 国内でも諦めてIT土方バリの仕事に就くならいくらでも口はあるが,それではせっかく身につけた方法論を活用することができない。 かれは現在,国外に天地を求めていろいろと模索している。
 このように,1年にたった2,500人しか出て来ない使える人材を拾えないで,しぼんで行くのが現在の日本なのである。 二世が言うには,“ポスドクを雇って使いこなすには,名刺博士ではない博士が企業内にいなくてはならないだろう,さもなければ創業者社長の企業か日本人が決定権をあまり持っていない外資系企業でないと無理じゃないか”だそうである。 上述の社長がアホ極まる発言をした会社でも,現場の人間は実際に博士級の人材を求めているのは明らかである。

 養豚家はもう後期高齢者なので,日本の落日をこの目で確かめることはできないと思うが,わが二世には国外からきちんと眺めて欲しいと願っている。


2017年11月7日 日本は自らのよろいで潰れるかも

 今年の5月半ば過ぎと10月下旬の春秋二回,各1週間強の間,養豚家の友人が日本語教師として勤務する中国の地方大学を訪問してきた。 この大学は開学以来100年以上の伝統があるが,著名な大都市から数100km以上離れた山間の盆地にあるので,あまり知られていない。 しかし,この人口500万人の地方都市(地級市:註1)唯一の人文系,社会科学系,理工系,医系など18学部を有する省立総合大学(註2)であり,全学生数は2万人を越える。 友人は外国語学院(学部)の日本語専業(学科)で外人教師として,週6コマ(45分/コマ)と隔週2コマの授業,その他の指導を担当している。

 中国の古い大学は,ほとんどが大学内にすべての学生の寄宿舎と教職員住宅を有している。 大都市の古い大学には,教職員の子弟のための保育園・幼稚園のみならず,小中学校までも併設している。 80年代に天津市の大学を訪れたときは,大学の建物を修復するための煉瓦を焼く工場とその従業員の住宅まであった。
 もちろん学生やこれら教職員のための食堂とか店舗も大学の構内にあり,多くの巨大大学内に住む人々は,優に日本の市の基準である人口3万人をも凌駕している。 外国語を教える外国人教師のための宿舎も家具・家電機器付きで無償提供されているのが普通である。
 友人に用意されている宿舎は築後20数年経っていて,外観はお世辞にも綺麗とは言えなかったが,大学の外にある一般住民が住む古い集合住宅よりは管理が行き届いていた。 前世紀末にはまだ残っていた東大本郷campus内の職員住宅よりは,はるかに快適だろうと思われる。

 宿舎は一軒の広さが約100㎡もあり,大型bedがある寝室が2間,net環境と事務机2卓がある仕事部屋が1間,TVが置いてあるliving兼客間,台所,食事室などがあり,1 floorに階段を挟んで2軒だけなので,すべて角部屋である。 上海などの大都市や日本の地方中核都市ならこれだけで月に3~5,000元は払わなくてはならない。 残念ながら5階建てでelevatorはなかったが,友人の家は3階だったので不便は感じなかった。
 大学内には招待所という大学所有のhotelもあり,以前短期で訪問した際にはここに格安(1泊130元)で泊った。 招待所には餐庁(restaurant)が付いていて,そこそこのご当地料理が食べられる。 しかし招待所は大学の南門を入ったすぐの処にあり,東門のそばにある友人の宿舎へは,大学の中を突っ切って20分ほどかかるので,今回は大学の外事処に許可申請を出して,友人の家の物置になっている寝室に居候を決め込んだ。

 報酬面では,住居費を考えると中国の大学の待遇はそれほど悪くはない。 街のhotelが料理長などを募集している広告を見ると,給料は日本の国民年金くらいであるから,宿舎を含めた福利面でも大学は有利である。
 たしかに大学の報酬は,大都市の中国企業や合弁企業で月3~5万元(2017年11月時点で1元≒17円)も取っている典型的な中国人のelite層と比べれば少ない。 友人は日本で取得した院卒の資格で毎年契約更新をするfull timeの外人講師をしているが,報酬は日本の平均的な厚生年金水準よりも少なく,生活保護や国民年金の約2倍程度である。 もちろん大学の負担で,入院治療となったときのための保険には入っている。 したがって手取り額は,養豚家の僅かな年金とほぼ同じ水準と言える。

 しかし収入の比較には,購買力平価をも考慮に入れなくてはならず,単なる為替相場だけで収入の多寡を論じるのは拙速と言えよう。 単に比較と言っても,何の価格を比較するかによるが,2000年以前は中国の物価は日本の1/10程度であったが,最近は1/2程度であると思われる。 交通費(バスや地下鉄は2元や3元から乗れる)や電力,食品など基本生活に必要なものは日本の1/3から1/5であるが,品質がよい工業製品は日本と変わらないか,ユニクロのように輸入原材料の関税の関係で,むしろ日本よりも高い店もある。 今回も友人のnote PCに外付けするdisplayを大学の傍の電器店で購入したが,中国製のPhilips brand品(22型)が600元(約10,000円)であった。

