Dr. YIKAI の言いたい放題「技術教育」

2013年版 Copy Right 2013 Dr.YIKAI Kunio

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2013年1月1日 測度
2013年9月22日 寝た子を起す
2013年12月28日 利敵行為をする愛国心

2013年1月1日 測度

 旧臘29日の午後,土浦の生協の駐車場に車を止めて買い物をしていたら,駐車しようとした85歳のジジイが運転する車が,養豚家の後方の車ごと強引に押し出して玉付き事故に遭ってしまった。被害車輌は養豚家の車を入れて全部で3台,ジジイの言うことは“Breakを踏もうとしたら足がすべった。”などとさっぱり要領を得ない。滑ったという認識があるなら足を戻せば前方3台もお釜を掘ることはなかったろう。警察が来て,ジジイの嫁いだ娘という中年の女性も来て,保険会社にようやく連絡がとれたのは,15時半の事故から2時間経った後であった。

左:サンドイッチになったFIT    右:横着ジジイの車

 養豚家の車は停車していた位置から2mも押し出されてしまった。幸い軽自動車だった上,駐車位置の奥に引っ込めて止めてあったので,通路に飛び出して二次事故を惹き起こすことはなかった。
 ジジイはbreakだと思ってaccelerator pedalを思い切って踏んだみたいである。ジジイの車と養豚家の車に挟まれたホンダのFITは前後部共にぐしゃぐしゃであった。養豚家はオートマ車の踏み間違い事故を初めて目にした。Manual車ならclutchがあるので,breakを踏むときは必ずclutchを切るので,もし間違ってもengineの回転音が大きくなるだけで,このような暴走はほとんど起きない。

 ジジイの家族が来るまでの間,現場検証をしていた警官に訊いたら,“オートマ車に乗ると左足を使わないので,普段の運転姿勢が悪くなって斜め座りして左足を定位置に置いていない人がいる。こうして左足の位置が右に寄りすぎると,breakのつもりでaccelerator踏むことが多くなる。”そうである。さらに年をとると思いこみが激しくなり,このジジイは止まらないならもっと強く踏むという,自宅の車庫で孫を殺してしまう情況をsimulationしたのである。
 訊くと,ジジイは生協まで徒歩で10分もかからない距離に住んでいた。85歳の横着ジジイは車なぞ運転しないで,電動車椅子にでも乗って来るべきである。養豚家は普段は家から20分の道のりを歩いて生協まで買い物に出ているが,この日は年末の買い物が大量にあり,あちこちの店に寄る必要があったため車で行ったら,お釜を掘られてしまったのである。(後日談はこちら

 では,なぜこのような危険な耄碌ジジイから免許を取りあげないのであろうか。それはこのジジイが運転すると危険であるという客観的な指標がないからである。したがって公安委員会が道路交通法により特定個人の免許証を失効させるには,具体的な事故や意図的な犯罪行為がないとできないことになる。(注1)
 すなわち,“この人は運転するのは無理だ”ということをみんなが納得する方法で事故前に測ることができないのである。

 通常の寸法や重量を測るという物理的な話しだけではなく,この運転者の適性などのような抽象的な物事もわれわれは実際に測らなくてはならない。大学の入試や企業の入社試験も人の能力を測っていることになっている。実際に各個人や企業・国家の行動もすべて“鼎の軽重を問う”(注2)ことから始めなければならない。
 すなわち単なる数値でしかない重さだけでは,物事を測ることはできないのである。人や物事を測るということは科学的な根拠だけでなく,人間の総合的な判断力を必要とする。
 学校教育は,本来はこの測る力を養うためにある。単なる直線定規でしか表していない試験の得点で人を測ってはいけないのである。

 数学の世界では,20世紀初頭に仏国の数学者Lebesgueによって,従来の物差しで測るような測り方を拡張した概念が学位請求論文として発表された。英語でmeasurementという名称が付いたこの考えは,日本語では“測度”と訳されている。
 養豚家は数学は苦手なので,数学的な“測度”自体については,これ以上詳しい追求を避けるが,言葉だけを利用させてもらう。比喩的に使えば,一次元の測度は長さであり,二次元の測度は面積,三次元の測度は体積と理解してもよいだろう。

