Dr. YIKAIの言いたい放題「日本の世相と中国関係および教育」

2018年版 Copy Right 2018 Dr.YIKAI Kunio

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2001/2002年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」2003年版「日本の世相と中国関係」,「技術教育」
2004年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」2005年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」
2006年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」2007年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」
2008年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」2009年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」
2010年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」2011年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」
2012年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」2013年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」
2014年版「日本の世相と中国関係」「技術教育」2015年版「日本の世相と中国関係および教育」

2016年版「日本の世相と中国関係および教育」2017年版「日本の世相と中国関係および教育」

2018年2月4日 福澤予言
2018年2月25日 丁稚奉公
2018年3月19日 忖度と讖緯説
2018年6月15日 国の劣化
2018年9月26日 ググポンと巨嬰症
2018年11月24日 走一歩算一歩


2018年2月4日 福澤予言

 来る2月9日から韓国の平昌で冬期Olympicが開催される。 隠れ朝鮮労働党員としか思えない韓国の文大統領は,北朝鮮の宣伝工作に乗せられて浮かれ切っている。
 当初,開会式には行かないという雰囲気だったアホ安倍総理は,韓国lobbyの政治家二階幹事長に急かされ,副大統領が参加する米国の意向を汲むという形で韓国政府の招待を受け入れ,9日に文大統領との首脳会談をするという条件で訪韓することになったようである。 国中に慰安婦という売春婦の像を建てまくり,さらにバスに乗せて日本人観光客に嫌がらせをしている韓国は,徴用工の像も建てて安倍を歓迎する予定である。
 前回の2015年11月2日の訪韓時には,安倍は当時の朴大統領との首脳会談が真昼の12時寸前に終了したにもかかわらず,昼食を提供されることもなく会見場を追い出されて,街中で随員らと焼肉を食べて帰国した,という屈辱を受けたにも拘らず,またもやのこのこと馬鹿にされに行くことになる可能性がある。

 有名な話であるが,慶應義塾大学の創設者福澤諭吉は,今から130年ほど前の1885(明治18)年3月16日付けの新聞『時事新報』に『脱亜論』を寄せ,
 『脱亜論』から一部を抜粋(現代語への意訳は養豚家による) 
    (略)
 日・支・韓の三国を並べると,支那・韓国はよく似ている。 この両国の者たちは,自分の身の上や自分の国に関しても,改革や進歩の道を知らない。交通便利な世の中だから,文明の進んだのを見聞きしないわけではないのに,見聞しても古くさい慣習にしがみつくありさまは,百千年の昔と同じだ。 日に日に新たなことが繰り広げられる世なのに,教育を論じれば儒教主義で,学校で教えるべきは仁義礼智で,一から十まで外見の虚飾ばかりにこだわり,実際においては真理や原則をわきまえることがない。 そればかりか,道徳さえも無視して残酷破廉恥を極めているくせに,ふんぞり返って反省の念など持たない者のようだ。
    (中略)
 現在わが国は,隣国の開明を待って共に発展する時間的な余裕はない。 戦略としては,かれらの仲間から脱出し西洋の文明国と進退を共にすべきだ。 支那や朝鮮への接し方も,隣国だからと特別扱いする必要はなく,西洋人が接するようにすべきである。 悪友と親しく交わると,自分にも悪名をまねきかねない。
と,二つの隣国とは余計な関係を持たないよう主張している。

 実際に今回の慰安婦問題だけでなく,韓国はすべての事柄に関して,
  ・韓国は,1965(昭和40)年6月22日に日本国と大韓民国との間で結ばれた(通称)日韓基本条約で,韓国民への補償は韓国政府が行うので,補償金を一括払いするよう要求した。
・日本はこれに応じて,補償問題は韓国の国内問題であるとして,賠償金と民間経済援助で約8億$(註1)を支払ったが,実際には韓国民への補償(註2)はされなかった。
・そこで韓国は,日本が過去の日韓合併条約や慰安婦・強制徴用・徴兵の被害者に謝っていないと食い下がった。
・しかし,日本が内閣が変わるたびに謝罪しても,韓国は「謝罪の真正性がない」とまた食い下がった。
・またまた日本が謝罪すると、今度は「被害者の同意がなかった」と言ってまた食い下がる。
・日本が慰安婦に補償すれば,韓国は「日本政府のお金ではなかった」とまた食い下がる。
・現在は,日本が政府のお金で補償したら,今度は「お金で済ませようとしている」と日本を非難し,返金しようとしている。
 
という,韓国憲法をも否定する(国民)情緒(法)に支配された行動しかしていない。 すなわち,韓国に謝罪や補償をすることは何の意味もないことであり,時間の無駄,お金の無駄でしかない。

 二階のような韓国lobbyの政治家は,過去においては自民党の主流を占めていた。 なぜなら,在日が経営する遊戯店や水商売関係から,多額の政治献金が自民党の主要な政治家に贈られていたからである。
 今世紀に入り税収不足に悩む国税庁は,在日企業家の献金や脱税,北朝鮮への不正送金を自民党政治家の顔で見過ごして来たやり方を変えて,税を厳しく取り立てるようになった。 警察も,それまでの接待と利益誘導で繋がっていた在日関係者との腐れ縁を断ち切り(註3),遊技機の許可条件を厳しくし,自民党政治家への献金のpipeが細くなった。 金の切れ目が縁の切れ目で,自民党内からは二階幹事長のような人物がだんだんと減っていき,献金による資金力の衰えと共に影響力も低下して行った。

 ついに,それまでの左翼野党・共産党=親北朝鮮,自民党=親韓国という関係が崩れ,日本の左翼が親韓国になってしまったのが現状である。 その過程で,左翼の旗頭であった朝日新聞の「従軍慰安婦の大誤報」が,韓国人を妻に持つ朝日の記者によって捏造されたのであろう。

 このような韓国の継続的かつ増大する反日propagandaは,ついに日本国内に嫌韓の雰囲気を産み出した。 たとえば,公立校の約10%,私立校の約35%の高校生が行く海外修学旅行先は,公益財団法人全国修学旅行研究協会の統計によると次のように変化している。

行き先 2006年  2016年
台湾3,552人41,878人
米国-人36,661人
中国14,031人3,398人
韓国23,197人3,246人

 海外修学旅行は,かつては韓国や中国(含香港)が,英語習得が目的の米国(Hawaiiなど)とは異なり安価に行ける外国として,高校生の修学旅行先として人気があった
 しかし,いわゆる慰安婦や南京大虐殺の話を強制的に聞かせたり,謝罪の土下座をさせられたりすることが嫌われて,大幅にその地歩を失い,替わりに日本人に友好的な台湾が人気のtopに躍り出たのであろう。
 ともあれ,まだまだ政治家やマスゴミには親韓国・中国派が根を張っている中で,実質的に福澤翁の主張の路線を歩みはじめている高校生が増えたことは,固定的な左翼価値観に囚われないという意味でもよいことである。
 中国旅行も,駅などに置いてある海外旅行のpamphletの種類を見ると解るが,中国旅行はAsia旅行のpamphletの一部にしか載っていない。 韓国旅行は在日の帰国観光者がいるので,一定数の需要はあるようで,1,2部は独立したpamphletが置いてある。 大人が行かないのであるから,高校生が行かなくなるのは当然の結果であろう。

 養豚家?古い中国文化は好きで旅行に行くけど,現在の中国共産党政権の対日政策は好きではない。 さらに,古い朝鮮文化などは朝鮮戦争で半島には何も残っていないので,韓国旅行は仕事以外では行ったことはない
 事実,今年12月に韓国の国立中央博物館が高麗建国1,100年を記念して「大高麗展」を開こうと企画しているが,現存する高麗仏画約160点の内,韓国内には約20点しかなく,伝来した日本に約130点あるので,日本から借出さないと仏画の展示自体が成り立たない。 しかし,韓国人窃盗団が2012年に対馬の寺から盗んだ金銅観音菩薩座像を,2017年に韓国の裁判所が超法規的に返却拒否したために,仏画を所有している仏国および日本国内の各寺院や機関は,貸し出した仏画が接収されて返還されないのを恐れ,貸出しに応じようとしないのが,現状である。 天に唾する国家とは,『脱亜論』を待たなくても極力関係を断つのが,国民levelでは正しい。


註1
 8億$という額は,当時の1$=360円,大卒初任給約2万円から見ると,今の約3兆円に相当する。 韓国ではこの賠償額は現在の価値から見て取るに足らない額だとしているが,当時の韓国の国家予算の2.3倍に相当する。
 ちなみに日清戦争で日本が得た賠償金は銀で2億両(当時の3億6千万円)であり,現在の銀価格だと約4千億円にしかならないが,当時の日本の国家予算の約8千万円と比べれば膨大な額である。
 韓国はこの賠償金を被害者と称する国民に配分せずに,開発独裁として投資に回した。 実際には被害者はいなかったのであるから,当時の朴政権の判断は正しかったのであろう。 日本も,賠償金を金解禁や軍備の増強に使い,朝鮮半島の経営や日露戦争の戦費に向けた。

