Dr. YIKAI の言いたい放題「技術教育」

2010年版 Copy Right 2010 Dr.YIKAI Kunio

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2010年1月22日 日本史必修
2010年4月26日 大紅袍
2010年10月10日 Nobel賞

2010年1月22日 日本史必修

 東京都教育委員会は復古主義知事の石原慎太郎に媚を売るために,すべての都立高校で日本史の授業を必修にしようとしている。すでに神奈川県では学習指導要領の規定を越えて,高等学校で日本史の授業を必修にしている。そうして皇国歴史観で貫かれた“つくる会”の日本史教科書を採用している。
 まあ,東京や神奈川など私立高校が上位になっている都県では,私立の高校に行かれなかった落ちこぼれが集まる公立高校で何を教えようが大勢に影響はない,という暴論もある。

 しかし,多くの日本人を今の中国や北朝鮮での教育と同じやり方で育てようという復古派の企てに,はっきりと異を唱えておかないと,将来日本が中国からの人口侵略に堪え切れなくなるかもしれない。以下その理由を説明する。
 まず,日本人と中国人の思考形態が似て来れば,中国人は日本で生き易くなるということを念頭に置いて欲しい。ここで筆者が思考形態と言っているのは,思考の内容ではない,思考の方法なのである。
 60万人以上の中国人がすでに日本に在住している。40年前には日本に住んでいた中国人は台湾系が主で,たった3万人強しかいなかったのだ。したがって,今後40年間でその数が20倍の1,200万人に増えることもあり得ないことではない。なにせ日本では若年層がどんどん減って来ているので,かれらが担うべき仕事の分野で人手不足が今後どんどんと増える。すでに日本に数多く浸透してしまった中国人は,日本人の仕事の機会を奪ってまでしぶとく生きている。

 一方中国人の行動原理は,古来,原則無き膨張主義である。その結果,多くの中国の周辺の民族の文化や言語および思考形態が徹底的に中国風に塗り替えられてしまった。今,日本を目指してそのような潮流が流れている。
 そこで“つくる会”の教科書はと見ると,基本的に自分で考える人間を否定している。国家が決めた歴史観や行動原理を鵜呑みにするような人間を育てることを目標としているのだ。これでは日本の学校は将来,中国共産党が支配する反日教育で満ち充ちた中国の学校と同じ構造になると言わざるを得ない。
 生徒が無批判に受け入れる歴史的な内容が,皇国史観か毛沢東思想かという違いはあっても,教科書の内容をすべて正しいと指導する体制と“つくる会”の歴史教科書は一体化している。
 だから,大陸中国で教育を受けてきた人々と同じような思考をする日本人が増えると,中国大陸で教育を受けた中国人が,日本で大陸流を今以上に押し通しても楽に暮せることなりうる。筆者はこれを危惧している。

 人間は思想の中身は簡単に入れ換えることができる。戦後すぐ,それまで“鬼畜米英”と言っていた連中の豹変ぶりを見るとよい。すなわち,自分で考えて行動できるような人間を育てておかないと,圧倒的な人口侵略の下では日本は短時間に中国人社会と化してしまうこともありうる。残念ながら,戦術水準では中国人はとてもしぶとい。普通のお人好しの日本人がとうてい太刀打ちできない,ということを日本人はほとんど知らない。
 増え続けるあろう大陸育ちの中国人に席捲されないためには,“思想には思想”ではだめである。彼等は簡単に毛澤東思想と皇国史観を入れ換えてしまう。そのようなことは,思考法が同じであれば,じつに簡単にできてしまうのだ。
 東京都や神奈川県で日本史,特に“つくる会”の教科書で教えるということは,大陸育ちの中国人に付け入れられ易い人間を育ててしまうということである。いろいろな考えを並列して教えて,討論と自分の中で考えて自分の考えを決めるという教育をしないで,他の思想をすべて否定して,自分の思想しか教えないという毛澤東思想の教育と同じことをやると,人の思想は否定してよいという思考法を身に付けてしまうのである。

 ところで,学校はEuropaとAsiaで古くからできた教育systemである。古代Ελλαζ(Greece:ギリシャ)ではソクラテスなど知識人に付いて学ぶ今日の公教育に似たsystemがあった。もちろん統治者からの干渉はまったくなかった。Roma大学も1,000年以上の歴史を持つ。
 中国では春秋時代の末期に曲阜にいた孔子が弟子を集めて作った儒教集団も当時としては画期的な学校体系を持っていた。

