Dr. YIKAI の言いたい放題「技術教育」

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2012年1月21日 大阪住血吸虫
2012年4月8日 秋入学
2012年5月3日 簡体字
2012年6月27日 創業できない日本人
2012年9月16日 闇夜の鴉
2012年11月6日 新設三大学不認可

2012年1月21日 大阪住血吸虫

 日本住血吸虫という寄生虫がいる。この虫は卵から孵化した後,中間宿主の宮入貝を経由して幼生が淡水中で拡がり,ほ乳類の皮膚から血管内に入り文字どおり血を吸って生きている。同じく血を吸う蚊などとは異なり,病原菌を媒介するのではなく虫自身が害をなす。すなわち,虫が血管内で大量の卵を産むので血管があちこちで詰まって,死に至るという病気である。幸い日本ではこの寄生虫を100年以上も前に発見し,中間宿主も特定した。しかし宮入貝の生息域の徹底壊滅の結果,全国で撲滅宣言が出たのは前世紀が終わるときであった。

国立感染症研究所HPより

 住血吸虫は中国を初めとして淡水域が多いAsiaの国々では,農村部を中心に住民の10%程度が感染していると記録されている場所も残っていて,感染者は中国大陸全土で100万人にものぼると推定されている。もし中国旅行に行っても,裸足や素手で淀みがちな水には決して触れないことである。今のところ流行地帯で完全撲滅に成功した国は日本だけである。
 一方,薮などでツツガ虫と呼ばれるダニに刺されると,Rickettsia(注1)の一種であるOrientia tsutsugamushiに感染して起るツツガムシ病は,国立感染症研究所が発表した図のように1980年代以降日本国内での発病件数の報告が増えている。
 こちらは宮入貝とは違い,陸上にいるダニが中間宿主であるので,その撲滅が出来ない以上,各自で感染対策をするしかない。ダニが付着しないよう春と秋のダニの活動期には素肌を露出した状態で草むらや薮の中を歩かないことである。ダニに食いつかれてもすぐには感染しないので,顔や手,首の周りなどは常時調べて,すぐに入浴するなどして洗い落すだけで感染予防になる。
 これもAsiaの国々では広く蔓延しているので,決して日本固有の風土病と思って気を抜いてはいけない。放射線を無駄に怖がる前に,この二つの病気に付いても十分用心して欲しいものである。

 さて,前置きが長くなってしまったが,住血吸虫やツツガムシ病は中間宿主がいないと撲滅できる疫病であるが,大阪では最近“維新の会”という戦前復古調の中間宿主が撲滅を免れて大手を振って増殖している。その宿主は“全体主義”という,日本の敗戦で撲滅されたはずの病気を大阪府民に感染させようとしている。正に“大阪住血吸虫”である。
 この全体主義という疾病は,理屈が単純・明快なのでひどく感染し易い。民主主義への感染速度と比べると,たとえは悪いが著名な性感染症であるB型肝炎とAIDSほどの差(注2)がある。日本のように強制的に民主主義化されたわけではない韓国や台湾が民主主義を受け入れるには,戦後40年以上かかった。韓国は金大中,台湾は李登輝が大統領(総統)になって始めて完全に民主化された。全体主義という疾病はそれまでAsiaの近隣諸国で生き長らえていたのである。
 したがって,中間宿主さえいればいつ日本で全体主義が大発生してもおかしくないのだ。日本は全体主義からの治療に,米軍による統治という特効薬を使ってしまい,台湾や韓国のように自分の免疫力で全体主義を退治したのではないため,すぐに再発し易いのだ。もちろん北朝鮮や大陸中国では共産党(労働党)が巨大な中間宿主となって,全体主義が宿痾の如く蔓延っている

 橋下はいま彼のTwitterで,図のように大学人の悪口を山のように振り撒いている。すなわち,彼は次の感染の標的を大阪府民ではなく,日本人全体に向けたのだ。まったく毛澤東とそれに阿って自分の権益を守ろうとした連中が惹き起こした,中国の文化大革命とまったく同じ全体主義の愚をやらかそうとしている。

 昨年の大阪市と大阪府の同時選挙で橋下が仕掛た戦術は見事に奏効し,大阪は全体主義全盛だった戦前体制復帰への道をまっしぐらに進むことになった。かれらが真っ先に手がけたのは,“新教育勅語”ともいうべき70年前に日本人を無謀な戦争に駆り立てた全体主義教育への復帰である。
 彼の発想によると,教育者や生徒・学生はすべてお上の言う通りにしなければならない。それはまったく今日の北朝鮮や大陸中国の教育と同じである。そのような教育を受けてきた北朝鮮や大陸中国の連中が,世界とは言わず自国民の幸福になるようなことを現在しているかどうか,戦前の日本人の庶民はどのような目に遭わされて来たかについて,日本人は全体主義の病に侵される前に,歴史の証言をもっと知って欲しい。

 中国の文化大革命はその名が示す通り,始まりは旧時代を生きてきた党内文化人に対する攻撃だった。しかし,その後毛澤東は既得権から外れていたガキを紅衛兵として組織して味方に付ける奪権という手法で,共産党内のすべての実力者を追い落とそうとしたのだ。実際に厳冬の哈尓濱などでは,ほとんど裸で壇上に追い上げられ,強制的に自己批判させられた幹部たちは,ほとんどが病を得て事実上殺されてしまった
 橋下がいま取ろうとしている戦術はまさにこの人民裁判の手法である。手荒な方法で実権派と札を貼った連中を消した後に中国共産党内で地位を得た連中が,やはり今は実権を握っている。孫文の革命の精神?そんなものはとっくに何処かへ行ってしまい,お金儲けだけの国に成り下がってしまった。それは,2011年7月の高速鉄道脱線事故への対応でも解る通りである。中国共産党幹部は外国はおろか自国民をも人と思わない特権階級なのだ。権力者は追い払えば必ずより劣化した構成員で再生されるというのが歴史の教訓であり,大陸中国だけでなく大阪でも同じである。

 全体主義者の戦術は必ず教育から始まる。紅衛兵のような無知かつ無恥な青少年を大量に作り出し,それを使って既成の文化をぶち壊すと言う。そうして行き着いた先は,清朝のころとそっくりな共産党王朝国家である。したがって大阪住血吸虫の繁茂は,戦前の日本の再現にしかならない。
 養豚家はそんなのは真っ平であるが,当面は大阪には住んでいないし,バカな大阪人が維新の会を全体主義の中間宿主として選んだのだから,後はどうなろうと知らない。もしかすると死ぬ前に,全体主義という住血吸虫に侵され,今度は米軍という薬もなくて滅び行く日本を見ることができるかもしれない。

2012年1月27日  追加

 橋下はどんな政治課題よりも戦前の“皇城遥拝”教育の復帰を目指して,下記のようなことを密かに進めている。こんな連中に投票した大阪人は,自分たちの子孫をむざむざと文化大革命時の紅衛兵やIslam過激派の自爆テロ要員にされるのを許すという,芯からのアホとしか言いようがない。
 やつは,爆弾三勇士の虚像に煽られて,多くの一般庶民が大陸の泥沼に沈んだ戦前の歴史を再現しようとしているのだ。自分は天皇陛下の側近であるから,戦場には赴かないで威勢がよいことだけを言っていた東条英機と同じである。史記などでも何かと悪し様に言われる周や漢の武王でも自ら戦場に赴いた。
 橋下の得意顔が,ArabのIslam原理派の国々の最高指導者として君臨している何とか師という連中の姿とダブるのは,決して養豚家の思い過ごしではない。やつは,Roma教皇の座をめぐって腐敗の塊であった中世欧州の枢機卿にでもなりたいのであろうか。