 スマホも国際価格である。 一時中国市場を席捲した韓国「三星(Samsung)」のGalaxyに代り,「華為」や「OPPO」などの安価な中国brandとiPhoneが出回っている。 それらの商品の価格は日本市場に進出したものと大差ない。 友人のスマホも3,000元(約5万円)のOPPOであり,十分に使用に耐える。 後で触れるが,今の中国はスマホで提供されるserviceなしでは,taxiを呼んだり切符を買うのもたいへんな手間である。
 一時その安さで中国市場を席捲しかけた「小米」は,今年の新卒採用の会場で,小米の担当者が“日本語履修者は採用しないから説明会場から出て行け,もっとも(adult)videoの仕事ならあるかも”という発言があって以来,最大の需要層の若者の反発を買ってしまい,昔日の勢いはなくなってしまった。(註3)
 若い世代のスマホの普及率も日本と大差ないと思われるが,さすが高価な「苹果(Apple)」の普及率は日本よりは低い。 それでも意外と多くの学生さんたちがiPhoneを持っているので,ちょっと驚いた。 帰国時に飛行機の都合で大都市の外資系の四☆hotelに泊った際,朝食時に隣に座った若い中国人女性の二人連れは,二人ともiPhoneを弄っていた。

 スマホの利用に関しては,SNS関係では以前のPC baseのQQから同じTencent(謄訪)が提供するWeChat(微信)に移行していて,学生さんや教職員との連絡には事欠かせなくなってしまった,というのが友人の弁である。 WeChatの機能は,日本国内で普及している韓国企業が提供しているLineとほぼ同じであるが,大陸中国では国外のLine,FacebookやTwitterなどのSNSは,MicrosoftのSkype以外はほとんど全面的に禁止されている。 WeChatは,この不公正な非関税障壁政策のおかげで中国国内だけで10億人以上のuserを獲得できたと言えよう。
 WeChatは,当然中国国外にいる中国人にも普及していて,養豚家の中国人の友人達はSkypeから移行するように勧めてくるが,非自由主義国での規制下にあるSNS toolを使うのは危険性が極めて大きいので,遠慮している。 最近は,short messageの文字内容だけではなく,音声通話も声紋判別技術を利用して,特定の個人の通話を探し出して傍受しようと試みられている,というnet情報もある。

 ところで,中国でのスマホを利用したWeChatに連動した「微信支付(WeChatPay)」や先行した阿里巴巴アリババの「支付宝(AliPay)」の普及速度はあまりにも異常といえる。 これは,今までは傷んで紙屑のようになってもまだ流通している紙幣のみに支払手段を頼っていた上,偽札の危険から最高額が100元札しかないので,札束を大量に財布に入れて歩く不便を,これらの決済手段が一掃したからであろう。
 欧米諸国では長い間の個人小切手による決済に続いて,credit cardやdebid cardによる決済も普及しているし,日本ではそれに加えてSuicaを初めとする非接触のpre-charge card型の決済も普及している。 もちろん中国にも「銀聯卡(UnionPay)」というcredit cardと兼用のdebid cardが早期に登場していて,cardの発行枚数だけは増えたが,決済に使うPOS端末の普及があまり進まず,大規模な商店や国外に出かける中国人が利用するに過ぎなかった。
 日本でも,中国人旅行者の増加に伴い,多くの銀行や大型店舗・コンビニで一旦UnionPayが使えるようにはなったが,今年になって多くの銀行がUnionPayでのATMによる日本円の引き出しを業務を中止した。 それは偽造対策のために磁気stripeが付いていないUnionPayが増えてきて,しかも内部のIC chipがISOのEMV規格に対応していない中国独自の規格(PBOC)なので,事実上使えなくなったからである。
 すなわち,中国も日本とは別の意味でGalapagosガラパゴス国家である。 15世紀頃までは中国が全世界であり,中国の標準が世界の標準だという主張が東Asiaでは通用していた。 国土が大きいから,Galapagos諸島では失礼なので,Kangarooカンガルーや袋オオカミなどの有袋類が発達したAustralia大陸と同じく,特異進化している国とでも言った方が良いであろうか。