註2
 連合軍総司令部が査定した敗戦時に日本が朝鮮半島に残した国家および民間の資産は,当時の額で53億$となっていて,日本はこれを放棄している。 これらの資産の大部分が灰燼に帰したのは,日本の責任ではなく,北朝鮮の金王朝政権およびその後押しをした当時のソ連と中国共産党軍が南朝鮮を侵略したからである。
 韓国への賠償金は,日本の敗戦時まで戦場にならなかった朝鮮半島では,人的賠償しかありえなかった。 人的賠償に対しては,中国が主張する南京大虐殺と同じように,いたとしても韓国が10倍以上水増しした強制連行労働者70万人,従軍慰安婦20万人の合計90万人の賠償対象者数で割ると,現在価値で一人120万円となる。
 ちなみに,韓国がすぐに引き合いに出すDeucheの強制労働者への賠償額は,現在価値換算で一番高額のユダヤ人の奴隷労働者でも80万円でしかない。

註3
 養豚家が島型slotの遊技機の開発に携わっていた1970年代の終わりから80年代の初めのころ,このslotを売り出す業者に連れられて,警察庁の幹部との面会や警察署長classの接待に付合わされた。 前者は,機械の許認可権限を持つ警察庁の関係部署の本庁局長にまで挨拶に行き,後者は各遊戯店舗の設置許可を出す警察署の署長や副署長・課長である。
 すなわち,養豚家は上級職甲(現在の第Ⅰ種)国家公務員試験合格(いわゆるcarrier)組の通産省の元お役人だったから,業者からするとこんな人が開発に関っているのだから,わが社は怪しくないという証明に使われたのである。 事実,警察庁の局長との面会は,終始お役所の話に終わった。


2018年2月25日 丁稚奉公

 養豚家は時代物の小説が大好きである。 しかし大正や昭和期前半の作家の作品には,時代考証についてはあまり詮索しないで,当時の俗説をそのまま取り入れて書いているものが数多く見受けられる。 それは,江戸時代の街の様子を記憶にとどめていた老人達がまだ多かったため,多少の間違いは気にせずに脳内変換して読んでいたからだったのかもしれないし,その現実にはありえない荒唐無稽さを読者も楽しんだのだと思われる。(註1)
 時代物によく登場する徳川吉宗と大岡忠相,時代が下がって田沼意次や徳川家斉,松平定信,さらに下がって水野忠邦や遠山金四郎などの人物評価,さらには北辰一刀流の千葉周作,近藤勇など実在の剣客や(机龍之介,眠狂四郎,秋山小兵衛など)架空の剣客の剣技に対する評価は,当然ながら各作家の自由に任されているので,肯定的あるいは否定的でも一向に構わないと思う。

 時が過ぎるのは速いもので,養豚家の父親は(約1ヶ月前に勃発した)日露戦争の戦勝祈願のための提灯行列の最中に産まれたが,その明治はもはや遠景になり,その後の大正は霞の向こう側にあり,昭和も今の皇太子が2019年5月に即位した後は,平成という硝子glass窓を隔てて眺めるようになるであろう。 すると,小説中に書かれた時代背景や世情などが,韓国の宮廷dramaのように実際の状況と大きく異なっていると,荒唐無稽な設定で楽しんで読んでいる時代物がだんだんと詰まらなくなるのは必定である。
 韓国人や韓国dramaに乗せられた日本女性たちのように,水滸伝や西遊記の世界のようなまったく架空の設定を本当だと思い込み,韓国アゲ日本サゲに走り出す輩もたくさん出てくる,という弊害も生じる。 最近の中国の抗日dramaでは,一人の解放軍の兵士が空を飛んで数百人の日本兵を素手で引きちぎる場面もある。 あまりの荒唐無稽さにさすがの反日中国人も馬鹿馬鹿しくなったらしく,視聴率が下がっているそうである。

 たとえば,江戸時代に関する通説として人口に膾炙されているものに“三下みくだり半”がある。 これは“去状(離縁状)”とも言い,庶民の離婚に際し夫が妻に“この女とはもう離婚したから,今後誰と結婚しても自分は異存はない”という意味の文言を3行半に書いたものだそうである。
 実際には“三下り半”一枚でいつでも妻を追い出せた,というのは間違いで,この書類が行き来するには武家の離婚と同じでように,両家や周りの人々が関与した。 夫が不甲斐ないと,周りから離縁状を書くことを強制されることもあった。 資産があれば持参金などは耳を揃えて返済する必要もあった。
 一方,通説と実際がだいたい一致している例もある。 数えで10歳を過ぎた辺りで商家に働きに出ることを大坂(“阪”の字は明治になってから)では“丁稚でっち奉公”と言った。 粗末な衣食のみ保証されてはいるが,無給の下働きである。 なお,江戸では“小僧奉公”と言う。 この奉公の間に,基本的な読み書き算盤を教えられ,見込みがあると10年ほど働いたら有給の手代となるが,実質は丁稚の先輩でしかない商家が多かった。
 丁稚/小僧は,旧暦1月16日と7月16日の年2回の藪入りに1日,2日実家に帰ることが出来ただけで,寝る時間以外は基本的にあるじや番頭など上の者に追い回されていた。

 ところで,今black企業と言われている会社が多々ある。 月200時間という途方もない残業をさせられて,過労死したり鬱になって自殺する若者や中高年が後を絶たない。 基本給は形だけ貰えるが,残業代は値切られるのが普通である。 現代の丁稚奉公である。
 電通などの有名企業でも残業手当が請求できない時間外労働が常態化し,2015年12月に母子家庭で東大を出て電通に勤めていた高橋まつりさんが過労死自殺をしたのは有名である。
 野村不動産では現行の法律では本来適用できない中高年の男性に労働裁量性を適用し,給料を抑えた状態で成果だけを求めたため,2016年9月に長時間労働が原因で過労死自殺をした。 この件は昨年12月に東京労働局から過労死として労災認定され,同社は東京労働局から異例を特別指導を受けていたが,安倍総理はこの件を労働裁量性の違法適用を取り締まった良い例として国会答弁に使った。
 すなわち,現行でも労働裁量制の違法適用があることを意気揚々と自慢したのである。

 産業界の要望に応えた安倍が考え出した“働き方改革”の法律も,月100時間の残業を認めようとしている。 この時間数は,毎日5時間の残業か毎日2時間程度の残業と土曜休日も連続出勤しないとこなせない。 正規の法定労働時間の週40時間は,祝日や新年・お盆や5月の連休を考えると月160時間程度であるから,合計260時間も働くことになる。 月30日で計算すると,全720時間から睡眠時間240時間を引くと,通勤時間や買物・食事時間などにはたった220時間(1日7時間強)しか残らない
 実際には,過去の多くの例が示すように一旦退勤処理をした後の無給のサビ(service)残(業)が行われ,上述のまつりさんのような例では公式に判明している月105時間の超過勤務以上の仕事をしていたから鬱になったのだろう,と推定される。 これでは江戸時代の小僧や手代と同じである。 しかし彼らは住み込みであるので通勤時間はないし,読み書き算盤を学ぶゆとりすらあったのである。
 江戸時代は灯火が貴重であったのと火事が怖かったので,彼らは昼間の12時間しか働けなかった。 すなわち夏冬ならして月360時間であるが,その中に食事時間も含まれていたのである。
 当時はもっとのんびりと働いていたし,気に食わなければさっさと職場を変えていたので,仕事のやりすぎや苛めで自殺する人も多くはなかったと思われる。 もちろん江戸時代にも自殺はあったが,“お金・恋・病気やケガ”の三大原因が主であったと思われる。

 安倍の言う働き方改革は,今まで曲がりなりにも守られてきた労働時間の制限と時間外手当を取り払って,これだけの金でこの仕事を何時何時までに仕上げろということである。
 それらは,いままでも“裁量労働制”ということで,企業や団体における研究開発(IT関係はなぜか研究開発とされている)や大学等の高等教育機関,営業・企画,弁護士などの士業等19種に分けた業務で実施されてきた(註2)。 すなわち“働き方改革”はこの裁量労働制をほとんどすべての業務に押し広げようというのである。

 ところで現在,裁量労働制の指定業務ではないにも拘らず,“働き方改革”の上を行く雇用形態が堂々とまかり通っている。 それは塾などの講師業である。 2018年2月21日神奈川労働局は,“時給”ではなく授業一コマ単位(通常45~50分)の“コマ給”で賃金を払っている学習塾では、授業以外の業務の賃金が不払いになるおそれがあるとして,神奈川県内で塾を経営するおよそ100事業者に対し改善を求める要請を行った。
 教師は,教科内容の調査および教材や試験問題の作成,採点,成績の評価などの仕事が授業時間以外に必要であるのにも拘らず,大学や小中高の非常勤講師もコマ給以上は支払われていない。
 養豚家の経験からすると,真面目にやればやるほど授業時間以外の時間は授業時間よりも多くかかるのが普通である。

 このコマ給は,以前はまだましであった。 1970年ころに養豚家がコンピュータ学校で教えていたときは,一コマ1,000円(50分)であった。 当時国立大学の助手をしていたが,許可を得て夜間(週2回18時~21時)に最多で月24コマほど非常勤で教えていた。 大学の給料は約5万円程であったから助手の給料の半分位にはなって,意外と割がよかったという記憶がある。
 ところが,2000年頃になると特別に待遇が良い私大で一コマ(45分)約6,000円,国公立大・高専や職業訓練校,安い私大や各種学校はその80%から2/3程度になってしまった。 その間,物価の上昇に連れて正規教員の給料は上がったが,非常勤講師は授業前後にゆとりを持った月48コマ程度(90分授業を週に6回で,常勤の大学の先生とほぼ同じ程度)の出講ではとても生活できなくなってしまったのである。