 元々学校の本質は貴重な書籍の集積にあった。書写しか書籍を入手する手段がなかった時代においては,書籍は貴重な知識の源泉であった。それを権力者が集めるのは当然行われたし,集めた書籍から統治思想を汲み取り解釈する学者やそれを実践する官吏も必要となった。宗教と結びついた構造で学校が営まれることも宗教の教義の継承のためには必要なことである。
 当然ながら,それらの書籍を解釈する人や新たに執筆する人が教師となって,統治に必要な人材を確保するために多くの若者を教育するsystemが学校の発生理由である。
 書籍と教員という二つの条件があるために,学校は集団授業を基本とした。もちろん国家の統治者や経済的に豊かな層は,雑多な人々と交わる学校systemを避け,家庭教師という形で自分のところに書籍と教員を集めて子弟を教育した。

 西洋の学校の伝統とはまったく異なり,日本や中国など東Asiaの国々では,この学校体系を悪用し,為政者は自分に都合がよい人間だけを大量に作り出そうとして,学校教育に干渉をしてきた。“つくる会”の歴史教科書を使わせるために日本史を必修にしたら,結果として石原慎太郎都知事が一番嫌いなはずの大陸育ちの中国人に,日本を乗っ取られてしまうことになってしまったら,まったく滑稽な限りである。

 さて,このようにどんどんと内容が悪化していく学校教育に対してわれわれはどのように対抗すればよいのであろうか。その答は私塾である。官製の教育に対抗するには,明治期の私学と同じく公教育から逃げるのが一番良い。アホしか行かない公立高校でもそこに進学しないと大学へ行けない,などということは気にしない。大学入学資格検定を突破すればよいだけである。
 あとは,巷の学習塾でもよいし,webや書籍からでもよいが,個人・家族或いはgroupで学習すればよい。学習を手伝う人は教員の古手よりは,普通の仕事を退職したまだ元気が年金生活者がよい。あくまでも学ぶのは生徒であり,学習を手伝う人は学校の授業のようなことをしてはいけないのだ。
 また,自己学習するのになにも一ヶ所に集まる必要はない。たとえばSkypeは2010年1月5日にSkype for Windows 4.2を発表すると同時に,Skypeが使える家庭用TVをパナソニックとLGから発売すると発表した。SkypeはそれまでもTV電話の機能以外に,すでに10人との同時会話が可能であった。それが今回のreleseで一気に24人に増えた。
 これを使えば安価に私塾が開設できないはずはないのだ。Volunteerで私塾を開くことも可能である。筆者は今Skypeで日本人に中国語の発音を教えている。60代の方の相手を2年ちょっとし,それまでデタラメだった発音を中国人と会話が通じる程度までには引き上げることに成功した。
 私塾を開いて,権力者の思うがままの人間にならないような日本史の学習の手伝いをすべきだと思うが如何?老後に無聊をかこつよりははるかにマシであると同時に,自分でものを考えることができる人間が育つと思う。そうしないと,自己が確立していない日本人ばかりでは,圧倒的な大陸中国人の波に日本は飲み込まれてしまう可能性が大である。


2010年5月7日 大紅袍

 今年の3月に養豚家が卒業した日中学院の校友会が主催する中国旅行に参加して,福建省へ行って来た。閩西と言われる広東省および江西省に近い山の中にある客家(唐が滅びた頃からの中央貴族などが逃げた先での呼び名,中国版平家の落人)の土楼と北部にある烏龍茶の名産地武夷山および南欧の雰囲気漂う厦門への一週間の旅であった。福建省は始めて訪れる地である。養豚家が大好きな武侠小説の舞台となった場所も多い。実際に武侠小説の場面が想像できそうな古い時代の建物をたくさん見学できた。
 旅の内容をここで旅行記風に語るつもりはない。旅行団に参加した方のBlogを参照して欲しい。ただこの方とは一部別行動したので,養豚家が歩いた場所の写真が全部見られるわけではない。参加者の多くは中国語が達者な方々だったので,かなり自由に動き回ることができ,じつに楽しかった。