 中国国内では上述のように,世界中で普及しているcredit cardやdebid cardなどの決済手段があまり普及しない内に,QR codeを利用したスマホ決済が登場し,危機管理がなされないまま1,2年で急速に普及してしまった。 これを利用したshare自転車の「共享単車」という無人serviceもスマホによる管理と支払で急速に普及している。
 当然ながら,大量に国外に出かける中国人観光客は,QR codeによる決済や中国版Ubarとも言える「滴滴出行」という相乗り配車serviceを他国でも使おうとする。 そこにソフトバンクや楽天などを初めとする目の前の利益を貪る企業が,物事の大局を理解せずに日本の構造を中国に合わせよう,と勝手に動き出しているのが現状である。
 非接触型cardとその処理を行うPOS端末が普及している日本では,スマホのQR codeの読み取りで手間をかけるよりも,ピッ!っと一発で決済できるSuicaの方式のほうがより手間が少ないし,決済時にスマホを紛失したり落して壊す可能性も低いと思われる。 わざわざ中国の出遅れた社会構造に合せた方式に,日本を引き戻す必要は一切ないと思われる。
放置share自転車
駅で乗り捨てられたshare自転車
 Share自転車もすでに中国の大都市では飽和状態で,地下鉄の駅付近の路上は乗り捨てられた各社の「共享単車」で埋め尽くされている。 この大学内にもあちこちに乗り捨てられており,新たに使う人は手前の自転車から使うから,奥のほうに置かれた自転車は長時間放置されているのが実情である。 すなわち,大きなGalapagosである中国で急速に普及しているからと言っても,決して世界標準になることが決定しているわけではない
 なお,中国では今年の6月からこれまでにshare自転車の会社が6社も倒産している。

 このようなことを言うと“養豚家は歳取って焼きが回った,西欧でもSverigeスェーデンなどはほぼスマホ化している,もっと世界の現状を知れ!”と上から目線で言われそうであるが,一般的に一つの国あるいは一つの企業・団体での最適解が,他の国や企業・団体では決して最適解ではないのである。 もし,どこでも最適解となるなら,別の国家や企業・団体である必要はなくなってしまう。
 しかし,日本の農協のように新しい概念・手法や文物を全面的に拒否するのは,もっと馬鹿げた態度である。 ゴチゴチの鎧を身に纏って,外に槍をつき出して身構えている日本の企業・団体は数多くあるし,そのような人物も多い。 日本は幸い海に囲まれていたので,人々はこのような新しいものを取捨選択して,徐々に受入れて自家薬篭中のものと化して来た。 ところが航空機と通信技術の発達で,新しい物事との出会いが,安価・急速かつ大規模化してしまったのが21世紀である。

 今,日本人に課せられた課題は,大陸からの弥生人の渡来でそれまでの縄文的な文化が大幅に影響を受けた頃と同じく,如何にそれらを受容するかという,戦術水準を越える戦略の立て方である。 日本は江戸末期の,世界中を自分たちのやり方に統一しようとした欧米諸国からの圧倒的な圧力もなんとか躱したが,今度の中国からの働きかけは,人の往来の割合が弥生期への移行時と同じ程度に大きいことが大きな特長である。
 これに対して,韓国がやっているような中国式を無条件に受入れたり,ネトウヨのように一切の妥協を拒否する鎧を纏ったやりかたは,どれも成功しないであろう。

 養豚家は,これに対処するいちばんよいやり方は,日本に来ている中国人の相手をしてあれこれ立ち回るのではなく,中国へ出かけて行って中国人の考え方を理解することであろうと思う。 さらに,日本人の考え方や行動様式を中国に行って伝えることも必要だと思う。
 たしかに,昨年末で日本に長期滞在している70万人の中国人や毎年500万人以上も訪日する観光客が帰国して,中国人に日本流を伝える可能性はあるが,日本に定着した中国人は帰国したがらないし,日本に来たことがない中国人からみると,かれらの目には訪日観光客ですら裏切り者としか写らない可能性が大きい。 現状,訪中している日本人は,わずか50万人の観光客,企業の派遣,少ない留学生など合わせて年間250万人で,基本的に中国の一般的な人々との交流は,表面的にしかできていない。
 養豚家は今年の春秋二回の超短期滞在でも,小数の中国人と生で話し合う体験が僅かながらできた。 言葉の壁は大変ではあるが,この大学のある3年生が言った“日本人と話をするのは四人めです,今までの三人は大学の日本人先生です”という言葉に,実際の交流の大切さを知らされた。
 日本語科の学生でさえこの程度であるから,一般の人は一生日本人と対話しないで過す可能性が大きい。

 養豚家は日中学院校友会の訪中団を引率しての訪中は,高齢を理由に2016年春をもって終わりとし,それ以降はもっぱらこの大学にいる友人を訪ねて訪中している。 これも今回で五度めとなったが,体力と気力とそして財政が許す限り,今後も何回でも訪れたいと思っている。
 多分,80歳になるまでにはこれも不可能になるだろうと思うと,せっかく流暢に話せるまでに上達した中国語も使う機会がなくなってしまうのが残念ではある。