 実際に人や物事の測度を知るにはそれ用の物差しが必要となる。今回暴走事故を起した耄碌ジジイの運転安全性を測るにも,何等かの物差しを用いて,“もう運転免許は返上したらどうか。”と家族や周りの人が勧めるのが正しい。この物差しが単なる年齢という一次元の指標では,頑固者の斜め座り横着ジジイ(注3)は到底納得しないであろう。
 今回事故という別の物差しが加わり,ジジイの運転に関する“測度”は免許返上の必要性を算出できるだろうが,本人がこの事故は自分の横着な運転姿勢が原因であることを悟らない限り,多分,今後もまだ運転を続け,さらに重大な事故につながる危険性は大である。

 すなわち測度自体は如何に客観的に出したとしても,それを測る物差しの基準がおかしければ測ったことにならないし,それを以って物事の判断に使うことはできない。
 しかし,日本人は測度を算出するときに,一般にどこかから借りてきた権威あると思っているtemplateを物差しに使いたがる。すなわち,自分独自の物差しである価値感ではなく,TVの怪しげなcommentatorや新聞記事を頼る傾向にある。すなわち,容易に振り込め詐欺や政権や役人による世論誘導に引っ掛かってしまうのだ。
 ある社会での物事の測り方が一種類に集約されている社会は,中国や北朝鮮などの共産党独裁国家やIsram国家のような国だけではない。じつは日本もほんの一部の自分で測度を算出できる人々を別(注4)とすれば,だれか他人の尺度で測っている。それは,今回政権に復帰した阿倍総理を含む,旧態依然とした自公の議員全体が米国とそれに従う官僚が用意した物差しでしか日本を測ることができないことを示しているのだ。さらに彼等に投票した国民も同じ穴の貉であると言えよう。
 安倍自民党政権は,原子炉から出る放射性廃棄物の処理場も決まらないまま,原発を増設すると息巻いている。養豚家は,米中のように廃棄物を捨てる広大な砂漠地帯がない日本に,米国の物差しで測った原発推進測度を当てがって,日本の将来が見通せるとは到底思わない。

 英Economist誌は,“2050年には日本人一人当たりのGDPは韓国の70%で,中国よりちょっとましな程度にまで落ち込むだろう。”と予測している。養豚家が知る大陸中国人の頭の固さからみると,商売は上手であってもそんなに生産性が上がるほど自力でinnovationができるとは思っていないし,中国以上に輸出依存している韓国も,日本が凋落したら中国と同様に日本以外のどこから技術を盗むのか,その術を知りたいものである。
 英国からみれば日本と中韓とは単なる競争相手でしかないが,今まではその技術の本質が異なっていた。でも自前の測度が出せなくなった日本は,2050年には中韓並みになるのかもしれない。画一化した物差しで測る学校教育を押しつけられ,小澤一郎のような異なる考えを抹殺する環境で育った若者たちでは,中韓にNobel賞で差を付けることもできなくなるであろう。
 養豚家はありがたいことにそこまでの寿命はないので,Economist誌の辻占が当たるかどうかは,正直どうでもよい。

注1
 1998年から70歳を過ぎた高齢者に対して実施されていた運転免許更新前講習の前に,2009年からは75歳以上の人は認知機能検査を受けることになり,その検査結果で認知症が疑われる(2009年の下半期のdataでは約3%に見つかった)と,医療機関での詳細検査が課される。もし,認知症という診断書が免許当局に提出されると,聴聞を経て運転免許の取り消しができることになったが,土浦のぼけジジイは多分そこは無事通過したと思われる。
 すなわち,制度はあっても現実に事故原因となる運転操作をするジジイを排除できてはおらず,この更新前講習は警察からの天下りをたくさん受け入れている自動車運転教習所の売上対策にしかなっていない。

注2
 中国の春秋時代に5番めの覇王となった楚の荘王が,名目上の九州(全中国のこと)の支配者である周の国境に至ったとき,周の定王の使いに対し,荘王が周室にある鼎の重さを問いただしたという故事を指す。
  「楚子問鼎之大小輕重焉。對曰、在德不在鼎。~今周德雖衰,天命未改。鼎之輕重,未可問也。 」
 すなわち,“おまえのところは,なんぼのもんじゃい,周の天下などはすぐに滅ぼせるぞ。”と威嚇したのである。それに対して使いは,“国の存立意義は徳にあって,鼎にあるのではありません。”と答えて,いろいろ述べたあげく,“周の徳は衰えたりといえども,まだ天の支持があります。鼎の軽重はまだ問うべきではありません。”と結んだ。