朝日新聞 2012年1月26日
 松井一郎大阪府知事と橋下徹大阪市長は25日の府市統合本部会議で、2月議会に首長提案する教育基本条例案に、教育目標の最終決定権者を首長と定める条項 を盛り込むと明言した。政治が教育に直接介入することを懸念する府教委は「首長が教委と共同作成」と対案を示したが、知事らは「決定権者があいまいにな る」として譲歩を拒んだ。

 政治と教育が一体化した戦前の反省から、首長の学校教育に関する権限は限定的に定められており、首長が教育目標を決定する仕組みには、文部科学省が地方教育行政法に抵触する可能性を指摘している。

 だが橋下氏は「首長と教委が教育目標を共同作成するとなれば、両者の意見が対立したら何も動かない」と発言。松井氏も同調し、条例案では、首長は教委と協議して、教育振興基本計画の中で教育目標を決めるという条項を盛り込むとした。

注1
 Rickettsiaはシラミやダニを宿主に温血動物に伝染する,発疹typhus(チフス)を惹き起こす細菌を代表とする細菌の属名である。通常の細菌よりも小さく,ほとんどのrickettsiaは生体内でしか増殖できない点はvirusにも似ている。

注2
 AIDSの病原virusであるHIVの感染率は米国の統計では一回の行為で0.1~0.2%と言われている。B型肝炎の病原virusであるHBVは日本では保菌者は1%程度と少ないが,一回の行為で100%感染すると思って構わないほど感染力が強い。invitro(体外実験)ではその感染力はAIDSの1億倍とも言われている。なお中国などAsiaの国々では母子感染防止の対策が完全に採られていないので,B型肝炎の保菌者数は人口の10%程度と多数である。Asiaの国で楽しい思いをしたい人はkissからでも移ることがあるのでご用心。 


2012年4月8日 秋入学

 東京大学は今年1月20日に“秋入学への全面移行を求める提言”の中間報告を発表した。まったく遅きに失した感がある。明治初期の日本の学校は当然ながら西欧の制度を直輸入したため,秋入学だった。ちなみに東Asiaでは韓国がまだ春入学を続けている。
 東大は他大学にも検討会への参加を呼びかけた。実際に呼びかけた相手は旧七帝大および東京地区の旧高等専門学校類の後身の旧官立大学(注1)である一橋大,東工大,筑波大と私学の雄の早大および慶大のみである。国立大から旧官立大学の神戸大と広島大を,私立大からも関西の大学を除外するなど,相変わらずの権威主義が垣間見られる。権威に走るこの議論の是非はとりあえず横に置いておこう。

 養豚家は当然ながらこれらの恐れ多い大学を出てもいないし,そこで教えたこともない。三流国立大を出て,一応一流と思われていた国立研究所にはいた。その後,末端の私学で30年以上非常勤としてdigital技術を教えて来た。実際に最新分野の技術であるdigitalを養豚家のような年寄りが教えるということは変なのであるが,digital技術は根幹の理論の部分は養豚家が大学を出てから半世紀近くほとんど何も進歩がないのである。すなわち半世紀前の理屈で理解できる簡単なものなのである。

 ところがどっこい,“学”や“論”はあまり進歩していなくても,“術”や“技”はどんどんと変わっていく
 Digitalの“学”や“論”の分野では,養豚家が大学を卒業してから大きく変化したのはFuzzy理論および暗号理論やFFT(Fast Fourier Transform)である。Fuzzy理論は本来二値の世界に無限値を導入したもので,養豚家はその簡単な応用研究で博士の学位(工学)を取得した。後者は二つ共今のnet社会になくてはならないものであるが,他人のpasswordを盗もうとする悪人たちとの争いはいつ果てるともない。また,FFTによるdata変換・圧縮技術は,DVD・デジカメや携帯電話・digital放送などを可能にした。

 Digitalは“術”以下の現実世界では大変化があった。Digital回路の設計は,旧来の論理式や回路図からMIL記号やHDLを経てC言語による動作記述から直接digital回路にするという時代へと10数年ごとにparadigm shiftを起している。今や外見上はdigital回路の設計はC言語によるprogram開発とtool操作では大差なくなってしまった。
 しかし,hardwareとsoftwareでは根幹に流れる思想が根本的に異なる。それは,hardwareは常に物理的実現体を持っているので,複数の機能が完全に同時に実行され,その結果の遅早に前後関係の保証はないということである。
 一方softwareは如何に疑似的に同時動作させても,programを作成したあるいはdataを与えた順序に従って処理され結果が得られる。すなわち物理的な“ゆらぎ”はなく,答は一義的に決まる。
 今のhardware設計術を使うとこの間の関係が忘れ去られてしまい,“一行前に記述された処理の結果は次の行の記述では使ってもよい”というsoftwareと同様な因果律が成り立つと勘違いしてhardware設計する人が増えてしまった。これはdigital技術の初期の教育が悪いのであるが,digital素子が高度に発達した結果,その振る舞いが授業中にはなかなか実体験できないことにも原因がある。
 文系でいろいろとprogrammer紛いの仕事をしてきた娘に言わせると,きちんと理系の基礎学問を積まないでprogrammerをやっている人は“軟らかいprogrammer”と呼ぶそうである。では“硬いprogrammer”はと言うと,上記のようなhardwareの因果関係にまつわることやその他物理現象を捉えることができる人で,software業界では非常に貴重な人材だけど,供給が少ない上かつ仕事はhardで給料が安いので,質が低下して来ていて,日本のこの方面の将来は危ういそうである。

 “技”に至っては日進月歩で,半年前の常識はすぐに化石となってしまう。半導体の加工はlithgraphy(石版術)と言い,原理的には石であるsiliconの表面に微細な構造で論理回路の構成要素であるMOS transistorを刻みこむ技術である。
 これは数年で半分と言われるspeedで微細化が進み,すでに通常の光学顕微鏡では石の表面に描かれたdigital回路の細部を見ることができなくなっている。すなわち普通の技術者にとって,半導体の製造技術はdigital回路技術とはほとんど接点がない分野になってしまったのである。

 ということで以下私事になるが,養豚家はあちこちの大学で四半世紀以上教えてきたdigital技術の授業から古稀になるのを機に引退した
 養豚家が最後まで受け持った科目は,1980年代終わりから吉祥寺にある大学で講義したHDL(注2)による記述を中心としたdigital技術であった。当初この科目は「情報回路」という名称でI,IIと別れた合計通年4単位の授業であったが,工学部から理工学部へ改組した際に,IIはなくなってしまい半年で教え切ることになってしまった。じつは私の授業の前の年次で,必修の「ディジタル回路I」と選択必修の「ディジタル回路II」の授業があるため,さらに4単位も必要ないという理屈であろう。
 実際に全国規模でnetを検索しても実験や実習以外にdigital systemの教育にHDLを取り入れている大学は多くはない。それは大学内にHDLを解する教員がいない限り教えるのは難しいからである。なぜなら,HDLは企業の現場での重点技術なので,そのような人材を非常勤で派遣してまで大学に協力することはできないからである。HDLは就職してから自社で教えれば事足りると考えているのだ。