註1:
 中国の行政構造は一般的には,第一級行政区である省・(省級)市(北京,天津,上海,重慶)・自治区の下に(地級)市がある。 なお,広州市や杭州市など省都になっている市の一部や大連市のような省都でなくても重要な市は,省に近い権限を持つ副省級市とされている。 省は日本等の国家に相当する面積と人口を有しているので,(地級)市は日本の県に相当する面積と人口があると考えてよい。 (地級)市は都市部である区(市政府などがある)と比較的都会になっている(県級)市および郊外や農村である県に分れている。

註2:
 中国の大学は数少ない私立大学を除けば,米国の州立大学と同様,ほとんどが省立大学である。 教育部が予算を重点配分して運営されている大学は重点大学と呼ばれ,北京大学や清華大学,中山大学など各一級行政区に数校しかなく,しかも時々入れ替わる。

註3:
 中国の大学で日本語を学ぶ学生は,圧倒的に女子が多い。 事実,この大学の4年生は全員女子学生であった。


2017年11月24日 品質保証

 この秋,神戸製鋼所に端を発した出荷検査の手抜きやdataの改竄の発覚が,日産自動車・スバルの出荷前の車の無資格者検査,さらに三菱マテリアルや東レ子会社のdataの改竄などに大きく拡がっている。
 これらの不祥事は,別に今回突然起きたわけではない。 発覚した各社では,これらの事は10年を越える悪癖になっていて,そこで働く人々はそれを異常とは感じていなかったのであろう。 原発の浸水による冷却停止の危険も,解ってはいたけど長期に亘り見過ごされて来た。 手抜きやdata改竄も,それに初めて接した人から見れば異常事態であるが,その環境に浸り切っている人々にとっては,敢えて触れなくても毎日が無事に過ぎていくのであるから,不感症になってしまっていたのだろう。

 品質保証は,常時問題意識を持って見直していかなくてはならない,という原則があるにも拘らず今が無事ならよいという感覚は,このような製品に対してだけでなく,人物や組織についても言える。
 日本の大きな売りである“おもてなし”に代表されるservice精神は,そこに働く人々が先天的に保有しているのではなく,毎日の業務の中でその精神を再確認しているから,“売り”になっているのである。 すなわち,日本人は皆当たり前と思っている品質保証があるから,常に一定水準以上のserviceが受けられ,外国人観光客も喜ぶのである。
 事実,最近増えた外国人が働いているコンビニでは,この確認作業が疎かである店もあり,まるで中国でコンビニに入ったような感じを受けることがある。

 さて,品質保証上で一番問題が大きいのは議員達である。 国政から地方に至るまでの種々の選挙は,議員の品質を一定間隔で見直すために絶対的に必要であるが,唯一の思想で国民を縛りつける共産国やIsram国の中に多くある強権主義国家では,当然の事ながら見直しは形骸化し,時の権力機構が認める候補者のみ立候補し,形式的に実施された選挙で選ばれた政権として国家や地方を思うがままに統治している。
 強権主義国家ではなくても,他との出入りが希薄な地方では,特定の一族やgroupによる専横がまかり通っている。 実際にそのような場所で暮していると,それが当たり前になってしまうのは,常に保守的に行動するのがdefaultである人間として止むを得ない現象である。
 製品の場合もまったく同じであるが,製品ではそれを供給する側とは別に顧客がいるので,今回のように悪事が露見し,最悪供給側の企業が倒産することもありうる。 政治の問題点は,選挙で政治家の品質管理をすべき人間と,政治家の統治の対象になる人間が同じであるということである。 すなわち,自分の小さな利益を守ろうと思うと,企業内で目を瞑っている人間と同じく,唯々諾々と品質に問題がある政治家の下で生活を続けてしまう。

 現在の自民党政権はこの状態にある。 小澤一郎が自民党を飛び出してまで目指していたのは,保守政権から左翼政権へ変えることではなく,この選挙による監視で政治家の品質保証をしなければ,日本の将来の発展はない,という信念から出た政権交代である。
 残念ながら日本の検察を初めとする官僚体制とそれにべったりと寄りかかっていた,企業や農村などの利権集団は,小澤の手腕を怖がって,簡単に無罪になった下らない理由で,小澤を政治の舞台から引きずり下ろすことに成功した。
 それ以降,日本は運良く経済的な小康状態にあるように見えているが,内実はドンドンと腐って行ったのである。 森友学園に対する安倍総理夫人の過度な入れ込みとそれを忖度する官僚,安倍総理のお友達だけに有利にした加計学園の獣医学部新設認可など,そば屋の出前ではあるまいし,“もり”と“かけ”などという安い演出ばかりしている。 正に,隣の韓国や蔡政権になる前の台湾の政治にそっくりな,品質が劣化した自民党政治が続いている。
 この間,この状態を異常とは感じない国民は,自民党に投票した。 多数を得た安倍は何をしても許されると,国民無視やdata改竄を行って,強引に憲法を変えようとするであろう。
 広言していた自衛隊関係を憲法に書込むだけではなく,いろいろとおかしな条項を付け加えて,国民の権利を明治憲法下のように,法の定める範囲で権利を有するという形にしようとしていると見られる。