注3
 島内氏らの論文によると,高齢者が頑固者になるのは,“自分でルールをつくり出す”,“自分は悪くない,悪いのは相手である”,“他者に気を配らない”などという現象に表れる自己中心性が原因である。
 その結果, “自分は運転が上手だ”,“自分は無事故無違反の優良運転者である”と思い,さらには,“自分はまだ衰えていない”,“自分は今までと同じように正常である”と信じて,ついには,“事故さえ起こさなければ構わない”という心理状態になる。

注4
 検察主導の小澤一郎叩きがマスゴミで盛んに報道されていた頃,養豚家は50年近くの付合いがあった,定年退職したとある大学の元教授と夕食を共にしていた。そのとき店のTVには小澤一郎叩きの番組が映っていた。物事には必ず二面性があるのだと説く養豚家に向かって,この元教授殿は“小澤一郎は汚いからきらいだ。”と言った。養豚家は,“どこが汚いの?ご自分で体験したの?”と訊くと,“みなそう言っている。”という返事が帰って来た。
 それ以来,養豚家はこの元教授と年賀状すら交わしていない。自分の測度を持たない人間と付合うのは歳をとってからは時間の無駄だからである。かれの意見を知りたければ,TVを見ればよいのである。


2013年1月24日 お釜の後始末

 今日ようやく追突された車の修理が終わって,手元に帰って来た。正直言って,関東地方に1月15日に降った雪には修理が間に合わなかったのがとても困った。16日には車で出かけたい所があったのであるが,保険会社から回ってきた代車は,養豚家が追突された四輪駆動車とは違い,凍りついた雪道は走れない
 もちろん代車にはchainも積んでなかったから,養豚家は30分早く出てバスに乗って目的地へ行った。当然ながらバス代はガソリン代よりも高くついたが。このような場合の実費や早出分の慰謝料は保険会社としては出せないとのことである。
 これは加害者に直接請求するしかないけど,この加害者と家族は事故後一度も謝罪の電話さえかけて来なかった。多分,“保険があるからあとは知らない。”という態度であろうと思っていたところ,昨日ようやく菓子折とわび状を郵送して来た。事故後ほぼ1ヶ月経ってからである。
 車の修理関係の保険で支払われた金額は,後部バンパー代および検査・交換費用が171,110円,車の搬送費用が52,500円,代車(1月13日~22日)の費用が40,320円であり,保険会社から各社に直接振り込んで貰った。
 示談書は保険会社からの電話で済ませると言ったので,糞ジジイに約1ヶ月近く放っておかれたのと,こちらは会社であるので書類が必要ということで作成した。
 なお,養豚家の後ろでサンドイッチになったFITは廃車になったが,保険会社がごねてなかなか修理代相当額を払おうとしなかったそうである。車検後すぐに被害に遭ったそうで,保険会社は残存価格だけ払うという悪い態度だったそうである。そこで,“Seat,タイヤやengineなど使える部分を除いて,板金やpartsを総交換し,修理が終わるまで代車は返さない。”と言ったら,ようやく修理代相当額を支払ったそうである。それでも同程度の中古車を買うと10万円ほど足が出るそうである。


2013年9月22日 寝た子を起す

 漫画家中沢啓治氏の実体験に基づく原爆体験漫画『はだしのゲン』が,突然1万部も重版されたそうである。養豚家も40年前に週刊少年ジャンプに連載されていた初回から全部を見た。

 この漫画に対し,自民党や維新の会の別働隊である在特会(注1)が執拗な攻撃を繰り返し,それに耐えかねた島根県松江市の教育長が,教育委員会の正式の手続きを経ずに,独断で事務局から各学校長に対して,二度も児童・生徒に対する閲覧制限を要請していたことが,去る8月16日新聞報道で判明した。
 これを受けて,49校ある松江市立の小中学校のうち48校が,『はだしのゲン』を閉架図書に移動し,実質的に閲覧できないようにした。開架図書に置いたままの残りの1校は,骨がある校長がいたのか,それとも単なる怠慢で,大陸中国のやりかたを真似て松江市教育委員会事務局からの通達を放置したのかは解らない。
 このことについて,漫画大好き人間の自民党の麻生太郎副総理は,“もっと規制すべきポルノ漫画が氾濫している”と,方向違いの応答をした。一方,在特会の意を酌んだというか,その精神を同じくする橋下大阪市長や下村文部科学大臣は,閲覧制限を擁護する発言を繰り返している。

下村博文文部科学大臣記者会見録(2013年年8月21日)
 今回のケースは、「子供たちが誤った解釈をするおそれもあるので、教員と一緒に行う学習活動を大切にしたい」との松江市教育委員会の考えに基づくものと 承知しており、学校に対して市教育委員会がそのような要請をしたことについて、特段の問題があるというわけではありません。