 では,大学ではdigital技術を教えていないかと言うと,教えていない大学を探すのが難しいくらい普及している。では,どうやって教えているかというと,ICになる前の1960年代に確立した論理式およびMIL記号法で教えている。実用書として出ているHDLやC言語による設計関係の本を除く教科書として書かれたものは,内容が十年どころか五十年一日の内容であり,あまつさえその著者がdigital回路を実際に触ったことがない事を証明するかのように間違いが散見される。これは誤植や記憶違いの水準ではなく,真にhardwareとしてのdigital回路を理解していないから起きた嘘の記述である。本の執筆者でさえこの通りであるから,多くの大学でdigital回路を教えている教員たちは素人同然である。
 昨年まだ教えていた時に,養豚家がJK-flipflop(注3)の原理と設計法を講義していたところ,先行科目である「ディジタル回路II」の単位を1年繰り越して履修している学生から,養豚家の教えた内容と彼等がその授業で出された課題の解説とが違うという指摘を受けた。そこで,学生が持っていた課題を見ると,明らかに動かない回路についての解答を求めている。そこで教科書を見せてもらったら,上記のようにちょうど私の書いた本で動かない失敗例として解説している回路そのものであった。

 じつはこの大学の授業から引退した真の理由は,それまで3年次の前期にあった講義時間が一言の連絡もなく“2012年度から3年次後期になるから,曜日と時限の希望を出せ”という事務連絡を受けたからである。先行科目の「ディジタル回路I」は1年次後期に開講し必修である。「ディジタル回路II」は続いて2年次前期で選択必修となっている。その後半年空けて3年次前期に養豚家の授業があった。
 したがって,2年次後期に移動するなら養豚家も納得したが,まるまる1年のblankがあったのでは,それまでの半年のblankでも学生は先行科目の授業内容を忘れ去っていたのだから,お話にならない状態だと思った。
 この大学で非常勤として20数年digitalの講義を受け持ち,大学のみならず街にもかなり愛着もあったが,非常勤講師定年まで5年を残して有終の美を飾ることにした。
 一見誰でも教えられるように見えるdigital技術は,じつは“硬いprogrammer”の素養が必要なのである。私の後継者はどこかの研究所で暇を持て余している人に頼むくらいしか探すのは難しいと思われる。なぜなら企業の定年退職者でHDLが出来る人は少ないし,出来る人は定年延長で雇用されている。現場の人材を出すほど今の企業は暇ではない

 そうである,この大学に東大から秋季入学の検討についてお呼びがかからなかったのは当然といえば当然である。学生にどのように教えていくかという大切な過程を真剣に考慮せずに,その時に教務を担当した教授は“非常勤には授業をさせてやっているのだから文句を言うまい。”という安易な発想で授業体系を弄くり回した可能性が高い。
 事実,新しく教務担当になった教授が授業時期を元に戻そうと提案したそうであるが,“すでに決まっていることだ。”と一蹴されたそうである。
 しかし,このような安易なことをしていると,あり余っているIT土方(軟らかいprogrammer)を生産するだけになり,大学が専門学校と変わらなくなってしまう。秋入学による国際化などからはほど遠いのだ。当然ながら高等工業専門学校の卒業生には逆立ちしても敵わない。もしかすると軟らかいprogrammerになるなら英語や文章に強い文学部卒の頭の良い女子学生にも敵わないだろう。

 最後に学校法人自体からは,長期の出講に感謝の意を表して,記念品(注4)と些少の退職手当てが出た。ここで法人に謝意を表する。法人のほうが一部の教授陣よりはしっかりしているので,この大学はまだ当分は若者人口の減少の波に洗われることはないかもしれない。

注1:
 旧高等専門学校類は,明治初期に帝国大学を創設して官僚(行政・外務・司法)および学者の育成を図っただけでは不足となった産業界・教育界・医学界の人材育成を目的に,1886年の師範学校令を皮切りにそれまでいろいろな形で存在していた専門教育のための上級学校を旧制高等学校水準の位置に置いたものである。これらの学校は1920年から順次大学令の下での官立大学となった。東京高等商業→東京商科大,東京高等工業→東京工業大学(戦後改名なし),東京高等師範→東京文理科大→(戦後は)東京教育大(筑波移転時改名),神戸高等商業→神戸商業大学,広島高等師範→広島文理科大は旧制官立五大学と呼ばれている。
 その他に旅順工科大(敗戦で消滅)と旧官立六医科大(新潟,岡山,千葉,金沢,長崎,熊本)があったが,医科大は戦後新制大学に編成変えの際に,主に旧制高校(それぞれ新潟高,六高,ナシ,四高,ナシ,五高)などと合併したため純粋の旧制官立大の後裔と看做さない人もいる。なお,千葉大および長崎大は医科大を主体に一rank下の師範学校などと合併した。

注2:
 HDLはICが大規模化して,従来の回路図でdigital回路を記述しきれないだけでなく,computerでの記述に適さないために,C言語をbaseにしたVerilog HDLや人工知能用言語をbaseにしたVHDLが開発され,1980年代からdigital回路のhardware記述はこれで行われている。

注3:
 数を数えるのに使う一種のdigital回路

注4:
 記念品は写真立てである。パソコンの画面に好きな人の写真を飾っている養豚家にはあまり役立たないが,記念品とはそういうものであろう。


2012年4月18日

 本“閑人独語”の読者から,以下のようなご指摘(一部抜粋)を受けた。養豚家が考えている授業というかdigital systemの講義という観点とは異なる次元からHDLの授業を捉えているように見受けられるが,それは個々人の考え方の相違であると考えて敢えて議論はしない。

 今日, 或る程度の水準以上の高等教育機関の電子情報系では, その量的, 質的水準に差はあれど, 少なからずHDL教育自体は普及していると思うのです.
  net上にも標準的な国立大・中堅以上の私大のOCWでHDLに関する講義資料が公開してあることからも, 「HDL教育している大学が少ない」とは言い切れないのではないか

 HDLを含むdigital systemと単なるHDL記述技法との考え方の違いをご理解いただくには,養豚家が書いた著書をご覧いただくのが手っ取り早い。しかし,この読者のようなご理解もあるのはもっともであるので,本文を“実験や実習以外にdigital systemの教育にHDLを取り入れている大学は多くはない”と一部修正した。


2012年5月3日 簡体字

 私はこの歳でまだculture schoolに通って中国語をやっている。以前足立区に事務所があったころは毎週日曜日の午前中に草加市で自主開催の学習班で習っていた
 残念ながら土浦の地ではback groundの人口が少ないため,同学の平均的実力はあまり高くない。授業はかなり易しいので習うというよりはやっているという程度だが,それでも土地に住んでいる人との交流が得られるので週に一回通っている。ボケ防止の一種である。授業中はあまり突出しないように気を使っていたが,それでもだんだんと差が目立ってくることは致し方ない。なるべく謙虚に授業を受けてはいる。