 大陸中国でさえ,国民の権利や人権などが憲法に書かれているが,裁判所さえ共産党の指導下にあるという考えにより,net封鎖まで行われている。
 安倍は,日本も憲法を変えてこのよう政治家の品質保証がない国にしたいと思っているのは明らかである。 その路線は,この11月15日約30年独裁政治を続けていた93歳の大統領がcoup d'Étatクーデターで倒されたZimbabwe共和国に似ることを目指していると勘繰られて必然である。 ところで,なぜか中国はZimbabweとずっと関係がよい。 独裁政権同士だからであろうか。
 政治家の品質保証制度が機能しなくなると,日本が自由主義国である理由がなくなり,Zimbabweのように中国の一部と変わらなくなってしまうだろう。 そうなっても日本人は事態の変化に気が付かないように思えるが如何であろう。 安倍とそれに同調する自民党政治家が今後国内に対してやろうとしていることを突き詰めると,結局,今の中国の膝下に平伏している韓国の文政権がやっていることと大差なくなり,油断していると中国の一つの省になってしまうかもしれない。

 養豚家?Trump政権下の米国でも,中国よりはましであるから,米国へ移住したい。
 でも,青色LEDの中村修二のようにNovel賞でも獲らないと,後期高齢者のジジイを受入れてはくれないだろう。 ヤレヤレ,早めにくたばるしかない。


2017年12月3日 Isram国並の男女不平等

 去る11月25日札幌市中で帰宅途中の20代前半の女性が,大柄な12歳の中学1年生の男子生徒に商業施設から跡をつけられた上,背中を万引きした包丁で刺されて重体となった。 少年は警察に,人を傷つけたかった,と供述したそうである。 想像するに,この犯人の身体は年齢よりかなり成長しているので,公開されている供述による単なる興味以上に,刺した瞬間に性的快感を覚えたのではなかろうか。
 白状すると,養豚家も小学生のころに庭で虫を殺すと,下腹部に興奮を覚えた経験がある。 この辺りを詳しく突っ込むには,異常な精神活動は子供の頃の性的問題に起因するという学説を唱えた心理学の泰斗Freudに立ち戻らなくてはならないだろう。 もし,防犯cameraの映像が得られず,この犯人がすぐに身柄を拘束されないままであったなら,次の殺傷事件を起こすか,あるいはすでに精通を迎えていてその快感を知っていれば,次はrapeに走った可能性が高いと思われる。

 Rapeは,その発生自体が公式に犯罪として認知された数が,日本国内では年間1~2千件程度ととても少ない。 Rapeは明治(1907年)の現行刑法制定以来,今年の7月13日に強制性交等罪が施行されるまで親告罪であったので,表沙汰になることを恥とする日本文化と相まって,統計では全発生件数の3%程度しか認知されていないとされている。 しかし,この認知割合も多分悪質なrapeの暗数に対してであり,多くの専門家は実数は暗数の10~100倍はあると見ている。 なお今回の改正では,施行時に既犯であっても,新たに起訴する時には親告の必要がないという,遡及規定がある。
 実際にrapeは顔見知りの間で起きるのが普通である。 甚だしいのは父娘,義母倅,兄妹,弟姉,義父嫁,義兄弟嫁,親戚の男女などで頻繁に発生する。 これらは余程悪質でない限り,当事者間しか知らなかったり,親族にバレてもなかったことにして,口を拭うのが普通であり,暗数にも数えられていない可能性が高い。
 顔見知りでは,近所の人や学校の先輩・教員・生徒・学生関係,職場内,趣味や飲食店での交友関係など非常に多くの人と人が出会う場面で起き易い。 多い理由は,顔見知りだと合意の上と言い張ることもできて親告される可能性が低いことやお手軽にrape対象の女性を調達できるからである。 たとえば,2003年に発覚した早稲田大生らの集団rape groupによるスーパーフリー事件が有名である。 しかし,親族ではないので,事情によっては暗数に加算されるし,場合によっては告訴されることもある。 今回非親告罪化したことで,顔見知りをrapeするのは犯罪者になる危険が増すので,多少減るかもしれない。
 Rapeは,もちろん被害者女性の人権を精神的および処女喪失や怪我などで物理的に侵害するだけでなく,望まない妊娠やHIV(放っておくとAIDSが発症する)・梅毒などの性病に感染させられる危険も大きい。 真実かどうかは定かではないが,2016年になってもスーフリ事件の被害者に関係したnetへの書込み(Linkが切れていたらこちらの423~438)も未だにある。(二つとも開かなければ註1を参照)
 このようにrapeは,被害者にとっては一生忘れられない事件なのであるが,加害者は“合意があった”と主張し,いつまでも補償すらしていない可能性が高い。