 じつは,もっと恐ろしい事態になっている各種学校もある。 試験で資格を取るか420時間の講習を受けるかしないとなれない日本語教師は学習塾よりもっと酷く,現状では一コマ1,700円位である。 半日で4コマ教えると,準備と後処理に残りの半日を費やさなくてはならないので,無理をして週5日(20コマ)働いても月に額面で14万円弱にしかならない。
 以前にも書いたが,これは中国の大学で日本語教師として週8コマ(一コマ45分)程度の授業数をこなした際の額面約14万円と比べると,その待遇の悪さは丁稚奉公や内職並みと言える。 これでは,コンビニでアルバイトをした方がましである。
 さらに中国では,給料以外にある程度の広さの宿舎が無償提供され,年1,2回分の帰国旅費が支給される。 経済の原則からいえば,このような格差があれば,非常に多くの日本語教師の有資格者が中国など国外を目指すであろうが,そうはならない。 優秀かつやる気がある人材でもなかなか国外流出しないから,この劣悪な待遇を保っていられるのであろう。(註3) 原因は,言語・政治体制・社会習慣・衛生・食習慣・家族など経済以外の障壁が大きいからである。

 しかし,非経済障壁に囲まれた中で,このような人を使い潰す丁稚奉公政策を続けていると,日本という国は遅から早かれ自滅するであろう。養豚家?若ければ国外に逃げたいのが,本音である。


註1
 江戸学の祖として有名な三田村鳶魚えんぎょは,明治の初めに産れ戦後まで生きた人である。 彼は,まだ生を得ていた江戸末期の武家や町人などから江戸時代の真の姿を聴き求めて,大量の著作を残している。 今日,江戸学が成り立つのは,偏に彼のお蔭といってもよいであろう。
 聴き書きに基づくそれらは,『三田村鳶魚全集』全28巻が中央公論社から出版されていて,多くの図書館に収録されているだけではなく,時代物作家必携の参考図書となっている。
 さらに,江戸時代に街の風説を書いて情報屋として商売をした藤岡屋由蔵の『藤岡屋日記』全15巻(焼失した原本は152巻150冊)が三一書房から出版されていて,江戸末期の街の様子を知ることができる。

註2
 労働基準法施行規則第24条の2の2第2項記載の業務およびこの第2項により厚生労働大臣が指定する業務がこの19業務である。
すなわち,今のままでも労働基準法第38条の3及び第38条の4の要件を満たしているとの理屈さえ付けられれば,どんな業務でも裁量労働制に指定できるのである。

註3
 国内随一との評価が高い日本語教師養成courseを2017年9月に終了したMARCH級の文系院卒の某君は,まだ30代になる前であるが,終了後同courseを持つ本体の日本語学校で週3回教えていたが,生活できないとの理由で半年で国外に逃げ出してしまった。


2018年3月1日
 労働裁量制を広く適用するために調査した基礎となる生dataそのものとその解釈について,厚生労働省のあまりのいい加減さがバレて,国会で紛糾したのを受け,安倍は2月28日夜,取り敢えず適用範囲の一部を隠したまま先行で法律を成立させ,後で規則とか省令で実現させようというようという姑息な手段に出た。
 日本の為政者や経営者はつねに,この手の後出しで物事の本質さえも変えてしまうのが得意というか,常套手段としている。 たとえば,旧(大日本帝国)憲法第11条の“天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス”という条文からどんどんと拡大解釈し,陸軍大臣や海軍大臣を出さないという形で,政党政治が出来ないようにし,満州だけでは飽き足らず中国北部へと侵略の手を伸ばし,終には太平洋戦争にまで至った。


2018年3月19日 忖度と讖緯説

述 志 令 (曹操)
  今孤言此,若為自大,欲人言盡,故無諱耳。設使國家無有孤,不知當幾人稱帝,幾人稱王。或者人見孤彊盛,又性不信天命之事,恐私心相評,言有不遜之志,妄相忖度,每用耿耿。
 去年から安倍総理の周りで明らかになった,安倍総理のお友達がたくさん利益を得るようにした役人の過去の行動に関して“忖度そんたく[cǔnduó]”という言葉が流行っている。 この言葉は中国の古典の言葉で,“人の考えを推し量り,自分が不利益を被らないようにする保身的行為”といった意味である。
 たとえば,『孟子梁惠王上』に「詩云:他人有心,予忖度之。夫子之謂也。」とある。 さらに,三国志の魏の実質的な創始者曹操が書いた『述志令』という自分の考え方や経歴などの自伝的な内容の文章にも載っている。

 加計学園だけでなく森友学園に対しても,安倍総理とその夫人の暗黙の意向に対して忖度した結果,野党の追求に対する国会答弁に矛盾が出たので,払い下げや許認可の決定済書類を中央からの指示で書き換えたのではないか,という疑惑がこの3月に発覚し,実際に書き換えを行ったかもしれない財務省の中堅官僚が自殺するにまでに至った。 もちろん安倍総理と昭恵夫人自身は,この件に関しては何処吹く風の態度である。

 このような忖度がまかり通るようになったのは,官僚が自民党政治家が言い出す無理や無茶を聞かずに,公の論理で対抗するのはけしからん,という屁理屈で,それまで各省庁と人事院が実質的に持っていた官僚の任免権を2008年に内閣の人事局に移し,2014年から完全実施したからである。 こうすると,官僚の任命が時の政権の意向で大きく変化して,行政の一貫性が失われるというのは,現在の米国のTrump大統領が前Obama大統領が導入した医療保険などの民主的な政策をひっくり返そうとしているのと同じで,国民はいつ制度や税金が変わるか解らないので,安心して生産や生活に打込めなくなる
 官僚側も突然の左遷や首に脅えるので,必然的に時の政権有力者に胡麻を擂ることになる。 すなわち,有力政治家(与党の政権幹部)に擦り寄るために,かれらの言外の意向を察知して国有地の売却価格を9割引きしたり,要りもしない大学学部の新設を認めたりする。 露骨な忖度が横行し,かつて省庁の中でも特別にprideが高いと言われた大蔵省の流れを汲む財務省ですら,地に堕ちたのである。

 中国の最古の歴史書『書経』(儒教の聖典であるいわゆる四書五経の一つで『尚書』とも呼ばれる)の「牧誓」に「(牝雞無晨,)牝雞之晨,惟家之索」(雌鶏は朝を告げないが,もし雌鶏が朝を告げるようだと,家が滅びる)ということが書かれている。 今流に言えば,夫・愛人や父親・男兄弟が政治や企業・学問・宗教などの世界でtopや指導的立場にある時,親密な関係にある女性が,本来無資格であるにもかかわらず密室内あるいは対外的に影響力を発揮して,国家や企業・団体を混乱に落し込むことである。
 今回は安倍総理の昭恵夫人が正にその悪例をなぞらえていると見てよいであろう。 昭恵夫人は,さすがに中国三大悪女の呂雉(西漢劉邦の皇后),武則天(唐の高宗李治の皇后)や西大后(清咸豊帝の妃)ほどの経国の器量はないが,時の総理大臣の雌鶏が森友学園の籠池のような極右の皮を被った半ヤクザの金儲けと関わっていれば,日本の方向を危うくするのは間違いない。

 ところで中国では,西漢(日本では前漢と呼んでいる)の終わりに王もうが漢から帝位を簒奪し,西暦8年に新という国を建てた。 かれは,西漢の元帝(BC49-BC33年)の皇后・王政君(孝元皇后)の甥であったが不遇で,努力と皇后の力で終には軍事の最高権力者である大司馬に就いた。
 かれの野心の成就を忖度して,「金匱圖」とか「金策書」という偽書を作る者が出てきて,それらの文書では王莽が帝位に就くことを予言している(讖緯しんい)とされた。 このような忖度を積み重ねて,王莽は漢の皇帝に対し強引に禅譲させた。 かれは日本で書かれた『平家物語』にも,「遠く異朝をとぶらへば,秦の趙高,漢の王莽……」と載っているので,有名である。
 この件以来,中国では「天書」とか「瑞祥ずいしょう」とかいうものが出現したとされると,王朝の転覆を企てたとして,厳しく処罰されるようになった。 しかし,三大悪女の時も多くの瑞祥が報告され,役人たちはさかんに忖度したようである。
 時代は飛んで,1949年に共産党独裁政権が生まれると,すぐに毛澤東の下で多くの忖度が行なわれた。 まず大躍進政策で国土が荒廃し,終には1966年に始まった国を挙げての文化大革命によって民衆は疲弊の極に達した。 養豚家の手元にも当時発行された忖度の集大成である赤い表紙の『毛主席語録』がまだある。 文革の混乱を教訓として,鄧小平後は憲法で国家主席の任期を2期10年と制限し,忖度の多発を防いでいた。
 しかし,中国は2017年9月の共産党大会と今年3月の全国人民代表大会で,この制限を取り払ってしまった。 またまた忖度が働いたのである。 これに対しての外からの評価では“中国がどんどんと北朝鮮に似て来て大朝鮮になりつつある”とさえ言われ始めている。
 さらに2018年3月に上映開始された中国の自画自賛映画『厲害了,我的国(すごいぞ,わがくに)』は,新しい“讖緯説”であり,絶対君主制への忖度の現れかもしれない。 娘に雌鶏の役をさせている米国のTrump大統領や,噂されている不正選挙の圧倒的得票で再選されたばかりの露国のПутин大統領にとっても,今の中国の方向は自分が願っているのと同じであろう。 なお,この映画は今,全中国共産党員が鑑賞し学習すべきとされているそうだ。