 以前の草加でもあったが一つのことに気付いた。それは養豚家より下の世代の多くの同学が旧漢字(正確には旧字体,大陸中国では「繁体字」と呼ぶ)を読めないのである。もちろん養豚家も書くことはできないが,大好きな武侠小説を縦書きの台湾版で読むためには,旧漢字が読めないとどうしようもない
 さらに土浦のculture schoolでは40代前半の中国人の女性の先生が,「繁体字」や日本の“新字体”で書くと×をくれるのである。まあ,それはしかたがないが,普段中国・台湾人相手のchatやmailでの文字書きはすべてパソコンで行っているので,「繁多字」/旧漢字と「簡体字」および“新字体”の区別は選択した入力systemで自動的にできてしまう。したがって,細かい字体の相違をすべて覚えなおして書くのも億劫なので,この先生が好む聴き取りの小testが減点だらけなのは気にしないことにした。もちろん聴き取り能力の結果を表わす「拼音」(Roma字による中国語の発音表記法)は常に満点である。Culture schoolであるから,字体などは中国人的に「可以通!」とか「没問題」でも構わないと思うのは怠慢であろうか。

 じつは養豚家が小学校に入学した時はまだ旧漢字を使用していた。教科書や本はすべて旧漢字だった。1949年に当用漢字字体が発表され,それまでの旧字体(旧漢字)との区別上巷では“新漢字”と呼ばれた。したがって養豚家は小学校時代だけでなく中学でも図書館や貸本屋で旧漢字で書かれた本を読み続けた。それは新漢字の活字がおいそれと間に合わなかったことと,以前に出版された本の再版だったりしたからである。
 10歳やそこらのガキが旧漢字を読めたなんて誰も信用しないかもしれないが,種を明かすと旧漢字時代の書物にはほとんどふりがなが振ってあったので,苦もなく読めたのである。自然と旧漢字の読みも覚えてしまったし,新漢字との対比も身についたが,細かい字体の差異などは気にしたことはない。
  右の写真は1953年の小学校への費用納入袋である。活字が間に合わないので,たとえば同じ大きさの字でも“学”と“學”など新旧まぜこぜである。担任の先生は学校出たてだったので養豚家の名前は新漢字で書いている。

 養豚家はここで日中両国の「簡体字」や新漢字などの略字体を統一しろとか,両国とも台湾や香港のように「繁体字」/旧漢字に戻せなどという福田恆存のような世迷言や妄想を言うつもりはない。ただ,主に植字・製版時の手間から新漢字の普及と共に廃止したふりがなを復活させるのはどうかと提案する次第である。なぜなら,今手書きで文章を書くことは,学校などの試験以外はほとんどなくなった。パソコンのおかげで印刷時にふりがなを振るのも簡単になった。養豚家が最近書いた専門書もカタカナの技術用語をなるべく排除して,英単語にフリガナを付けるという方法で出版した。
 養豚家は過去30年以上大学・高専で非常勤で授業を受け持ってきたが,板書や配布物・試験問題すべてカタカナの技術用語を使わずに直接英単語で表記して授業をしてきた。もちろん学生の答案や提出物も技術用語のカタカナ書きは,その部分は書いてないものと看做して採点した。多分,英語ができないのか,と反論されるのが怖かったのだろうが,このことで学校側から批難されたこともないし,学生に直接文句を言われたこともない。さらに養豚家の書いた学術論文・博士論文やこの“言いたい放題”でもこの原則を貫いている

 さて,大陸中国の文字改革は共産党が政権を握ってからすぐに実行に移された。それまで筆で書く時などに使っていた略字体を基本に一律に原則を決めて多くの字を簡略化した。これを彼等は「簡体字」と呼んでいる。また,多くの同音字をべつの意味に流用している。
 一方日本では戦後の民主化で,それまでの難しい漢字による教育が儒教以来の忠孝思想を鼓舞したため戦争に突入した,と解釈したかどうか定かではないが,漢字体の簡素化がはかられた。それは通称新漢字と呼ばれ,やはり筆記体を元に作られ,さらに同音字を利用して読み書きが難しい漢字を置き換えてしまった。
 この辺の事情は奇しくも日中同じ考えの下に進行したが,日本は徹底してはいない。その点はじつに日本的である。また同音字の言い換えでは,元は違う音だった漢字の発音が日本語では同じ音に変化してしまった中で,無原則に違う漢字を使ったので中国語として読むと意味が微妙にずれてしまったものもかなりある。

 たとえば,漢字制限によって“慰藉料”が“慰謝料”になってしまった。日本では“藉”は,①シャと読んで“慰藉”すなわちすなわち“許す”の意味の場合と,②セキと読んで“狼藉者”にあるように“踏みにじる”などの意味がある。“藉”は現代中国語でも発音が異なり前者の意味では/jiè/,後者は/jí/と発音し,意味も日本語の差異とほぼ同じままである。“藉”の字に草冠が付いていることからも解るように元々は“草で編んだ敷物”の意味である。
 一方“謝”は日本語でこそ“藉”の①と同じくシャと読むが,現代中国語では/xiè/と発音して“藉”とは違う音であるから,中国人は「慰謝」が「慰藉」の代用だとは思わない。もちろん“謝”の意味は日本語でも現代中国語でも“感謝”あるいは“謝罪”の意味で,そこには“許す”の意味はない。“慰謝料”と使うと“許しを乞う”意味が出てきてしまっている。まあ,何事も“謝れば済む”と思っている日本人に適した言い換えかもしれない。
 同じような例に“遵守”がある。これも“順守”と漢字を変えてしまった。現代中国語では“遵”は/zun/で,“順”は/shùn/で発音が異なる。意味も前者は“指示や過去の例に従う”ということで,後者は“沿っている・順調”などとやはり微妙に異なる。

 だから養豚家は漢字は無理に制限しないで,実用的な漢字の範囲であるJIS第二水準まですべて認めて,常用漢字とその許容された読み方以外はふりがなを振ればよいと思う。そうしないと,古典を読む能力が低下してしまう。大陸中国で出版されているように古典もすべて「簡体字」で書いてしまうと,唐詩や史記などは目で見ただけではさっぱり意味が解らなくなってしまうだろう。
 そうして伝統の文字文化から遠ざかると日本文化の本質が見えなくなり,世界中で誰も読めないし読む気も起きない音標文字に縋って,漢字を捨ててしまった故からか,むやみやたらと自民族の優位性を声高に叫ぶ世界一みっともない半島人と同じことになるかもしれない。