 世界に目を向けると,犯罪認知されているrape数が人口比で最も大きいのは南Africaである。 これは,長い間の白人支配と無教養下に置かれていた黒人層が多いという現実が影響しているのかもしれない。 なお,被害者は未成年者が多いという。
 なお,米国でも人種間だけではなく白人間でも,rapeは日常茶飯事である。 たとえば今年の10月18日に,米国の元体操選手で2012年のLondon Olympicで金medalを獲ったMcKayla Maroneyさんは,13歳の頃から20歳で現役生活を終えるまでの間,USA Gymnastics(米国体操連盟)の専属医であったLarry Nassar被告から治療と称するrape被害を受けていたことを,Twitterで公開した。
 米国ではAsia諸国やIsram主義国家とは少し異なり,被害者が恥ずかしさにも関わらず自発的に告発する場合が多い。 このNassar被告はすでに別の20件以上のrape犯として起訴されている。 ただ彼女の場合,昨年12月に米国体操連盟から125万$の口止め料を受け取っていた。 その理由は,rapeが原因で日々悪化する精神状態の治療に多額の費用が必要となり,その資金に充てるしかなかったからのようである。
 なおNassar被告(54)は,2018年1月24日,米国中西部のMichigan州Lansingの裁判所で40年~175年の禁錮刑を言い渡された。

 Isram圏ではrapeが犯罪と認知されていない傾向にある上,rapeしても結婚すれば(妻は4人まで可)犯罪にならないというIsramの決まりが優先し,小学生までもが被害に遭ってはいても,実態が明らかではなく,暗数すら正確性を欠く。 Isram主義国家ではあまりにもrapeがひどいのか,女性が入学や就職および結婚する際や逮捕者にもvergin検査をしているそうだ。 世俗政権ではないIsram主義国家や共産主義政党などが独裁支配する強権主義国家でのrapeの実数や暗数の推計は,信用するに足りないと言えよう。
 今年11月22日のBBC Newsによると,脱北したリー・ソ・ヨン氏の話として,2015年から女性全員が18歳から7年間の兵役に就く義務がある北朝鮮では「部隊の指揮官が職務時間後に執務室に残り,部下の女性兵をrapeしていた。これは果てしなく,何度も何度も繰り返された」と書かれている。

 じつは,表向きは非強権主義国家とされている韓国でもrapeの比率は異常に高く,韓国での認知rape数の比率は日本の43.6倍となっている。 同じく非強権主義国家であるIndiaとほとんど肩を並べている。
 特に日本人女性に対しては,韓国が一方的に主張する慰安婦(=売春婦)に対して日本兵がやったと宣伝されている状況よりももっと酷い扱いをしている。 本当かどうかは確認できないが,net上には日本人女性旅行者が韓国で被害に遭った話がたくさん上がっている。(註2) Net上の反応としては,猫にカツオ節を与えるみたいに,ホイホイと韓国旅行に行く女が悪い,となっている。
 一方日本では,上述のスーフリ事件があっても,NationMasterというWeb siteで発表されている人口当りの認知された性犯罪発生件数のrankingでは,対象119ヶ国の内105位と比較的安全であることにされてはいる。
 Rapeは基本的には対象女性を人間として扱っていないから発生する。 米国でrapeが多いのも,黒人や有色人女性が多いからかもしれない。

 では,rapeの認知数も暗数も少ないから,日本は女性の権利や自由が保証されている国かというと,これが全くの嘘で,女性に対する制約はIsram主義国家並みに強い。 たとえば,今年11月2日に世界経済Forumが発表したGGI(Gender格差指数)では,日本は調査対象144ヶ国中114位で過去最低となった。
 この順位は男女格差がひどいと思われている100位の中国や108位のIndiaよりも下で,過去現在共に売春婦とrapeで有名な118位の韓国にようやく優る状況である。 もちろんさらに下位にはTurkey,Egypt,Saudi Arabia,Iran,Pakistanなどの著名なIsram国家群が並ぶ。 なお,北欧諸国が上位を占めており,一位は火山の島国Icelandである。
 中国や朝鮮・韓国など儒教色が強い国では,跡継ぎの男子に期待する余り,女性を単なる子孫の製造道具として見る傾向が長らく続いていて,日本も江戸時代に武家などの支配階級を中心にその影響を強く受けていた
 事実,日本は議員・官僚・学者・弁護士などの士業・企業の経営者など高度とされる職業に女性が就く割合が,OECD各国の中でも最低比率を争っている。 たとえば2012年のOECDの調査によれば,日本の高学歴女性の3割が就労していないという。 もちろんOECD中最低の状況だが,これも専業主婦をやるしかない種々の圧力による結果である。