 武夷山ではもちろん世に名高い烏龍茶中の烏龍茶である“大紅袍”をその製茶工房で買ってきた。同行した家族が買ってきたこの大紅袍の中から一缶(現地価格で50g1,800円)を友人に送った。もちろん淹れ方(お湯の温度や「洗茶」,五煎以上飲める)から水の硬度に至るまで飲み方を知らせた
 日本で売られている(もちろん中国の普通のお土産物屋でも同様)大紅袍のほとんどすべては,4本しかない原木から直接挿し木し,武夷山の大紅袍が生えている岩山に植えて山から湧き出る水で育てたものではない。大紅袍と称していて,木の枝は本物の木の挿し木の二代目や三代目から採ったものだとしても,植えてある場所が普通の畑でかつ水は天水なので,名ばかりの大紅袍になってしまっている。あの香りや味はぜんぜん味わうことができない。すなわち“氏より育ち”なのである。

 送ったお茶は,養豚家の家族の友人が忙しくてほとんど飲めない内に,友人の家族によってたった1ヶ月足らずですべて飲まれてしまったそうである。その友人が自分の家族に文句を言ったら,“「洗茶」だの水の硬度や沸騰水など面倒くさい,日本茶と同じように淹れたらあまり出がよくないから,一二煎淹れてどんどん捨てた。どうせ中国産で安いんだからまた貰えばよいじゃない。”という意味の返事があったらしい。

 無知というか(厚顔)無恥というか,人から知識を教わることをせずに,ただただ自分が感じたり思いついたりしたままに行動する人間がこの世には山と居る。歴史に学ばないで,自分の経験だけに学ぶ“羹に懲りて膾を吹く”方々である。気の毒であるが,同じお茶はinternet上に山とある安売りの大紅袍の販売広告の中ではなかなか見つからない。やっと同じ缶の品物を見付けたが,100g入り一缶が28,500円である。安物の大紅袍の通販価格の約十倍である。
 じつは養豚家は,家族が買ったものより上の品質の大紅袍(50g3,000円,こちらは「品茶(試飲)」さえさせてもらえなかった)を買ってきて,お茶の淹れ方や味が分かる友人にだけ贈った。したがって,養豚家の家族の友人に再度差し上げる余分はもうないのである。一回の「品茶」分として3g程度を封筒に入れてさしあげることで,あきらめてもらうことにした。確かに中国製品は安かろう悪かろうの物は多い,しかしそんな先入観で中国を見ているようでは中国人に勝てない。日本のお茶も中国伝来のものである。

 缶の後ろ側に張ってある標章には「武夷岩茶原産地域保護申報辦監控專用標識」(原文は簡体字)と書いてあり,武夷山市直営の岩茶研究所が茶葉の採れた場所を保証している。茶葉産地の真偽を研究所に電話で訊くことができる。

  “猫に小判”ではないが,価値が解らない或いは知ろうとしない人はたくさんいる。今はもう付合いはないので生死さえ不明であるが,40年近く前に仕事上の付合いがあった,とある零細企業の社長宅に始めて伺った際に,本郷藤村(もう休業している伝説上の和菓子店)の羊羹を持って行ったことがある。駄菓子屋の羊羹ではない。虎屋の羊羹など足元にも及ばないという銘品である。値段もそれだけはしたが,濃い日本茶にじつによく合った。
 手渡すときに,養豚家は親切にも社長夫人に羊羹の由来を説明したのだが・・・,何と“お持たせで・・・。”と言いつつ,一棹(さお)の羊羹を四つに切って番茶と出して来た。養豚家は目が点になった。芋羊羹(浅草の舟和さんには悪いが,値段が違う)じゃあるまいし,持ってきた養豚家をバカにしているのか,いや本郷藤村の職人に悪いな,などと思ったが,自分が相手の品位を見破れなかったのが悪かったのだと,自分が買った際には決してしないような,本郷藤村の羊羹の一荷喰いをしてしまった。
 社長夫人の言い分は,“美味しいならすぐに全部食べてもよいじゃない。”だった。それ以降この家には,普通の煎餅を持って行くことにした。

 では,このように人の話に耳を傾けることを子供に教えるのは誰の役目だろうか?やはり家庭の力が物を言うのではなかろうか,親や親族が自分勝手で恥ずかしい真似をすると,自分が辛いから,人の話に耳を傾ける訓練をされて来なかった子供の中には必至になってこのような事態になることを避けるように努力する人もいる。
 しかし,普通には“お里が知れる”という言葉が表わすように,人は育ちで決まるのである。中国人も以前は「大人」と呼ばれる,悠揚迫らない知識人がいたが,共産党が政権を握って文化大革命を経たら,ご存じのような恥知らずの人間ばかりになってしまったのだ。