 実際に,中国は以前からZimbabweなどAfricaに多い独裁国家との関係がよい。 文革中も社会主義路線を歩むTanzaniaとは密な関係を維持していた。
 もともと中国人は長い間絶対君主制を採用していた故に,民主化は土台無理な相談なのである。 台湾が民主化できたのも,元々日本が統治した下地の上に,日本留学経験がある李登輝総統がそれまでの大陸由来の絶対君主体制を大幅に変更することに成功したからであり,これとても,いつ何時大陸からの歴史逆行干渉によって覆るか予断を許さない。 もう一つの華人国家であるSingaporeは,経済こそ発展しているが,政治的には完全な一党独裁国家であり,あらゆる政治的な活動が制限されている。
 独裁化の傾向は米露だけでなく世界中の国に飛び火して,よく“小中国”と揶揄やゆされている韓国でも,大統領の任期を1期5年から2期8年に伸ばそうという忖度が現在声高に語られている。 もちろん議院内閣制を採る日本でも,2003年に2期6年と2期4年からの延長を決めた自民党総裁の任期を,昨年3月にさらに3期9年まで伸ばす忖度が行われ,安倍永久政権の実現が図られている。

 安倍総理への忖度と永久政権化などは,最近とくに世界中に広まっているこれらの長期独裁政権化への動きに比べれば,幼稚園児並の可愛い水準かもしれない。 しかし養豚家は,この“言いたい放題”ですら発表できなくなるような,戦前の日本のような唇が寒くなる環境では,どんなに豊かでも暮したくはない,というのが本音である。


2018年4月13日
 森友学園以外に加計学園の件でも,2015年4月2日に当時の柳瀬唯夫首相秘書官が首相官邸で愛媛県および今治市と加計学園の職員などと面談した際に,“本件は首相案件”と発言した,との内容が県職員によって書かかれた文書の存在が隠されていたことが9日に判明した。 愛媛県の中村知事は,この文書を単なる職員の備忘録だとし,県の公文書ではないということで幕引きを謀ろうとしていたが,結局,この文書は首相補佐官との面談結果の報告のために書かれた公文書であることを認めた。
 この文書に“首相案件”と詳しく書いた職員側の本音は,森友学園の件で財務省の職員が書いた公文書と同じく,後で問題が明るみに出たときに自分に責任が回ってくることを回避するために記録したと見てよいであろう。

 なお,柳瀬元秘書官は去年の国会答弁で,愛知県の職員などとは接触したことはないと,公式に忖度したことを否定している。 さらに,11日の時点でも柳瀬元秘書官は,“記憶の限りでは,会った覚えはない”と姑息に逃回っている。 しかし,同じく柳瀬元秘書官と面談したという文書が農林水産省からも見つかった,と12日に発表され,柳瀬元秘書官が首相案件という忖度を強調したことは間違いないと思われる。
 安倍総理は去年の3月13日に国会で“私は影響のしようがない,私が働きかけて決めているのであれば責任を取る”と答弁している。 推察するに総理の指示がなくても柳瀬元秘書官が安倍総理の考えを忖度して外部や文部科学省や農林水産省に伝えたのではなかろうか。 こちらは雌鳥ではなく本物の雄鳥が偽の時を告げ,結果的に農獣医学部を開校できたのであるから,潰れてしまった森友学園よりも直接的であり,問題の根が深いと言わざるを得ない。


2018年6月15日 国の劣化

2017年秋,上海南京路2018年春,客都彙(商場)
 先月,visaなし渡航(註1)の限界(15日間)にほぼ近い13日間の中国旅行に行って来た。 日程は,帰国便が飛ばなかった時の予備1日とさらにもう1日の余裕を考慮に入れた。 1日多いのは,訪問先が日本からの直行便がない所なので,国内便も飛ばなかった際の対処も考えてである。 今回は,昨2017年10月末から11月頭にかけて行って以来,半年ぶりの訪中である。 昨年のときも,上海の南京路での簡単な昼食に二人で89元(1,513円,当時17円/元)払ったが,今年は地方都市で115元も払ったので物価の急上昇を実感した。

 ご存じかもしれないが,中国では梱包されて値段が付いている物でない,野菜や果物,肉,卵および米や麺などの主食も基本的に1斤(=500g,台湾では600g)幾らという重さで販売している。 そのため目の前で量ってすぐに代金を払う小さな小売り店以外のスーパーなどでは,会計は少々面倒である。 先に買いたいものの重さを量ってもらい,値段が付いたbar codeを貼ってもらってからレジに並ばないといけない。 このような販売方法だと,物価の上昇は肌で感じることができる。
 今回も手ごろな大きさ(ほぼ1斤)の「火龍果(Dragon fruit)」を買ったが,昨年の5月に買ったときは6元/斤だったのが,8元/斤になっていた。 もちろん品質が違うとか,年によって収穫量が異なるという事情はあるかもしれないが,「芒果(Mango)」も単価が上がっていたので,やはり全体的な物価上昇だと思われる。
 今回訪れた地方では,農家の庭先や大学の植栽にこれらの果樹が植わっていて,現実に結実しているので,売られているのは輸入品ではないと思われる。 したがって人民元の対外価値の下落の影響とは考えられないし,むしろ人民元は日本円に対しては上昇しているくらいである。

 翻って日本では,トマト一つ98円など,ほとんどの商品が一つ幾らという値付けがされている。 もちろん肉などはpackする際に重さを量って,100g単価を元に円の単位まで値段が書かれたbar codeが予め貼ってある。 Bar codeで管理していない小さな商店でも一つ幾らという売り方が主である。
 こうすると,消費者は物価上昇を肌で感じ取ることに対して鈍くなる。 かつて消費税を5%に上げたときに,小売業者に法令で強制的に内税表示を義務付けたことがあった。 内税表示は消費税を肌で感じないようにという悪意から,政治家と役人が画策したものである。
 しかし今は,消費税を10%に上げるまでは,暫定的に外税表示可となっているが,なんら不自由を感じない。 これは,レジの機械が進歩して,1円単位のお釣りや入金も人手に依らずに容易に処理できるようになったからであり,さらにSuicaなどの電子moneyがジワリと拡がって来ていて,小銭の取り扱いすら不要になりつつあることも重要である。

 では,日本でも物価上昇は目に見える形で拡がっているのが実感できるかというと,内税表示を強制した政治家や役人の手口をsupplierや販売業者が真似て,一つ当りの価格は据え置いて,内容量を削減するという姑息極まる手段で,軽く10%を越える価格上昇を消費者に気が付きにくいように実行に移している。
 食品に片寄るが幾つかの例を挙げると,たとえば:

と,枚挙に暇がない。
 その他,缶詰やいろいろな物でここ数年,内容量減と実売価格据え置きによる大幅値上げが続いている。 この状況での消費税の2% upなどは議論にならない水準になってしまった。

 では,実売価格据え置きの内容量減は,単にスーパーの店頭だけでの現象であろうか。 実際には,日本という国全体が価格を据え置いたまま実質がない国になりつつある実態が,スーパーの商品の上に顕になったのだと思う。 じつはこのような内容量減は,家庭用の食品や消耗品だけではなく,役人や政治家は言うに及ばず,企業,教育機関などいたるところで起こっている。
 深刻なのは,このような内容量減が単なる量的な変化に留まらず,質的な内容減にまで及んできていることである。 日本の内実が薄くなって来ているのである。 量的な変化だけなら,中国のように重量単価に注目すれば体感できる。 しかし,質的“劣化”は各個人の能力に頼っていたのでは,実態を知ることはおろか体感することすら難しい。

 たとえば,現在Asiaの国々の中では,日本が自然科学系のNobel賞を図抜けてたくさん受賞している。 これは決して日本人の頭脳が優れていることの証明ではなく,それまでの日本のsystemがこのような研究をする人物を育て上げるのに適していただけである。 これは漫画やアニメの世界での日本文化の力を見ても同じことである。
 しかし,この日本の構造が1980年代から空洞化し始めた。 空洞化は蓮根のlevelでは留まらず,現在では焼き麩並にスカスカで脆くなってしまっている。 蓮根はまだ外側がしっかりしていて煮ても形は崩れないが,焼き麩は乾燥している状態でやっと形を保っているだけである。 皮肉を言えば,焼き麩は味がよく沁みるので,人の物まねをする企業には焼き麩状態は向いているのかもしれない。

 去年の春にも書いたが,日本の科学技術の基盤となるsystemでは,すでに量的な崩壊が始まってしまっていて,当然ながらこれは質的な劣化をもたらしている。 日本の科学技術の担い手の最先端となるtop人材の雛鳥である新規の理学・工学博士の供給状況を考察してみる。 Nobel賞級の学者および新時代を劃す発明や製品の開発者は,基本,この層から産み出されると見てよい。
年  度 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017
入学者数 18,232 17,944 17,553 17,131 16,926 16,271 15,901 16,471 15,685 15,557 15,491 15,418 15,283 14,972 14,766
社会人数 3,925 4,392 4,709 5,257 5,417 5,552 5,3154 5,384 5,462 5,790 5,646 5,810 5,872 6,203 6,111
文部科学省の学校基本統計(2017年)による博士後期課程(医学博士課程を含む)の入学者数
   