 さらに,結婚する時に必ず一つの姓を名乗らなくてはならないという,明治時代に初めて制定された民法の規定により,多くの女性が夫の姓を名乗らざるを得ない状況に追い込まれている。 自民党の旧守政権が任命した頭が固い最高裁は,2015年でもまだ男女同姓は憲法の男女平等の原則に反していない,という爺婆だけの意見を重く見て,時代遅れの判決を出している。
夫婦別姓の賛否
2015年12月にNHKが実施

 姓が替わることの負担は,仕事をしていれば大変なことで,戸籍関係・保険・不動産・預金や証券・免許証・旅券など以外に私的な関係の年賀状や名刺,果は同窓会名簿に至るまで変更しなくてはならない。
 有名IT企業のサイボウズの青野社長は,夫婦同姓を強制されたことによって支払った本来不要である費用負担220万円の損害賠償を,来春国に求める訴訟を起こすという。

 姓の問題以外にも,日本にはこのような実質的な男女差別がたくさん残っている。 たとえば:
1. 周囲の圧力により,夫の両親の介護を妻がしなくてはならない(本来介護責任は実子のみにある)
2. 住民登録は世帯単位で,夫が世帯主として登録されることが多い
3. 年金に関しては今世紀入ってようやく夫婦で分割されるようになったが,分割開始以前の分は夫の同意が必要
4. 税制も配偶者控除の名の元に妻が専業主婦か低賃金労働することを前提に組み立てられている
5. 育児をする女性が子供を預ける環境が整備されていないし,育児で数年仕事から離れると看護師など特別な技能所有者を除いて,時給1,000円程度のパート労働しか見つからない。 しかも,それすら追い出される可能性が高い(註3)。
など枚挙に暇がない。

 では,このように実質的に女性を家庭内に押し込めることで,日本経済は成り立つのであろうか。 当然ながら,女性が稼ぎ出す収入が少ない故に消費も伸びないし,少ない収入が貯蓄に回って,さらに経済が循環しない
 すなわち日本は,女性を完全に男性の支配下に押し込めているIsram主義国家と実質的に同じなのである。
 アベノミクスという雰囲気だけの虚構の好景気で人手不足が深刻だという。 じつは今の人手不足は好景気とは関係なく発生しているのである。 単純労働をさせる留学生という名称の安価な外国人労働者が大量に流入している一方,日本人の女性はおしんの時代と同じ状態から,一歩も抜け出せていないのが真の姿である。 これでは,男性だけで経済を回しているIsram国家と何処が違うのであろうか。

 養豚家?幸いにも男性ではあるが,じつは老年者であるというだけの理由で,現状,仕事をして日本のGDPを上げることができない。 すなわち,これも新卒者重視の採用試験と同じで,日本の将来を暗くしている
 まあ,養豚家は余命もそう長いことはないと思うので,僅かな年金を貰いつつ,国を富ますにはどうすればよいかについて何も分かっていない連中の足を引っ張っていくことを楽しみにするしかない。