 日本は資源がまったくなく,人そのものが資源であると長年喧伝されてきた。しかるに現在の日本ほど人の資源を粗末にしている国は珍しいと言わなくてはならないだろう。今後著しい高齢化が確定している日本において貴重な年少層への指導・教育を粗末にし,今の中国人並みの味わいがない人間にするほど危険なことはないのであるが,人の話に耳を貸さないという現実は起きてしまっている。
 その責任は,現在の中国並の弱肉強食を推進してきた,自民党政権とそれにすがってきた国民が負うべきであろう。いやはや,実際に日本人はつまらない国民に成り下がってしまったものだと思う。 


2010年10月10日 Nobel賞

 今年のNobel化学賞の受賞者3名の内,日本人が二人含まれていた。大いに誇るべきことである。
 これで日本の自然科学系の受賞者は総計15人になったとマスコミは報じているが,2008年に物理学賞を受賞した南部陽一郎氏は日本産れ日本育ちであるが,半世紀以上前に渡米し,以来研究環境の良い米国に在住し1970年に米国籍になった日系一世移民であるから,如何に日本国籍がある内に研究した内容が受賞対象とされたと言っても,14人とすべきである。
 過去の日本国籍のNobel賞受賞者の中でも,かなり多くの人は米国で研究をしているし,現在も米国に滞在している研究者もいる。すなわち,米国での研究経験がなかったら,日本のNobel賞受賞者の数はもっと少なかったかもしれないのだ。さらに今の受賞の多くは20年,30年前の業績に対してであり,過去の遺産の上での受賞であり,今後はどうなるか解らない。

 一方,単に安い労働力を武器に外貨を集めて大国ぶったり日本の猿まね商品で国力を誇っている国から見れば,悔しい限りであろう。なぜなら彼等の国の国籍で今年平和賞が各1名出ただけで,科学関係の受賞者がいないからである。もちろん西蔵のダライ・ラマは中国人ではないから中国の平和賞の受賞者からは除外する。
 しかし,中国は科学関係のNobel賞は喉から手が出るほど欲しいので,研究開発には異常に多額の投資をしている。その額は日本を越えたと推定されている。しかしその投資の多くは贋物を作る方に向かっているようである。

 さて,このAsiaにのさばりつつある夜郎自大な大国は多くの優秀な人材を米国に流出させて来た。事実,経済がまだ日本よりはるかに遅れていた頃に原爆を開発するに当たっては,米国帰りの学者の力を借りた。
 養豚家の友人の中国人の父親もそのような米国帰りの学者であったが,無残にも文化大革命の時に極寒の哈爾濱で紅衛兵から裸で吊し上げられて死去したという。優秀な中国人家庭の中にはこのような経験を持つ人は数多くいる。
 もちろん中国共産党政府の黙認の下で,この紅衛兵による蛮行を日本が中国を侵略した時の行為とごっちゃに感じるようなTV dramaや宣伝を行って,これらの過去の凶行をすべて日本の所為だと勘違いさせるような誘導を行っている。
 さらに,中国では今子供を米国で産むことが流行っている。現時点では米国は憲法修正14条で,米国で産れた赤ん坊ににはすべて米国国籍を付与することになっている。これは血統主義を採る多くの国とはまったく異なる思想の原点から生れた考え方である。移民の国である証拠である。(注1)

 現在,Asiaの国の中で日本人は信じられないくらい海外への居を移して学問したり仕事をしたりすることを好まない。韓国人や中国人の積極的な米国熱と比べると,信じられないのである。もちろんそれは今現在の日本がある程度暮し易く平和だからである。その中で難しい外国語を習得し,生活習慣や考え方の異なる海外での生活を夢見る若者が少ないのは,一見道理があるように見える。
 日本人も養豚家が社会に出た頃は,海外に出られる可能性がある就職先が人気であった。しかし,そのころの日本の英語教育は読解力一辺倒に偏っていて,会話や作文能力の涵養にはぜんぜん目を向けていなかった。したがって海外に出たくても会話の力の不足を考えると足が竦んでしまう,というのが実態だった。でもその中で,仕事のために多くの日本人が海外に出て行った。

 日本人の若者も中国人ほどに夢中にならなくてもよいかもしれないが,米国入国が容易な今のうちに数年は海外へ出かけて,異文化に触れないと,小泉純一郎や菅直人のように,役人にいいよう操縦されてしまう人間にしかなれないだろう。

注1
これが,不法移民排斥を唱える共和党や宗教右派から攻撃の的になっている。


2010年版完