 まったく国民の知る権利と自由を,なんだかんだと屁理屈を付けて制限する国は,共産党独裁の大陸中国と何等変わらないことに気がつかないというか,日本をそういう国にしたいとしか思えない右翼の連中と自民党・維新の会の言動である。

 一方,国民を洗脳したい情報に関しては,無罪判決となった小澤一郎氏のありもしない疑惑を,在特会は大声で喚きたてた。それには,女性アナウンサの尻を撫でている場面がTVで放映されても開き直っている“みのもんた”こと御法川法男のようなTV幇間まで使い,執拗に小澤一郎氏に関する偽情報をばら撒いた。
 これは中国共産党がでっち上げた“南京大虐殺”や“仙閣諸島領有”問題について,中国共産党がやっている反日国民洗脳作戦とまったく同じである。
 それにより,大陸に住む洗脳された脳足らずの一般大衆は,日本人を蛇蝎のごとく忌み嫌っていて,機会があれば個々の日本人へ個人的に攻撃をするというお馬鹿な人間になってしまった。

 たとえば,養豚家が2012年秋に中国へ行った時,遅延して夜遅くに到着した空港からhotelまで,地下鉄ではなくtaxiを利用したところ,料金を払う以外に日本に対する悪口を山のように聞かされて,酷い目にあったことがある。いくら疲れていても,140元のtaxi代を払うよりも7元の地下鉄で行ったほうがよかったと,大いに反省した。
 それ以来,地下鉄とtaxiの危険度は差がないと思い,地下鉄の駅に近いhotelを予約し,駅から“えっちらこっちら”と旅行鞄を運ぶことにした。

 閑話休題。
 在特会は日本国民に余計な情報を吹き込み,小澤一郎氏を排除するのに成功した。しかし今回は,必要な情報を制限しようとして,見事に失敗した。それは,今回の閲覧制限のnewsがきっかけになって,『はだしのゲン』が予想以上に売れ,どこの公共図書館の貸出し予約を見ても,数10人待ち(通常は貸出し期間が2週間なので,一年待ちの水準)になってしまったことで解る。そこで,在特会や自民党・維新の会の政治家達は,この閲覧制限を記事として報道した新聞社を叩くという,これもまた共産党支配の中国大陸でやっていることとまったく同じこと(注2)をしている。
 もちろん小澤一郎氏を排除した付けはすでに各々の日本国民に回っているのであるが,馬鹿な日本国民は,みのもんたなどの太鼓持ちに騙されて,付けを回されていることすら気が付いていない。

 “寝た子を起す”というのは本来悪い意味であるが,今回は在特会もよいことをした。選挙では反対したはずのTPP交渉にいつの間にか積極参加するとか,2014年4月からの消費税の3%値上げ分は年金に回さずに,2/3以上を大企業の減税にばら撒くとか,自民党や維新の会の政治家や役人たちは,機会さえあれば国民を聾桟敷に置いたまま,好き勝手している,という事実の一端を在特会は多くの国民に開示してしまったのだ。
 在特会や自民党・維新の会の政治家がそんなに大陸中国の真似をしたいなら,一層のこと,彼ら自身が中国に帰化して,賄賂を大量にばら撒いて共産党の幹部にでもなれば,日本でやるよりももっと手間をかけずにやりたい放題が出来るのではないかと思うが如何であろうか。

注1
 在特会(在日特権を許さない市民の会)は,日本を戦前の状態に復帰させようとする右翼団体中,現時点では日本最大で,街宣車を動員する暴力団紛いの右翼よりは構成人員がはるかに多い。在特会の執拗な攻撃は,小澤一郎氏を攻撃する際にも発揮された。
 この団体が,日本の上層部に巣食う既得権者の代りに,小澤一郎排除を具体的に実行し,刑事告発や検察審査会への申し立てを繰り返した。その結果,日本は再出発の機会を失い,さらなる縮小への道を歩むこととなった。

注2
 広州に根拠地を置く週刊誌『南方周末』の2013年1月3日付けの社説が,政府に都合が悪いことが書いてあるというので,広東省の共産党の指示で強制的に差し替えられた。このことが微博(中国版Twitter)で公表され,net上で大騒ぎになったが,共産党の中央は,検索siteでの「南方」や「周末」などの単語を使った検索を規制した。


2013年版完