2012年6月27日 創業できない日本人

 昨日友人から連絡があり,大学4年のお子さんがある中小企業の採用枠から漏れたという通知が来た,と言っていた。もちろんまだほかの就職先も見つかっていないそうである。今の日本は就職難であるが,別の意味では求人難でもある。すなわち雇う側にとってもよい人材が払底しているのである。
 その原因の一つは大卒年齢世代の人口が減少しているからである。国の統計によると養豚家の時代には194万人いた同世代の人口は,現在では124万人と2/3を割り込んでいる。すなわち分母が小さくなっているから,それだけ採用側のお眼鏡に適う人材が少なくなったということである。
 もちろん養豚家が大学を出たころは同世代の大学進学率はわずか8.2%であった。もちろんこれは女性の4年制大学への進学率が2.5%と低かったことが原因で数値を押し下げているが,男性だけを見ても13.7%に過ぎない。7人に一人である。一方,今の大学4年生が入学したころの大学進学率は男性55.9%,女性44.2%で平均50.2%である。こちらでは分母が大きくなったから人材が薄まったのである。この数値は養豚家が高校へ進んだ際の高校進学率51.4%と大差ない。もちろんこの数値には普通高校以外の職業高校が含まれている。すなわち今の大卒は当時の高卒並である。
 極論すれば,養豚家が大学を出たころの全卒業生が人材として有用だったと考え,有用人材が人口に占める割合が変わらないとすると,当時192×0.082=16万弱いた有用人材は,今は124×0.082=10万強しかいないのである。その期待される有用人材数が今年度の大学4年生62万強に占める割合は実に6人に一人でしかない。
 大学卒業生を雇う側からすれば,養豚家が大学を出た1964年ころなら大卒者を雇用すれば有用である確率はかなり高かったが,今はかなり厳正な目で選ばないと有用な人材は発掘できない,ということである。
 では,どこか就職口はないかなどと走り回らないで,大学や大学院できちんと学問・知識や研究・技術の方法論を身に付け,人脈を拡げて自分で創業するのはどうか,ということになると,それが日本社会では非常に難しい。

 養豚家は幸い難関と言われていた国家公務員試験上級甲(注1)に状元(注2)で合格したので,就職先を捜し回る経験はしていない。しかしAspergerの気質丸出しだった養豚家は,上司がいてその意にそぐわない仕事をすることは許可されない,という情況に嫌気がさして中国語学校の学生・講師,計算機関係の各種学校の講師や雑誌記事の執筆,出身大学の教員を経て,怪しげな会社を設立して以来40年に亘って自分が創業した企業の上がりで家族を養って来た。
 もちろん上司がいないので直接客先と会い,組織にいれば本来上司や他の部署がやってくれることもすべて自分で解決しなくてはならなかった。仕事には波があり,客先の若造に居丈高に怒鳴られたことも少なくない。でも,やりたくない仕事は歯を食いしばってもやらないという選択が出来たことは,精神衛生上たいへんによかった。創業すれば仕事の結果についてはすべて自己責任である。経済情勢や客先との人間関係の所為にすることは無意味である。
 隠遁生活を送ることになり,日々僅かな年金で生活している。国家の中枢を担ったわけでもない元公務員や大企業の部課長級で退職した人々の半分くらいの年金しか手にできない。もちろん所得税は払いたくても払えない。まともな組織に属して大過なく老年を迎えた方々をちょっとだけ羨ましく思う。

 しかし,隠遁生活をしていると,たとえまだ執筆活動を続けていても,退屈しないかというよりも人に会わない日常が問題となる。買い物に出て少し会話を交わす程度だと滑舌が悪くなり口頭言語が疎かになるので,net上で台湾人や中国人と時々おしゃべりをしている。そんなこんなで5月3日版にも書いたように,地元の公共施設で開催されている週一回の中国語のculture schoolにも参加している。
 Culture schoolの先生は中年の中国人女性で,来日後時間が経っているので,日本語は達者で日本事情にもよく通じている。ただ,この地方の学習者の層が薄いことは前述のように否めない事実である。
 基本的にオヤジ層の発音は悪い。約一名を除いて日本語の仮名で読んでいるのと大差ない。オバサンは比較的ましな人が多いが,それでも一人を除いて日本人に特徴的な発音をする。先生はいちいち発音を直していては授業が進まないので,時々各人の実力に応じて発音の矯正を試みるが,ほとんど焼け石に水である。
 本来養豚家など発音が比較的上手な学習者がculture schoolの外で発音練習の相手をすればよいのであるが,今回は草加での学習会とは異なる形の運営なので,やらないことにしている。意思表示があれば個人的にお手伝いすることはやぶさかではないし,そのような意思をなにげなく知らせてはある。

 先日授業が始まる前にあるオバサンから,「園」の発音法(注3)を質問された。養豚家は比較的解りやすくその理屈を解説した。さらに彼女はついでに母音部が似ている「四川」の発音したのだが,「川」(chuan)の子音/ch/の発音がいただけなかった。有気音が無気音の/zh/になっている。そこで,養豚家はついオバサンの発音を矯正してしまった。
 終わった後でオバサンに“発音を直してしまってごめんなさい。”と謝った。さらに“ここでは発音を直すことはしないことにしている。嫌われちゃうから。”と付け加えた。それが余計だったのかもしれないが,早速オヤジから口撃が来た,“われわれはあなたに中国語を習いに来ているのではない,ここで余計なことをすることはない。”
 まあ,オヤジ類はどこへ行っても幾つになってもこういう風である。いつでも誰かと競って負けると苛つくのがオヤジの特性だ。そんな吹けば飛ぶような軽いprideなどは足の裏にでも貼付けておけばよいのに,いつまでも鼻の先にぶら下げて歩いているオヤジが多い。

 もちろん養豚家はこの後もにこやかにオヤジの相手をした。オヤジが続けて言うには,“こうして中国語を勉強しても実際に使うchanceは中国旅行に行った時くらいだもんな。”もちろんこのオヤジに悪意はないが,もう少し展開を考えて人生を終端したほうが面白いと思われる。
 一方養豚家は心の中で“自己責任じゃ”と思った。オヤジの発音が悪いから相手に聴き取ってもらえない。この教室では先生は教える立場だから,日本語発音の中国語でも無理して神経を張って聴き取って取ってくれるが,普通の中国人相手だと無視されるだけだ。もちろん発音が悪いと自分の聴き取り能力も上がらない。大震災でちょっと減ったが2011年末の時点で日本に67万人もいる中国人(特別永住権を持つ連中を含む韓国・朝鮮籍の合計数よりも多い)から見れば,オヤジの下手くそな発音に付合っている暇はない。かれらが日本語で話したほうが,早く通じる。したがって,オヤジの中国語はこの教室以外では出る幕がないのである。

 発音は高い費用を払って個人的に専門家に直してもらうか,養豚家のような先輩に時間をかけて無料で直してもらうかしかないのだ。自分だけで自然と上手くなることは絶対にないのだ。これは中国語でなくてもどの言語でも同じである。英米では英語の発音を矯正する商売が成り立っている。このculture schoolでは週一回2時間の授業で,一人に回ってくる時間はたった10分しかない。それも発音修正をしている暇はあまりない。
 養豚家を相手にしない以上,オヤジ達は高い費用を払うか,中国語を放棄するか,一切を諦めて使えない中国語に固執する現状維持路線を走るかである。多分ほとんどのオヤジは最後の道を選択し,家族・友人や知人の前でちょっと鼻を蠢かすくらいが,老後の趣味としてちょうどよいのかもしれない。

 さて,養豚家がこのオヤジとの会話でハタと悟ったのは,日本の若年層の閉塞情況の原因が,この“あなたに中国語を習いに来ているのではない”という文言に集約される日本の教育の姿にあるということである。
 それは自己の向上のためになら,あらゆる努力を惜しまずにするという姿勢からはほど遠い。口を開けて権威から降ってくるものを待っているだけで,養豚家のような傍からのものを否定する教育の論理である。
 そこからは,自衛官の子供として育ち,今の中国企業とそっくりの悪名高い“真似した電器”の創業者が作った似非“松下村塾”出身の野田首相が,国民の意思を無視して何としても消費税を倍増しようという(官僚の)権威に従順な人生観を持つことから窺い知れる。小澤一郎が唱える官僚機構改革のような異端は認めないのである。
 その結果,このオヤジのように中国語を学習しても展望が見えないのと同じような閉塞感が,国民に蔓延してしまうのである。