 2017年に文部科学省が発表した右表に示すdataによると,欧米では研究開発分野の中核人材とされている大学院博士後期課程(前後期一貫も含む)の入学者数は,前期課程からの進学者(前後期一貫も含む)が8,500人強,社会人が6,000人強となっている。
 入学者数は2003年の18,000人強をpeakに毎年減少し,2016年には終に15,000人を割ってしまった。 24歳の同年代人口のわずか0.7%に過ぎない。
 博士後期課程進学者の割合が一番多い医学部(註2)は,前世紀末に医師過剰を憂慮して一時7,600人程度に学部入学者を制限していたが,東北地方などの深刻な医師不足を考慮して,現在の学部定員は9,400人程度となっている。 医学博士課程は2009年で4.930人の入学定員があるので,概ね50%の医師が博士号取得を目指せる。 歯学・薬学・看護学の博士後期課程の合計定員約700人を医学に加えて上記の15,000人から引き去ると,9,000人強が非保健系の博士後期課程に進学していることがわかる。
 この9,000人強という数字には,非理工系である文学や教育,法律,経済・経営などの博士後期課程の定員も含むから,それらを除外し,さらに定員充足率(理学・工学は60%程度)や課程修了者の学位取得率を勘案すると,科学技術方面の理学・工学博士取得者の数はさらに下がり,2008年の実数ですでに5,200人しかいない。 彼らは2003~2005年に博士後期課程に入学した層であるので,この人数も表の入学者の減少に伴って年々減少を続けているのは間違い無い。

 入学者の減少は,修士取得者の博士後期課程への進学割合が年々下がり,ここ25年で理学では30%強から17%付近まで,工学では9%前後から5%強まで下がっていることからも了解される。 それでも博士取得者が極端に減らなかったのは,企業に在籍したまま月数回の登校で研究論文の指導を受け博士論文を提出するという社会人課程博士が,従来の論文博士の代替制度になったおかげで,過去20年ほどで10倍以上に膨らんだ社会人入学者の拡大(2017年には全入学者の40%強)によって補われたからである。 自慢ではあるが養豚家は,過去一度も大学院の門を叩かないまま,50歳代で博士号を取得した純粋な論文博士である。

 しかし養豚家も含めてであるが,理屈から言って日本の論文博士や社会人課程博士は新規に科学技術に従事する人材とはなり得ない。 単に名刺に“博士”と書けるだけの勲章でしかない。 したがってとても粗い計算ではあるが,社会人課程博士ではない残りの毎年3,000人余りの理学・工学の博士取得者が,欧米流で言う新規のtop人材ということになる。 しかもこれには,中華圏を中心とするAsiaからの留学生も含まれているので,実際に日本国内では毎年2,000人強の新規人材供給しかない。

 ところが,これにも拘らず博士取得者に対する就職市場は極めて狭い。 いわゆるアカポス(Academic Post:学術・研究関係の就職先)と言われる大学や独立行政法人の研究所は5年の有期雇用が常識であり,それさえも僅かしかない。 企業は,基本的に博士号取得者を,使い難いと言う理由で雇用しない。 通常,博士取得時の年齢は理論値の27歳はおろか30歳を超えているのが普通であるから,先輩後輩の序列が好きなスポコン主義の企業では使い難いとされている。
 欧米の企業と日本企業との大きな違いは,企業の経営陣に博士を評価する力がある人物がいない上,昔ながらの自社で学部卒(今では修士卒,以前なら工業高校や高専卒)を鍛え上げるという,懐古趣味に囚われた人物が研究開発のtopや管理層に居座って,老害をおこしていることにある。

 2017年の全学部の合計では,進学者を除く学部卒の81.9%,同じく修士修了の83.8%が正規雇用者であるのに対し,ポスドク(Post Doctor:博士修了者+満期退学者)は53.3%しか有期雇用も入れた正規雇用に就けていない。 その結果,20%ものポスドクがアルバイトさえ出来ていないという無職者になっている。
 約半数の正規雇用者は,教員が24.3%,保健医療従事者(医師・看護師)27.8%,研究者(独立行政法人および製造業の研究所・開発部門)が23.5%であり,残りは技術者,国外,自営などとなっている。 教員と保健医療従事者を除くと,ポスドクの僅か1/4(500人)程度しか,毎年科学技術分野の研究開発分野に新規供給されていないのである。 これから見ても,日本の科学技術の研究開発の空洞化は,量の問題での実感をはるかに越えるlevelまで進んでしまっていることが分かる。 人間は電子脳ではなく,生きものであることを思い起こして欲しい。 極端な数の減少は当然ながら質の劣化をもたらすことは,生物の盛衰の歴史から見ても顕かであろう。

 社会人課程博士と言う形で博士を量産しても,それは肩書きを持つ人間を増やしただけで,博士の質の劣化の方向は止めようがない。 多くのポスドクへのアンケート調査では,第一に希望することは,博士後期課程在学中の学資と生活費を現在のような高利の借金という形の貸与型奨学金に頼ることなく保障して欲しいそうである。 さらに,同じ程度に高い要望として,研究分野が変わっても構わないから定期雇用ではない正規雇用を増やして欲しい,ということである。
 これら二つの理由によって,優秀で可能性がある修士取得者が博士後期課程への進学に二の足を踏むのである。 この二の足は,二つの悪い結果を産む。

 世界の常識では,科学技術の発展を引っ張っているのは博士である。 名刺にPh. Dと書かれていないと,専門分野についての話し相手にもなってくれないのである。 日本のように修士で採用して社内で下請け仕事をやらせ,40代程度に歳を取ったら社会人課程で博士を取らせて,対外的な恰好を付けるという形では,たとえ話し相手になってもらえても,ドンドンと進む技術革新の速度に中高年のくたびれた頭で対応することになり,すぐに限界が来てしまう。
 Nobel賞になった研究は,皆,20代,30代の若い内に基礎となるideaを出している
 国の劣化はこのように科学技術の最先端から量的減少に伴って進んでいる。 再度言うと,組織の中で若い人材の頭を押えて老人の下請け仕事ばかりさせていると,どんな可能性がある人材でも最先端を引っ張る力を身につけることができない。 理工系に限らず,博士というのは現在属している組織の論理の外で,仕事をする方法論を身につけた人材である。
 このような悲惨な現状を見れば,やる気がある人材は組織の論理に押さえつけられるのを嫌がって国外に流出するか,最初から国外の大学院に逃げ出してしまう。 これが質的劣化の正体である。 当然ながらこれは,老人による慣例支配が続く財界や政界でも起こっている。

 表面的な現象については,これ以上論じても進展はないので,そうなった原因について少し触れてみよう。
 ずばり,日本社会が国民の高齢化と共に歳を取ってしまったのが原因である。 歳を取ったのを“老成”と言えば恰好はよいが,その実態は“老残”(註3)でしかない。 たとえば最近中国共産党政権が,自らの成果であると主張している“小康[xiǎokāng]”(註4)社会の実現というのは,言ってみれば消費社会が熟してしまった状態を認めたに過ぎない。 消費社会が熟してしまったということが“老残”となることの始まりである。

 “老残”状態では,何事も過去の栄光に縋り,現状維持を最大の使命として毎日を過すようになってしまう。 すなわち,改革や革命のような大きな変化は好まないで,後戻りしない程度のちょっとずつの変更を試みるようになる。 日本社会はすでに,中国語で言う“小康”状態になっているために,大きな変革をしない保守勢力が歓迎され,老人層と若者層の支持の下,安倍超右翼政権が持続している。
 この状態での変革といえば,企業ばかりが得をするような“働き方改革”が推奨されているが,一方家庭では,妻を家に閉じ込めて老人介護を押しつける構造を変えようとしない法令や政策が幅を効かしている。 全世界での常識である選択制夫婦別姓制度すら,導入を嫌がって,有能な女性が結婚を躊躇する傾向を助長している。 これでは,優秀な次世代の子供が多くなる可能性が下がり,結局は日本の劣化へとつながっていく。
 かつて盛んに話題に取り上げられた“英国病”はまさにこの状態である。 しかし日本には,栄光の大英帝国のような蓄積もないし,英語という財産もない。 さらにEUからの離脱という切り札も持っていない。 すなわち,日本は完全に手詰まり状態なのである。 これは1930年代後半の日本ととても良く似ていると言わざるを得ない。 再度同じ轍を踏むのは望まないのであるが,“老残”状態の国民の大勢はそちらに向かっているような気配である。

 養豚家は日本の現状については,何も具体的な提言はできない。 せいぜいのところ,有能な若い層には国外に逃げ出すことを勧め,活力がある老年者には頭がボケない内,さらに身体が言うことを聞く内に,韓国以外への海外旅行をお勧めする。 韓国へは,行っても現状からは何も得ることがないから,お勧めしない。 若い日本人女性にはrapeを仕掛け,年寄りからはボルことしか考えない韓国に行くくらいなら,国内の鄙びた所を訪れるほうが日本語が通じるだけでも何層倍も有益である。
 養豚家?毎年中国に貧乏旅行に出かけ,少ない年金を使い切って足も出てしまっている。