註1
 予備として,発覚13年後のスーパーフリー被害者の話が保存してある。

註2
 「私の知り合いの女性3人が、韓国旅行に行った時に、7,8人の韓国人に囲まれ、朝までレイプされ続けたらしい

註3
 以下のInternetへの書き込みを読むと,これが,今,人手不足だと大騒ぎしている日本の現状であることがよく解る。

197:名無しさん@おーぷん:2016/12/22(木)21:51:50ID:H3U

22で男性ばかりの職場に就職、24で10年間お付き合いしてきた幼馴染と結婚した
私的には10年間もお付き合いしてたから、結婚したとしても生活が変わるわけでもなく、働き続けるつもりだった
会社に入籍の報告をしたら、三ヶ月後に上司から
「で、いつ辞めるの?女の子ってこれだからねぇ。引き継ぎはしてよ」と言われた
え?辞めませんよ。なんの話ですか?と聞いたら
「え?寿退社するって人事のAさん(50代女性)から聞いたけど違うの?」と言われた
Aさんに確認しにいったら「いつまでも言いに来ないから先に募集をかけたのよ。寿退社するんでしょ?来る人決めてあげたんだから引き継ぎしてよ」と言われた
周りからも「辞めるのに挨拶一つ無い非常識な子」と思われていたことが判明した
私だけが働き続けるつもりでいたことが判明した
帰って悔しくて旦那に泣いて愚痴った
会社にはAさんの方が新人の私より重要で、Aさんのミスだとしても会社は私を切り捨てにきた
「いつまでいるの?」「結婚したのにまだ働くの?」「家のことしてないんじゃないの?」「引き継ぎ終わったんでしょ?」「次の子もういるんだよ」と言われ続け、
ロッカーやデスクの私物を捨てられ、心を病みかけたので、25で退職した
退職してからはパートを探した
25歳でのパート、今度は女性ばかりの職場
「そんなに若いのにパートだなんて」「子供もいないのにパートなの?」「若いんだからバリバリ働かないと」「学生じゃないんだから」「旦那さんに甘えて」と言われた
女性によって正社員の職を辞さなければならなかったのに、パートでもおばちゃんたちから余計なことを言われることが辛くてすぐに辞めてしまった
制服を返しにいった日、「あんたみたいにすぐ辞める根性ない子は確かに正社員は無理だろうね。就職したことないんでしょ」と言われた
悲しくて泣いた
旦那の顔見ると情けなくて辛くて吐きそうになる
誰にも何も余計なことを言われることもなく働きたい


追加
2018年6月15日 India並になった日本のrape

 去る6月10日,富山県射水市の会社員,村中圭介(31),堀下峻(30),郷倉郁也(30),後田知之(30),松本浩之(30)と富山市の無職,上谷知也(30)および会社員,土林礼征(27),端保貴大(25)の8人は,酒を飲んで帰宅途中だった女性たちに“もう一軒行こう”と声を掛け,一緒に飲食店に入った。
 早朝6時前に女性の一人に“家まで送ってあげる”と騙して車に乗せ,仲間が住むアパートへ連れて行った。 着くや否や,女性は肩や手足を押さえられて衣類をはぎ取られ,約2時間の間8人に交互にrapeやfellatioなどされて体をもてあそばれ,朝8時ごろようやく解放されたそうである。
 なお,事件発覚後すぐnet民がFacebookなどのSNSを検索し,瑞穂,郷倉,上谷,松本,堀下などの顔はすでにnet上に晒されている。 これによると,郷倉,瑞穂,後田は結婚していて瑞穂と後田には子供もいる。 12日,瑞穂の父親は,“保育園に通っている男の孫が二人いて,嫁の立場が辛そう”とcommentした。
 10代のガキならいざしらず,アラサーの歳にもなって,後のことを顧みないで目前の性欲だけに走る男達は,Indiaのバカ男と何等変わらないと言える。



追加
2018年7月24日 毎度おなじみ朝鮮半島のrape状況

 本日配信のAFPのnewsによると,tenis選手として有名になることを夢見ていたキム・ウニ(Kim Eun-hee)さん(27)は本名を明かして以下のことをAFPのinterviewに答えた。

 彼女は10歳だった小学生のとき,coachに初めてrapeされた。 その後も何度も,何度もrapeは行われた。
 告白の最後に彼女は,「Olympicでmedalを獲得し,star選手になったとしても,そこにたどり着くために(指導者に)ずっと殴られ,虐待され続けないといけないとしたら,何の意味があるのでしょう?」と結んでいる。
 10数年後,元coachはついに多くの元少女達から訴えられたが,2017年にたった10年の禁固刑を受けただけである。 数多くの少女の処女を奪っただけでなく,その後も快楽の中に10数年を過ごすことができたこの鬼畜は,本来ならもっと大声で批判され,極刑を受けなくてはならないのであろう。

 一方韓国は,合法的に募集し,十分な報酬が支払われ,満足な待遇を受けていた日本軍の従軍慰安婦を,強制連行されたと,何の証拠もないままで一方的に主張している。 2015年末に,生き残った元慰安婦たちに日本政府が合計10億円を支払うことで,慰安婦問題が国家間で解決したことを世界に公表したにもかかわらず,今日24日の報道によれば,この10億円分の予算を韓国側で計上し,時計の針を戻して慰安婦問題を未解決にしようと企んでいる
 韓国のこれらの振る舞いは,Vietnum人女性への韓国軍によるrapeや上述の国内での韓国民同士のrapeをも闇に放り込もうとする考えの裏返しにすぎない。 すなわち,日本軍撤退後のこれらのrapeはすべてなかったことにして,合法募集された従軍慰安婦を逆に唯一のrape事件としようという歪んだ思考法なのである。 すべてを歪んだ目でしか見られない韓国人の将来は,やはり歪んでしまうのであろう。


2017年版 完