 自分で考えることができる人間は統治の邪魔だとばかり,戦後文部省と自民党政治が押し進めてきた教育への介入が,このようなオヤジに象徴される特定の権威以外を認めない硬直化した木偶の坊人間を大量生産したのである。
 今年度になって聞いた話であるが,とある工学系の大学の研究室でB4(注4)の卒論生の大部分が,自分の発表や研究についてM1,2やD1~D3の先輩に何も訊かないそうである。過去もそのようなB4の学生はちらほらいたが,今年度は特に顕著で,発表内容に付いて“それは去年発表済みだよ。”という指摘がしばしば飛ぶそうである。
 すなわち,B4のかれらは権威としては教授しか認めていないので,些細なことでも教授にお伺いを立てたり,指示を仰がないとできないのである。教授一人だけの考えで研究室内の全研究が進むなら,教授がEdisonのような天才でない限り学問の進歩はない。教授は通常忙しいから細かい内容まではとうてい指示できない。だからといって一人でやれば去年済んだことを蒸し返すという愚をやってしまうのだ。
 このまるで中国の大学にいるかのようなB4生が技術者として世の中に出てきて,日本は今後も技術立国を継続が出来るかどうか,甚だ疑問である。それなら経費が安い中国で技術者を雇った方がましである。中国の大学を出て日本の大学院へ入った留学生たちは,自分で研究themeを考えて,研究を進める方法論も自分で見いださねばならない日本の研究方法に戸惑うのも少なくないそうだ。

 自由な発想で自己を鍛えないと,誰かに雇ってもらって奴隷労働をしないと生きて行かれないという思考法からは脱却できない。今の日本で新しい事業を創業しよう考える人間は,長年の反動教育の成果が出て非常に僅かになってしまったのである。大人しく働く奴隷を大量に生産した結果,首相まで自分で考えない脳味噌オカラ人間になってしまったのである。
 人材が足りない原因はここにある。総理大臣すら人材不足である。でも教育を直すには30年かかると言われている。1980年代に政治が介入した付けが今ごろ回って来たのだ。

 養豚家?もう,新しい事業を起すのは正直言って疲れたから,知人・友人の半額の年金でも何とか生きて行く工夫を続けることにして,この“言いたい放題”にイヤミを書き続ける。


2012年6月29日 追加

 大阪では今年の4月に甚だ違法性が強い教育に時の首長が自由に介入できる条例を制定している。教員が人に見えない場所に刺青を入れただけで,大衆の批判を受けるように仕向けたりするのは,まさに人の揚げ足をとって自分を高めるお笑いの本場大阪のやりかたである。
 橋下のこのような行動は自分がお山の大将になりたいからであり,上から国民を見下ろして専制国家の皇帝に納まりたいという願望がよく見える。教育で国民を(自分で思いこんでいる)権威の言う通りに動く木偶の坊にしようというのだ。正にIsram原理主義者の国や半島北部の国と同じことを目指している。

 日本人は飼い馴らされ易いから多分橋下の思惑は通るだろう。でも橋下は織田信長にはなれない,豊臣秀吉も無理であろう。結局損をするのは,自分の意見を持たずに自分一人では何もできないポチでしかない日本人なのだ。
 時の政権がすることを常に疑いの目を向けている中国人の方が百倍もましかもしれない。ただ,かれらも科挙に由来する権威を100%信ずるように仕向けられた教育の結果,人を信用せず自分の仲間内だけですべてを賄うやりかたをするから,贋物作りには長けても新規のideaが物を言う創業には向かない。かれらの創業は如何にお金を儲ける道を探すか,という起業でしかない。


注1
 1883年に制定された戦前の高等文官試験に由来する,戦後人事院が実施している国家公務員試験の最上級は,六級職(1949年),上級職(1958年,1961年から甲乙に別れる),第一種(1984年),総合職(2012年)(院卒者試験と大学卒業程度試験がある)と頻繁に制度と名称が変わった。ちなみに2012年の合格者数は1,326人である。この人数は養豚家が受験したころとあまり変わっていない。

注2
 状元は,元々中国で実施された官僚登用試験の科挙の最後の試験「殿試」で一番の成績を収めた者を指した用語。転じて試験で最優秀の成績を得たものを指す。なお,国家公務員試験は複数の専門分野の区分があるので,状元は何人もいる。

注3
 「園」はyuánと発音する。この母音部の/üan/は日本人が聴くと「ユァン」と聞える。ところが中国人でも北京ではなく大連辺りの人は日本人に「ユェン」と聞える発音をする。/an/の音は本来は「アン」であるが,後ろの/n/の発音の際に舌先で口を塞ぐので,「ア」から「エ」に近い音に変りやすい。特に/an/の前に口を拡げない/i/が頭に付く(介母音という)/ian/は明確に「イェン」となってしまう。
 一方介母音が/u/の/uan/は,口が細くなっていても,口の奥は拡げられるので「ウァン」と発音する。じつは口の奥を狭めた/uen/は別の音節として存在するので,「ウェン」とは発音できない。問題は上記の/üan/の発音である。養豚家も過去大連出身の先生にひつこく「ユェン」と発音するように指導された経験があるが,養豚家が習った北京出身の先生の発音を忠実に守った。
 ついでに言うと/üang/という発音は現代北京語にはないので,下手に「ユァン」と発音しても問題は生じない。

注4
 大学では学生の年次を学部はB(Bachelor),博士課程前期および修士課程をM(Master),博士課程後期をD(Doctor)と略してその後に学年の数字を付けて呼ぶ。 


2012年9月16日 闇夜の鴉

 今日は新月である。電灯の明りがなかった時代は,提灯の明りのみが頼りだったので,犯罪も多く夜分の外出は控えるのが普通であった。真っ暗闇で正邪を判別することは困難である。

 さて竹島や尖閣諸島をめぐって韓国や中国の脳味噌に豆腐渣(オカラ)が詰まっている連中が騒いでいる。韓国や中国の政府もそれに乗じて国民を煽り,国を挙げて日本を叩こうとしている。これはじつは,内政に対する自国民の不満を外部に敵を作ることによって逸らすという,独裁政権特有の手法である。大阪の橋下市長(元知事)も同様な手法を取って大阪市民や府民を煽っている。すなわち,普段から妬みの対象であった行政の役人を叩くことで,住民の支持を得ようとしているのである。
 この手法はDeucheのHitlerが取った自国民にユダヤ人を憎悪させる政策とまったく同じである。普通の国民は自分で情報を分析して自分なりに正しいと思う結論を出すという訓練を教育の過程で行って来ていない。中国や韓国・朝鮮ではむしろそのような教育は既得権層の安泰を危うくするものであるとして,正反対に特定の教条を注ぎ込み,それを丸暗記するようにしている。

 日本では橋下のみならず日本の既得権層を代表する連中も同じようなことを長い間し続けてきている。ただ,学校教育だけでは卒業するとだんだんと効果が薄れてしまうので,TVや新聞を通じて“ギャハハ”番組や提灯記事で国民の洗脳を続けている
 この情況は中国もまったく同じで,「日本鬼子」をやっつける正義の人民解放軍と中国人民というstereotypeな番組が一日中放映されている。これを見て育った中国人が日本に来てまず驚くのは「日本鬼子」などどこにもいないことである。それではわざわざ来日した中国人に気の毒なので,大阪の橋下は,「日本鬼子」を大量生産するために教育に手を出したのかもしれない。