註1
 大陸中国がvisaナシ渡航を認めている国(除台湾,香港,澳門)は,日本以外は華人が政権を担っているSigaporeと華人が10%を占めるBruneiだけである。 両国とも人口的には大したことはないから,事実上日本にだけ認めた制度と言える。

註2
 医学分野は医学修士課程はなく医学博士課程のみであり,6年の医学部課程を卒業後入学し,4年間の在籍を要する。 なお,他の分野で修士課程を終了していても入学選考を受けることはできる。

註3
 “老残”とは,広辞苑によれば“老いぼれて(見難く)生き残ること”である。

註4
 日本語では“小康”状態は悪化している状況の中で,それ以上事態が悪化せずに現状維持しているというnuance(ニュアンス:仏語)が強いが,中国語ではずばり「家庭経済状況可以維持中等水平生活」ということで,個人的に小市民的生活が実現している,という意味である。


2018年9月26日 ググポンと巨嬰症

 現在韓国で皮肉の意味で使われている“ググポン(국뽕)”という言葉は,国(국가)+ヒロポン(히로뽕)(註1)の合成語で,愛国中毒で酔っ払っている無条件愛国主義者のことを指す。 「巨嬰症」については後に記す。

 ソウル市議会議員が「日本製品の使用は殉国烈士の前で恥ずかしいこと」として,ソウル市庁・区庁・公立学校など日本製品の使用状況について全数調査を要求したことから,騒動となっている。現場の公務員たちは「市議会議員の不合理な要求により,過度の行政力が無駄に使われた」と糾弾している。
 だが,この要求をした議員は「公共機関における日本製品の使用を禁止すべきだ」とまで主張している。(中略)

 ソウル市などが20日に明らかにしたところによると,ソウル市議会のホン・ソンリョン議員(53)-共に民主党-は先月9日、書面質疑でソウル市庁・区庁,公立学校などの日本製品使用状況を全数調査してほしいと各機関に要求した。
 ソウル市基本条例第51条によると,議員が質疑した要求は関係機関が10日以内に必ず回答しなければならないことになっている。 期限に合わせるのは難しい場合は,延長の承認を受けなければならない。
 ホン・ソンリョン議員はこの質疑で,「公共機関で日本製品を購入・使用するという状況は,独立運動のために命をささげた殉国烈士たちに対して恥ずかしいことだ。 真の光復(日本による植民地支配からの解放)を実現するため,公共機関が率先して行わなければならない」と述べた。 また,公共機関での日本製品使用を禁止する対策を整えるよう求めた。

 ソウル市などの各機関は,ホン・ソンリョン議員の要求に応じるために実態調査に着手した。 調査の過程で「市議会議員の荒唐無稽(むけい)で不合理なパワハラ」「行政力の無駄」といった批判があちこちから噴出した。
 日本製品に関する統計はこれまでなかったため,各部門・学校の担当職員が購入履歴から製品情報を一つひとつ確認した。 現場の公務員は「日本製品の使用有無と光復に何の関係があるのか」とあきれている様子だった。 市職員の内部ネットワークには「日本のブランドの製品であっても,韓国メーカーの部品が入っていることが多いのに,どのような基準で日本製だと判断しろと言うのか」,「個人的な反日感情から出発した不買運動に公務員を巻き込もうとしているのではないのか」という指摘も出た。
 市関係者は「一部の区では,物品調査のために二日間夜遅くまで残業したという事例もある。 8,9月は台風・豪雨・猛暑で公務員の業務負担が大きかったため,公務員の(本来の)業務に支障を来した」と語った。

 物品全数調査は,ホン・ソンリョン議員の要請から1カ月後の今月7日に終了した。 全数調査の結果,日本製品は各機関の全物品のうち1~2%に過ぎないことが分かった。
 ホン・ソンリョン議員は20日,本紙の電話取材に「調査がずさんなため,日本製品の割合が低く現れている。 秋夕(中秋節,今年は9月24日)以降,第2回調査を要請して,日本製品の使用状況を正確に把握する」と言った。 ホン・ソンリョン議員は再調査のため日本製品の判断基準も新た用意する考えだと明らかにした。
 日本以外の国のブランド製品であっても,製造国が日本になっていれば日本製品だと判断することにするなど,詳細な基準が盛り込まれる予定だという。 ホン・ソンリョン議員は「まだ真の光復は実現していない。 日本製品をソウル市庁をはじめとする公的機関で使わないようにすべきだ」とも言った。
 ホン・ソンリョン議員は,18年間以上独島(日本名:竹島)に本籍地を移す市民運動などを行っている。 独島・間島歴史研究所の所長を務めており,独島郷友会会長、独島非政府組織(NGO)フォーラム常任議長「鄭東泳(チョン・ドンヨン)と通じる人々」常任代表を歴任した。
全韓国国民ぐるみのググポン反日
 9月2日,曾という3人の中国人観光客がスウェーデンの首都,ストックホルムのホテルの従業員から暴言を受け,さらには警察によりホテルの外に追い出され,最後には墓場に連れて行かれ放置されたとネットで訴えた。
 このニュースを15日に伝えた人民日報系の環球時報は,「予定よりも早くホテルに到着し,昼まで部屋には入れないと言われ,父母は健康がすぐれないためロビーのソファーで休ませてほしいと頼んだが,ホテル側は拒否,暴力的に追い出された」「警察は意識がもうろうとする両親を殴打し,無理やり車に乗せ,ストックホルムから数十キロ離れた荒野の墓地に置き去りにした」などと報じた。

 曾一家はその日のうちにスウェーデンを離れ、同紙は「スウェーデン警察の老人に取った行動は,現代国家には想像できないものだ」と批判した。
 これを受けて在スウェーデン中国大使館は「人権を標榜するスウェーデンが人権を軽視した」などと厳重な抗議を行い、ネットでも怒りが巻き起こった。
 「ごろつき国家だ」「今度スウェーデン人を見たら殴ってやる」「スウェーデンは国が分裂し,民族が絶滅すればよい。ガス室に送ってやる」このようなひどいコメントがネットで登場した。

 右の囲み記事は,韓国で発行されている『朝鮮日報』という新聞に掲載されたもので,楽韓Webというsiteに翻訳・引用されていたものである。
 ここで気が狂った発言と行動をしている韓国の政権党である共に民主党のソウル市議会議員は,この党から除名されていないので,この発言は当然ながらこの党の主張や政策に沿っていると判断されるのが,世界の常識(韓国の常識は例外事項)である。 もちろん,政権党を支持するソウル市民は彼の主張や行動に同意してこの男に投票したのである,と判断される。
 あの共産党が支配する中国でさえなかなか実行に移せない水準の排日運動を,この男がやろうというのであるから,養豚家は脱帽して「五体投地」(註2)である。 この言動は,多分韓国の現在の政権党の本音であろう。

 さて,伝統的に朝鮮半島の諸国家の手本であり規範にもなっている中国は,昨年来共産党の主席の任期を,それまで2期10年だったのを無限に延ばせるようにした。 古代Romaにおける共和制を突き崩したGaius Iulius Caesarの“終身独裁官”就任に比肩すべき制度変更である。 もちろん共産党支配下の中国では,西欧的な意味での民主制や(国家名には入ってはいるが)共和制は敷かれたことはない。
 そこで日本でも,それに習って永久政権を望んだ安倍晋一が3選され,合計9年の長期政権を手に入れた。

 長期化しつつある安倍政権の過去6年間,日本でもソウル市議とよく似た水準の多くの議員を生み出した。 例えば,大阪の極右主義者橋下が始めた維新政治塾出身で,比例中国ブロックの選出の杉田水脈自民党衆議院議員は,女性蔑視発言をし続け,雑誌『新潮45』誌の本年8月号上でおおっぴらにLGBT蔑視の意見を公開した。 しかも同誌10月号では,杉田議員の発言を擁護する記事ばかりを並べた「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集まで出した。
 これは,韓国の雑誌や新聞・TVの反日発言とまったく同じ水準の日本版ググポン行動である。 杉田議員は安倍首相の肝いりで去年秋の総選挙で当選したのであるから,安倍首相さらにそれを再度党総裁に選んだ自民党が杉田議員と同意見と看做されるというのが,(日本の常識と異なるのかもしれないが)世界の常識である。 すなわち,日本も韓国並みの稚拙な国家でしかないことを,全世界に公言したものである。
 なお,新潮社の社長はこの特集について,「ある部分に関しては……,あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました」などと言う声明を出した。 すなわち日本のマスコミも韓国並みでしかないことを,自ら認めたわけである。 なお新潮社は,あまりの批難に耐えかねて,終に25日極右宣伝雑誌『新潮45』の休刊を発表した。

 一部の人間の声高な言動が,その人物が属する組織・団体や国家の主張であると看做されるのは,古来世界の常識であり,事実,古来その声高な言動通りにその属する組織・団体および国家が行動して来ている。 近代に入ってようやく少数派の意見も尊重されるべきであるという民主主義思想が西欧社会を中心に拡がってきた。 しかし,Isram国家群およびRussiaや中国などの共産主義的な国々だけではなく,多くの国や組織・団体で民主的な運営が行われることは稀である。
 日本もどんどんと1945年以前の状態に戻りつつある。 なぜなら,このようなググポン的な言動で組織・団体や国家を運営するのは,上に立つ人間にとっては楽だからである。 それ故,小は“俺様オヤジ”やワンマン社長から貴乃花親方をいびり出した相撲協会や小物の安倍どころか大物のTrump米大統領に至るまで,ググポンに支えられて,本人はご機嫌なのである。

 さて,声高な言動が政治を動かすとやっかいである。
 下に続く記事は,講談社の『現代ビジネス』に共同通信の古畑氏が寄稿した記事の抜粋である。 中国人の反応はまさに“ググポン”である。
 もちろん,中国共産党の政治広報HPである『環球時報』は,韓国のマスコミと大差ないググポンぶりを発揮して,国威発揚に一所懸命である。 しかし,世界的に見て中国程度の大国が駐Sweden大使館までも動員して,世界中からまともな民主国であるという評価が高い先方に狂犬のように噛みつくのは異常であり,まさに大朝鮮(韓国)と呼ばれても仕方がない国を挙げてのググポン状態である。
 1,2年前には日本でも,北海道で中国人観光客が同じように勝手に誤解して,中国大使館が一方的に日本を批難したことがある。 自国民が他国で行った常軌を逸した言動を,官製マスコミと外交rootを通じて正当化しようとする行為は,100%自国の品位を貶めることになることに気が付いていない。

 もちろんこの記事には続きがあり,『現代ビジネス』に記載されている全文を読むと解るが,「巨嬰症」(註3)の中国人旅行客が起した常識はずれな言動をググポン化した中国が,全世界に向けて恥を晒したことが公表されてしまった。
 すなわち,囲み記事の中の曾某の言い分は嘘八百で,公開された監視cameraの映像により,hotel側や警察には何等批難されるべき落ち度がないことが判明した。 さらにhotel側が退去を求めた理由には,曾某は父母と3名で宿泊予約したにも拘らず,hotelのlobby内での待機に外から曾某の妻とおぼしき人物もhotel内に引込むことを要求したこともある。 多分check inした後に密かに妻を部屋に引き入れ,一人分のhotel代を浮かせようという,金儲け主義の中国人ならあり得るcost削減策である。

 別に「巨嬰症」ではなくても,無意識に自国での態度を国外で傍若無人に横柄に出すと,国外からはそのような人間がいる国あるいは国民は悪い評価を受ける。 すなわち,国外では一人ひとりが国を背負った外交官になってしまうのである。
 もちろん上に挙げた杉田議員は,その言動は自民党を代表していると見られる。 組織・団体の構成員が構成員であることを表に出した時は,組織・団体の公式見解であると考えないと,個人的見解が構成員ごとに異なって別に存在するなどということは,原理的にあり得ないのである。 国外に出た場合,あるいは国内で外国から来た人々に接するには,つねに自分の言動が日本人を代表することがあるという覚悟が必要であろう。

 韓国人のググポンぶりは無視しても,人口が多い中国人の「巨嬰症」とそれに伴うググポン化には,時々辟易とすることがある。 多分,中国人はいつの時代にも上層部の「大人[dàrén]」といわれる層を除いては同じだったのかもしれない。 小中国と言われる韓国は,「大人」を除外した中国の縮小版であろう。
 では,養豚家はどうする? 「大人」が創り出した中国文化を愛する養豚家は,架空の夢の国に遊ぶしかないかもしれない。 どの道,後,数年しかない命であるから,夢の中で暮すのも一興である。


註1
 ヒロポンは,明治中期に日本人薬学者によって開発された覚醒剤(methamphetamine)の商品名である。 大正中期に結晶化に成功したが,当時は覚醒剤とは認識されていなかった。 戦争中に軍人を中心に眠気を押える薬として多用され,日本では戦後すぐにヒロポン中毒が社会問題となった。 構造が良く似ていて効果もほぼ等しいamphetamineと共に,世界中で密造され暴力団などの資金源となっている。
 日本では「シャブ,エス (S),スピード」などという隠語で呼ばれている。 日本近辺の密造場所としては,北朝鮮,中国広東省汕尾などが知られている。

註2
 「五体投地」は,たとえば西蔵仏教の僧や信者がかれらの信仰の中心である拉薩(ラサ)のポタラ宮へ向かって移動する際に行う前進方法である。 すなわち,全身を地面の上に投げ出し,その後最前部に立って再び全身を投げ出して,尺取虫のように進む前進方法である。 一般に相手がものすごくて全面降伏する姿勢を示している。

註3
 「巨嬰症」とは,大きな(巨)赤ん坊(嬰)みたいな行動をする症状,という意味である。 一人っ子政策で,夫婦が共に働く中国では,子供は祖父母が育てる状況が長く続いた。 要は国中に“三文安”なガキが大量に発生した訳である。 かれらガキは大きくなっても堪え性がなく,もともと激し易い中国人の生の気質を大人になっても丸出しにしている。
 『現代ビジネス』の記事によると,この状態を憂えた『巨嬰国』という本が書かれたが,戦前の日本のように,国を侮辱している,という理由で発禁となっていて,台湾でしか売っていないそうである。


2018年11月24日 走一歩算一歩

 今年8月“日本は神の国”発言の後,10%割れの7%(NHK放送文化研究所公表)という今世紀最低の内閣支持率で2001年4月に首相の座を降りた蜃気楼(=森喜朗:漢音で読むと同じ音になることに注目)が亡霊のように現れ,来る2020年の東京Olympicの暑さ対策のために4月から10月まで2時間の夏時間(summer time)を,と言い出した。
 夏時間発言が急に出てきた背景には,宴席かなにかで誰かが冗談で老害政治家の蜃気楼の耳に吹き込んだ事実があるのかも知れない。 しかし,蜃気楼が安倍に提案してから4ヶ月弱,今月21日に自民党の研究会が導入を断念する決定をした。 今回の導入しない決定の背景には,時刻を弄ることへの負担が大きい産業界特にIT業界からの猛反対があるが,さらには今年8月にEUで行われた調査で,84%もの人が夏時間を廃止することに賛成し,EUがその廃止に向けて動き出したこともある。

 1948年に導入された日本初の夏時間は1951年の占領終了後すぐに廃止された。 当時も教育界や産業界からの反対が多かった。 養豚家も小学校時代に,夕食後も20時すぎまで明るかったので,宿題はそっちのけで外に遊びに行った記憶がある。
 しかし日本の夏時間は,廃止後も1970年代からすでに再導入が議論され,93~99年,2005年,2011年と何回も省エネや欧米の例を根拠に議論が起きた。 後の二回では,一部の自治体や企業で勤務時間をずらすという方法で導入されたこともある。 しかしいずれの時も,大したmeritがない上,時計や規則の調整が面倒と解り,自然消滅した。

 日本からの独立後米国の影響下にあった韓国でも,日本と同じ1948年に導入され,その後もさらに日韓国交正常化前の6年間とOlympicのときの2年間に二回導入された。 蜃気楼の提案は,この韓国の例に悪乗りしたものであろう。
 さらに中国では,改革開放が進んでいた86年から92年まで天安門事件の前後7年間導入された。 そのころ養豚家は対中ODAに関連してしばしば訪中していたので,夏場は往復のたびに時計を調整する手間がなかったのが便利だと感じた。

 ところで,中国語に「走一歩算一歩」[zǒuyíbù suànyíbù]という言葉がある。 直訳すれば“一歩進んで,一歩分の計算をする”という意味である。 よく解釈すれば“走りながら考える”となるが,日本語としては“行き当たりばったり”とでも訳した方がピッタリであろうか。
 蜃気楼の「走一歩算一歩」は実害が出る前にお亡くなりになったが,この語は,朝令暮改が大好きな中国人の行動様式をよく表している。 高速鉄道やスマホ決済の急速な広まりも,良く言えば“まずやってみて,具合が悪ければ修正して進めば,人よりも先んじることができる”というspeed重視の生活態度の現れである。
 これに対し,日本のやり方はあまりにも慎重で“石橋を叩いて渡らない”としばしば揶揄される。 その保守的というか鈍い動きのあげく倒産の危機に瀕した日産自動車をCarlos Ghosn会長は即決即断で再建した。 しかし,彼の逮捕劇で明らかになった個人財産に対する異常なまでの執着は,「走一歩算一歩」の中国の政治家・役人や企業経営者ととても良く似ている,と養豚家は思う。 Ghosn会長も社員や取引先にはcost cutterとして大鉈を揮った一方,自分は世界各地に隠し資産ともいえる住宅を保有し,豪華な生活を享受していた。

Share自転車
自転車貸出し機
     2014年の杭州市内
 上:整理されている貸自転車
 下:市営の自転車貸出し機
放置自転車
  上海の地下鉄の入口近くの路上(2017年)
 「走一歩算一歩」があっけなく“走りながら考える”ではなくなった例としては,中国のshare自転車商売がある。
 もともと杭州市などでは,2014年に撮った右の写真のようなかなりよく考えられた市営のshare自転車が普及していた。 日本のSuicaのような非接触cardにお金をchargeしておいて,これを機械に触れて自転車の錠を開けて使う。 使用後の自転車は,市内のどこの機械に戻しても鍵をかけることで返却終了となる。 初めの1時間は無料で,以後1時間ごとに1元がcardのchargeから差し引かれる。
 日本では何等問題ない操作ではあるが,中国人にとってはこれが面倒であると同時に,利用代金がsystemと自転車の維持費に足りないために地方政府の補助を必要とし,IT企業が集まる杭州市以外にはあまり普及していなかった。
 このsystemに利用する非接触cardを入手するには,中国の国民背番号が必要であるので,乗り逃げやcharge不足による代金不払いに対して,市の政府から本人に強制的に徴収が行えるところがミソである。 国民背番号がなければ,航空機だけでなく番号の確認が必要な高速鉄道や長距離バスにも乗れないから,払わないときはcardを政府の手で無効にすればおしまいである。 強権国家の中国では,“移動の自由が奪われて人権侵害だ”などという声は無視されるし,敢えて声を上げれば公安が寄って来る可能性があるだろう。
 杭州市の貸自転車は,中国の国民背番号を持たない外国人旅行者にとってはたいへん不便であるが,それに対しては1時間10元も取る貸自転車業者が,西湖の周辺など自転車で走り周りたい場所にはたくさん店を出していた。