 中国では,今年1月に重慶市の当時の副市長王立軍が成都の米国領事館に駆け込んで,中国国内の機密をたくさんバラして以来,江澤民派と現政権およびそれを継承する予定の現国家副主席の習近平派との権力闘争がとみに激しさを増している。そこへ揉め事大好きな右翼知事石原がわざわざ尖閣諸島問題に火を付けた。中国はこの中央の権力闘争や共産党幹部の腐敗という内政の問題から国民の目を逸らすために,喜んでこれに飛びついたのだ。
 中国側のいろいろな煽りはさておいて,中国の某大学の日本語科に通う19歳の学生が次のようにnetに書込んだのを拾った。

日本鬼子,休想用20.5亿日元买我们的钓鱼岛!我们的钓鱼岛是无价且不卖的,坚定不移!
(バカアホ日本人は20.5億円でわれわれの「釣魚島」を買うなどと考えるな! われわれの「釣魚島」は値段が付かないし売り物ではない,決して動かせない!)
钓鱼岛问题好像真的升级了!小日本,看我们怎么收拾你!
(「釣魚島」問題は本当に重要な水準に上がってしまったのだ!ケチ臭い日本人よ,われわれがお前をどう料理するかみてろよ!)

 彼等は日本語をなんのために学んでいるのだろうか,この発言からみると日本を侵略するために親が高い経費を負担して大学に上げているとしか見えない。外国語を学ぶのは日本でもそうであるが,圧倒的に女子学生が多い。この書込みも女子学生らしいが,軍隊にでも入って日本侵略に加担しようという意気込みである。ところで韓国風に言うと,日本には「釣魚島」など存在しないから,彼等は架空の島を自国領だと主張しているに過ぎない
 日本の自民党や石原・橋下が望むような偏狭な愛国教育を,彼女は中国の幼稚園から高校まで受けて来て,それを信じ込んでいると思われる。もっともこのような考えが狭い中国人は基本的に烏合の衆でしかなく,日本を圧倒するような技術や学問をもたらす人材になる危険性はないだろう。
 知識や情報の闇夜に暮す多くの中国人は,鴉がよいものであるか悪いものであるかは分かっていないから,ただただ支配者のたれ流す情報を鵜呑みにするしかないのだ。このような教育を受けて育った人間からはNobel賞を取るような人材は育たないというのが,過去多数のNobel賞受賞者を排出している日本と,受賞者が受賞に赴けないNobel平和賞しかいない大陸中国との違いであろう。

 次は,レコードチャイナに載った日本にいる中国人が書いたBlogの紹介記事である。正確な知識や情報の有無とは恐ろしいものである。わが子だけを心配する父親の狼狽えぶりを見よ。日本人が政府の指示で中国人と同じようなバカな行動をすると思いこんでいる。

日本人はだからといって中国人に嫌がらせをするようなことはしない(2012年9月14日,中国Blog鳳凰博報)
 その日は中国人留学生の仲間たちとご飯を食べに行き、午後11時過ぎに帰宅、パソコンを開くと、中国の兄から「至急、父に電話をするように!何時でも構わないから早く!」とのメッセージが入っていた。何事かと思いすぐに電話をしてみると、父の第一声は「そっちは大丈夫か?」。
 どうやら中国国内のただならぬ状況から、日本でもきっと大変な騒ぎになっていると思ったらしい。息子がひどい目に遭っているのではないか、帰国させた方がよいのでは…と心配でたまらなかったようだ。筆者がひとしきり「大丈夫。何も心配するようなことはないから」と説明し、父はようやく安心して電話を切った。
 実は昨日、アルバイトで中国語教室のチラシ配りをした。仲間7人で1500枚を配ったが、その間、何の「ひどい目」にも遭わなかった。それどころ か、年配の女性が「他の人にも配るから」と多めにもらってくれたことも。この時期、もしも反対に日本人が北京の王府井で日本語教室のチラシを配ったらどんなことになるか、容易に想像が付くだろう。

 今朝はオートバイの教習所に出掛けた。教官は筆者が中国人だということを知っている。実は当初、嫌がらせをされるのではないかと身構えていたが、そんな心配は無用どころか、私が日本語で苦労していると、実際に目の前でやって見せてくれた。なんて親切なんだ!
 もっと驚いたのは昼休み、テレビのニュースで中国国内の反日デモの様子や「尖閣諸島周辺の日本領海に侵入した」という中国の海洋監視船について、 事細かに報じていたにもかかわらず、誰一人として大きな反応を示さなかったこと。これが中国だったら、大変な騒ぎになっているだろう。

 しかし日本人に愛国者がいない訳では決してない。耄碌ジジイの石原都知事が,尖閣諸島を買い取る基金を募ったところ,またたく間に14億円集まったという。自分に利益がなければ決してお金を出さない中国人と比べても,日本人は何と愛国者なのであろう。

 中国人のデモ隊は,毎週金曜日の夜に静かに日本の国会を包囲している日本人デモ隊と違って,明らかに後ろで誰かが,破落戸(ごろつき)や黒幇(ヤクザ)および田舎から来て食い詰めたり職が見つからない連中を組織している。長い間中国人に接して来た養豚家の感覚から言って,中国人は自分や家族の利益にならないことは決してしないのである。
 日系の商店に雪崩れ込み略奪を働くというのは,愛国的行動以前に得するからである。その意味では大陸の中国人の中には,東日本大震災で略奪がほとんど起きなかった日本と比べても先進国の水準からほど遠い野蛮な連中が多いということである。米国なら暴動が起きれば,“愛国的な気持ちは解る”などというアホな言動なしで,純粋に公安事件として処理される

 冷静に考えれば,日本商品を売る中国企業で略奪されたり破壊された分は,中国国内の損害保険で保証されるし,休業や閉店・閉鎖となった日系企業および商店や工場では中国人の従業員が職を失うだけである。さらに,すでに中国のこのような国家riskから,Indiaや東南Asia諸国に逃げ出しつつある製造業はその速度を加速させるであろう。
 「不分皂白」(白黒善悪の区別ができない)は中国語であるが,大陸中国の支配層は国民を闇夜の中で「不分皂白」に追い込んで管理している間はよかったが,今は共産党の支配層まで闇夜にいたので自分自身も「不分皂白」になってしまっている。自分たちが施した教育の成果が自分たちの身の上に降り懸かって来ているのであろう。
 日本人も闇夜で役人やマスゴミに騙されて,国家主義者の石破・石原とか野田や橋下に投票していると,かれらの意の通りの人間が育ち,現状の大陸中国や戦前の日本と同じになってしまうであろう。養豚家は手持ちの資産をAU$にでも換えて,日本から逃げ出す算段をするのが正しいかもしれない。


2012年11月6日 新設三大学不認可

 やりました!田中眞紀子文部科学大臣の新設三大学不認可のnewsに,養豚家はもろ手を挙げて大賛成である。もちろんマスゴミからは“暴走おばさん”と批難ごうごうである。でも怪しげな大学の認可を認めないことがそんなにいけないことなのだろうか。多分日本特有のなあなあの圧力の下で,この件は認可という方向になると思われるが,過去の間違った文教政策を見直す絶好の機会でもある。