 そこへ北京大学の院生が,中古や学生仲間の自転車にQR codeを貼付けて,それを読み取って送ると番号錠を解錠する暗証番号がスマホに送られてくるという非常にsystem側のloadが低い方式を考え,2015年6月に北京大学内でshare自転車のbusinessを開始した。 これが成功したので,ofo(小黄車)と銘打って2016年11月から一般市内でも営業を開始した。
 一方,別の人がかなりハイテクな自転車管理を持ち込んだモバイク(摩拝単車)を2016年4月に上海で事業を開始し,この2社の競争にいろいろな後発企業が参入して,アッという間に今年5月には全国で3,000万台,登録者数は2億人という規模に膨らんだ。 急速に拡がった理由は,好きな場所に乗り捨てることができるということと,スマホで簡単に決済できるということである。 多分杭州市々営のshare自転車は,誰も利用しなくなったろうと思われる。
 ところが,一般的にsystemの利点は構築時に十分検討しておかないと,すぐに欠点に変わってしまう。 乗り捨て自由ということは,乗り逃げ自由ということでもあるし,2017年秋の右の写真のように,地下鉄駅などの周辺には当然乗り捨てられた自転車が大量に溜まる。 終には山になり,どれがどの会社の自転車か不明な鉄のジャングル(←ClickでGIGAZINEのpageに飛ぶ)に化けてしまう。
 “走りながら考える”というshare自転車への悪乗りは,中国人が多い日本にも飛び火し,今年3月に大津市・和歌山市・北九州市でofoが事業を始めたが,半年後の10月には事業の撤収を余儀なくされた。
 杭州市々営の例からも分かるように,share自転車は非常に利益が薄い商売である。 スマホでやるなら,国内のすべての自転車を一社総取りで管理して,乗ったら返すまで自動的に自転車代に相当する位のdepositを預り,杭州市の全国版にでもしないと儲からないと思う。

 ところで,「走一歩算一歩」は中国に限った行動様式ではない。 「走一歩算一歩」が大好きなもう一つの国に韓国がある。
 10月30日韓国の大法院(最高裁判所)は,1965年に日韓で結んだ条約とそれに伴う協定を事実上反故にする判決(戦時下での労働問題を未解決と勝手に主張)を下した。 この判決の続きはあと70件もあると言われている。
 さらに11月21日には,2015年暮れに結ばれた慰安婦合意に基づく,元慰安婦と称する女性に日本政府からの出資金で補償を行う“和解・癒やし財団”を一方的に解散すると宣告した。 朝鮮半島は日本の軍隊が他国と戦った戦災には一度も遭っていない上,日本人が引上げた際には日本人個人や日本企業が有していた財産はすべて没収されたにもかかわらず,1965年の国交正常化時にはさらに韓国側だけに補償すると言う形で二重取りされている。
 英国を初め以前の植民地に賠償をした国は一つもないが,日本は敢えてPhilippineなどへの戦時賠償と同じようにこれを行った。 今回,韓国がすでに受け取った賠償金をさらに三重取りしようとする総額は1兆円を越えると想定されている。
 これら日韓請求権協定や慰安婦合意など日本との重要な約束ごとを,後先を考えないですべて間単に“卓袱台反し”し,それを飲まない日本を世界に対して批難しまくっている。

 後先を考えずに「走一歩算一歩」する拙速な韓国の行動は,基本的に中国がよくやることのもの真似である。
 小中国と言われる中国の劣化版である朝鮮半島の国々には儒教思想が強く残り,近代になって世界で承認されている合理的な政治や条約などの約束事も,儒教的判断から見て正しくないと勝手に思いこむと,簡単に卓袱台反しをしてしまうのだ。
 もちろん,大朝鮮と呼ばれる中国においても事態は同じで,国の最高権力者の意図を忖度した役人や軍人によって,小さな卓袱台反しは常時行われている。 ただ,さすがに利益に目ざとい国民性から,朝鮮半島の国々のようにすぐに国を挙げてなだれ打って行動することはめったには起きない。
 しかしその中でも,1966年に毛澤東中国共産党主席が彼の四番目の妻の江青を使って引起こした文化大革命は,1912年の辛亥革命以来の最大の卓袱台反しである。 韓国で起きた,自分達が民主選挙で選んだ大統領である朴槿恵(박근혜)を蝋燭デモと称する極左運動で引き摺り降ろしたところなど,中国の当時の国家主席である劉少奇を紅衛兵を使って引き摺り降ろした場面を彷彿させる。 いまの韓国のやり方に対し,文化大革命の時に中国語を学んでいた養豚家が「déjà vu」(仏語:既視感)に囚われるのは仕方がないことであろう。

 英国が2016年6月の国民投票でEUからの離脱を決めた際も,養豚家は本来慎重に行動していた英国人も終に卓袱台反しに向かって「走一歩算一歩」したと感じた。 案の定,2019年3月29日の離脱期限に向けて,英国内では“行き当たりばったり”の離脱決定の後始末に,国民の意見がバラバラなままである。
 最後に日本であるが,異常なまでの自己愛に取り憑かれている安倍首相は,自分の妻やお友達などの利益を守るのに必死であるだけでなく,自分の票田を守るために入国管理法を改定して外国人労働者の受け入れを拡大する道に「走一歩算一歩」している。
 コンビニ店員や宅配便,土木作業員,工場現場など単純労働をする人間が不足して,“悲鳴を上げている産業界を救済するために,非熟練労働者の入国を事実上無条件に認める”というのが,今回安倍政権がごり押し成立を目論んでいる入管法改定である。
 すでに200万人もいる在日外国人を,選別することなくさらに増やそうという行為は,人手不足で外国人の大量流入を許した英国や独国など西欧諸国で,社会に大きな不安定をもたらしたことで,失敗は明白になって,英国がEU離脱を決めた国民投票の結果の一大原因になった。
 にも拘らず,何らの制限もなく単に安価な単純労働者を入国させるのは,日本の将来を不安定にし,日本人の収入を低いままで固定化し,敢えて帰化しない50万人にも上る大量の在日韓国・朝鮮人の一部が現在している不法行為や反日行為への参加者を増やすだけに過ぎない。 英国のように離脱する相手を持たない日本は,どうすれば日本に定着した不良外国人が生み出す社会不安をどうやって解消すればよいのであろうか。

 中韓を代表とする「走一歩算一歩」による“行き当たりばったり”と卓袱台反しが,米国のTrump大統領を初め全世界的に拡がっている。 まるで,前二回の世界大戦の前夜のような様相になりつつあると感じるのは,養豚家が歳を取ったからであろうか。 世界の破滅をこの目で見たいような,見たくないような心境である。


2018年12月22日 追記:終わりの始まりとなる「走一歩算一歩」

 日本の防衛省の発表によると,韓国海軍の艦艇が今月20日,日本海で米軍などと連携して行っている対北朝鮮哨戒活動中の航空自衛隊のP1哨戒機に対し,攻撃開始のradar照射をした
 この行為は航空機同士なら即応戦となる行為で,中国海軍が2013年1月に日本の艦艇に対して行ったように,仮想敵国に対して脅しの目的で行う場合がある。 もちろん,このときも対中国の大問題となった。

 これに対し韓国軍は現状では「通常の作戦活動中で,遭難船舶を対象に調査次元でraradを稼動したが,その半径にある日本哨戒機がつかまっただけ」という惚けた対応(註1)を見せている。 多分,中国海軍の時と同じく(日本に対して脅してやれという軽い気分で)現場の長が下した指示に基づいて行われたという説明で幕を引くと思われる。
 まさに「走一歩算一歩」でしかない。 日本が大陸にズルズルと引きずり込まれた,旧日本陸軍の跳ね上がりによる柳条湖事や盧溝橋事件と同じく,終わりの始まりとなる可能性が大である。


註1
 対遭難船舶捜査用のradarは広域をscanするもので,しかも海上に向けなくては意味がない。 航空機に向ける攻撃用のradarはbeamが細く,しかも空に向かって照射し,scanする必要はない。 こんな,小学生でも解る屁理屈を捏ねて,自分たちの行為を正当化する韓国は形だけ謝った中国以下である。
 やはり「小中国」と言われる韓国・北朝鮮は,子供騙しの言い訳を平気でする嘘つき民族であることが立証された。 従軍売春婦や迫害されたという労働者など,すべてウソで固めてそれを信じていると,民族が滅びるし,そんな連中とまともに付き合うのは,福沢諭吉が100年以上前に指摘したように100%無意味であるし,損失でしかない。


2018年版完