 尖閣諸島の購入を言い出したり,都民が少しも関心を持たないOlympic誘致に大金を注ぎ込んだり込んだり,土壌汚染がひどい場所に築地の魚市場を移転しようとしたあげく,そのどれをもいい加減で放り投げて,都知事の椅子から逃げ出した“恍惚老人”の石原慎太郎と比べれば,田中眞紀子の行動は国家としてはほとんど実害がないし,むしろ無意味な補助金が出て行くの押さえることができる。なのに,マスゴミはこの瘋癲老人紛いの人物の行動を一切批難しないで,田中眞紀子を叩いている。マスゴミは多分東京都の広報費からたっぷりと広告代をせしめているからであろうか。
 ボケ老人知事および国際政治が分かっていない外務省の役人と野田総理が中国を要らぬことで刺激した結果,日本人や日本企業が蒙った被害は,田中眞紀子の今回の行動の数万倍以上になると思われる。
 さらにマスゴミの古手にとっては,このような新設大学の教員としての数年間の金儲けと名誉の保持という一石二鳥の美味しい再就職口が閉ざされてしまうから,田中眞紀子の行動は飛んでもない,ということになるのであろうか。

 大学生の就職率が悪いというのに,大学数は前世紀末頃と比べて150校も増えた。大学businessはそれほどまでに美味しいのだと言えよう。文部科学省は,またまた来年4月から3校もの新設を認めようとした。それに対して田中眞紀子は真の意味の疑問を投げかけたのだ。甘い予測で四年制大学を作って,文部科学省やマスゴミから天下りを受け入れ,国からの助成金を貰ってヌクヌクというデタラメな大学がここ20年ほどの間に大量に作られた。
 現実に工科系のとある大学は副学長が中国人で,たった一人の英語教員以外の外国人教員はすべて中国人である。学生も多くが中国からの留学生である。留学生の場合授業料の半分は国から支払われている。授業料補助を含む助成金の割合から言えば,事実上国立大学と同じくらい優遇されている。
 暴挙でも何でもよい,これ以上バカ学生を生産するだけではなく,そこへ天下る文部科学省の役人とマスゴミ退職者および地方議員や首長,森喜朗元首相などを始めとする文教族(賊?)の自民党議員が,国税から出た大学運営助成金を高額な理事報酬などにして懐している現状をなくすべきなのだ。

 一方で学生数が少なくなって経営が立ち行かなくなり閉鎖に追い込まれた大学も少なくない。実際に閉鎖の危険があるという噂がある大学には,予備校の河合塾があまりに特殊過ぎるか全員合格に近いので偏差値を付けられないとしてBF(Border Free) rankに分類した大学が多く含まれている。閉鎖の危険がある大学はすでに数年来定員割れを起していて,地方から順次経営が成り立たなくなって行くと思われる。
 最近newsになったものを挙げると,2004年設立の創造学園大(群馬県)は2012年度新入生が零で現時点で文部科学省から閉鎖命令が出ている。 2002年設立の東京女学館大学も2015年度を最後に閉鎖する。1968年設立と比較的伝統がある青森大学でも,1999年に開設した大学院を2012年度一杯で閉鎖する。
 大学自体は閉鎖しなくても,東海大の旭川校舎のように2014年度で閉鎖とか,すでに規模縮小をしている大学は多い。法科大学院に至っては,いたるところで募集停止の声を聴く。

 さて,大卒者数が日本の10倍の700万人という人口過剰・大学過剰の本場中国では,今世紀に入ったときにはすでに高等教育を受けた卒業生が余っていて,卒業しても適当な仕事にありつけない,という現象が起きていた。反日行動で暴れるのも職がないかれらであろう。
 そうして2006年にnet上では,「造成大学大量擴招,技能教育發展不足,最後的結果是“畢業生去做工人,研究生去做職員,博士生去做技術員”。」(大学を作って学生を大量に集めたのはよいけれど,技術教育がぜんぜん出来ておらず,最終的には“大卒生は工員に,修士卒は事務員に,博士卒でやっと技術者”。)とまで言われていた。しかし,何と今では下記のような事態になっている。

大紀元 2012年11月5日
 黒龍江省哈爾濱(ハルピン)市がこのほど、清掃員457人を募集する求人に、1万人が応募するほどの「大盛況」だった。最終的に履歴書を提出した7186人のうち、4割以上が大卒者で、中に院卒も含まれていた。
 求人を出したのは市の都市管理局で、採用された人は「準公務員」としての待遇を受けられ、3年後に管理職に昇進するチャンスがあるため、応募が殺到したとみられる。
 今年7月に大学を卒業したばかりの佟鵬さんも応募者の1人である。彼はすでに3回転職し、月給1千元(約1.2万円)にも満たない仕事に「夢の実現よりもう少し良い生活をしたい」と彼は言う。

 経済成長の鈍化や大学の増設が進む中、毎年700万人以上が大学を卒業しているが、その1割以上が就職できていない。学生は「卒業即失業」などと揶揄している。
 この出来事がインターネットで熱い議論を引き起こした。あるユーザは、「子どもの頃、“しっかり勉強しなければ、将来、清掃員になるしかない”と親から言い聞かされた。しかし、今は清掃員にすらありつけないのだ」と嘆いた。

 田中眞紀子の今回の不認可の行動はとても唐突であるが,問題提起としてはたいへん適切なものである。それに対するお涙頂戴式のマスゴミのstereotypeな報道は裏にかれらの利権が隠されていることを見ぬかなければならないのだ。

 日本の大学もかつては最高学府と言っていられたが,今や卒業生の水準は戦前の高等小学校並であり,旧制の中学・女学校や各種の実業学校にも及ばないのが実情である。
 国家の将来は偏に教育にかかっているが,大阪の橋下市長がやっている戦前復帰を狙った特定の考えを押しつける教育は,共産党支配下の中国の教育とまったく同じで自分でものを考えることを放棄したバカな卒業生を大量に産み出すだけであり,日本の大学は完全に利権の巣と化してしまっているのだ。
 養豚家は大学がまだ大学であった時代に国立大学を出ておいて良かったのかもしれない。


2012年11月12日 追加

 案の定,田中大臣はすぐに不認可決定を取り消して,この来年度にでも応募学生数が定員を割り込むような大学を急遽認可した。現実問題として田中大臣としては,直にでも国会が解散になっては何も話題を残せないので示威行為をやったのだから,国税を無駄喰いする大学がどうなろうと自己責任である以上,知ったことではないだろう。
 おふざけなのはお涙頂戴の報道をしたマスゴミそれに乗った自民党である。彼らも定年後の天下り先がないと困るから大騒ぎした。ではTVのヤラセではない街の声はというと,次のように圧倒的に田中大臣の不認可を支持している。

応答室だより (2012年11月8日 東京新聞)
 田中真紀子文部科学相が三大学の新設を不認可にした問題も、読者の論議を呼んでいます。
 連日の報道は、文科相に「暴走大臣」などと批判的ですが、応答室に寄せられた声と投稿は「官僚による大学増設政策は破綻している。大臣の蛮勇を支持する」などと賛同する意見が圧倒的多数を占めました。

2012年版完